うぉっ、まぶしっ。と台本に書いてはあったがまったく絵と連動していなかったからいったい何が起こったのか瞬間的に想像できる視聴者は少なかっただろう。もちろん、台本を知っている人にはわかっただろうし、あるいは、そのようにした方がいいと信じていた人がいたら当然自然に受け入れていたのかもしれない。(MUSASHI GUN道)
大阪で皆が言えないことをズバズバいうことがその存在意義とか思ったりしている節があるのが辛坊治郎であるが、己が存在し得ている社会に対する敬意も資料もないという特徴を持つといってもいいだろう。かつてテレビ番組の企画で、障碍者とともにヨットで太平洋を横断するという企画でヨットが遭難してしまい死ぬか生きるかというところまで追い込まれながら、公助である自衛隊に救われて命をつないでいるという経験があるはずの彼は、そういうほんの一部の社会の構造に対して上っ面の感謝をしながら、それが社会の構造の一部であることを認めず、どこかの維新のように「既得権益」という形でレッテル張りをして目の敵にして攻撃することで、「正義」を示すという。大阪都構想に直結するような考え方の持ち主が辛坊治郎という人間なのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f94d269459800b37d1d3170919bc39b01cb20b40
そして結論はいつも決まっているのである。とにかくつぶせと。その構造を引きはがすとどういうことが起こるのかという、60も過ぎた大人であれば配慮して考えようという知恵も視野も全く持たない。暴れて駄々をこねれば何とかなるという少し発達が足らない子供のような状態でそのまま大人をやり続けてきたようなものだ。そういう社会の構造に配慮した案を述べれば当然おとなしいものになり、それが、社会の構造を慎重に変えていくという、社会の複雑さ、ありがたさに敬意をもって接するやり方であるが、それでは、「エンタメ」としては面白くないのである。倍返しだ!とか3倍返しだとか言っている方が「エンタメ」的には面白い。要するにこのテレビっ子は現実の社会に対して常にエンタメの視点で苦言を述べているふりをしているだけなのである。要するに真剣に社会をよくしていこうなどとは考え体なのである。そんなことよりは、橋下徹のようなバラエティー映えする奇をてらった意見を、理解しながら空気を読まないやり方で披露するのである。要するにマウントをそこでとれば成功という考え方なのだろう。その基本的なやり方として、新自由主義的な「しばき上げ」上等の言い方がマウントをとりやすいと理解して続けているに過ぎない。国内に政府が投資することはバラマキで利権であるといっておけばなんとなく正義なように見えるし、それを成功体験としているからゆえに、そういうことを言い続けているのである。そのことが、自分の命を救ってくれた公助をつぶすことにつながっていたとしても、それを続けてしまうというのはさすがに人の心が相当不足しているとしか言いようがないのだが。