外国ばかりを見てそれを失敗したとか成功したとか。まずやるべきはほっとかられた国内の鉄道だろう。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

邪道は邪道。選択と集中は、ミクロな視点では有効であるが、マクロな視点で行うことは未来を刈り取っていくだけの愚行であり、緊急避難的なやり方でしかない。邪道なのである。

 

 

https://toyokeizai.net/articles/-/375911

 

 

第三世界の鉄道のビジネスばかりを考えて、成功しただの失敗しただのということに一喜一憂する。もちろん、その仕事を一生懸命こなしている人たちにとっては一大事だろうが、そもそもそんな仕事の仕方をしているということがどういうことなのかということである。もともとモノづくりは何のためにやるものなのか。その元が使われる人に喜ばれるために作るものであろう。それをを対してただただビジネスとして儲かるからという理由で、作るものを押し付けようということが本当にそれを実現することにつながるのか。

 

もともとやるべきなのは、自分たちの社会において役に立つということを考えてやることが一番に置かれるものではないか。ビジネスとして第三世界にその製造物を売りつけるというのは、その副産物であって、それをカネ儲けの道具として最適化していくのは、どこかでくるってくるというものであろう。日本国内で鉄道システムの改善を進めていく。以前の価値観で廃止された鉄道システムも再起動するという可能性を考えたり、既存の鉄道でもさらなる改善を加えていくという考えで、鉄道システムに対する考え方をアップデートしていくことが大事なのである。

 

第三世界の鉄道はしょせんは他人事であり、第三世界特有の政治システムを考えれば、利権の道具の部分が大部分を占めるということでもある。ビジネスという考え方で入り込めば、その政治システムに特化していき、ゆがんだシステムの導入を進めることになるしかないのは、避けられないことなのだ。良かれと思って参入した先で、継続的にビジネスができないのもそういう利権同士の戦いに敗れたというだけのことである。

 

それでも、良いシステムを入れればこちらを向いてくれる、というのであれば、そもそも、カネ儲けのビジネスとしての海外鉄道のビジネスをやっているという時点でそれはいつまでも達成不可能なのだ。ほかの要素、軍事力や国民を顧みない移民攻勢などを使っていって押し付けていくという勢力に対抗する「品質」というのは相当高いものでないといけないのである。そんなものを醸成するのは、選択と集中などという甘っちょろい都合のいいやり方で達成できるわけはない。賢明に考えて状況を把握すること、そして、どういうものがよいのか真剣に考えること、そして、そのフィードバックがしっかり得られることが好循環で巡る状況が必要なのである。

 

それは、国内での事業で、単に奇をてらったものではなく、総合的なプロジェクトとしてやり続けることしかないのだ。それをやらない限りは、日本の鉄道システムはやその要素が、価値が維持できることも発展させることもできない。単に外国の鉄道製造会社を買収すれば何とかなるとか思っている時点で、見通しが甘すぎるのである。やはり、借り物ではなく自分たちでやり続けることしか発展する方法はない。もちろん、資本者気取りで、技術者をカネ稼ぎの奴隷程度に思っていれば別なのであるが、そんなことをしても、モノを作る力は衰えるばかりなのである。