菅義偉首相、その恐ろしさは、小泉進次郎どころではなかった。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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現実とはなかなか恐ろしいものである。常識とはなんと脆いものだろうか。そんなことはないだろうということは実は確実に忍び寄ってきていて、思わぬところで顔を出す。それが、多くの人が望んだ安倍政権の終演後にひょっこり顔を出してくるなんて・・。安倍はしたたか説では、スガにむちゃくちゃやらせて、安倍晋三が再登場するなんてこともあるぐらいにその潜在的悪辣さはとんでもない。石破がなぜだめだったのかの意味がよくわからないレベルである。(絵はいもいも)
 


こんな記事を1年ぐらい前に書いていたが、もっと空っぽでなんにも考えずにやってしまう人が首相になってしまっていた。スガ首相である。小泉進次郎は担げる神輿になるのかというとじつはなりにくいのではないかとも思うレベルである。彼のほうがまだ、一度頭に入れてから、考えているフシがあるが、スガ首相の方は頭に入れたというよりは、右から左にそのまま流してしまうという節がある。しかも、人脈は新自由主義的な人たちばかりで、例えば、竹中平蔵が師匠として仰いでいるとか、元ゴールドマンサックスの、デービッド・アトキンソンを経済政策のブレーンとして重宝しているとか。いや、ブレーンというよりは、台詞をそのまま作ってもらっているといったほうがいいかもしれない。

 

 


 

いつまでも安倍晋三に期待し続ける、老いたネトウヨ先生は、相変わらずであったが、その他の人々の菅評は興味深いものがあった。産経の田村氏が、安倍晋三はまだ批判に値するが、菅義偉は、そもそも批判してもわかってくれるのかどうか、という意味で批判に値するかどうかすら疑問だ、といっている。その意味は最初よくわからなかったが、後に三橋氏が述べた、菅義偉首相の中小企業の扱いの話が、彼がブレーンとして重宝している、アトキンソン氏が昔から主張していたことを、寸分違わず主張しているという。仮に同じような意見であっても、その人なりの世の中の味方が違うため、少しは変化があっても良いものと言えるだろうが、スガ氏にはそれがないという。そう、田村氏が言っていた、スガ氏が批判に値するかどうかもわからないというのは、スガ氏はそもそも自分で言っていることを自分の意志としていっているわけではない・・。常に他人の借り物であるが故に、菅氏を批判したところで、当人は全くダメージがない。ああ、それは、竹中氏の・・とか、アトキンソン氏の・・とか、アイヌ新報であれば公明党とか国交省の観光振興とか、取り入れる意見を言ったところに責任もろとも持たせている感じなので、当人が決めたという感覚がないのである。それ故に、言ったことに対する責任すら感じない。口だけでも責任と言っていた安倍晋三のほうがマシ!という考えたこともないことがそこにあった。

 

上記の討論では、田中某の最初から最後まで、安倍晋三救世主の夢の世界の住人のトークが続いていた以外は、安倍すらやらなかったことを、平気でやってしまう可能性があるのがスガ氏だという論調になっていた。もちろん、実際にできるできないは、首相をめぐる周りの環境によるので、実際にできるかどうかは不明ではあるが、環境さえ整ってしまえば、スガはなんの躊躇もなく、どんな恐ろしげな売国制作も進めてしまうことであろう。

 

小泉進次郎にはそういう部分はないかもしれない。やろうと思っても、ポエムに化けて実はみこしを担いだ連中をがっかりさせてしまうだけかもしれない。まあ、どちらにしても、身のある自分の思いやそれに基づく判断がないのは似たようなものなので、周りの政商たちの腕次第であろう・・。そういう意味では、スガ首相は政商たちの操り人形度は非常に高いという意見には共感する。外構に老いてはそれが見透かされるのか、立ち振舞がおかしい感じになるのかで、実際の売国政策が、外交に発揮されるのかは変わってくるかもしれない。

 

どちらにしても、全く嬉しくない情報ではある。日本の政治がまた日本復興に対して停滞か後退することでしかないからである。そのことは頭において、小泉純一郎政権以来、各政権と安倍晋三政権が作り上げたメディア政策にほだされることなく、やっていることを見定めて批判を続けることが基本的には大事なことである。