スガ首相は竹中平蔵人材派遣パソナ会長が大事だった頃の上司として師匠に教えを請うていた | ずるずると道・郷・話を愛でる

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S-1星はどういう惑星国家だったのか。(宇宙戦士バルディオス)

 

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020091800333&g=pol

 

 

菅首相の人脈は、新自由主義者にあふれている。

日経新聞でもそれは、スガの誇らしげな「経済界人脈」として紹介していた。

しかし、今の経済界人脈で登場する各種経営者の考え方は、国民国家の国民を全体的に豊かにして、その消費によって経済を回転させ、国内で様々な消費文化を花開かせることによって、供給側の向上も図っていく。具体的には技術投資などを積極的に行って、選択と集中と言われている現在の主流の考え方とは真逆て、当たり外れをそれほど気にすることなく、いろいろなものを作っていくのである。それに対して多くの金が実体経済としてめぐることになる。当然そういうことに携わっている人の賃金も十分にもらえる状況で、興味を持ったものに対してその見返りもそれほど気にすることなく対応していくのである。それは、その場で、その仕事をすることの喜びもあり、結果として所属組織に対する愛着も出てくるのである。要するに長くその職場にいるという状況が生まれていくのである。そのことによって、関係する人々の人脈も安定的に形成されていき、そのネットワークは、ひとりひとりの能力ではなし得ない力となり、それが世代を超えて継承されていく中で、技術やスキルの蓄積がなされていくというものである。そのような好循環の成長のモデルを捨てていったのが、高度経済成長後の日本であった。最初は、ゆるいものではあったが、徐々にその方向性を加速させ、最終的にはバブル崩壊という形で、成長の物語が終焉したことになった。すでに、崩壊に向かっていたときに、それが起こったため、それまで残っていた、成長のための構造すら、失敗の原因とされ、取りも直さず破壊されていったのである。守るものもない構造はただ、そこにあるから、という理由だけで破壊されていくのである。その先にあったのは、大企業主義とも言える、大多数の貧困・低賃金労働者と、一部の高給労働者経営者だけである。そこには、大衆扇動したマーケティングによる収奪モデルでカネをかすめ取ることや、金融経済でカネを増やすことに価値を感じることになり、技術開発に取り組むことも基本的に行わない。実態と全く関係のない金融経済の仕組みに対する執着はあっても、実体経済の効率化や発展は、カネの収奪方法という側面以外ではあまり発展がなくなってしまったのである。

 

経済をカネの多寡で図るようになってからは、実体経済、金融経済の区別も曖昧になって、とにかくカネがそこにあればいい、あるいは、集めて増やせればいいという価値観で語られるようになるのである。科学技術の発展についても、単に儲からないという理由で、取り組みを渋るという態度は、基準がカネであるがゆえのことである。コロナの感染拡大の被害が続く状況における経済被害の補償のカネの量が絞られ続けているのも、カネを増やさない方向で動かすのが基本的に忌避されるということから来ているのである。

 

スガの師匠である竹中平蔵は、パソナグループの取締役会長を筆頭に、大企業の社外役員や外国人人材関係の団体の役員などをやっている。そして、政府の首相諮問機関未来投資会議では中心的な立場の人間である。安倍は竹中の盟友だったが、スガは竹中の弟子のような存在である。その頭の中では、竹中平蔵の描く理想世界を基本的に踏襲した形で繰り広げていると考えてよいだろう。出てくる政策は、財政出動で国内に投資するというものよりは、国民を「自助共助」で自己責任、自己負担で基本的にすべてやるように仕向けるのが理想としているのである。政府はできるだけ仕事をせず、国内の投資を引き上げるというスタイルである。大阪維新が大阪府、大阪市で行っていることを、国でやろうということなのである。全体の枠を設定して、トレードオフで予算を組み替え、全体の枠を絞り込んでいくというやりかたで、小さな政府で、政府に取り付く政商にだけ便宜を図るという、悪しき自由主義の形である、新自由主義の方針を強化していくのだ。