安倍首相は、自分を格好つける以外になんも考えてないのです | ずるずると道・郷・話を愛でる

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顔と言動が一致しないときは言動が怪しいと思うべきだろう。(画像はイメージ)

 

2193日 安倍政権 戦後3位の長さ :日本経済新聞

2017/12/30 - 安倍晋三首相の在職日数が26日、2012年の第2次政権発足から丸5年を迎え、第1次政権を含めた日数は2193日となった。戦後の首相としては佐藤栄作元首相(2798日)、吉田茂元首相(2616日)に次ぐ長さだ。安倍首相が2018年の ...

 

上の記事からの経過を見れば、内閣総理大臣安倍晋三が2回目の首相となってそろそろ6年を越えそうな感じである。

 

先進国の首脳の在任期間を考えると、長く続けることは、場合によっては意義があったかもしれない。仮説とその検証を行うことにまじめに取り組んでいたら、それはおそらく有意義なものであっただろう。実際はどうだったのか。新自由主義に基づく仮説による政策はどんどん出してくるが、その検証となると、ごまかしからごまかしを重ねるやり方が常套手段になってしまうという体たらくである。それをそうでないとして、「いろいろあるけど、頑張れ!」とやっていたとしたら、その行動の方が無責任である。無責任で通そうとする連中の思うつぼであることを認識することから始めないといけないだろう。

 

それでも、最初は猫をかぶっていろいろ、希望を振りまいていたのだ。その人心把握の方法はある意味見事であった。しかし、裏を返せば単に口のうまい詐欺師に高額な羽毛布団を買わされているだけの情けない老人と自分が同じであることを告白しているようなものだ。

 

そんな形で、だまされている連中が増え、しかもその認識を変えないという、安倍政権にとっては、国民はだますのに実にちょろい連中であったという認識に変わってきた。その結果、気を使って振りまいてきた詭弁もやる意義を感じなくなり、いろんなことが面倒になって、自分自身の名声を上げるために目の前にあるものをに対して、すぐに成果が出る範囲で拙速にやってしまうという、彼の性格と、それを許す空気を作り出してしまったのだ。それは、結果として、デフレで天災で復興をしなければならないわが国にとっては、不幸という言葉以外に表現しようがない状況を「固定化」している。

 

政治の世界で何かと持ち上げられる存在ゆえにある意味万能感に浸っている安倍晋三首相は、それでも日本の中の世間の目は恐れている。逆に、解放的になるのがそういう世間の目を無視して発言ができるという外遊したときで、各国の首脳や幹部との会談があるような、安倍外交と期待されるようなときである。

 

今回は、前回のロシアに続く、中国という日本の命運に大きくかかわる隣の大国との首脳会談であった。このタイミングは、中国という大国に飲み込まれつつある状況からいかに脱するかという「戦略」のもとに、行動するべきタイミングである、ということは、鈍感な我々でもわかろうというものであろう。

 

日本経済をよくするために活動する、というよりは、単なる法人税・消費税輸出還付金目当ての守銭奴企業寄り合いで、国力よりカネよこせと日本政府に団体交渉するという情けない代表に成り下がっている(画像はイメージ)。

 

とにかく、中国と経済的な結びつきをすることが優先であり、日本のミライの国益については、明らかに毀損することに対して、無頓着なのである。これで、企業が儲かる、それですべてよし!という判断基準しかないことが分かるだろう。


https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540578484/ 
【安倍首相訪中】日中企業3000億円規模の商談成立 ★2 

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540550289/ 
【日中首相会談】東シナ海を平和の海にする事で中国首相と一致 通貨スワップ再開★2 

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540544486/ 

【安倍首相訪中】中国、日本との軍事協力の拡大の用意あり=中国国防省 ★6 
 

安倍晋三首相あるいは取り巻き・権力のパトロンの財界幹部諸君はまさにそういう路線である。国のミライ、国民の人生?そんなことは知ったこっちゃない。今目の前にあるカネを取りに行く、それが生きる道としているのである。中国の提供するビジネスは、国内経済を取り崩すことを前提としたビジネスチャンスである、という目でしか見ていないのである。

 

日中関係は属国化の入口に入ったのかもしれない-愛国心に酔いしれる売国への道「コテヤン秘密基地」

自らの国のことを顧みない状況から、米中に翻弄されるに至り、ついには、すでに中国勢力圏に落ちた韓国の代わりの、韓国ポジションとして、「コウモリ外交」を日本が始めているという厳しい現実の指摘があった。安倍晋三首相が得意な、安易な解決策を続けているとこのような状況に陥るのである。やっていることは、他山の石としてきたはずの韓国と同じだ、ということである。

 

国内は、バブル崩壊以降成功するすべもなくやる気も何もなく成長する余地も人間もいない。それゆえに国内経済はどんなにしばき上げたとしても値を上げることはない、強固なものであり、これからも搾り取って、しばき上げることで、これまでの多すぎる遺産を吐き出させなければ、世界の平和にならないという、深層心理のもと、成長路線を放棄して20年間やってきた。


 

安倍晋三は、その空気に乗って、彼の名声を上げるのに躍起である。

 

ちゃんと見ていなかったが、中国での安倍晋三の暴走は、上記のブログによればなかなか笑えない状況を呈しているようである。

 

習近平との会談でほいほいと合意してきた内容が次のようなものらしい。安倍のツイッターでも「自由」という部分で自慢しているので本当のことなのだろう。

 

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018102600874&g=pol

習主席、訪日「真剣に検討」=日中首脳「新たな関係構築」-新3原則を確認

会談冒頭、安倍首相は

「競争から協調へ」

「日中は脅威でなくパートナー」

「自由で公正な貿易の推進」の三つの新原則を提案。

習主席は「中日関係が正しい軌道に戻り、前向きな勢いを見せている」と応じた。

新提案とか言っているが、要するに従来からある「日中友好」を言い換えただけのことである。

なにも新しいわけではない。しかも日中の国力の差が2倍といわれるこの頃である、今の時点で、強調するべきものなのかは、控えめに言っても相当微妙なところだろう。

 

同じ政権のなかで、当人は直接言っていないにしてもそのように取られてもしょうがない発言をしてきた話とは相いれるものではないだろう。

 

https://www.sankei.com/politics/news/150430/plt1504300004-n1.html

TPPで対中包囲網 AIIB警戒感で一致 首相「恣意的な思惑に左右されない」 2015.4.30 05:00

「アジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意(しい)的な思惑にも左右されない、フェアでダイナミックで持続可能な市場をつくりあげなければなりません」

 安倍晋三首相は29日の米上下両院合同会議での演説で、こんな言葉を使ってTPP交渉の早期妥結を呼びかけた。「恣意的な」との表現が、中国を念頭に置いているのは明らかだ。

※記事を読めば、中国とは直接言っていないところがポイントだろう。安倍はこのことを通じて、「そんなことは言っていない」という詭弁を弄する仕込みは万端だ。そんなことを言わなくても、いいように忖度してくれるというわけである。それに従って政治も動いているので、おそらく近いうちにきかれる詭弁に対してまじめに取り合う必要はない。安倍も自分の発する言葉にまじめに取り組んでいないからだ。

 

これまで、曲がりなりにも信用できていた人間が収まっていたところに、何言いだすかわからない頭領になっていた時、それを、やはり信用する人間とみるのか、そいつはおかしいと表明するのか、自分の生きる組織・共同体・国家の危機はそんな形で訪れて、回避できるかどうかの分岐点を迎えるのである(画像はイメージ)。

 

ようするに、国防戦略上の仮想敵国としての中国というのう考え方を放棄している言い方になっているということだ。米中貿易戦争が実施中の中でこのような態度をとるということは、米国との会談内容にかかわらず中国に対しても便宜を図りますよー、ということである。

 

中国の取っている一方通行的な帝国主義的「自由貿易」政策の是正についても語ることなく、中国に比べて弱い経済・軍事力しか持たない日本が、このような中国との「自由」「公正」な貿易を推進することは、一方的に割を食うことになるだけ、というのは歴史を見るとわかる話である。力の拮抗しない国家間の取り組みは、基本的に管理的にしない限りは、不均衡のままその不均衡が増長していく方向にしか変化はしない。結果として、日本の国力はますます減衰し、その分中国の国力が増大する、という結果をもたらすのである。

 

そういう常識的な判断を全く無視して、日本の国力の増進のため(国益のため)という視点なしに、「自由」というのはやってれば、日本のために良いでしょ?という頭の悪い幼稚な幻想に基づいた外交をしているのだ。がいこうにかんする官庁である外務省との打ち合わせもちゃんとやらずに、先走ったことを進めている首相、あるいは首相官邸のやり方はこんな幼稚な判断で実施されていることに驚愕するとともに危機感を持たずに、いつ危機感を持つの?今でしょ、と林修先生に言われそうである。

 

そんな幼稚な外交・政治を繰り返すのは、臆病で、周りの人間のことを敵か味方の2分法でしか見ることができず、あれやこれや指示されること嫌うがゆえに、意見することが多くなりがちな戦略ができる人間をそばに置けず、それでいて、格好つけだけは小学生時代以来50年ぐらいの年季が入った安倍晋三首相が、ほとんどその場のノリ(ポリコレの代表格、自由?平和?グローバリズム?多文化共生?)で話をつけてくることであり、それを各国の首脳に利用されっぱなし、ということだろう。

 

帰ってきたら、昔見たのとなんか違う。なんか違うときはちゃんと確かめた方がいい。(画像はイメージ)

 

韓国のことを、この15年ぐらいにいろいろ非難してきた人たちにとっては、実はそんな勧告的なものが日本にはびこって国民自体がそれに寄ってしまっている現実を見たくないのであろう。しかし、そんな非難していた、他山の石だったはずのものが、自分は自分たちが患っていたものだったとしたら、話は実にかみ合ってしまう。それは、別に陰謀論で中韓にやられた、という話ではなく、どっぷりと我々がそれに浸って、その行動原理でものを見て過ごしてきた結果に過ぎないのである。変わらなければならないのは、韓国ではなく、日本人そのものなのである。

 

安倍晋三は多少その性格が偏っているにせよ、そういう日本人が容認する空気に乗っかって、成り上がっているだけの存在であり、そういう意味で日本人の現状の悪癖を具体的に示す象徴となっているのだ。そういう意味で、ネトウヨや保守派とかいう連中がよく言うように、安倍を批判することは、日本人を批判することになる、というのは、あながち間違っていない。ただ、それは批判するべき内容を持っている、ということを認識しなければならない危機的状況であるということを忘れてはならない。

 

日本の復興を成し遂げるためには、日本人の悪癖の象徴であり、絶賛実行中の安倍首相を批判しながら、同時にそれを容認する自分たちの心を補正するということが我々に求められているのである。