政治が政治をしない危機的状況 | ずるずると道・郷・話を愛でる

ずるずると道・郷・話を愛でる

房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

 

安倍が悪くない、財務省が悪い。そんな言い方で、現政権しかいない感をだして、引きずり下ろす機会を先送りにしているという現実がある。現政権は、緊縮財政・消費税増税・法人税減税による庶民からデフレ下でずる賢く利益を出しまくる守銭奴企業や外資に対してカネを移転するという国民経済殺しの政策を打ち続けているという事実がある。それに対する責任を負わないことを言い続けてきたがゆえに、もう、本当のことを言う気もなくなってしまった。話すことに対して、実質逆の意味の所業を行うことを推し進めている。

 

この連鎖は、この政権が続く限り変わらず、支持が落ちない限りは続けられ、増長されていくだろう。

 

そもそも、財務省という役所は、カネの出入りを管理するところである。カネに換算できなことは考えられない、ある意味狭い了見の人間たちなので、その行動が広範囲にわたって、強大になると経済成長すらできないことになる。財務省が増長すれば、あらゆることに対してカネが動くことの確実性を求めてくる、というのは財務省という役所の目的とそれに従ってやっていることを考えれば当然のことである。

 

問題は、そもそもの問題を把握せずに、やりたいようにさせていることであって、省庁そのものではないだろう。調整役であるはずの政府の仕事を放棄して、力関係に従ってなるようにさせているという状況が問題なのである。そのような形で「自由奔放に」放置しているがゆえに、放置された状況で力を持つ組織はその自己強化性を強化しながら暴走していくのだ。

 

そんな危機的な状況の推移を危機と認識しないことが問題なのである。

 

 

自分に関係なさそう・・ということにして、見ないふりというのはその場のやり過ごし方としては、優秀な部類に入る場合もある。ただ、国政という連続的に続き未来の方向性を確実にしていく施策を、見ぬふりで放置しておくことの「やばさ」は認識しなければ落第なのだ。

 

そうやって見ないふりをして問題にしない限りは、対処のしようもないので、その時の勢力図に従って動くことは間違いない。政権が、その中央にいる首相周辺が国政において補正していくべきことを把握しないがゆえに、特に何の方向性もなく、ふらふらしているということなのだ。それだと、自分たちだけがとりあえずいいようにしてもらいたいと思う連中が、カネ持っていて支配的になっていて、結果、そんな下水連中の連中のことをそのまま聞いて、鍛え上げられた詭弁で愚にもつかない言い訳をしながら、パトロンに偏向した政治をしているのである。

 

そういうやり方が、政治家、与党自民党政府のやりかたであろう。そして、本質的にまずいことに的確に攻撃きない野党、そういうことを批判しない国民、すべておいて当事者意識がなくなってしまっていることが問題になっているだろう。

 

こういう状況に対して反発する表明が出てくることがこのような状況で必要なことだろう。

そんなことより、権力欲を満たし続ける、しかも、超安易な方法でやろうというのが今の政権のやり方である。それのしりをたたくにしても、まずは、この問題を我々が認識し、国が壊れてしまうという危機感を共有せねばならないだろう。


 

上記の人気ブログの記事を読むと、第一印象が財務省が悪いんやん!俺たち悪くないんやで。という気持ちの収め方になってしまう危惧がある。しかし、もっと問題なのはそういう状況に丸め込まれる(あるいは、自ら諦めて、その悪行に無批判で付き従う)ことにあるのだ。

変えていくためには、このように過度に財務省が悪い、ということだけにしてしまうと話が始まらない。財務省が暴走しているということを認識して我々の認識を変えることがより重要なことなのである。そのことで、ようやく政治にその意図が届き始める。

 

ハロウィンで渋谷で大暴れしている割に、こと経済にかかわるところではあまりに良いこちゃんで、物分り良さげにしていると、安倍晋三を始めとする保守派と言われている政治家に、国益とは間逆ながら、財界のカネ稼ぎのために、緊縮上等、国民丸裸の外資規制緩和上等、国民総低賃金化にして排他的異文化による日本文化蹂躙の大量移民政策上等といったことを、こちらの意見も聞かず導入し続けるのである。