人生の迷いをクリアにし、
あなた本来のミッションを覚醒させる
ゲートキーパーの鼎ナオ(かなえなお)です。

過去の出来事と心の変化を
「自分探しの歩み」として表現しています。

 

前回の話の続きです。

 
そんなこんなで、
 
はじめての一人暮らし(京都)がはじまりました。

美術の教員免許を取得したいのと、
厳しい家から早く解放されたかったのとで、
本当に嬉しかったことを覚えています。

そもそも夜型人間だったので(今もそうです)、
夜に起きてゲームをしても、
夜中にラーメンを食べに行っても、
誰からも怒られないという解放感に浸っていました。
 
それと同時に、今まで親がしてくれていたこと、
今、親がしてくれていること等、
親への感謝が徐々に湧いてきました。
 
当時は、「料理の鉄人」にも影響されて、
少し凝った料理も趣味だったりして、
友人を家に招いて、楽しく過ごせました。
 
高校時代にはあまり居なかったような、
マニアックでノリの良い友達もたくさんできました。
 
(パリピみたいな写真ですね。)
 
よく、近所のお好み焼き屋さんに飲みに行ったり
カラオケにも行きました。
 
(女友達が撮ってくれています。
 悪そうにみえるけど真面目なイケメンの友人に恵まれてたなぁ・・・。)
 
高校時代にそんな話をしたら誰もついていけなかったような
マニアックな話題でもドンドン爆笑してついていけるような
友人たちです。
 
車を持っている友人も居たので、
4-5人で、よく夜中に琵琶湖等、
あちこちにドライブに行きました。
 
 
割とモテて、告白もされました。
 
町を歩いていれば、声をよくかけられました。
 
自転車に乗っていた時に、
声をかけられて、前からいいなと思ってたと
京大生から告白されたり等もありました・・・。

・・・が、変わらず、
いいなと思った人からは振られました。
 
遠距離の彼氏っぽい人にも、
変わらず冷たくされ、
何度か別れを切り出されました。
 
 
 
そして、ズルズルと悲しいだけの
曖昧な関係は続き・・・。
 
遠距離だったので、往復の交通費等も、
私がバイトをして負担することが多くありました。
 
電話も全てコレクトコール。
(私の料金負担)

しかし、もう叶わない気持ちは辛かったし、
他の人でもなんとかやっていけるかもしれない・・・
そう思って、思い切って私から、
別れを切り出しました。
 
そして、自由になったと思い、
いろいろ声をかけてきた人と、
つきあうまではいかなくても、
カフェやごはんに行くようになって、
なんとか心が紛れてきました。
 
そして・・・

 

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