同級王者 ベンビラフロア(比)
王者のベンビラフロアは小林弘からベネズエラ
へ持ち帰ったマルカノの王座を奪取。
何故かハワイを拠点とした。
柴田が当時ウエイト苦としていた情報はなく
フェザー級王座陥落からの再起戦をハワイで
Jライト級のリミットでフェザー級8位の
バートナバラタンと行い判定勝ち。
Jライトの方が動きやすいという本人の感想で
標的は小林弘から引き継ぐベンビラフロアか
沼田義明から奪ったリカルドアルレドンドか?
柴田はこの後南アフリカに飛び判定負けを
喫する。それを見たビラフロア側はこれなら、
と対戦を了承。柴田にとって2階級挑戦は
ともにアウエイとなる。
毎日新聞ではビラフロールと表記。
専門誌でのビラフロアに馴染みがあったので
何じゃこりゃ?と思ったものでした。
ところが柴田はビラフロアの強打を完封。
空前にして絶後の海外2階級制覇を達成する。
初防衛戦エチャガレイ戦を疑惑のダウンで
(レフェリーはもちろん我らが吉田勇作)
判定防衛し、オプション契約のため再度
ハワイに飛びビラフロアとの再戦に臨む。
1973年10月17日 ハワイホノルル |
WBA世界Jライト級タイトルマッチ15回戦 |
同級2位 ベンビラフロア(比) |
KO1R |
同級王者 柴田 国明(BVDヨネクラ)
両者相撲のようにぶちかましをした後
柴田だけキャンバスに転がってしまった
強烈なワンパンチノックアウトで
あっけなく王座を手放した柴田。
「何もしないうちにやられちゃいました」
このあっさり感は敗戦のたびにあっさり
キャンパスに転がる柴田らしい。
白井さんの「左が当たっちゃいましたよね」
となんてのどかなんだも記憶に残る。
Jライトではやはり体格差があるのか?と
引退を勧める声もあったが柴田は見事に
翌年復活するのであった。 |
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