昭和ボクシングその16~海外2階級制覇 | ジジイが来たりて愚痴を吹く

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人生還暦を超えていよいよロスタイムに入りました。
いろいろ過去をふりかえりながら未来を描きたい
#MIOつくし #FC草津26期生

1973年3月12日 ハワイホノルル
WBA世界Jライト級タイトルマッチ15回戦
同級7位 柴田 国明(BVDヨネクラ)
 判定
同級王者 ベンビラフロア(比)

王者のベンビラフロアは小林弘からベネズエラ
へ持ち帰ったマルカノの王座を奪取。
何故かハワイを拠点とした。
柴田が当時ウエイト苦としていた情報はなく
フェザー級王座陥落からの再起戦をハワイで
Jライト級のリミットでフェザー級8位の
バートナバラタンと行い判定勝ち。
Jライトの方が動きやすいという本人の感想で
標的は小林弘から引き継ぐベンビラフロアか
沼田義明から奪ったリカルドアルレドンドか?
柴田はこの後南アフリカに飛び判定負けを
喫する。それを見たビラフロア側はこれなら、
と対戦を了承。柴田にとって2階級挑戦は
ともにアウエイとなる。

毎日新聞ではビラフロールと表記。
専門誌でのビラフロアに馴染みがあったので
何じゃこりゃ?と思ったものでした。


ところが柴田はビラフロアの強打を完封。
空前にして絶後の海外2階級制覇を達成する。
初防衛戦エチャガレイ戦を疑惑のダウンで
(レフェリーはもちろん我らが吉田勇作)
判定防衛し、オプション契約のため再度
ハワイに飛びビラフロアとの再戦に臨む。

 
1973年10月17日 ハワイホノルル
WBA世界Jライト級タイトルマッチ15回戦
同級2位 ベンビラフロア(比)
 KO1R
同級王者 柴田 国明(BVDヨネクラ)

両者相撲のようにぶちかましをした後
柴田だけキャンバスに転がってしまった
強烈なワンパンチノックアウトで
あっけなく王座を手放した柴田。
「何もしないうちにやられちゃいました」
このあっさり感は敗戦のたびにあっさり
キャンパスに転がる柴田らしい。

白井さんの「左が当たっちゃいましたよね」
となんてのどかなんだも記憶に残る。


Jライトではやはり体格差があるのか?と
引退を勧める声もあったが柴田は見事に
翌年復活するのであった。