昭和プロレスその9~国際プロレス2 | ジジイが来たりて愚痴を吹く

ジジイが来たりて愚痴を吹く

人生還暦を超えていよいよロスタイムに入りました。
いろいろ過去をふりかえりながら未来を描きたい
#MIOつくし #FC草津26期生

日本プロレスにゴタゴタが見え隠れした時期

ストロング小林が海外流出したIWA世界

ヘビー級選手権を奪還し凱旋帰国します。

小林は帝王バーンガニア率いる国際プロレスの

提携先AWAで何度もガニアの世界王座に

挑戦し、結構ガニアを追い詰めます。

専門誌では小林が世界王座まであと一歩!と

煽るので小学四年生としては期待しますわな。

残念ながらAWA王座は取れませんでしたが

「AWAでは稼いだよ。そのギャラで国際

プロレスのガニア召喚の不足分も補ったし。

ガニアもブルーザーも小林が日本に帰国したら

せっかくのAWA繁栄に水を差す、と言われた

しね」と自慢げ。

その後は待望のエース誕生ということで

AWAの強豪と防衛戦を重ねていきます。

このIWAベルトも結構お気に入り。

イーグルタイプが流行る前は丸型が主流でしたね。

 

ところが小林は当時杉山、草津、木村との

国際プロレス四天王としては一番年下で

「おっかない先輩ばかりで嫌になる、けど

アドバイスなんか受けないもんね」とやはり

スター性は一番だったと思う。

特にグレート草津は小林の快進撃を嫉妬の

目でみていた第一人者。

 

1968年国際プロレス旗揚げ時のエースは

この草津でありまして元日本代表ラガーマン。

旗揚げ第一戦の政局は結構複雑で

吉原功氏とヒロマツダにて団体を興すも

グレート東郷のネームバリューを利用した

TBSに母屋を取られる格好で完全テレビ局

主導の団体と成り下がり、有名なコメントに

「我がTBSをもってすれば大スターは1日で

 成し得る」とあり、見栄を張る。さらに

グレート東郷と連携しTWWAというタイトル

を作りチャンピオンにルーテーズを認定。

対草津という図式を立てる。

TBSは裏で「草津に花を持たせてくれ」と

東郷とテーズにねじ込み、しかしテーズが

なんであんな素人に俺が負けにゃあかんのや?

と完全KOで粉砕。旗揚げ戦でエースが失神!

 

以降TBSはプロデュースから手を引き

放送だけに専念します。

草津は中継ぎエース杉山と真のエース小林を

羨望するだけとなるわけですな。

小林を陥れるためいろいろ画策するジャギ草津

 

話はそれますが

このテレビ局の力さえあればなんでも出来る

という考えに捏造TBSの本質があると私は

思っています。(あくまでも個人の所感)

ボクシングでも疑惑のチャンピオン誕生は

なぜかTBSが多い。

幸い具志堅、井上尚はそれ以上の実力を

持っているので不要でしたが

いわゆるTBS認定チャンピオン

渡嘉敷

鬼塚

亀1亀2

ってワタシ的に王座獲得はえ!?っと

思ってしまいました。

(ファンの方すみません)