昭和ボクシングその8~炎の男 | ジジイが来たりて愚痴を吹く

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人生還暦を超えていよいよロスタイムに入りました。
いろいろ過去をふりかえりながら未来を描きたい
#MIOつくし #FC草津26期生

★ボクシングNo8
1971年10月31日 日大講堂
世界Jミドル級タイトルマッチ15回戦
同級4位 輪島 公一(三迫)
 判定2-1
同級王者 カルメロボッシ(伊)

輪島公一 
この名前って5人王者全盛期においても
当然知名度はなく、プロボク誌の
チャンピオン名鑑で載っているのを見て
あ-日本チャンピオンは28歳でも
なれるんや、レベル低くぅ
とめちゃくちゃ失礼な事思ったりして
まさか日本ボクシング史に残る
名ボクサーになるとは。すみません!
ファイティング原田が25歳で
引退するかどうかに揺れている時に
同じ歳でデビューした輪島は
軽量級がメインの日本において
ウエルター級でKO街道を驀進していく。
(ちなみに猪木も昭和18年生まれの同級生)

小学生時代北海道の雪原を往復12キロの通学
中学では夜は家計のためイカ漁に精を出し
高校2年で上京。
数々の職業をこなし高度成長中に土木会社で
稼ぎまくる。
こういった過酷な人生の中で一途さを
失なわず、体を動かすことが性に合う輪島が
三迫ボクシングジムと出会う。

練習でも次々と違う体制での打ち込みをこなし
意図的なパターンを積み上げることによって
試合での無心の変化を引き出す。
とにかくパンチのスピードはもちろん
相手をかわしての攻撃
極端に低いダッキング
幻惑させるフットワーク
突如思わぬところからパンチを繰り出す。
苦労した人生から得た頭の速い回転は
肉体をも支配していく。

世界挑戦はJミドル級。
ローマオリンピック銀メダリストの王者は
噂にたがわず洗練されたテクニシャン。
勝つためにはカッコ気にしている場合ではない
猛烈に体を動かし変則殺法を爆発させる。
解説の白井さんは相手のペースを乱すことに
賛同的。
6ラウンドあたりからくにゃくにゃと体を
揺らす。フェイントもかける。
場内大爆笑。ボッシセコンドも笑ってしまう。
渋面をするのはボッシのみ。


カエル飛びを繰り出す寸前
人間を相手にするはずだったボッシは
ただただ困惑


結果はボッシが連れてきたレフェリーが
輪島を支持し世紀の大番狂わせ。
プロボク誌で判定に不満なボッシが印象的。
桜井孝雄、高橋美徳など
世界の壁に跳ね返された三迫ジムの先輩は
カエルだろうが変則だろうが
ただただ結果に祝福。
ジュニアミドルという重量級で王座に
ついた輪島は以降日本ボクシング界を
引っ張っていきます。
「俺は日本で一番重たいチャンピオンなんだよ」