昭和ボクシングその1~逆転の貴公子 | ジジイが来たりて愚痴を吹く

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人生還暦を超えていよいよロスタイムに入りました。
いろいろ過去をふりかえりながら未来を描きたい
#MIOつくし #FC草津26期生

大層なつもりはないのですが

まあブログって日記みたいなもので

そろそろ人生の終わりに差し掛かっている身とすれば

年記(って言葉があるのか?)も書いておきたい

というのがこのブログの趣旨なので

うだうだと綴っていきますね。

贔屓が偏っているのでご容赦のほど。

 

★ボクシングNo1

1970年10月22日 日大講堂

WBA世界フライ級タイトルマッチ15回戦

同級1位 大場政夫(帝拳)

 KO13R

同級王者 ベルクレックチャルバンチャイ(タイ)

 

自分が初めてリアルタイムで観たボクシング世界戦。

当然テレビ鑑賞ですが。

場所は昭和ボクシング世界戦のメッカ日大講堂。

詳細のテクニックなぞ全くわからん小学3年生。

単に日本を背負う大場に全集中呼吸で見入る。

なんとなくチャンピオンのスピードが落ちてきて

血まみれになっていく展開にワクワク。

本多アナウンサーの「試合は一方的!」に安堵。

ま、このへんしか覚えてないのですがね。

 

親父がその後月刊誌プロレス&ボクシングを

買ってきてくれてですね

ボクシングはプロレスよりもページは後半

なのですが

(プロレスも好きなのであまりそれは気にしない)

「日本のフライ級を復活させた男 大場政夫」と

題した特集がありました。

てことで強かった時代があったのかな?と

興味に幅が拡がり

もちろんインターネットもない時代。

ゴング誌かプロレス&ボクシング誌しか情報源が

なかったのでした。

こうして知識ゼロからいろいろボクシング

というものに俄然興味がわいたわけです。

 

後年ベルクレックはチャイナとのハーフなので

タイでは同世代チャチャイチオノイに

比べ人気がなく条件次第では東京での開催もアリ、

タイでは原田も海老原も王座を奪い返されており

地の利を得るには尤もな交渉であったこと。

世界戦とはいえプロモーター間の交流は近場の

アジアが主流で

タイ、フィリピン、日本の間で王座が動くことが

多かったこと。

帝拳ジムはそのツテが大きかったこと。

帝拳は老舗だったが世界チャンピオンは

それまで輩出できず

大場と2歳違いの本田明氏が会長だったこと。

(画面で喜ぶ本田氏若い)

なども理解できるようになると

非常にボクシングも奥が深い、となりました。

 

大場はその人生の収束も含めて

ワタシの最も好きな選手。

基本ワンツーで距離をとり

殴り合いで仕留めるタイプ。

今はアーカイブで観れる時代になり

いつまでもその強さを焼き付けておきたいですね。

試合後のインタビュー

ほとんど腫れのない顔の大場