一日一禅 | おてらさん

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大分にある臨済宗のお寺さんです。

「元是一精明分為六和合」
もとこれ一精明、分かれて六和合となる。


一心より眼耳鼻舌身意の六識が和合して自由の働きを為す。
(禅林句集)


六識とは

眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の6種の識を指す。「識」(vijJaana)は分別や判断などの認識作用、またはそれを行う認識主体としての心をいう。一般的には後者のような認識主体としての意味でいわれる場合が多い。 それぞれの識は、それと対応する6種の感官(六根)と、およびその対象(六境)とによって起こる、といわれる。また,根・境・識の和合によって認識がなされるとする学派もある。 アビダルマ(阿毘達磨)仏教では心のあり方をこの六識に分析するが、唯識派では、それに第七識としての末那識、第八識としての阿頼耶識を加えて八識とする。

(WikiDharmaより)

般若心経でも「眼耳鼻舌身意」は出てくるね。
頭に「無」が付いているけれども。
心経では「空」について説明するために、あらゆる「識」(認識主体)を一度無にしてしまう。
が、ここでは逆だ。
六識がすべて和合して、真に自由なはたらきを為すと説いた。
この身体のあらゆる認識機能が、すべてひとつに溶け合った境地とは。
いま、ここに在りながら、空でいるということか。

結局はどちらも正解なのだ。

色即是空、空即是色




「ある」と「ない」、どちらにもひっかかっても
自由なはたらきはできない。





これもある意味「和合」かも?



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