「たくさんの花の束から
多くの花飾りを作ることができるように
人として生まれて死んでいくのなら
多くの善をなすべきである」
(法句経)
花のある生活は楽しい。
禅寺にも花は大切だ。
修行道場では、本堂の祭壇には必ずフレッシュな花を絶やさないことが殿司の絶対的な使命だったし、陰侍として老師の身の回りのお世話をする仕事をしていた際にも、ほぼ毎日、床の間の花をどうしようかと、毎日頭を悩ませていた。
ハサミ片手に、僧堂の庭をウロウロしていたものだ。
人類最初のお葬式と言われるシャニダ-ル遺跡も、ネアンデルタ-ル人の遺体の周りにたくさんの花が添えられていたことが所以だ。
我々は、花があればより潤いのある生活ができるが、人生そのものをより豊かにするためには、善が必要だとここでは説かれている。
「善をなす」とは、自分以外の誰かに対して善い行いをすることだ。
たくさん花があれば、たくさんの花飾りを誰かに贈ることができる。
同じように、自分自身の中に「善の心」がなければ、誰かに善を施すなんて無理だろう。
自分以外の誰かに花飾りを贈るように
善をなせ
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