「只在目前」
ただもくぜんにあり
(景徳伝灯録)
ある日修行僧が師に問うた。
「道は何処に在りますか?」
すると師は
「道はただ目前にある」
と、答えた
それに対して僧が
「我何不見」
「私には見えません」
と返すと、師は
「汝有我故、所以不見」
「見えないのは、お前に我があるからだ」
と、言った。
「我有我故即不見、和尚見否」
「私は我があるから見えませんが、和尚さんには見えるのですか」
と、僧が尋ねると
「有汝有我展転不見」
「お前のように自分はどうだあなたはどうだと、我他彼此の分別にとらわれている限りは見えぬだろう」
と、答えた。
「我というのは個の義である、主客の分別から出る多の義である」
と、鈴木大拙師は説かれていた。
他人と比べて自分を計っているばかりでは、行くべき道なんぞ見えない。
個と多の世界から脱出できない。
幸せが欲しい、夢が欲しい、生きがいが欲しい、理想的な人生が欲しい。
そう欲すれば欲するほど、遠くに何かを求めて、右往左往。
しかし、真理はいつも目前にある。
閑かな心で淡々と見つめていれば
ほらあった。