お馴染みのまるちゃんが絵描きのお姉さんと出会う話。長い歴史のある「ちびまる子ちゃん」のアニメシリーズの中で、劇場版が製作されたのは、たったの3本である。そのうちの2作目にあたる本作。
まるちゃんは授業で習った「めんこい仔馬」の歌がとても好きになった。そんなある日、絵画の授業で自分の好きな歌を描くことになり、まるちゃんはその歌を描こうとする。だが、何度も挑戦しても上手く歌のイメージを描くことができない。
ある日、街中で似顔絵描きのお姉さんに知り合ったまるちゃんは、お姉さんにアドバイスをもらいに行くのだが、お姉さんから、実はその楽しげに聞こえていた「めんこい仔馬」が戦時中の童謡であり、戦場に出ていく仔馬との別れを描いた悲しい曲だったことを知るのだ。
きっと私も生きていくうちには色んなことがある。
それでも私は先生のことも忘れないよ。
まるちゃんが「めんこい仔馬」の歌を教えてくれた音楽の先生に寄せた言葉である。
ご存知の通り、まるちゃんはさくらももこの幼少期を元に描いたキャラクターである。
さくらももこが大人になっても子供時代のことを鮮明に覚えていて、それが自身の原風景としてこうして描かれているのだろう。いわば彼女自身の原点であるとも言える。
まるちゃんは子供の頃の思い出をとても大切にしていて、人との出会いが、子供ながらにどれほど人生の糧となるかに気付いている。
まるちゃんの優しさと人懐っこさに穏やかな気持ちになれるのは、彼女が心から人を大事にしていることが伝わってくるからだ。
それこそ今の時代に失いかけている人が人に寛容であることや、信頼して繋がり合うことの大切さをまるちゃんは自然に体現してくれている。
時にはそれは家族をも驚かせるほどである。
まるちゃんが一人で歩いている時に絵描きのお姉さんと知り合ったことを知り、「またあんた知らない人と知り合ったの」と、家族は驚く。
しかも、家族が知らないうちにお姉さんの家にまで遊びに行ってしまい、お母さんも知らない人の家に行くなんて危険だとまる子に注意するが、まる子は意に介さない。まる子の物怖じしない性格には姉も呆れ顔である。
素性の分からない人のお宅に小学生の女の子が上がり込むのは確かに危険だ。この時代だって、今の時代と変わらずやはり犯罪に巻き込まれるリスクはあったろう。絶対にやめた方が良い。
ただ、まるちゃんはそれなりに人を見る目もあるのだと思う。
心優しいお姉さんに絶対的な信頼を寄せており、「大丈夫、大丈夫」と付き合いを続けていくのだ。
その結果、まるちゃんはお姉さんの人生を動かすことになっていく。
お姉さんからアドバイスをもらって描き直した「めんこい仔馬」の絵画は見事に入賞を果たした。
そのことを報告しようと、帰り際、一目散にお姉さんの元へと向かうまるちゃん。
ところが、まるちゃんはお姉さんが恋人と別れ話になっている現場に遭遇してしまう。
お姉さんの恋人は北海道へ帰郷することを決意しており、プロポーズをしていたお兄さんはお姉さんにもついてきて欲しいと願っていたのだ。
どんなにまるちゃんとお姉さんが親しくなったとは言え、大人の話は子供の知らないところで進んでいく。お姉さんとお兄さんの二人の問題なのだし、それは当然なのだが、まるちゃんが事情を聞かされていないというのがリアルで若干切ない。
しかし、東京で夢を追いたいお姉さんはお兄さんについて行く決断ができなかった。その結果、二人は別の道を歩むという選択を選ぶのだ。
一部始終を目撃していたまる子は、子供ながらにお姉さんの心を動かした。
「お兄さん行っちゃうよ!北海道でも絵は描けるじゃん!お兄さんはたった一人しかいないんだよ!」
まるちゃんは水族館に遊びに行った時、お姉さんがお兄さんのことをじっと焦がれて見ていることを知っていた。
事情を聞かされていなくても、まるちゃんは本当に人のことをよく見ているのだ。よく見ている子供は大人の気持ちの揺れ動きに敏感だ。
まるちゃんの胸の奥底から出てきた切実な言葉がお姉さんの心を動かす。
人との出会いを大事にして、人と人の繋がりを幼心に大切に思っているからこそ、まるちゃんはお姉さんの迷いを見抜き、背中を押したくなったのだと思う。
一方で、まるちゃんが大人になった時にお姉さんのことを思い出すと、それは一面では語れない出来事だったとも言えるのではないだろうか。
自分の一言で、夢を諦め、北海道に嫁入りすることになったお姉さん。彼女は北海道に行っても絵描きを続けていたらしく、とある雑誌の表紙絵になるほどの実力を発揮していた。だが、たとえ雑誌の表紙絵が地道な第一歩だったとしても、彼女がそれまでに夢見ていた東京でアーティストになるという夢とはかけ離れている。
そもそもこの当時、地方で大成して東京で名前を広めるのはなかなか難しかったのではないだろうか。今のようにSNSやインターネットで自分の作品を不特定多数の人間に広めることも難しい時代だ。アーティストとして成功を収めたいなら、世間に自分の絵画を広めたいなら、やはり都会で勝負をかけるしかなかったはずなのだ。
この当時、どんなに雑誌の表紙絵になっても、そこからどれほどの仕事に繋がると言うのだろう。ほんの一握りのチャンスに過ぎない。
まるちゃんが声を掛けるまで、お姉さんは夢を追うことを決断していた。お兄さんとの人生はここまでだと思っていた。
まるちゃんの必死の説得が、お姉さんの人生を変えたのである。確かに幼い頃のまるちゃんには愛する人と共にいることが何よりの幸せだと感じる信念があったと思う。
ただ、夢を追うことの難しさを知るのは、きっともっと大人になってからのことだろう。現実の困難さはまだ小学生のうちには具体的に想像できない。
だから大人になった時にお姉さんの人生を振り返ると、少しばかりの罪悪感も生まれるのではないかと感じた。
大人の目から見ると、結婚して幸せに暮らしたハッピーエンドでありながら、どこかで夢を閉ざしてしまった切なさも感じるエピソードに見える。
地方に住むということが夢を諦めることに繋がるという当時の感覚も感じられる。
まるちゃんは授業を抜け出してお姉さんの結婚式に駆け付けた。
式場には入れなかったまるちゃんは近くの公園のジャングルジムに登って、遠くからお姉さんに別れを告げる。
万歳で見送る別れのシーンが「めんこい仔馬」の歌と重なって心が震えた。遠くへ行ってしまっても、いつまでも仔馬のことを思い続けていることを歌った童謡である。
まさに今のまるちゃんと、仲良しだったお姉さんとの別れを表していたのだ。
また、見どころの一つはなんといっても、大滝詠一や細野晴臣や笠置シヅ子などの大物アーティストたちによる多くの楽曲たち。さくらももこが生きた時代を表す楽曲たちだ。
楽曲が流れる時はミュージックビデオのように音楽に集中できるようなアニメ演出で、大人が見てもとても素敵に感じられる。まるでミュージカルアニメのよう。
そもそも選曲が子供向きではなく、センスがカッコいいのだ。
花輪君がインドネシアを思い出している間に流れる「ダンドゥット・レゲエ」も、終わってもなお頭の中に印象的に流れていた。
一方でいつもの「ちびまる子ちゃん」らしい、ほのぼのした笑えるシーンも沢山見られる。
童謡「めんこい仔馬」のくだらなさ過ぎる替え歌を、そっちの方が本物だと長年思い込んでいた友蔵、可哀想すぎて笑えた。
数十年の時を経て、かつて引っ越し祝いに盛大に替え歌の方を歌っていたことを恥じる友蔵の心の一句。
「恥という 文字はどうして みみごころ」
友蔵の哀愁が堪らなく大好きだ。
クラスメイトたちもおかしな子供たちばかりで、ストーリーが物悲しさを持っている分、彼らの面白おかしいエピソードが良いアクセントになっている。
こちらも笑えた。
VHS化から長らくDVD化もされなかった本作は2022年にようやくBlu-rayとして再販されたという、ファンにとっては幻の一作だったらしい。
Netflixがこれを配信してくれているという粋なサービスに感謝。