第1499作目・『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』

(2024年・日本)

〈ジャンル〉アニメ/SF



~オススメ値~

★★★★☆

・幾田りらとあのちゃんのコンビがハマっている。

・世界を相手にする力を手に入れた子供の暴走。

・懐かしい楽曲が流れる、嬉しいサプライズ。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『3年前、千葉県沖に突如現れた未確認飛行物体は巨大な円盤「母艦」を生み出し、母艦は東京上空に停滞した。米軍の新型爆弾が投下されるも母艦は破壊されず、東京は甚大な被害を受けつつ、その後も新型爆弾によるA線と呼ばれる環境汚染を被るのだった。現代、女子高生の小山門出は親友の中川鳳蘭を始めとする仲良しグループと楽しく過ごしていた。同じグループ内の栗原キホは同級生に告白して付き合い始め、鳳蘭はキホの色恋沙汰に呆れていた。ある日、母艦から現れた小型船が市街地に落下。鳳蘭が野次馬として墜落現場に向かうと、近くの茂みから宇宙船の一部と見られる謎の部品を見つけて持ち帰ってしまう。一方、ロボット開発を行うS.E.S社が開発した迎撃兵器「歩仁」によって、政府は中型宇宙船の迎撃を決行する。鳳蘭たちがクリスマスパーティで改めて5人の絆を確認しあった夜、政府は迎撃を開始。中型飛行船は墜落して再び市街地に被害が及んだ。翌日、門出は朝のニュースでキホが墜落に巻き込まれて亡くなったことを知った。』


〜地球がくそヤバい!〜


《監督》黒田智之

(「ぼくらのよあけ」)

《脚本》吉田玲子

(「映画「けいおん!」」「リズと青い鳥」「劇場 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」)

《声の出演》幾田りら、あの、種崎敦美、島袋美由利、大木咲絵子、入野自由、内山昂輝、津田健次郎、諏訪部順一、坂泰斗、杉田智和、TARAKO、ほか





【日常の上に横たわる非日常】

はにゃにゃフワ〜〜

浅野いにお原作の前後編アニメの前編。
幾田りらとあのちゃんのキャスティングが最高である。今をときめくこの二人、エネルギーが爆発している
幾田りらは『竜とそばかすの姫』でも声優として、とても声の通った素晴らしい演技力を見せていたため期待していた。
正直見る前は原作の門出のイメージと幾田りらの可愛らしい声質が自分の中では違っていたのだが、見ていくうちにどんどん門出役がハマっていった。特に門出の影の部分がよく出ている
少し歪んだ家庭環境からどこか世界に期待しないで生きていて、脱力感のある門出の声にぴったりだった。

そしてなんといっても、あのちゃん。おんたんそのものではないか。早口でまくしたてるおんたんの圧倒的語彙力が見事に演じられている。
普通の女の子とはちょっと違って独特なおんたんのキャラは、そもそもあのちゃんの世界観にも激ハマりなのだ。

門出とおんたんたちは仲良し五人組の女子高生。
毎日学校で昨晩夢中になってやっていたオンラインゲームの話に花を咲かせ、進路のことや恋のことを気楽に語り合う、ちょっとオタクないたって普通の女子高生である。
ところが、彼女たちの平凡な日常は3年前に襲来したある一つの円盤の存在によって、"非日常"的空間となっている

3年前、突如現れた未確認飛行物体は東京の上空で浮遊したまま停止した。以来、東京に住む人々は円盤の下でいつもの日常を続けているのだ。
通学路も、買い物帰りの商店街も、交差点も、3年前と変わらない風景なのに上を見上げれば大きな円盤がある。
日常に溶け込んで今ではその悲劇は見えなくなってしまったが、3年前に米軍が飛行物体に向けて新型ミサイルを撃ち込んだ威力によって、街が吹き飛び、大勢の人々が亡くなっていた
8.31と言われた悲劇を経てなお、東京では未知の円盤の下で日常を過ごす人々がいるのだ。そんな危うさを抱えたまま東京で暮らす人々のことを、地方の人々は冷めた目で俯瞰していた。

コロナの猛威の中でも日常が続けられていたように、未知の災厄を前にしても人は"生活"を続けていく
ただ、やはり何もなかった頃の"生活"とは違う部分もある。得体の知れない恐怖や不安が静かに横たわっているのだ。
門出の母親は8.31の新型兵器によって広がってしまったA線という微量の汚染物質を過敏に気にかけており、家の中にいても今でもマスクとゴーグルを外せない
門出を連れて東京から出ようとしているのだが、門出はそんな母親に付いていけないと感じていた。
父親も8.31のあの日以来帰ってくることはなく、"生活"は完全に変わってしまっていたのだ。

仲良しのキホちゃんは、リア充に脱却して人並みに恋をしようと同級生に告白する。
恋は見事に成就するのだが、付き合い始めた小比類巻君はネットの情報に左右され、政治家の嘘や円盤に対する過激な思想を高めていった
やがてキホちゃんとの時間よりも、ネットにはびこる偏った思想に捉われてしまい、怪しげで過激的な活動に手をつけ始めてしまう。

同じく仲良し五人組の一人、亜衣ちゃんも実家が8.31で被災。今は両親は仮設住宅で暮らし、亜衣ちゃんと兄弟たちは東京の親戚の下で離れて暮らしているのだ。

彼女たちが過ごす日常の上には、明らかに非日常が横たわっていて、それは紛れもなく彼女たちの日常に侵食していることが感じられる。
この違和感。この歪さ。個人的にはたまらなく好きなSFの世界観である。

実質的な被害も生まれている。
円盤からの直接的な攻撃があるわけではないのだが、円盤が繰り出す偵察用と見られる幾つもの浮遊機に対して自衛隊や民間グループが攻撃。
度々その攻撃に巻き込まれ、民間人が亡くなる事態も起こっていた
やがて、仲良し五人組の一人、キホちゃんも中型飛行物体の撃墜に巻き込まれて亡くなってしまうのだ。
五人を襲う衝撃のニュースであった。昨日まで普通に喋って、普通にこれからも仲良く過ごそうと約束しあっていた
ところが翌朝、彼女はニュースで死亡者として報道されている

ニュースを知った門出たちは悲しみに暮れるが、いつものように遅刻して来たおんたんはまるでニュースのことなど知らないように天真爛漫に明るく登校していた。
門出たちは困惑するのだが、門出がおんたんにキホの死を知らせようとした瞬間、おんたんはニュースのことを知っていることを打ち明ける。
おんたんはおんたんなりに、悲しみを受け止め、キホがいた頃と何ら変わらないいつもの"日常"を続けようと、元気に振る舞っていただけだったのだ。
友情ドラマとしても、とても美しいストーリーなので、キホの死を描いた展開は前章で最も切なく、悲しいシーンとなった。



【普遍的で「絶対」な友情】

「侵略者」が現れてから何かを変えて欲しいと願いながらも、心の底では何も変わらない日常を望んでいる門出という少女
彼女の複雑な心境は、過去の出来事と絡めて考えることで少しだけ理解できる。

人間になりすました侵略者と出会ったおんたんは、侵略者の言葉によって記憶の中に眠っていた、もう一つの過去を思い出していた。
かつて小学生の時の門出は影のある性格からクラスで「デーモン」といじめられていた。おんたんは今とは違い、そのいじめを止めることのできない物静かで内気な少女だったのだ。
ある日、8.31よりもずっと前に偵察に来ていた一人の侵略者が浜辺で子供達にいじめられているところを助けた門出とおんたんだったが、侵略者の貸してくれた武器によって門出は次第に「悪人」をこらしめる粛清を始めていく

この辺りのフォーマットは劇中の人気漫画「イソべやん」がモデルにしている「ドラえもん」と同じであることに気付く。
同級生にいじめられ、馬鹿にされていた門出はのび太と重なる。のび太がドラえもんに泣きついて秘密道具を借りるように、門出は侵略者から未知の道具を借りるのだ。
だが、その強大な力をコントロールできない門出は本来の使い道を超えて、武器として使用していく
まさに、のび太が秘密道具を使って大失敗を重ねていくストーリーと同じではないか。「ドラえもん」ではまだ笑える展開に収まっているが、たとえ子供と言えども力を手に入れて暴走した場合、人を殺傷する能力を手に入れるかもしれないというのは、よりリアルな展開なのだ。

始めのうちはおんたんを守るために使っていた武器だったが、やがて電車を脱線させる、汚職政治家を暗殺するなど、粛清がエスカレートしていく。
門出の目は虚ろになり、心を失った門出は自分でもどれほどの悪事をしているのか気付いていなさそうなところがより怖い
小学生には背負いきれない罪の重さなのである。
すべてはおんたんや他の愛する人たちを守るための殺人であると主張する門出と、闇堕ちしていく門出の暴走はあくまで自己満足でしかないことを突きつけるおんたん。
二人は下校中、大喧嘩となり、おんたんは門出の行動を必死に止めようとする

しかし、おんたんの説得が門出のことを追い詰め、結果として門出は自殺を図ってしまったのだ。
かつて門出がここで死んでいたのだとすれば、今の門出は存在しないはずだ。それに門出もおんたんも過去の出来事をすっかり忘れてしまっている。
おそらくどこかで過去の出来事が歪められているのだろう。この過去の記憶は誰のものなのか。いつのものなのか。
すべては後編で明らかになると思われる。

一方、「侵略者」のこと。
母艦に乗ってやって来た謎の宇宙人は「侵略者」と呼ばれているのだが、彼らは円盤を止めてから3年間地球に事実上なんの危害も与えていない。日照権の侵害ぐらいなのだ。
8.31の事故もキホの死も、すべて人類側が仕掛けた攻撃によるもので、侵略者たちは現段階では何一つ「侵略」らしいことはしていないのである。
彼らの身体は人類の幼児程度の大きさであり、特別に武装しているわけでもない
米軍は撃墜された飛行物体は直ちに回収し、自衛隊も街を封鎖して市街地に紛れ込んだ侵略者を徹底的に討伐している。決して対抗してくるわけではない侵略者たち。自衛隊が銃器を向けても震えて怯えている様子であり、仲間が撃ち殺されれば悲しんでいる様子も見られる
ただ異質な存在であるというだけで駆逐される宇宙人たちが描かれるのだ。
かつて地球に飛来する宇宙人と言えば、地球侵略を目的にしているなど危害を加える存在であると認識していたが、実際は呆気ないほど非力だったのだ。

しかし、その理由は過去編で小学生のおんたんと門出が侵略者の一人と邂逅した時に少しだけ明らかになる。
彼らが地球に降り立った真の目的は今のところ不明だ。ただ、彼らの科学装置を使えばある程度の武力闘争はできるはずなのだ。
透明になれるマントや、装着して空を飛べるプロペラ、距離の離れた物体に力を加える装置。まるで「イソべやん」のナイショ道具のように地球には存在しない科学技術ばかりである。
ところが、彼らはそれを武力として使用しない。平和的かつ知的な生命体である侵略者たちは、人類をまるで原始的生物を観察するかのように俯瞰して眺めているに過ぎない
まるで人類を導く存在であるかのように…

今回飛来した目的は現段階では明らかにはなっていないが、少なくとも彼らは武力という対抗手段は持ち合わせていなかった
高度な知的生命体であるがゆえに、そのような闘争は存在しなかったのかもしれない。
だからこそ彼らよりも低次元に進化した人類は、自分たちの価値観では理解できない彼らの存在を「侵略」と呼称することで敵視し、無条件で駆逐しても良いものだという概念を刷り込ませたのだ。

門出が世界を嫌うのも分かる。
薄汚い政治家がはびこり、健気に生きる侵略者たちや弱き人間が損をする世界が小学生時代の門出には嫌になっていた。
加えて同級生から謂れのないいじめを受けており、門出の復讐の矛先は世界にいる「悪い奴ら」に向いてしまったのだ。

しかし、侵略者に対抗する人類の暴力のように武力による問題解決は悲しみを増やし、問題をややこしくするだけだった。
門出が粛清を行なっていた頃も、門出は自分の中の正義によって暴力を働かせていたが、それは誰も望まない暴力に過ぎない。おんたんも決して望んでいなかったのだ。
現在の門出にとっておんたんが「絶対」なのは、門出の心の底に眠る本物の"デーモン"としての悪意をおんたんが止めてくれているからなのかもしれない。
いびつな家庭環境で育ち、世界を嫌い、日常が壊れていくことを望んでいる門出にとって、おんたんがいるからこそ彼女がストッパーとなって日常を続けていくことができているのだ。
世界を嫌う門出がそれでも本心では日常を望むのは、おんたんがいてくれるからなのではないだろうか。

あと、劇中で門出たちが愛読している「イソべやん」ののび太的ポジション、"デベ子"の声が先日亡くなられたTARAKOさんだった
事前情報で知らなかったので、聞き覚えのある声になんだかちょっと切なくなった。

サプライズといえばもう一つ。劇中でおんたんと門出が空を飛んだ時に流れた曲が、どこか聞いたことのある曲。
そう、浅野いにおが作詞したでんぱ組.incの楽曲「あした地球がこなごなになっても」のサビメロディだったのだ!
懐かしい。デデデデの世界観にとてもハマっている名曲だった。
欲を言えば、幾田りらとあのちゃんでカバーしてほしいぐらいである。





(120分)