「侵略者」が現れてから何かを変えて欲しいと願いながらも、心の底では何も変わらない日常を望んでいる門出という少女。
彼女の複雑な心境は、過去の出来事と絡めて考えることで少しだけ理解できる。
人間になりすました侵略者と出会ったおんたんは、侵略者の言葉によって記憶の中に眠っていた、もう一つの過去を思い出していた。
かつて小学生の時の門出は影のある性格からクラスで「デーモン」といじめられていた。おんたんは今とは違い、そのいじめを止めることのできない物静かで内気な少女だったのだ。
ある日、8.31よりもずっと前に偵察に来ていた一人の侵略者が浜辺で子供達にいじめられているところを助けた門出とおんたんだったが、侵略者の貸してくれた武器によって門出は次第に「悪人」をこらしめる粛清を始めていく。
この辺りのフォーマットは劇中の人気漫画「イソべやん」がモデルにしている「ドラえもん」と同じであることに気付く。
同級生にいじめられ、馬鹿にされていた門出はのび太と重なる。のび太がドラえもんに泣きついて秘密道具を借りるように、門出は侵略者から未知の道具を借りるのだ。
だが、その強大な力をコントロールできない門出は本来の使い道を超えて、武器として使用していく。
まさに、のび太が秘密道具を使って大失敗を重ねていくストーリーと同じではないか。「ドラえもん」ではまだ笑える展開に収まっているが、たとえ子供と言えども力を手に入れて暴走した場合、人を殺傷する能力を手に入れるかもしれないというのは、よりリアルな展開なのだ。
始めのうちはおんたんを守るために使っていた武器だったが、やがて電車を脱線させる、汚職政治家を暗殺するなど、粛清がエスカレートしていく。
門出の目は虚ろになり、心を失った門出は自分でもどれほどの悪事をしているのか気付いていなさそうなところがより怖い。
小学生には背負いきれない罪の重さなのである。
すべてはおんたんや他の愛する人たちを守るための殺人であると主張する門出と、闇堕ちしていく門出の暴走はあくまで自己満足でしかないことを突きつけるおんたん。
二人は下校中、大喧嘩となり、おんたんは門出の行動を必死に止めようとする。
しかし、おんたんの説得が門出のことを追い詰め、結果として門出は自殺を図ってしまったのだ。
かつて門出がここで死んでいたのだとすれば、今の門出は存在しないはずだ。それに門出もおんたんも過去の出来事をすっかり忘れてしまっている。
おそらくどこかで過去の出来事が歪められているのだろう。この過去の記憶は誰のものなのか。いつのものなのか。
すべては後編で明らかになると思われる。
一方、「侵略者」のこと。
母艦に乗ってやって来た謎の宇宙人は「侵略者」と呼ばれているのだが、彼らは円盤を止めてから3年間地球に事実上なんの危害も与えていない。日照権の侵害ぐらいなのだ。
8.31の事故もキホの死も、すべて人類側が仕掛けた攻撃によるもので、侵略者たちは現段階では何一つ「侵略」らしいことはしていないのである。
彼らの身体は人類の幼児程度の大きさであり、特別に武装しているわけでもない。
米軍は撃墜された飛行物体は直ちに回収し、自衛隊も街を封鎖して市街地に紛れ込んだ侵略者を徹底的に討伐している。決して対抗してくるわけではない侵略者たち。自衛隊が銃器を向けても震えて怯えている様子であり、仲間が撃ち殺されれば悲しんでいる様子も見られる。
ただ異質な存在であるというだけで駆逐される宇宙人たちが描かれるのだ。
かつて地球に飛来する宇宙人と言えば、地球侵略を目的にしているなど危害を加える存在であると認識していたが、実際は呆気ないほど非力だったのだ。
しかし、その理由は過去編で小学生のおんたんと門出が侵略者の一人と邂逅した時に少しだけ明らかになる。
彼らが地球に降り立った真の目的は今のところ不明だ。ただ、彼らの科学装置を使えばある程度の武力闘争はできるはずなのだ。
透明になれるマントや、装着して空を飛べるプロペラ、距離の離れた物体に力を加える装置。まるで「イソべやん」のナイショ道具のように地球には存在しない科学技術ばかりである。
ところが、彼らはそれを武力として使用しない。平和的かつ知的な生命体である侵略者たちは、人類をまるで原始的生物を観察するかのように俯瞰して眺めているに過ぎない。
まるで人類を導く存在であるかのように…
今回飛来した目的は現段階では明らかにはなっていないが、少なくとも彼らは武力という対抗手段は持ち合わせていなかった。
高度な知的生命体であるがゆえに、そのような闘争は存在しなかったのかもしれない。
だからこそ彼らよりも低次元に進化した人類は、自分たちの価値観では理解できない彼らの存在を「侵略」と呼称することで敵視し、無条件で駆逐しても良いものだという概念を刷り込ませたのだ。
門出が世界を嫌うのも分かる。
薄汚い政治家がはびこり、健気に生きる侵略者たちや弱き人間が損をする世界が小学生時代の門出には嫌になっていた。
加えて同級生から謂れのないいじめを受けており、門出の復讐の矛先は世界にいる「悪い奴ら」に向いてしまったのだ。
しかし、侵略者に対抗する人類の暴力のように武力による問題解決は悲しみを増やし、問題をややこしくするだけだった。
門出が粛清を行なっていた頃も、門出は自分の中の正義によって暴力を働かせていたが、それは誰も望まない暴力に過ぎない。おんたんも決して望んでいなかったのだ。
現在の門出にとっておんたんが「絶対」なのは、門出の心の底に眠る本物の"デーモン"としての悪意をおんたんが止めてくれているからなのかもしれない。
いびつな家庭環境で育ち、世界を嫌い、日常が壊れていくことを望んでいる門出にとって、おんたんがいるからこそ彼女がストッパーとなって日常を続けていくことができているのだ。
世界を嫌う門出がそれでも本心では日常を望むのは、おんたんがいてくれるからなのではないだろうか。
あと、劇中で門出たちが愛読している「イソべやん」ののび太的ポジション、"デベ子"の声が先日亡くなられたTARAKOさんだった。
事前情報で知らなかったので、聞き覚えのある声になんだかちょっと切なくなった。
サプライズといえばもう一つ。劇中でおんたんと門出が空を飛んだ時に流れた曲が、どこか聞いたことのある曲。
そう、浅野いにおが作詞したでんぱ組.incの楽曲「あした地球がこなごなになっても」のサビメロディだったのだ!
懐かしい。デデデデの世界観にとてもハマっている名曲だった。
欲を言えば、幾田りらとあのちゃんでカバーしてほしいぐらいである。