第1492作目・『アイリッシュマン』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

『アイリッシュマン』

(2019年・アメリカ)

〈ジャンル〉ドラマ/犯罪



~オススメ値~

★★☆☆☆

・Netflixだから見られる、3時間半に及ぶ超大作。

・超豪華俳優たちの若返り技術がすごい。

・暗殺者に訪れる孤独な余生とは。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『塊肉を売っていたトラックドライバーのフランク・シーランはひょんなことからマフィアのボスであるラッセルと知り合う。ある日、肉の塊を横流ししていたことが見つかり裁判に勝訴したことをきっかけにフランクはラッセルとの関係を密にするようになった。ラッセルの指示に従い、敵対する組織などの暗殺役を担うようになったフランクは、従軍の経験から手際よくターゲットを始末する術を知っていた。ラッセルから全米トラック運転手組合のホッファを紹介されたフランクは彼の右腕として活動するようになる。ジョン・F・ケネディの大統領就任により、司法長官になったその弟から激しく追及されるようになったホッファだが、ケネディの暗殺によって対立は激化。ホッファは組合年金の不正運用の疑いによる詐欺罪で投獄されてしまう。別の組織のボス、トニーと極中で喧嘩になったホッファだったが、刑務所から出た後に運転手組合のボスと返り咲くべく活動するもトニーとは再び対立し、組合の後継者からも裏切られてしまう。暴挙に出るようになったホッファにラッセルは怒り、フランクは心許せる友のホッファと大恩ある組織のトップのラッセルとの間で板挟みになってしまった。そんな中、ついにラッセルから聞き入れたくなかった使命が下された。』



《監督》マーティン・スコセッシ

(「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」)

《脚本》スティーヴン・ザイリアン

(「レナードの朝」「シンドラーのリスト」「ドラゴン・タトゥーの女」)

《出演》ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、レイ・ロマーノ、スティーヴン・グレアム、ゲイリー・バサラバ、ハーヴェイ・カイテル、ほか







【映画界に変革をもたらす若返り技術】

長い……さすがに3時間半は長過ぎる……
タイタニックでさえ194分ではないか。一部劇場公開もされたようだが基本はNetflix限定配信のマーティン・スコセッシ監督作品。逆に映画館でこの長尺を見なくて良かったのかもしれないと思った。
いつでも止めたいタイミングで止められる配信ならではの長所を生かせるのかもしれない。

1950年代から70年代を中心に、アメリカの闇社会の真相についてフランク・シーランという男の視点で描かれる。
フランクは元々トラック運転手をしていたのだが、マフィアのボスであるラッセルと知り合ったことにより、その腕を買われ、殺し屋としてラッセルの命を受けて暗躍するのだ。

ラッセルは物腰柔らかな印象とは違って各方面に口利きして世の中を動かす影の権力者だった。いわゆる、そうは見えないけど"ヤバい人"である。本物の怖い人というのはおそらくラッセルのように世間体も良く、紳士的なのだ。
そんな中、フランクは全米トラック運転手組合の委員長であるジミー・ホッファを紹介される。当時、大統領に次いで影響力のあったホッファを護衛している内に、やがてフランクはホッファの良き理解者のように付き従うようになった。
しかし、やがてホッファはマフィアの言いなりになっていく組合と対立し、立場を危うくしていく。フランクはホッファの行き過ぎた行動をなだめるのだが、遂に事態を重く見たラッセルはフランクにホッファの暗殺を命じるのであった。

主人公フランクを演じたのがロバート・デ・ニーロ、ホッファ役がアル・パチーノ、ラッセル役がジョー・ペシという豪華な顔ぶれ。
3人とも威厳があって闇社会に生きる雰囲気を醸し出している。彼ら自身これまでにもそういう役もやってきたし、ベテランの風格で凄みが生まれている

しかも本作では50年代頃の若かりし時代も本人たちが演じており、CGでも違和感ないほどに長時間若返り加工を施しているのだ。ロバート・デ・ニーロもまだ皺が少なく、中年なのである。
驚くべき技術ではないか。いよいよもう年齢に関係なく映画が作れるということだ。それなりの予算も掛かるだろうが、製作者の表現したいシーンがより自由に表現できるようになったと感じる。
そのうち亡くなった名優たちも甦らせることができるかもしれない。もう一度見たかったあの俳優たちの演技がCG技術で新作映画に登場するようになったら……そうなったら夢のような話だが、どこか倫理を超えた恐ろしさも感じる。故人の意図と沿わない形で蘇らせるのは違うだろう。

フランクが暗殺者としての任務を果たす時、そこに一切の感情は挟まれていなかった
ラッセルというボスの命令に従ったまでであり、それは第二次世界大戦で彼が上官の指示に従って敵の捕虜を殺害していた時と同じだったのだ。
捕虜に自分の墓穴を掘らせ、掘り終わったところで銃殺していたフランクは、彼らが自分の命令に従って墓穴を掘っていた意図が理解できないと言い放つ。
フランクは当時、彼らの気持ちに寄り添おうとか、彼らの声を聞こうとは一切しなかった。戦時中だから、敵兵にそのような人間的な関わり合いはとらないのが普通だったのかもしれない。
感情は押し殺して、ただ淡々と任務を遂行していないと、目の前の捕虜の抹殺を「殺人を積み重ねる」行為にしてしまったら罪悪感に押し潰されてしまうから。

それと同じように、フランクはラッセルの命に従って粛々と邪魔な人間を始末していった。人間的な感情をかけないから、その手口も鮮やかで見事と言わざるを得ない。
店に入り、ターゲットを確認したら躊躇うことなく頭を打ち抜く。遠くからターゲットを見つけて挨拶したら道端ですぐに、銃を抜いて打ち抜く。撃ち抜いたらすぐにその場を離れ、あらかじめ準備していた車に乗って逃げるだけだ。
協力者と余計な会話をすることもない。ましてやターゲットに命乞いをする暇を与えることもない。ターゲットは自分が殺されたということにも気付かないうちに殺されてしまっているだろう。
使用した銃器はすべて川底や海底に沈めて証拠は残さなかった。この銃で何人の人を殺めた…などと、シリアルキラーのように自らの殺人に思いを寄せることもしないのだ。
あくまで任務であり、人殺しという感覚は持たないことが重要なのである。



【墓場を掘らせた過去、自らの墓石を選ぶ現在】

そんなフランクが唯一躊躇ったのが、ホッファ暗殺であった。
ラッセルにぎりぎりまで何とかならないかと訴えていたフランクだったが、ラッセルの答えが変わらないことを悟ると、フランクはただ押し黙って彼の指示の通りに現場へと向かう。
現場へと向かう車中、フランクの心痛はいかほどだったろう。そのことをホッファに悟られてもいけないし、これまで通りに振る舞いながら彼の暗殺予定地を目指すのだ。

ホッファにとってもフランクは心を許せる相手だった。
つまり、ホッファも罠にかかりやすい状態だったのだと思う。きっとこれがフランクでなかったら、場数を踏んできたホッファは警戒心を強くしてその場から離れ、暗殺されることもなかったかもしれない。フランクが現れた時でさえ、彼の些細な違和感に怪訝な顔をしたぐらいだ。

フランクにとっても、ホッファにとっても、悲劇的な運命だった
そんなホッファに対しても、フランクは手際良く暗殺を遂行する。いつものようにターゲットを現場へ誘き出し、あっさりと引き金を引く。後ろめたい気持ちが生まれる間も無く、長年の相棒であったホッファをターゲットとして片付けた
どれほど心を殺して引き金を引いたのだろうと感じる。一方で、人間がそこまで感情を捨ててしまえることに恐怖を感じる。

フランクは晩年になってもマフィア内に通じる鉄の掟を守り続けていた。
マフィアは自分が捕まってもお互いのことは絶対に喋らない、誰も巻き込まないということ。
FBIが取り調べに来た時、あの頃の関連の人物は皆、とっくにこの世にはもういないと言うのに、誰を守るともなく真実は語らなかった。
故人となった彼らの名誉、仲間内だけの秘密を守り通そうとしたのかもしれない。

そんな彼が唯一晩年語ったのは、家族への想いであった。
暴力も人にはいえない罪も皆、家族を守るため、保護するためだったという言葉。
それを聞いた娘は呆れてしまう。保護されていたのではなく、パパに相談すると相手を酷い目に遭わせてしまうために相談できていなかったのだと言うのだ。
フランクの家族を思う気持ちはあくまで一方通行だったのだ。

彼の生き様は家族のためであった。
家族を何よりも大事に思っていた。ラッセルに語っていたように、それは事実だったのだ。
しかし、その思いは家族の思いとは一致していなかった。晩年になっても口を聞いてくれない娘たち。娘たちは父の殺し屋としての姿は知らない。だが、幼い頃からテレビのニュースを食い入るように見ていた父の険しい顔から、画面の向こうの殺人事件に父が何らかの関与をしていることを察知していたのかもしれない。
彼は孤独になって人生を終えようとしている自分の棺桶や、自分の墓跡を自分1人で選ぶフランクの姿がそこにいた。
彼は死ぬ前にこんなに孤独になりたくて、あれほどの罪を犯し続けていたのだろうか。
その姿がカッコいいなどとは微塵も思えない。惨めでしかない
人の命を奪い続けた者の報いと思わざるを得なかった。

本作の原作はフランク・シーランという男が晩年に告白した内容を基に作られたノンフィクション作品である。
あれほど鉄の掟を守る事を絶対とし、当時の裏稼業に大きく関与していた彼が自分の半生を遂に語ったのはなぜだろう。
それはフランクが生涯を通して、そして晩年にはより強く信仰心を強くしていたように、彼なりの神様への「懺悔」なのだと感じる。
家族からも真意は汲み取ってもらえず、世間にも伝えられない仲間内の秘密。
墓場まで持っていく決意を固めていた自分が携わった殺人の数々を心から悔い、神様には真実として伝えたいという思いがあったように思われる。

悔い改める言葉を聞いた上でフランクの半生を見直した時、哀しみを背負ったフランクの任務遂行がまた違った形で見えるのかもしれない。
ラッセルと出会ったその時から、いや、戦時中、捕虜を情け容赦なく抹殺していたあの頃から、彼は人殺しという使命に勝手に取り憑かれていた
孤独な道へと突き進んでいることも知らずに、彼は引き金を引き続けていたのだ。

とはいえ、もう一度、3時間半をやり直すのはどうにもモチベーションが上がらなかった


(210分)