第1491作目・『ラストナイト・イン・ソーホー』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

『ラストナイト・イン・ソーホー』

(2021年・イギリス)

〈ジャンル〉サスペンス/ミステリー



~オススメ値~

★★★★☆

・エドガー・ライト監督によるサスペンスホラー映画。

・アニャ・テイラー=ジョイが魅力的。

・ノスタルジーの裏に潜む闇の現実。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『ファッションになることを夢見てデザイナー学校に入学し、ロンドンへ上京してきたエロイーズ。彼女は一緒に暮らしていた祖母の影響から60年代ロンドンの音楽やファッションを好んでいた。女子寮に入った初日から同寮の女子から嫌がらせを受けるエロイーズは寮を出て下宿先を探す。ミス・コリンズという老婦人がオーナーの一軒家で屋根裏部屋を間借りすることになったエロイーズ。60年代を彷彿とさせるクラシックなデザインが気に入ってすぐ入居を決めるエロイーズだったが、この部屋にはちょっと不思議な条件も付いていた。その夜、夢の中で60年代にタイムスリップしたエロイーズはサンディという歌手を夢見る女性と出会う。サンディは入居したこの部屋に住んでいた女性だった。その夜以来、毎晩、夢の中でサンディの夢を掴むまでの物語を見つめ続けるエロイーズ。ところが、ナイトクラブで歌手として採用されたはずのサンディはいつの間にかストリップダンサーとして上客たちの相手をさせられる性風俗の仕事を任されていた。ショックを受けるエロイーズ。元々亡くなった母親の姿が見える第六感のあるエロイーズだったが、やがて現実世界にも男たちの亡霊の姿が現れるようになる。


〜魅惑的で恐ろしい、60年代ロンドンへようこそ。〜


《監督》エドガー・ライト

(「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」「ベイビー・ドライバー」)

《脚本》エドガー・ライト、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ

《出演》トーマシン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ、マット・スミス、サム・クラフリン、ダイアナ・リグ、テレンス・スタンプ、ほか





【魅惑の60年代、魅惑のロンドン】

エドガー・ライト監督による、ちょっと怖いサスペンスホラー映画である。
ベイビー・ドライバー』でもカッコいい音楽と共に楽しめたが、今回は60年代の一昔前の音楽や当時の世界観で楽しめる
主人公エロイーズが毎晩レコードで流す当時の音楽がファッション的に使われているのだ。

ファッションデザイナーを夢見て憧れのロンドンへと上京を果たしたエロイーズ。
一緒に暮らしていた祖母は、彼女の母親がかつてロンドンのエネルギーに圧倒されて心を病みながら帰京してきたことから、孫娘の上京を心配しながら見送っていた。
早速初日から寮の同年代に見下され、都会の暮らしに孤独を感じていたエロイーズは、学校の近くに下宿人を募集している家を見つける。
喜んでその屋根裏部屋に間借りすることとなったエロイーズだったが、彼女の特殊な"力"によって、部屋に染み付いていた過去の記憶が夜な夜な夢に現れ始める。エロイーズは亡くなった母の姿が時折見えるという、霊的な第六感を持っていたのだ。

それはエロイーズが憧れる60年代の、サンディという女性の記憶だった。
サンディは歌手になることを夢見てロンドンに上京。ところが、サンディはジャックという歓楽街を牛耳る男に言葉巧みに誘われ、ストリップダンサーとして上客の相手をするよう強要され始める
それは華やかな歌手の未来に隠れていた薄汚い裏の世界。サンディがエロイーズの住むこの屋根裏部屋に住んでいたことを知って以来、サンディの深い悲しみや苦しみにエロイーズは次第に共鳴していく
やがて、エロイーズは覚醒中にもジャックや欲望に塗れた男たちの幻影に苦しめられるようになってくるのだ。

エロイーズ役はトーマシン・マッケンジー。サンディ役はアニャ・テイラー=ジョイである。
トーマシン・マッケンジーが魅力的であることもさりながら、アニャ・テイラー=ジョイがお姫様のように美しい。同性のエロイーズが彼女に憧れて見つめ続けてしまうのも理解できる。一目で目を引く魅惑的な雰囲気を醸し出している。
もちろん歌手を夢見ているという点でデザイナーを夢見るエロイーズに共鳴する部分はあったのだろうが、それ以上にサンディには人を惹きつける魅力がある。
歌も踊りも、高飛車で気品のある感じも良い。ドレスを身にまとえば、ドレスを誰よりも美しく見せてくれる女性である。
エロイーズは服飾科のデザイン実技で彼女をモデルにイラストを描いてしまうほど魅力されていく。
だからこそ、そんなサンディの夢を打ち砕き、夢見る彼女を「その他大勢」の中へと落とし込んで娼婦に仕立て上げるジャックや、サンディに夢をちらつかせて群がる薄汚い男たちが恐ろしい化け物のように映っていくのだ。

やがて人間の悪意が渦巻く幻影はエロイーズの現実世界にも現れるようになり、彼女は精神的に追い詰められていく
そしてある夜、エロイーズは恐ろしい記憶を目の当たりにしてしまう。
それは、エロイーズの住むこの部屋でサンディがジャックに滅多刺しにされてしまうという記憶であった。サンディを殺したジャックは今もこのロンドンに住んでいるはずなのだ。

ジャックやのっぺらぼうの男たちの幻影が見え始めるとホラー調が増していくのだが、割とサスペンス風に描いているので戦慄するほどの怖さはない
エロイーズの母親も統合失調症と思われる心の病によって自殺しており、エロイーズの見る幻影が「幽霊に宿った記憶」なのか、はたまた母親から遺伝した病の徴候なのかは定かではない。
エロイーズが相談した警察をはじめとする多くの人々は都合の良い解釈に落ち着きたいため、彼女が発症していると踏んでいるのだ。
彼女にとって、現実世界に幻影が見えるということ自体は事実なのだが、この現象が何であるのかを突き止めることはエロイーズにも必要なことだった。
過去に本当に起こった出来事なのか、それとも脳内で再生されるただの妄想なのか

そして、ついに耐えきれなくなったエロイーズがこの街に住み続けることを諦めて帰郷することを決意したその時、その答えは屋根裏部屋を貸していたオーナー、ミス・コリンズによって不意に明らかになる。
それは、エロイーズが見えていなかったサンディの本当の記憶だった。



【幻のノスタルジー】

サンディは殺されたのではなく、サンディがジャックを殺していたのだ。
それだけではない。彼女が男たちから性被害を受けていた時、サンディは自らの思考を殺していた。つまり、その度に彼女は自分を消していた。
そして、実際にはサンディは男たちをことごとく手にかけて殺しており、この屋根裏部屋のあちこちに遺体を隠していたのだ。そして、そのまま彼女はこの家と、自らが隠した事件の証拠を守り続けていた…。つまり、ミス・コリンズこそサンディだったのだ。
ミス・コリンズはそんな若かりし頃のサンディだった頃の自分の話を話し終えると、すべてを知ったエロイーズを抹殺しようとし始める。
ちなみにミス・コリンズを演じていたダイアナ・リグはかつて007のボンドガールを演じていた女優だそうで。作中、当時の007の作品が上映されていたのは、彼女とのリンクもあったのだろう。

都会に染みついた人々の記憶。華やかな記憶もあれば、痛ましい悲しみの記憶も染み付いている。
ロンドンでは数多の人々が死んでいる。どこの家でも、どこの部屋でも、どこの街角でも過去には誰かが死んでいる。
ミス・コリンズがそうやって語っていたのには、彼女が実際に見てきた過去の背景があったのだ。
図書館で調べた新聞記事にその背景を匂わせる要素を混ぜ込んでるのも上手い伏線である。
記事の中の行方不明者はサンディに殺された男性たちだったのだ。
過去を遡れば数多の人々が行方不明になっていたり死亡したりしているというロンドンの前情報を先に提示されていたため、その事実を鵜呑みにして、上手くカモフラージュされていることに気付かなかった。

古き良き時代をノスタルジックに憧れるような作品かと思えばそうではない。
エロイーズは祖母の影響から60年代カルチャーに憧れており、聴いている音楽もファッションのセンスもその当時の影響を受けている。60年代ロンドンは世界で最も活気に満ちていたと信じていた。
夢の中でその当時の世界観に浸っていた頃は至福の時だったに違いないだろう。
華やかな夜のネオン街、オシャレな服に身を包んだ洗練された大人たちとダンスミュージック。

ところが、蓋を開けてみれば欲望や人の悪意が渦巻いている裏の世界が見えてくる。夢見て上京してきた純粋な女性たちが言いくるめられ、男の欲の矛先として都合よく扱われているのだ。
たとえノスタルジックで美しく見える過去であっても、その当時にはその当時の表層部分には現れない人間の罪や苦しみが必ずあるはずではないか。
現代もいつかは「あの時は良かった」と言われる時代になるように、どんな時代であれ悪意はその当時にもあったはずなのだ。
エロイーズと共に、古き良き時代へ憧れる人々の幻影は簡単に覆される
表に映る憧れと、裏の真実の見え方はまるで違う。本作で始めのうちは鏡を通して幻影が映し出されていたことも、そのことを示唆しているのかもしれない。

パブの常連の老人の正体が意外な人物であったように、サンディの記憶が正確なものではなかったように、物事や人の見え方は決して一つではないということなのだろう。
"あの頃は良かった"とよく言いますが、本当に良かったわけではない。現代に目を向けてみれば、クラスメイトのジョンのように親身になって寄り添ってくれる人も側にいたりするのだ。
過去の出来事も、人の印象も、決めつけて一つの見え方で判断するのは危険なことである。
特に、多くの人々の思惑が渦巻く都会という場所では、危険な人物ほど表と裏を使い分けているのだから。


(117分)