第1484作目・『スーパーの女』 | 【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

【発掘キネマ】〜オススメ映画でじっくり考察 ☆ネタバレあり☆

いつの時代も名作は色褪せません。
ジャンル、時代いっさい問わず、オススメ映画をピックアップ。
映画で人生を考察してみました。
【注意】
・ネタバレあり
・通番は個人的な指標です。
・解説、感想は個人の見解のため、ご理解下さい。

『スーパーの女』

(1996年・日本)

〈ジャンル〉コメディ



~オススメ値~

★★★★☆

・伊丹十三監督、宮本信子主演の元気な気持ちに

なるコメディ。

・寂れたスーパーを立て直すお仕事ドラマ。

・「働きがい」の大切さを知る。


(オススメ値の基準)

★1つ…一度は見たい

★2つ…良作だと思う

★3つ…ぜひ人にオススメしたい

★4つ…かなりオススメ!

★5つ…人生の一本、殿堂入り

〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介



〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉



《あらすじ》


『新装開店した激安スーパーの「安売り大魔王」。近所にあるスーパー「正直屋」の専務、小林五郎が安売り大魔王に偵察に入ったところ、幼馴染の井上花子と再会する。スーパー事情に詳しい花子は安売り大魔王のインチキな売り方を鋭く指摘、次いで五郎の正直屋についても次々と欠点を指摘した。花子の批評と正直屋改革のアイデアを聞いて信頼した五郎は花子に自分の店で働くよう打診する。丁度その頃、安売り大魔王は正直屋を買い取って吸収されそうになっていたのだ。花子はレジ係のチーフとして働き始めるが、このスーパーの連携の取れない欠点がすぐに明らかになり始めた。精肉部と鮮魚部のチーフがそれぞれの持ち場を牛耳っており、職人気質の彼らに対して五郎ですら注文を付けることができず、客目線でスーパーが良くなる展開がされていなかったのだ。花子は職人を敵にしても怯まず、スーパーの改革アイデアを次々と打ち出し、ついに副店長の肩書を手に入れた。その結果、正直屋には主婦の高評価が寄せられ始めるようになる。そして遂に最大の壁であったリパック問題に着手するようになった正直屋。実は安売り大魔王の息がかかっていた店長は五郎と花子の方針が面白くない。そこで店長は密かにチーフたちを安売り大魔王に引き合わせるのだった。』


〜全国主婦の皆さまご用達、爆笑スーパーコメディはこれだ!〜


《監督》伊丹十三

(「お葬式」「タンポポ」「マルサの女」)

《脚本》伊丹十三

《出演》宮本信子、津川雅彦、金田龍之介、矢野宣、六平直政、高橋長英、三宅裕司、あき竹城、松本明子、小堺一機、柳沢慎吾、伊集院光、伊東四朗、ほか






【スーパーに正義の革命を】

いやぁ〜物価が安い。
卵50円台って、安売りしてると言ってもこんな価格じゃ今は売ってない。時代は変わってしまった。こういうのを見るとつくづく今を生きるのが窮屈になってしまう。

激安スーパーが近所に開店し、経営の危機に陥った小さなスーパー「正直屋」が舞台の伊丹十三監督作。
正直屋の専務の五郎と、スーパーが大好きな普通の主婦の花子が幼馴染で、良質なスーパーの基準に詳しい花子が正直屋に雇われてからお店の大改革が始まっていく。主婦の花子役は伊丹作品にはお馴染みの宮本信子痛快爽快に演じている
花子はどんな強面の職人を相手にしても、客のためのことなら怯まない。勝ち気で勇猛果敢で頼りになる存在なのだ。

スーパーの中は毎日毎日トラブル続きである。
レジではお客のクレーム対応をし、値札は特売終わっても直されていないまま、カートは駐車場で放置されたまま
こんなペースで走り回って働いてたら身体がもつわけがない。そもそもこんなにトラブルが続くのは、各部門の連携が取れておらず、販売者として無責任な取組姿勢がこの店全体に根付いているからなのだ。客のために商品を売っているのではなく、職人の自己満で商品を売っているようなもの。
花子は五郎に頼んで、客目線のスーパーに転換するための大改革を起こすべく、副店長という肩書きをもらって更に奔走していく。

それまでの正直屋は「正直」屋という名前とは程遠い店であった。
スーパーの中にはゴミが落ちており、鮮度が落ちた魚からは赤い汁が滴っている。
売れ残りの惣菜カツも二度揚げして、カツ丼にして再販する。ひき肉も、おにぎりの中のたらこも、混ぜ物をしてカサ増し
「商人と屏風は曲がらねば立たず」が現店長の方針で、それをモットーにズルいやる方で客を騙しているのだが、そもそも本来の諺の意味は商人は客の意向に沿うようにしないと商売が繁盛しないという意味だそうで、この性悪店長の解釈はまるで真逆。
要するに、この店長は自分たちの利益を生み出すために都合の良い言葉を並べてスーパーを牛耳っているわけなのだ。
やがてこの店長が近所にできた安売りインチキスーパーと通じて、正直屋の売却に向けて暗躍するのである。

ましてや鮮度の落ちた売れ残りの魚や肉を、パックしなおして日付を書き換えて再販するとは。
それは商売の工夫とは言わず、いわゆる偽造ではないか。当時はまだそういう偽造もあちこちで横行していたのかもしれない。今、同様の事態が発覚したら「ごめんなさい」では済まないだろう。
作中では客に鮮度の良い商品を売るために改革し、売れ残った魚を泣く泣く廃棄処分していたが、今のご時世的にはフードロスの関係でそれもまた問題視されるだろうし、今のスーパーの経営はこの頃より一層大変なことなのだろうと感じる。



【人生を豊かにするパートナー】

花子の前に立ち塞がるのは店長だけではなかった。
正直屋が古き悪習を根深く残している要因の一つが、精肉と鮮魚のバックヤードを牛耳るそれぞれのチーフである。精肉部の六平直政と鮮魚部の高橋長英の職人コンビが強面を崩さずに緊張感を放っているのだ。
職人気質のチーフたちはそれぞれのチームのパートや後輩たちに役割分担をしない。昔ながらの魚屋、肉屋の方法で自分たちのやり方を通しているのだ。

スーパーとしては流れ作業にすれば品出しの回転も早くなるのにそうはしない。
精肉チーフは職人の自己満足のために高い和牛を意味もなく売り出し、鮮魚チーフは魚捌きを自分一人で担うことに誇りを持っている。すべては職人の譲れないプライドがあるが故に続けてきた利益を生み出さない悪習なのである。
どんなに花子がスーパーの表面に手を尽くして改革しても、裏面にチーフたちがいる限り、良質なスーパーには近付けないわけだ。

そんな目の上のたんこぶでも、店の転換方針に不満を溜めるチーフを追い出すというような横暴なやり方ではなく、鮮魚チーフを説得して納得してもらうというやり方を選ぶのが気持ちが良い。花子は客と同じぐらい、店員のことも気を遣っているのだ。
しかしまさか精肉チーフがどす黒くただの悪人だったとは。精肉チーフは売れなくなった高級肉を闇業者に売り捌き、その利益を自分の懐に入れていたのだ。
職人というプライドで身を固めた、ただの阿呆だった。

店の改革は客のためだが、それは結果的に店員の働きがいにもつながっていく
正直屋の場合、自分たちで客に売り出している商品が嘘偽りに満ちたものであったから客に対して引け目を感じていたのだ。
パートのおばさんたちは近所の主婦。そのパートの店員が自分の店の商品を買わないのはおかしいというのは、至極道理の通った話だと思う。
私も惣菜屋でバイトをしていたことがあるが、やはりあの頃もプライベートでお店の惣菜をちょくちょく買って家で食べていた。売っている時から美味しそうだと感じていたからだ。
自分たちの食卓に、自分たちが働く店の商品を並べたくない。家族に食べさせたくない。こんな皮肉な話があるだろうか。
花子の改革によって近所に住むパートの店員たちも店の商品を買って食卓に並べるようになる

「働きがい」というものは給料にも優る
高い給料を得ることも働きがいにつながるとは思うがが、それだけがやりがいや働きがいなのではないのだと思う。
インチキスーパーから強引な引き抜きの話が現れた時、彼らが正直屋に居座ったのは改革途上の正直屋にはようやく誠実に働くことの面白さや喜びが出てきたから。少し前の正直屋であれば、とっくに店員の大半が流されていたことだと思う。
花子は客目線のスーパーを目指しながら、同時に働きがいのある職場作りに貢献していたのだ。

スーパーの裏側や経営改革を描きながら、それと同時にスーパーというものがいかに街の住民の生活に根付いているものなのかを感じさせてくれる
改めて考えたら、私たちの日常にスーパーは欠かせない。誰もが週に一度や二度はスーパーに通い、食品や日用品を買い込む。平日も休日もスーパーは私たちの生活の支えとなるために動き続けているのだ。

誰もが1円でもお得に商品を買い、少しでも余裕のある豊かな暮らしをしたいと考えている。花子と五郎が街を眺めながらそのように話していたように、スーパーはそんな日常を豊かにするために紛れもなく一役買っている。
新しい街に引っ越したら、より良いスーパーを選びたいものだ。自分の生活を豊かにするためのパートナーなのだから。
ただ値引きしているから良いというインチキにはもう騙されません。本当に良い物を、客の目線で考えて工夫しながら安く提供しているか。店員はどんな顔をして働いているか
そんなことを考えながら、自分の通うスーパーを探したいと思った。


(127分)