『ゼロ・ダーク・サーティ』
(2013年・アメリカ)
〈ジャンル〉サスペンス/戦争
★★★☆☆
・ビン・ラーディン殺害までの10年間を描くサスペンス映画。
・テロ組織を追った後に訪れた空虚な感情。
・終盤、兵士視点の襲撃シーンは緊張感が半端ない。
(オススメ値の基準)
★1つ…一度は見たい
★2つ…良作だと思う
★3つ…ぜひ人にオススメしたい
★4つ…かなりオススメ!
★5つ…人生の一本、殿堂入り
〜オススメ対象外は月毎の「ざっと書き」にて紹介
〈〈以下、ネタバレ注意!!〉〉
《あらすじ》
『CIA分析官マヤがパキスタンに入ってすぐに担当した尋問は、アメリカ同時多発テロで資金調達を行なっていたとされるアマールに対する拷問であった。アマールの口からビン・ラーディンに通じる情報が手に入ったものの、CIA当局では世界中で頻発する自爆テロの対策を優先される。そんな中、同僚のジェシカがアルカイダの医師を買収したとして、彼らから貴重な情報を手に入れるため医師をアフガニスタンの米軍基地へと招き入れる。だが、基地に入った医師らは自爆テロを起こし、ジェシカも亡くなってしまう。』
〜ビンラディンを追い詰めたのは、ひとりの女性だった――〜
《監督》キャスリン・ビグロー
(「K-19」「ハート・ロッカー」「デトロイト」)
《脚本》マーク・ボール
(「ハート・ロッカー」「デトロイト」)
《出演》ジェシカ・チャスティン、ジェイソン・クラーク、ジョエル・エドガートン、マーク・ストロング、ほか
【歴史的事件の経緯を描く】
9.11同時多発テロで巻き込まれた被害者たちを描いたドラマは数多くあるものの、そこからスタートしてその後のビン・ラーディン殺害までを描く作品はそう多くはない。
CIA分析捜査官マヤが、ビン・ラーディン殺害に至るまでのおよそ10年に渡る捜査活動の記録である。
人質への非人道的な拷問、居場所を探り続けて神経をすり減らした日々、テロ組織からの銃撃、捜査中も絶えない世界各地のテロ、上司の反感、そしてスパイに騙された同僚の死……。
マヤの10年間はビン・ラーディンを見つけ出すための長い長い苦難の時であった。
始めのうちは拷問の取り調べに目を背けるような捜査官だったマヤも、いつしか上官に怒鳴り散らすほどの大胆さと強さを備えた捜査官に成長していた。
彼女がそこまで強くならざるを得なかったのは、もちろんアメリカのためでもあるが、やはり同僚ジェシカの死が大きかっただろう。
命懸けで捜査を進めていたことは覚悟の上だったが、同僚がスパイに騙されて自爆テロに巻き込まれた時、マヤの中でも何かが狂ったに違いない。
どんな手を使っても、何年時間がかかっても、ビン・ラーディンを殺さなければならない。
それは正義の捜査ではなく、ほぼ復讐に近かった。だから彼女は、後述するようにあのような空虚な涙を流したのだろう。
本作は政治的要素も比較的濃いため、公開時には政治的宣伝だとか拷問シーンへの反論等も数多くあったようだが、
本作はアカデミー賞を始めとする様々な賞でノミネートしたり受賞したりするなどして評価されており、作品としてのドラマ性も高い。
扱っているテーマ上、気楽に見られるストーリーではないのだが、放映時間157分は決して冗長ではなく見応えのあるドラマだった。
↑マヤを演じるジェシカ・チャスティン。段々と度胸が備わっていき、その成長がカッコ良い。
【モヤモヤの残るラスト】
今年ニューヨークへ行った時、ワールドトレードセンターの跡地に訪れた。
そこには9/11メモリアルが建設されており、大きな四角形の滝がぽっかり空いた穴へと降り注ぐ慰霊碑が建立されていた。
慰霊碑の周囲にはおそらく再建されたのであろうと思われる綺麗なビル群が立ち並んでおり、さらに近くにはモダンなデザインでカッコ良い駅まで作られていた。
もうあれから17年も経ったのだ。
そこには悲しみに押し潰されたままではなく、再び立ち上がってテロの脅威に屈しないアメリカの強さを感じた。
あの慰霊碑も、あのビルもあの駅も、きっと携わる作業員たち一人一人が9.11で亡くなった人々の思いと国民の願いを背負って作業に当たったのだと思う。
その強さも、テロに打ち勝つための“執念”なのかもしれない。
“執念”に隠と陽があるならば、そんな失われた街の再建は陽だろう。そして、本作で描かれたマヤの執念は隠である。
ビン・ラーディンを殺害した後、飛行機で母国へ帰ると見られる彼女にパイロットが行き先を訪ねた時、マヤは涙を流した。
それはテロの首謀者を倒してもどこか心に残る遣る瀬無さ、空虚さの涙だった。
彼女はもはや大義名分のために殺害を果たしたかったのではなく、ジェシカの死をきっかけに復讐による“執念”に変わってしまっていたのだ。
最大のターゲットの命を奪っても、復讐による怒りは靄となって残ってしまったに違いない。
それに、私も薄々感じていたのだが、ビン・ラーディンを殺害すれば世界平和は訪れるのだろうか。
きっとまたどこかで人々を扇動するテロリストが現れるのではないだろうか。
異なる文化が存在する限り、異なる思想や価値観も存在し続ける。マヤはモグラ叩きで一つのモグラを叩いたに過ぎず、またどこからか新しいモグラが表舞台に顔を出すことも考えられるのだ。
事実、ビン・ラーディン殺害後も世界中でテロの恐怖が根絶されることはなかった。
今でもまだどこかの国で突然、大量の死傷者が出たというニュースが時折飛び込んでくる。報道ではテロに遭遇しないためには危険の高い場所を避けろと言う。
レストラン、ホテル、駅、お祭り……人が集まる場所はテロが発生する危険性も高い。テロの恐怖はすぐ側にあるかもしれず、私たちがそれに巻き込まれないという保証はない。
9.11以降、人々の生きる世界はどうも窮屈になったような気がしてならない。もちろんテロが他人事ではないことは理解できるのだが、それだけを気にしていては身体も心も疲れてしまう。
だから、普段私たちは日常的にテロを気にして生活することはないだろう。仕事をするときも、学校へ行くときも、休日に出掛けるときも、天気を気にすることはあってもテロを気にすることはないはずだ。
だからこそ9.11を描いた映画を観ると、ふいに考えてしまう。
自分の明日も、大切な人の明日も必ず訪れるとは限らない。恐怖に怯える必要はまったくないが、日々を漫然とやり過ごすのではなく、ちゃんと“今”を生きる尊さを噛みしめるべきだ。
ところで、自分は全然気付かなかったものの、本作にはクリス・プラットが出ていたそうな。
驚きである。
(157分)