芸能と芸術の間 (BABYMETAL TokyoDOME公演に思う) | 感謝!感激!ポリあらし!

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Perfumeに救われた人間もいます

E-TV スイッチインタビュー 市村正親×立川志の輔

言わずと知れた「ミュージカル俳優の雄」市村正親(篠原涼子と結婚、と聞いた時は殺意を覚えた同志が多い)が指名したのは、家元・談志にして「立川(たてかわ)流の最高傑作」と言わしめた、NHK「がってん!」でお馴染みの立川志の輔師匠。
市村を迎えるのに志の輔師匠が指定したのは、なぜか演劇の街「下北沢」のJazz Bar

 

志の輔師匠の演目「歓喜の歌」が、TVドラマや映画になったのは有名な話。
あらすじは、
大晦日、レディースコーラスとコーラスガールという二つのコーラスグループの予約をダブルブッキングした公民館のホール。怒りまくる二組に責任のがれを繰り返す主任。レディースコーラスメンバーの中華屋と知らずに頼んだ出前の間違いに絡んだある事をきっかけにこの主任が公演を成功させようと奮闘する人情話。
なぜこの演目が映画やドラマになったのかと言うと…
志の輔師匠は話を落とした直後にホンモノのママさんコーラスグループが出だして自分の指揮で「第九・歓喜の歌」披露する。

 

「落語でいっぱい頭を使ったお客さんに、何も考えずに一目でわかる演出を見せてあげたい」

 

富山から明大落研に入り上京した志の輔師匠は、卒業後普通に就職し29歳のころ談志の落語に出会う。それまで演者として落語の楽しさは知っていた(つもりでいた)志の輔師匠は、談志の落語に衝撃を受け会社を辞めて弟子入りする。

 

「それまで古典落語は口伝の演目を忠実に再現するものだと思っていた。が、談志の落語は談志がしゃべっている、こんな落語があるんだ」

 

弟子入りして半年後。談志は、弟子の真打昇進に関する意見の対立が故に落語協会を脱退し立川流家元を名乗る。必然的に弟子たちは修行の場「寄席」を失う。「しゃべる場所は自分で探して来い!」と言われた志の輔師匠は下北沢の小さな劇場で毎週木曜1年間の独演会を行う。演劇の街を修行時代の原点に持つ志の輔師匠からすれば落語を「演出」するのは必然だったのだが世間は驚いた。

 

「飢えと寒さと貧乏を知らないと古典落語は解らない話が多い。酒も飲まない、上司とも付き合わない若者には、一杯の酒の為に人殺し以外何でもやる、といった長屋のくまさんや八兵衛の顛末は根っこのところで面白さが伝わらない。だから、そのギャップを埋める新作をかけ、落語の面白さを広く知って欲しい。」

 

志の輔師匠は、談志が残した「芸術と芸能の狭間をゆけ」言葉が気になり、いまでも繰り返し突きつけているという。

 

芸術を
「人の評価を気にせず、一人自分だけでもこれが最高だと思ってやりたい事をとことんやる」
と仮に定義して、芸能を
「目の前にいるお客さんが喜ぶ事をひたすらやる事」
と定義して、あえて芸能と芸術を分けて考える時
「己と観客の間のどこに自分を置くか、どこにお前は居たいのか」
と問われているように感じている

 

談志の高座を袖で見ていると、
お客の方の寄っていく日もあれば、お客をこっちへ、舞台へあげようとしていう日もあってそれは判った。
でも、それはテクニックとかではなくその日の体調とかで変わるもので…

 

この後、話は市村正親のインタビューにスイッチして、これも面白い話が沢山あるのですが関わりそうな一部だけ。
劇団四季での修業時代、恩師である演出家・浅利慶太の教訓
「台本の中に役は無い、台本を自分に入れろ。」「役の仮面をかぶっていると役者の顔が透けて見えてくる」
この話は、『一般的な印象で役を演じるのではなく自分の演技をしろ。ひいては、役者自身の人としての深みや重みが役としてにじみ出てくる。』という事を言いたかったのだろと解釈しましたが…

 

芸能と芸術の間

番組の最後に志の輔師匠に問われた市村正親は、考えた事もないから解らないと言いつつ「生きているうちに評価されなかったピカソは、売れなかったが為に素晴しい絵が描けた、私はピカソの絵に感動する」と答えてます。

 

志の輔師匠の言う、高座の談志がお客に寄ったり、お客を寄せたりと言うのは談志が言いたかった事とは多少ニュアンスが違うような気がします。むしろ市村さんの答えにヒントが隠れている思います。

例えば、コント、一発芸などはひたすら芸能、漫才は若干芸術寄り、古典落語や歌舞伎などはかなり芸術寄りとは言えないでしょうか。「能」や「神楽」は相当芸術寄りですが「伝統芸能」とは呼ばれても「伝統芸術」とは呼ばれません。古いものですが、そもそもが「娯楽」だったから「芸術」とは呼ばれないのでしょう。

 

客目線でみると…客はとにかく飽きやすいもので、同じモノは2度は通用しても3度4度はなかなか通用しないですね。志の輔師匠の定義に乗れば、芸能は目の前のお客に寄り添う事なので、次々と新しいネタを仕込まないと飽きられます。
でも私には、(お笑いではないですが)複数回みたのに、映像作品では無くまたLIVEで観たいと思うステージがいくつかあります。
ちなみに今回のBABYMETALのDOMEは、映像作品でゆっくりと観返したいと思っています。

 

「何度でも観たい」
これは芸術性に拠るモノでしょう。
ただ、人にはそれぞれ「ツボ」があり、同じお笑いを何度見ても面白いと言う人も居るので一概には言えないのですが、こと国・人種・年齢・性別・言葉等の壁を超えるとなると話は一変します。

 

レディーガガやマイケル・ジャクソンが世界中でウケてるのは普遍的な芸術的芸能だからだと思うのです。そしてPerfumeやBABYMETALもその普遍性を追い求めているグループなのだと思います。

 

(優劣付ける訳ではないので誤解のないようにお願いします。)
対して、ももクロや48Gは「芸能」に振り切ってウケていると思うのです。くれぐれも誤解のないようにお願いします。良い悪いの問題ではなく「違う」という事が言いたいだけです。特にももクロは、歌もダンスも正直下手くそなのにあんなにウケてるのは、LIVEが相当に楽しいのだろうことは想像に難くありません。

 

かと言って私が行くかと言えば絶対に行かない。最近これは不幸だと思っているのですが、私の歌に対するハードルは結構高くて、下手な歌を聞かされると不愉快になってきます。もっと気軽にいろいろ楽しめれば…とも思うのですが、こればかりは仕方がないと諦めています。

 

では、Perfume・BABYMETALが海外でも受け入れらているのはなぜでしょう。
一つには「広島」がキーワードなのだと思います。
中元すず香、中学卒業の年。アムラックスで行われた 「歌の考古学」 という公開授業はメイトには有名な話ですが、同じ思いはPerfumeも、えーちゃんも、民夫さんも、黒田も、新井も、広島に関わる全ての人に根付いた共通の思いみたいなものがあって、広く届いているのではないでしょうか。

 

この点は志の輔師匠も、富山の原体験が古典落語の人情噺に通じるものがある、と言ってます。

 

さらには、フィジカルなパフォーマンスは普遍的に芸術性を発するのからなのだと思います。スポーツのスーパープレーは芸術的で世界中誰もがスゴイと思える。人の身体が表現する芸術性はいろいろな壁を簡単に超えてしまう。

 

BABYMETALもしかり、Perfumeのステージにおけるダンスは芸術的です。惜しむらくはPerfumeの芸術性は伝わり辛い。特に最近はライゾマティクスの最先端技術を使った演出が前面に出て、3人の凄さが陰に隠れがちだと思います。確かにライゾマとのコラボ演出は凄いです、でも私はmikikoさんやPerfumeと絡まないライゾマだけの演出なら同じモノを3回観たいとは思わないような気がします。私はもっと「Perfume」が観たい。

 

その点BABYMETALは単純です。私にとってのBABYMETALは、最悪姿が見えなくともSU-METALの歌声さえちゃんと聴ければ満足で、事実、筋肉少女帯との対バンの時は、開演直後に会場に飛び込んだのでギュウギュウパンパンO-EASTには居場所がなく、上手の階段の途中で透かすようにステージを見ながらSU-METALの歌声だけで満足して帰ってきてます。
SU-METALは若いだけに「伝えたいとの思い」が純粋に歌声に滲み出て(仮面から役者の顔が透けて見えてる?)、言葉の壁も文化をも易々と超えてしまっている。
神バンドの演奏も、YUIMOAの「KAWAII」も解り易い。

 

私は、関わりのあるアマチュアバンドの子達に言い続けている事があります。
「もっと歌を頑張れ」
インストバンドならともかく、ボーカルがいる以上は最低限のレベルで「金をとれる歌」が歌えないと二回三回と客は来てくれない。演奏がどんなに上手くても歌がダメだと全部ダメになる。プロを目指すなら最低限でも歌えるようになりなさいと。

 

こうして書くと、古いPerfume仲間に「PerfumeをDEATHってる」と言われたりするのですが…決してPerfumeをDEATHってる訳では無く、BABYMETALと対比するとPerfumeの凄さが伝わり辛い理由が明確になると思っただけで、やはり海外に出るにはバンドをしょった生歌には敵わないとしみじみ思っていて、Perfumeこそ大変な挑戦をしていると思っています。


余談ですが、
高校一・二年の時の担任が課内クラブの落研顧問だったのですが、入学してすぐのHRで言われたのが「三年生一人しか部員が居ないので最低5人入らないと部が無くなる。頼むから助けてくれ」との悲痛なお願い。結局三年間落研にいて三年生の文化祭では20分程の高座もかけたりして…その林家小染そっくりな顧問が教えてくれたお笑いにおける「間」のお話。

 

人が笑う時は息を吐きます、当然ですね。でも、会場にいるお客さんの呼吸のタイミングはバラバラ。息を吐いた時に面白い事を言っても笑えないんです。笑える人と笑えない人がでちゃう。そこで「まくら」と呼ばれる世間話などで会場を温めると同時に、会場全員の呼吸のタイミングを揃えるてます。ネタは会場中のお客が息を吸ったタイミングで出すと皆さんが一斉に笑える。逆に吐き切ったところだと笑いたくても笑えない。間が悪いとはそういう事だそうです。

 

音楽のLIVEでも間の悪いMCかますアマチュアバンドは結構多いですね。
話せないなら無理して話すことは無いのに、話さなきゃいけないと思ってる。
その点も、苦肉の策とは言えBABYMETALは潔いですね。

 

今回のBABYMETAL TokyoDOME公演は本当に凄かった。
あれならまたDOMEで観たい。
DOMEはダメだと言う固定概念を払拭してくれました。

あぁ…早く映像作品にならないかなぁ
完全版を逆にして通して観たい!