ラグジュアリーブランドの中でも高い知名度とブランド力を誇るのがシャネルである。ツイードの女性のスーツやチェーンベルトバッグなどはシャネルのアイコンであり、女性の憧れでもあると同時にシャネルのファッション史における革新性でもある。シャネルの起こした「革命」はファッション歴や社会学史においても顕著なものであり、多くの人はシャネルのそれらに側面に着目する。そのほかのラグジュアリーブランドについてもマーケターや消費者目線の見解が多い。一方で、本書は(特に日本では)珍しく、経営学の側面からシャネルを分析している。編著は早大教授(MBAコース)の長沢氏である。
日本人は階級意識がないので(華族制度が1947年に廃止されたため)、こうしたラグジュアリーブランドへの関心が高く、実際、財布などの小物であれば庶民でも節約すれば手が届く金額のために人気が高い。高度成長期、多くの人が豊かになる中、日本は人口が1憶を超えのに可住面積が狭く、人口密度が高いために土地・住宅価格は高かった。「中の中~中の上の所得層(ミドル・ミドル、アッパー・ミドル)」は国内で相対的にそこそこ上位であるが、不動産でステータス性を誇るには予算的に難しかった。そこで服飾などの気軽に手が届く贅沢品に手が出るのである。また、下流の上や中流の下にとっても節約すれば手が届くということで憧れのブランドになりえたのだ。
一方で、ラグジュアリーブランドは主に欧州で成立した製品であり、日本人には馴染みがなく、ハイブランドというだけで一種のステータス性を感じることができる。本来的に王侯貴族などの上流階級向けの製品だが階級社会が崩落した日本では誰しもが、ラグジュアリーブランドを手にすることで上流階級の気分を味わえる。日本だとラグジュアリーブランド研究が全く盛んではないが、それは本来的に日本で発達した”産業”ではないからだ。日本だと欧米のブランドは一緒くたに認知されている場合もあるが、本来的に欧州と米国は歴史的にも異なる社会情勢のマーケットである。
本書は実務的な側面からシャネルというブランドの人材戦略・マーケティング戦略・営業戦略などを分析している。ラグジュアリーブランドの幻惑にかまける消費者から脱するには、こうしたビジネスサイドからの理解が重要である。ラグジュアリーブランドの幻惑に浸りたい消費者にとってはこうした金勘定的な発想は極めて卑しいものに感じられるかもしれない。しかし、どこまでいってもラグジュアリーブランドもビジネスであって、金勘定からは無縁ではいられない。世界的大富豪のフランス人のアルノーはLVMHの率いるが、彼はハイブランドの攻撃的な買収をいくつも実行し「毛皮を着た狼」と知られる(グッチ買収は失敗したが法廷劇を経てのことである)。セリーヌの創業者夫婦は仲良く切り盛りしていたが、甘言に騙されて株を買収された途端に経営から締め出された。
シャネル自体の革新性は他の本などでも様々に書かれているのであえて詳しく触れないが、ジャージー生地のゆったりとした服装は女性をコルセットの締め付けから解放し、シェーンベルトの肩掛けのバッグは社会進出した富裕層の女性の間で評判を博した。シャネルは、女性を社会的な抑圧からファッションの側面から解放したのである。孤児院育ちから世界的なラグジュアリーブランドへの躍進はまさに近現代社会ならではのことである。
本書を読んで思うのは、シャネルとは実直にブランドの持つ価値を維持し続けているのだということである。下手にライセンス契約による量的拡大を行うわけでもなく、日本人の異様なほどに高い製品へのクレームにも誠実に答えてきたというのがよくわかる。製品開発も非常に真面目で敬愛に値する。特に日本では革新的な取り組みもしており、アラン・デュカスとのコラボレストランはハイブランドの中でもかなり先進的な取り組みだったという。こうした地道な取り組みもあって、現在でもシャネルは世界的なラグジュアリーブランドの座を維持できるのである。
銀座にいくとラグジュアリーブランドが立ち並び、原価よりも遥かに高い値段で洋服やバッグが次々に売れる。ブランドロゴというのはそれだけ価値があり、多くの人の消費欲を駆り立てる。そうしたブランドには神話が必要であり、その神話の維持には緻密なマーケティング戦略が必要なのである。神話は多くの人を魅了するが、その裏にあるのは職人の匠の技に加えて資本主義の論理である。そうした実利的な側面を鮮やかに分析する本書はなかなか読みごたえがある。
【履歴】
2021/8/2:一部内容を変更。


