METライブビューイングとは、ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場で上演されるオペラを、映画館上映する企画である。毎年実施しているが、世界最高レベルのオペラを映画館で割安で鑑賞できるとあって、なかなか満足度が高い。おまけにライブビューイングだと指揮者や演者のアップがみれるのも良い。さらにはインタビュー付きという贅沢さ。

半年ほど前に行ったブルース・リュウ(ショパンコンクール優勝者)のピアノコンサートでF.リストの「「ドン・ジョヴァンニ」の回想」を聴いて、モーツァルトのドン・ジョバンニは観ないとと思っていたが、ちょうどMETライブビューイングで上演されていて良かった。

台本はロレンツォ・ダ・ポンテ。ドン・ジョヴァンニはスペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語の主人公。女好きな主人公の放蕩ぶりが名曲に彩られて描かれ、最後は地獄へと落ちていくのだが、オペラ・ブッファとは思えないほどに、地獄落ちの場面が重い。今回の演出ではタイトルの「罰せられた放蕩者」に着眼して、より主人公の性犯罪性を強調する演出となっており、重々しさが増している。舞台美術もエッシャーの騙し絵をモチーフとしているらしく無機質で冷淡。舞台も21世紀であり、貴族的な服飾やオペラらしい華やかさは息をひそめている。ただ名曲の持つ魅力はそのままであり、新解釈の演出はとても刺激的で良かった。

 

★ 4.5 / 5.0

 

 

 

 

青柳いづみこ女史は、ドビュッシー研究で有名で、東京芸術大からフランス文学研究として初めて博士号を得ている。大阪音楽大名誉教授で、文筆家としても、演奏家としても活躍している人物である。祖父はフランス文学者で阿佐ヶ谷文士村のメンバーが家に集まったという。彼女の本は過去に何冊も拝読しているが、新刊が出ていたので読んでみた。

 

昔はピアノは消耗品で古くなったら買い替えられていたが、現在では修理して使用される。また、ピアニストも同様で、昔は次々に若手が登場して40歳頃には演奏家を引退してしまっていた。しかし、現在では還暦を過ぎたピアニストも珍しくない。そんな年齢を重ねて深みを増した音を奏でるピアニストのうち、75歳を超える人を40人厳選して紹介している。

 

おそらくヴィンテージピアニストで日本でもっとも有名なのはフジコ・ヘミングだろう。本書で紹介されているピアニストにチッコリーニ、フー・ツォンなど亡くなっている人も散見されるが、生前にぜひ聞いてみたかった。彼らの演奏の録音はあるが、生の演奏の音とは異なるものだ。音楽は奏でられてからすぐに空気中に散っていってしまう儚い刹那的な芸術である。

 

ピアノ演奏というのをアスリート的に考えると身体的にピークの十代後半から二十代ぐらいが最も良い演奏をするはずである。しかし、その若々しい演奏、フレッシュで瑞々しい演奏ばかりが良いわけではない。演奏は精神活動とも密接にリンクしているので、精神年齢の成熟によって、より円熟した演奏になりえるのだ。そうでなければ、これだけ還暦を過ぎたピアニスト達がコンサートで観客を魅了する理由はどこにあるのだろうか。完璧な造形だけではなく、人間の豊かな感性は、ひび割れた骨董品や古びた絵画にも価値や美を見出すことも出来るのだ。それこそ人間の感性の豊かさのなせる業なのである。「ぶっ壊れそうな『鐘』があったっていいじゃない」とフジコヘミングは言っていたが、その通りだと思う。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケがあまりに完璧な状態で現存していたらそこまで注目を集めないだろう。その造形の欠落に、数奇な運命や人類の歴史を想像することは、人間にしかできない知的活動である。

 

コンクールで入賞した若手をもてはやして消費してしまうメディアや、話題性に惹かれて群がる観客。大量消費社会で消耗して輝きを失ったピアニストは数えきれない。若手でコンクールで上位入賞するのはあくまで登竜門に過ぎない。その後の円熟は本人の研鑽にもよるが、観客次第でもある。コンクール結果に一喜一憂することは悪いことではないが、コンクールの結果は全てではない。コンクールの審査員が選ばなかったピアニストであっても、コンサートに観客が足を運び、そのピアニストを育てることも出来る。コンクールの結果に隷従する必要性は無いのだ。観客も主体的かつ能動的に演奏家を応援していく、これこそ豊かで文化的な社会ということではないかと思う。

 

そうといいつつ、私も主要コンクール入賞者のコンサートに主に足を運んでしまう(というか、逆にそうではないとコンサートもろくに開けないのが現実であるのだが)。これから裾野を広げてヴィンテージピアニストのコンサートにも足を運ぼうかなと思う。

さて、本日は北区西ケ原にある大谷美術館(旧古河邸)にいってきた。何やらバラの見頃らしいが、私の目当てはジョサイア・コンドルが設計の邸宅である。外壁は真鶴の新小松石(安山岩)を使用し、重厚さがあるが、西洋式の庭園とあってどこか田舎の別荘という印象も受ける。スコットランドや英国のカントリーハウス風である。それにしても23区にあるとは思えないほどに緑豊かな庭園が広くて驚いた。

 

さて、この豪邸であるが、もともとこの土地は、明治の元勲の陸奥宗光伯爵の邸宅があった場所であるが、宗光の次男潤吉が古河家に養子に入ったことで古河財閥家の所有となったそうだ。大正6年に竣工し、古河財閥当主の古河虎之助男爵が住んでいた。しかし、戦後の財閥解体などもあり、本邸宅は大蔵省の所管を経て、財団法人大谷美術館が管理している。一時期は荒廃していたというから驚かされる。財団法人大谷美術館は、ホテルオータニで知られる大谷米太郎の構想した事業である。旧財閥家・華族の豪奢な生活を偲ばせる豪邸であった。

 

庭園のバラ園とマッチして瀟洒である。

 

 

和風の庭園もとても広く23区にあるとは思えない。とても清々しい。

 

 

実写版のリトル・マーメイド。坂本龍一監修の全席がプレミアムシートの109プレミアムシネマ(東急歌舞伎町タワー)で鑑賞したが、とにかく音響が素晴らしかった。名曲が多い作品だけあって、楽曲はほんと良いし、海の中の映像描写はかなり自然で良く、冒頭はテンションが上がる。

ただ元のディズニーのアニメ映画は1時間25分程度のところ、本作はプラス50分なので、相対的に音楽シーンの割合が減ったので、結果的に音楽の印象が弱かった。もうちょっと楽曲を追加して、ハリー・ベイリーの美声を活かしてもよかったのでは?

そして、フランダーとかほんとただの喋る魚になっちゃったんですね・・・。スカットルもただの鳥なのでちょい目が怖いかも。おっちょこちょいの愛らしい雰囲気ゼロ。カニのセバスチャンはこれはこれでありかなって感じだけど。やっぱデフォルメされた外形が性格を表していたりするので、リアルな生物感を出されるとちょっと違和感はありますね。キャラはいいのですが。

そして、黒人のハリー・ベイリーが起用されたことで、原作のイメージに沿っていないとかなり議論を呼んだが、正直、観ていて気にはならなかった。陸地は海に隔てられているが、海はつながっているので、様々な人種の人魚がいるという設定であり、それは特に違和感がない。

これを、ポリコレ(ポリティカリーコレクト)だという人もいるが、米国では出生児に占める白人の割合は半数以下なのでマーケティング戦略としても非白人キャストを据えるのは合理的なのだ。もちろん、原作尊重もあるが、舞台や時代を変えてリメイクする場合もあるのだから、別に主人公の設定を変えてもいいだろう。製作陣は、時代にあわせて共感できる作品を作っているだけである。

一方で、海の魔女のアースラが、トリトン王の妹であり、アリエルの叔母になっちゃってるんですが、家族内の悲劇という要素を足してますが、なぜご親族の中で一人だけ「タコなの?」って違和感がすごかったです。追放された理由も分かりませんでしたし。おまけにラストのシーン、強そうなのに、都合よくあっさり撃退されちゃうのね・・・。

なんだかんだ言われいたハリー・ベイリーは、はまり役で良かったのに、映画の出来栄えが彼女についてこれてない気がする。お城もセット感が強いし、実写にしたときに生じる話の展開の唐突さとかの違和感。そして、なんか映像描写がチープというかありきたりな印象を受けないわけではない。アースラのラスボス形態のシュールさとか。もうちょっと上手に実写化出来たんじゃないかなぁと思ってしまった。期待していたのですがね。。

 

★ 3.4 / 5.0

 

 

さて、本日は仕事終わりに、フジコ・ヘミングさんのピアノコンサートにサントリーホールまで行ってきた。

 

彼女は1932年生まれで90歳になる。彼女は、数奇な人生で話題を集めたが、その人気は一過性にとどまらない。NHKが彼女のドキュメンタリーを放映したのが1999年であるが、そこから四半世紀が経過してもサントリーホールの大ホールを満員にするのは、やはり演奏に魅力があるからに他ならない。たまに彼女を”際物の演奏家”という人もいるが、誤りだ。彼女はクロイツァーの弟子であり、若手音楽家の登竜門のNHK毎日コンクール(現日本音楽コンクール)で第2位に入賞しており、東京藝術大を経て、現ベルリン芸術大に留学しており、音楽的才能は経歴からも明らかだ。作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナのソリストとして契約もしていたから、聴力を失わなければ、欧州を中心に活躍するピアニストになっていただろう人物である。たまたま彼女の人生を狂わせたのは聴力の喪失だった。しかし、それが結果的に彼女を成功に導いたのであるが。

 

もちろん、彼女の演奏はいまとなってはかなり危なっかしい。年齢が年齢でもあるので仕方がないが、ミスタッチも散見され、いつ破綻をきたしてもおかしくない。しかし、演奏から醸し出される独特の抒情感や詩情が聴衆を惹きつけてやまない。一部が欠損したミロのヴィーナスにも美を見出すが、これが人間の感性の豊かさなのである。ミスタッチのない演奏が好みであれば、自動演奏に弾かせていればいい。

 

彼女の演奏で驚かされるのは音の響きである。彼女はもはや高齢で手押し車がないともはや歩けない。かなり筋力も弱まっているようである。それでも演奏が始まって驚かされるが、音が驚くほどに響く。二階席だったが、これでもかと響いてくる。シューベルトの即興曲(D899 Op.90-3)の主旋律が会場に響き渡る。音に芯がありカーンと響くのえだ。そして、どこまでも彼女はメロディストで、旋律のつなぎが絶妙。素晴らしいカンタービレでオペラのアリアのよう。

 

彼女が十八番とする曲はどれも美しい主旋律の楽曲が多いが、彼女の演奏の特徴に合致しているからだろう;「別れの曲」「ため息「亡き王女のためのパヴァーヌ」など。もう少し溌溂さやスピード感が欲しいと思う曲がないわけではない;「黒鍵」「ハンガリー狂詩曲 第2番」など。しかし、それは無粋だろう。クラシックカーに燃費性能を求める人がいるだろうか?バスキアに保守性を、モネに写実性を、ダヴィンチにキュビズムを求めるようなものだ。それはただの様式やスタイルの無理解である。

 

彼女の演奏はどこか懐かしい。技巧的でキレのある演奏はコンクールではいくらでも聴ける。ポリーニ、アルゲリッチなどのピアニストによって技術水準は上がってしまった。しかし、技術的には素晴らしくとも、聴衆に歓迎されて残るコンサートピアニストは一部である。技巧とスピードが求められる時代にあって、彼女の演奏は古き良きロマンティズムを湛えている。これがヴィンテージピアニストの魅力だ。熟成した風合い。いくら技巧を磨いても出せない渋み。それらが聴衆を惹きつけるのだろうと思う。

 

前半

シューベルト:即興曲D899 Op.90-3
スカルラッティ:ソナタ K.380

スカルラッティ:ソナタ K.159
ショパン:ノクターン Op.9-2
ショパン:エチュード「エオリアンハープ」

ショパン:エチュード Op.10-3「別れの曲」
ショパン:エチュード Op.10-5「黒鍵」

ショパン:3つの新しいエチュードより遺作 第1番
ショパン:エチュード Op.10-12「革命」

アンコール曲:ショパン「幻想即興曲」

後半
ドビュッシー:月の光「ベルガマスク組曲」より第3曲
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番
リスト:三つの演奏会用練習曲 第3番 変二長調≪ため息≫
リスト:ラ・カンパネラ

アンコール曲:ベートーヴェン「月光ソナタ 第一楽章」