さて、本日は仕事終わりに、フジコ・ヘミングさんのピアノコンサートにサントリーホールまで行ってきた。
彼女は1932年生まれで90歳になる。彼女は、数奇な人生で話題を集めたが、その人気は一過性にとどまらない。NHKが彼女のドキュメンタリーを放映したのが1999年であるが、そこから四半世紀が経過してもサントリーホールの大ホールを満員にするのは、やはり演奏に魅力があるからに他ならない。たまに彼女を”際物の演奏家”という人もいるが、誤りだ。彼女はクロイツァーの弟子であり、若手音楽家の登竜門のNHK毎日コンクール(現日本音楽コンクール)で第2位に入賞しており、東京藝術大を経て、現ベルリン芸術大に留学しており、音楽的才能は経歴からも明らかだ。作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナのソリストとして契約もしていたから、聴力を失わなければ、欧州を中心に活躍するピアニストになっていただろう人物である。たまたま彼女の人生を狂わせたのは聴力の喪失だった。しかし、それが結果的に彼女を成功に導いたのであるが。
もちろん、彼女の演奏はいまとなってはかなり危なっかしい。年齢が年齢でもあるので仕方がないが、ミスタッチも散見され、いつ破綻をきたしてもおかしくない。しかし、演奏から醸し出される独特の抒情感や詩情が聴衆を惹きつけてやまない。一部が欠損したミロのヴィーナスにも美を見出すが、これが人間の感性の豊かさなのである。ミスタッチのない演奏が好みであれば、自動演奏に弾かせていればいい。
彼女の演奏で驚かされるのは音の響きである。彼女はもはや高齢で手押し車がないともはや歩けない。かなり筋力も弱まっているようである。それでも演奏が始まって驚かされるが、音が驚くほどに響く。二階席だったが、これでもかと響いてくる。シューベルトの即興曲(D899 Op.90-3)の主旋律が会場に響き渡る。音に芯がありカーンと響くのえだ。そして、どこまでも彼女はメロディストで、旋律のつなぎが絶妙。素晴らしいカンタービレでオペラのアリアのよう。
彼女が十八番とする曲はどれも美しい主旋律の楽曲が多いが、彼女の演奏の特徴に合致しているからだろう;「別れの曲」「ため息「亡き王女のためのパヴァーヌ」など。もう少し溌溂さやスピード感が欲しいと思う曲がないわけではない;「黒鍵」「ハンガリー狂詩曲 第2番」など。しかし、それは無粋だろう。クラシックカーに燃費性能を求める人がいるだろうか?バスキアに保守性を、モネに写実性を、ダヴィンチにキュビズムを求めるようなものだ。それはただの様式やスタイルの無理解である。
彼女の演奏はどこか懐かしい。技巧的でキレのある演奏はコンクールではいくらでも聴ける。ポリーニ、アルゲリッチなどのピアニストによって技術水準は上がってしまった。しかし、技術的には素晴らしくとも、聴衆に歓迎されて残るコンサートピアニストは一部である。技巧とスピードが求められる時代にあって、彼女の演奏は古き良きロマンティズムを湛えている。これがヴィンテージピアニストの魅力だ。熟成した風合い。いくら技巧を磨いても出せない渋み。それらが聴衆を惹きつけるのだろうと思う。
前半
シューベルト:即興曲D899 Op.90-3
スカルラッティ:ソナタ K.380
スカルラッティ:ソナタ K.159
ショパン:ノクターン Op.9-2
ショパン:エチュード「エオリアンハープ」
ショパン:エチュード Op.10-3「別れの曲」
ショパン:エチュード Op.10-5「黒鍵」
ショパン:3つの新しいエチュードより遺作 第1番
ショパン:エチュード Op.10-12「革命」
アンコール曲:ショパン「幻想即興曲」
後半
ドビュッシー:月の光「ベルガマスク組曲」より第3曲
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番
リスト:三つの演奏会用練習曲 第3番 変二長調≪ため息≫
リスト:ラ・カンパネラ
アンコール曲:ベートーヴェン「月光ソナタ 第一楽章」