8月に入り忙しかったので、まだ映画評を書いていなかった渋谷のアップリンクで観た「ポバティー・インク」というドキュメンタリー映画の記事を遅ればせながら書いた。本作は先進国が途上国に行う支援が何の効果もないどころか、途上国の社会経済にマイナスとなっていることを告発する映画である。途上国への援助は、人々の善意から成る故に批判の対象となりにくく、貧困を食い物にした巨大産業となってしまっているのである。これは貧困の商品化に他ならない。

 

「なぜ善意による援助が途上国にマイナスなの?」と思うかもしれないが、これは単純な話である。例えば、欧米が途上国に無償のお米を援助すると、当然ながら現地のお米を生産する農家は、無料のお米に勝てるわけがなく、誰も買わないお米を作り続けることはできないので廃業せざるを得ない。廃業した農家の人は仕事を求めて都市部へと集まりスラムを形成する。すると先進国の人々はそのスラムをメディアでみてさらに無償のお米を援助し、ますます途上国の農家は廃業を強いられ・・・というように途上国の産業は完膚なきまでに破壊されてしまう。産業を破壊された途上国は先進国の援助に依存せざるを得ないので、いつまでたっても自立できない。無償のお米の援助は直感的には善意に満ちた行為だが、途上国の市場競争を破壊し、現地の社会経済を混乱に貶めるのである。これが現実に起きたのがハイチだった - クリントン元米国大統領もこの失敗は認めている。もちろん、災害の場合は緊急援助は必要であるが、恒常的に行うべきものではない。他にも映画では、ケニアの女性が、欧米が古着の衣服を無償で援助してくるせいで綿産業が大打撃を受けたことが語る。映画でも触れられているが、途上国にとって重要なのは無償の援助ではなく、国際的なマーケットから疎外されず、対等な立場で貿易・取引が出来る制度作りである。

 

あと驚いたのだが、途上国の孤児院に入っている子どもの大半が親がいるのだという。実際に孤児を養子にしようとした欧米人の夫婦が出ているのだが、孤児を引き取る際に、孤児の親が健在で定期的に会いに来ることを知らされて驚愕したという。欧米人の夫婦は養子にするために仲介料として多額のお金を払って、実の親から子供を引き離そうとしていたのである。欧米人に養子にとられれば国籍・十分な食事・教育・仕事などあらゆる点で恵まれる。彼らからしたら、養育の負担も減るわけであり、子供は孤児にしてしまうのが合理的な行動である。しかし、彼らにしてみれば「仕事があれば自分の子供は自分の手で育てたい」というのが本音である。映画に出てくる欧米人の夫婦は、当初は孤児院を設立したかったらしいが、その場合は寄付に頼りながら、わざわざ実親から子供を引き離すために施設を維持せざるを得ない。そこで、彼らはアクセサリーをつくる工房をつくりそれを販売するという活動をし、多くの人を雇用した。彼らは十分な収入を得て家も買うことができ、自分の子供も自分の手で育てられる。途上国の人々に必要なのは押しつけがましい温情ではなく、精神的・経済的な自立である。

 

しかし、援助は善いことだという発想は直感的に正しいので、なかなか上記のような現実は直視されにくい。エチオピア飢饉の時にバンド・エイドのつくった「do they it christmas」というヒットソングがある。歌詞に問題があるが、これは最近になって海外ドラマのgleeでもカバーされた。問題の歌詞は「where nothing ever grows, no rain or rivers flow(何も育たない大地、雨も降らず川も流れない)」である。これはアフリカに対する偏見と一方的な思い込みである。アフリカのキリマンジャロには雪だって降るし、コンゴ川は世界第2位の流域面積を誇り、アフリカには手つかずの原生林も残っている。そもそもアフリカ人はクリスマスを知らないというが、イエスキリストは子供の頃にエジプトで暮らし、エチオピアには原始キリスト教が残っている。キリスト教の歴史は欧米より長く、こっちがオリジナルに近い。「クリスマスって知ってる?」なんて大きなお世話であろう。

 

アフリカは発展できないという思い込みが先進国の人にはあるが誤りである。ルワンダはつい20年前に大量虐殺があって数十万人が殺され死体で道があふれ返った国であるが、IMFの統計では2002年の経済成長率は13.19%、2008年が11.13%と高い経済成長を遂げており、2014年も6.96%・2015年も6.94%と安定的な成長をしている。手法さえ間違えなければ近代資本主義による経済的な豊かさはどの国も享受することはある程度は可能なのである。映画ではルワンダ大統領のインタビューが短いが、もう少しルワンダにフォーカスしても良かったと思う。

 

なかなか考えさせられる映画なのでオススメである。

法務省のアンケート調査で興味深いものがあった(URLは記事最後)。下世話な話で申し訳ないが、みんなが気になる、弁護士の所得についてのアンケート調査である。あえて所得という言葉を使ったが、この調査でも「収入」と「所得」は分けてある。「所得」は、簡単に言えば「収入」から必要経費を差し引いた額である。自営業者の場合、入ってきたお金から事務所の家賃や事務員等の給与などを差し引いた額が所得となる。

 

この調査、67期は回収率が48%だが、53期ともなると28.8%で回収率はだいぶ下がる。また、アンケートなので、見栄で多めに答えたりというバイアスはかかっていると思われる。それを踏まえて読む必要性がある。回収率の低い期が古い弁護士はおいておいて、若手の弁護士の所得状況をみてみよう。

 

67期の1年目の所得の平均値と中央値が資料にあるが、平均値は、分布が正規分布でないとあまりみても意味はない(一部の超高所得者につられて平均が押しあがるからである)。中央値の方が実態を反映している。すると、中央値が317万円(平均327万円)である。3年目の弁護士(新65期、回収率43.6%)の中央値が426万円(平均476万円)である。おまけにこれは弁護士登録している人への調査で、就職が決まらずに登録をしなかった人は含まれていないし、任意回答なので、多めに回答していたり、回答できないほどの低い所得ゆえに回答を控えた人を踏まえると、全体でみると実際はさらに中央値は下がるだろう。


大企業の場合は、所得にはあらわれない福利厚生等もあるので、それも踏まえる必要がある。おまけに日本の犯罪は低下の一途で、刑事弁護士の需要は低下し続けているという点も見落とせない。企業法務系の需要は高まると仮定しても、増える弁護士の供給をカバーしきれるとは到底思えない。これらを勘案するとかなり割に合わない進路選択となっていると言えるだろう。

 

こうした金勘定を越えたところに弁護士の仕事の魅力はあるという人もいるし、私もそう思うが、そうであれば、なおさら法科大学院という経済的参入障壁は撤廃すべきであろう。制度設計として、高い学費のかかる法科大学院への通学をほぼ強制しておいて、この所得であれば、進学をためらうというのが合理的な人の判断であろう。旧司法試験時代の方が、大平光代弁護士のような気概のある先生が多かったのではないかと思う。財政がひっ迫している中で、法科大学院に無駄な税金を投入していないで、さっさと廃止すべきだ。いままでの法科大学院への投資が無駄になる!というのはサンクスコスト効果で、さらに損失を拡大させるだけで、百害あって一利なしである。

 

出典:http://www.moj.go.jp/content/001198284.pdf

東京都知事選で、小池百合子が増田寛也や鳥越俊太郎に大差をつけて圧勝した。自民の東京都連を敵役にし、対立の構図を煽ったり、「都連はブラックボックス」、自身を「ジャンヌダルク」に例えたり等、メディア受けの良いキャッチーな発言をするところは、さすが国政で8回も当選しているだけあって、選挙戦略がうまい。もともと小池百合子が突然、都知事選に出ると言い出したのは、総裁選で安倍首相を裏切り石破茂についたので、安倍首相の政権では閣僚はおろか党の重要ポストからも外され干されていて、ヒラの国会議員よりかは、一国の経済規模を持つ東京の都知事の方が良いという打算だろう。政治経験も豊富で、英語やアラビア語も得意な国際派で、都の顔としてはどの過去の都知事よりも都知事に相応しいだろう。ただ「政界の渡り鳥」で政治信条に一貫性がないようにも感じられる。生き残りが大変な政界で、政局を読むのが上手いといえばそうかもしれないが。政治家としての資質は置いておいて、政党を渡り歩き、恩義のある安倍首相を裏切ったりと、人としては好きになれないので、小池百合子には投票しなかった。


それにしても今回は対抗馬が酷かった。自民が推した増田寛也が全くもって魅力的ではなかった。総務大臣として東京の金を地方にばらまく地方交付税の特別区枠制度をつくったり、岩手県知事時代には借金を倍増させた人物で、演説もうまくない。鳥越俊太郎は政策もない状態で出馬したので、話に具体性がないし、演説ではコロコロ政策が変わり、演説は下手だった。これなら宇都宮元日弁連会長の方が遥かに良かった。

 

兎にも角にも、小池新都知事は確定したのである。一都民としては、小池氏が都政を刷新して、東京都をより良い都市にしてくれることを期待している。

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本日は上野の東京都美術館で開催されている「ポンピドゥーセンター傑作展」にいってきた。ポンピドゥーセンターはフランスのパリに1977年に開館した文化施設である。美しい建築が立ち並ぶパリには似つかわしくない、まるで工事現場か工場のような外観の施設で、建設当時は相当もめたようである。美術品の所蔵は、20世紀初頭から現代美術を所蔵している。以前、パリに行った時に、時間がなく行けなかったのが今でも心残りである。本展示は、1906年から順番に、作成された年ごとに1作品が展示されており、鑑賞していくと次第に現代に近づくという、近代美術の経過を楽しめる構成となっている。混雑を避けて閉館の2時間ほど前にいったが、近代美術は人気がないのか、想像以上に空いていて快適に鑑賞できた。個人的にはオススメな美術展である。

 

印象的だったのは、セラフィーヌ・ルイの作品。日本ではあまり有名ではなく、私も初めて知った画家だった - 日本語版wikiにも今のところ記事がない。修道院で働いていたセラフィーヌは神のお告げを受けて、独学で絵を描いたという。非常に鮮やかで躍動感のある色彩、生命力の力強い躍動を感じさせるような絵で、非常に衝撃を受けた。アンドレ・ケルテス「ビストロ」という作品も素晴らしかった。パリの何気ないカフェの写真なのだが、どこか漂う哀愁を感じさせる写真が良かった。
※2作品ともこちらの記事に掲載がある:http://home.ueno.kokosil.net/ja/archives/6733

 

マリー・ローランサン、シャガールやピカソなどの有名な作品もあり見事のある展示だった。マルセル・デュシャンの「自転車の車輪」は、「レディ・メイド」(別の目的で作られたが、美術上の文脈を与えられて展示された既製品のことをいう)の美術史上重要な作品で、本来は自転車の車輪を動かし鑑賞するものなので、「キネティック・アート」(動きを取り入れた芸術作品のこと)のはしりでもあった。こちらの作品を観れて、よい勉強になった。1945年の展示は美術品ではなく、エディット・ピアフの「愛の賛歌」が流れているという粋な展示。ピアフは貧しい家に生まれ、一時期は売春宿で育てられたが、世界的なシャンソン歌手にまで上り詰めた伝説的な歌手である(フランス映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」は彼女の伝記映画だが、非常にオススメ)。

 

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鑑賞の後はスタバに向かったのだが、上野はポケスポットが乱立しているので、ポケモンGoに興じる人や、何かのイベントもやっていたので人でごったがえしており、あまりの長蛇の列に断念。こちらの上野恩賜公園のスタバは緑に囲まれていて個人的に好きなので、オススメ。久しぶりに美術館に来たが、やはり美術や音楽と言うのは良いものだ。芸術や音楽の無い人生は無味乾燥としてつまらない。

 

 

 

 

 

 

中川右介の「怖いクラシック」を読んでみた。往々にしてこういうキャッチーなタイトルの本は内容がないのであまり読まないのだが、本屋で少し内容をみて面白そうだったので買って読んでみた。クラシックというと、少し前の「癒しブーム」からか、情緒的で分かりやすいクラシック音楽がピックアップされることが多い。竹内洋の「教養主義の没落」(中公新書)で言及されているが、かつては知識人たる大学生は、ベートーヴェンを聴いて、その哲学などについて語り合ったものだという。時代の変化によって、クラシックへの我々の要望も変化し、ただの娯楽的な消費物となってしまっている感は否めない それが悪いことだとは必ずしも思わないが。著者は、クラシック音楽の本流は「怖い音楽」なのだといい、恐怖を切り口に様々なクラシック音楽のダークな側面を描く。

 

正直、クラシック音楽の本流が「怖い音楽」と言われても、何が本流で、何が亜流か、それは定義や見方によって変わるだろうし、何を持って「怖い」というのも個人のフィーリングの問題である。様々なクラシック音楽を「怖い」というカテゴリに放り込んでしまうところには大雑把さを感じなくはない。

 

しかし、何がクラシックの本流かは分からないにせよ、恐怖から人間は必至に思考し、そこから何らかの創作物が生まれることは多々あるだろう。挫折や失望、病への恐怖、故郷喪失の悲哀、戦争の惨禍、そして死への恐怖。それらが、作曲家の創造的な作曲活動に何らかの影響を与え、またはその原動力をなったことは否めない。ベートーヴェンは父親が非常に厳しかったことは有名であり、ベートーヴェンが気難しかったのも父親の影響だろう。しかし、父親が温和で、家庭が幸福に満ちていたのなら、彼は作曲家として歴史に名を刻むことはなかっただろう。ショパンがもし筋骨たくましい青年だったら、どこかほの暗い、繊細な名曲の数々は生まれなかっただろうし、ショスタコーヴィチがもし社会主義のソ連に生まれていなかったら、前衛的な曲ばかり書いて、現在では全く演奏される機会がなかったかもしれない。結果オーライという気は微塵もないが、人類の進歩において、ダークな側面も人類の創造性を生み出したことは見逃せない事実である。クラシック音楽がただの消費物に堕す今日、あえてそうしたクラシックのダークな側面に焦点を当てた本書は、その点で非常に興味深い。