本屋で新刊をみていたら青柳いづみこの新刊が出ていた。青柳さんの本はすでに数冊読んでおり、ブログでも取り上げたことがある。ショパンコンクールは世界最高のピアノコンクールであり、ここで入賞すれば一躍世界的に名が知れる。ちなみに、ショパコンと並び称されるのが「チャイコフスキーコンクール」。こちらに関しても審査委員をやっていた故 中村紘子女史が本を書いている(ブログでも取り上げている)。

 

文には人となりが出る。中村女史は、ピアニストを生育環境だとか社会的な環境の切り口からみることが多く、コンクールもその内情はもちろん内部での政治的な駆け引きだとか、コンクールの社会に占める役割など、環境や社会との関係性の中でエッセイを書く傾向がある。青柳さんはどちらかというと技術的な話が多い。本書も、ショパンコンクールの情勢を「ロマンチック派」と「楽譜に忠実派」という大局から捉え、ピアノのメーカーに関して、また採点方法など技術にまつわる話が多い。中村女史であればショパンコンクールの歴史だとか、その時々の社会情勢との関係に関してエッセイを紡いだことだろう。

 

それにしても本書を読んで思うのは、コンクールは水物なのである。ユリアンナ・アヴデーエワは2010年のショパンコンクール優勝者だが、最初は予備予選で落っことされているという。有名なピアニストが異議を申し立てて復活したという。アジア人初のショパンコンクール優勝者のダン・タイ・ソンも、書類選考でコンクール歴もなくおまけにベトナム・ハノイ音楽院卒業という経歴だったため一度は応募を却下されたが、モスクワ音楽院在籍だから大丈夫かと思い直した事務局が受理したのだという。ロンティボーの入賞者が浜松国際ピアノコンクールでは1次予選落ち、逆にチャイコフスキーコンクールで本選にすら進めなかった人が浜松国際ピアノコンクールで優勝などのねじれも起きているという。その時の体調や、審査委員との相性に大きく左右されるのである。

 

プロのピアニストがみたショパンコンクールのエッセイ・レポートとしては非常に面白い。ピアノに興味があればオススメ。ただやはり内容の重みや深さは中村女史著の「チャイコフスキーコンクール」が何枚も上手で、やや物足りなさは感じてしまった。

Yahoo!ニュースでLiLiCoさんのタトゥーについてのインタビューが掲載されていた。このインタヴュー記事をきっかけにタトゥーについて調べたのだが、最近、タトゥーの彫り師の摘発が相次ぎ、一部で議論が活発になっているらしい。大阪地裁ではタトゥーの彫り師が医師法違反で逮捕されたことを不服として訴訟にまで発展している。

 

まず、現行法においてタトゥーを無免許で彫る行為は医師法第17条に違反する。これは厚生労働省の平成13年11月8日付の「医師免許を有しない者による脱毛行為等の取扱いについて」という通知で明らかである(厚生省の通知はこちらで検索可能)。

 

これはタトゥーを彫る際に、感染症に罹る人が相次いだために出された通知である。タトゥー規制は、衛生的な観点からすれば一定の合理性がある。しかし、タトゥーを彫る行為を、医師法17条の医業としてしまうと、医師しかタトゥーを彫れないこととなってしまうが、タトゥーという一定の芸術性を伴う行為を医師のみに限定することは現実的ではないし、彫り師が医師免許を取得することも現実的ではない。日本の多くの公衆浴場等はタトゥーのある人の入浴が出来ないが、欧米ではタトゥーが一般的なファッションとして許容されており、今後、東京オリンピックで外国人が来日した際に、温泉等に入れず、トラブルが相次ぐだろう。日本の刺青・タトゥー文化は再考の時期に来ている。

 

日本では縄文弥生時代には刺青の風習があったという。江戸時代では禁止令が何度か出ているが(何度か出るというのはそれだけ守られなかったということ)、刺青は現代ほど特異なものではなかった。昔、テレビの時代劇で「遠山の金さん」がやっていたが、「この桜吹雪、散らせるもんなら散らしてみろぃ!」といって肩にある彫り物をみせるのがお決まりのシーンだったが、これを奇異に思う人はいないだろう(遠山の金さんに刺青があったか否かは歴史的な考証性はないが、当時は大名である内田正容も刺青も入れているほどに流行していたといい、火消し・鳶・飛脚など肌を露出する職業は刺青を入れている人がとても多かったという)。一方で、入墨刑があり、犯罪者はそれと分かるように入墨を入れる刑罰があり、それを上塗りする意味で刺青を入れる人もいたという。ちなみに、小泉元首相の祖父の小泉又次郎は衆議院副議長も歴任したが、刺青が入っていた。1872年に近代国家の体裁を整えるために、刺青を野蛮として禁止し、1948年までその規制は続いた。この時期に決定的に刺青文化がアンダーグラウンドにもぐり、反社会的勢力の文化として根付いてしまったのだろう。ちなみに、大阪等で彫り師の摘発が相次いでいるが、ヤクザの刺青を手掛ける彫り師の摘発が多いという。
 
刺青・タトゥー文化の話となると反社会的勢力との関係で語る人が多いが、刺青・タトゥーを根絶やしにしたところで、刺青を入れてるヤクザが減って、刺青を入れていないヤクザが増えるだけであり、反社会的勢力への政策と、刺青・タトゥー文化は分けて考える必要がある。厚生労働省の懸念は、衛生上の問題だから、州ごとに異なるものの米国のように一定のライセンス制(資格制)にして、衛生等の一定の試験を通過した人のみにライセンスを与えればいい。米国の禁酒法のように、需要があるものを禁止すると、地下経済化するだけで、逆にそれは反社会的勢力への資金源につながる危険がある。合法化して、行政の監視下に置き、健全な文化として再構築するべきであろう。

 

とはいえ、公衆浴場等で、刺青・タトゥーのある人の入浴を許可するか否かは極めて規制が難しい。ファッションで入れているタトゥーと、反社会的勢力の刺青の峻別など不可能である。人に威圧を与えない程度であれば認める、縦横20cm以内であれば許容する、防水のシールで入浴時のみ隠してもらう、一定の時間のみ刺青が入っている人の入浴を許可する等の規制は考えられるが、混乱は不可避だろう。東京五輪で海外の人がきて、日本の温泉文化に触れようとしたのに入浴を拒否されれば、日本のイメージダウンになり、観光産業にもマイナスになりうる。東京五輪まで残すところ3年ほど。日本のタトゥー文化をどうするのかあまり時間は残されていない。

久しぶりに早稲田松竹にて映画を鑑賞。1300円で2本観れるのでかなりお得な名画座です。学生の頃によく来ました。たまたま気になっていた「グランドフィナーレ」をやっていたので来ました。引退した音楽家のフレドは、娘や親友の映画監督ミックとスイスの高級ホテルで休暇をとっているが、そこに英国王室から指揮の依頼が舞い込む。頑なにフレドが拒む理由が、徐々に理由が明かされる・・・。ホテルに宿泊している人たちのやり取り等から見えてくる人生に対する喜び、悩み、迷い・・・。最後、主人公の指揮する主題歌「シンプルソング」で、映画クライマックスを迎え、大きな余韻と感慨を残し、映画は幕を閉じる。上質なヨーロッパ映画を想像してたのだが、実際は異なり、妄想シーンが入ったり、大げさな演技等、ややコミカルな箇所もある。ただ美しいシーンはとことん美しい。

 

ただ考えさせる良い映画だったとは思うが、主題がいまいち判然としないし、シリアスとコミカルのバランスが良いとは思えないし、映画の諸要素がバラバラでまとまりがない。肝心のラストの「シンプルソング」を歌うスミ・ジョーさんもかなり残念。歌はすごいうまいのだが、ド派手なスパンコールの赤のドレスに、茶色の髪に、濃いファンデーションに濃い口紅・・・言い方は悪いがもはや下品。個人として観ればよいのだが、明らかに映画の脈絡の中で登場するには浮いている。というわけで、なんとも散漫な印象を受けた。というのも、巨匠の音楽家を描くには、監督のパオロ・ソレンティーノが40代で若過ぎるんだと思う。ただ出演陣の演技はとにかく素晴らしい。

 

早稲田松竹に来ると、お目当ての映画よりもついでに観た作品の方が良いということが多いのだが、今回も漏れずそのケースだった。「リリーのすべて」は、世界で初めて性転換手術を受けたリリー・エルベという実際の人物の日記をベースにつくられた映画。全然予習していなかったのだが主演は「レ・ミゼラブル」「博士と彼女のセオリー」で名演をみせた期待の若手のエディ・レッドメイン。舞台は1926年のデンマーク。画家ゲルダは、画家の夫アイナーと暮らしているが、ある時、モデルがいないからとアイナ―に女性のモデルを頼む。女装したアイナ―に「リリー」と名付け、その勢いのまま冗談でパーティーに連れ出す。すると、アイナ―の中にいた女性が目覚めてしまい、アイナ―はリリーという女性の人格に変わっていってしまう。当時は性同一性障害は認知されておらず、性的倒錯・精神分裂病と診断されてしまうが、その後、パリに移住した二人のところに性転換手術を行えるという医師が現れ、世界初の手術を決意するのだった・・・。

 

1930年代に性転換手術を行っていたというのに驚いた。性同一性障害はここ十数年で法整備なども進んでいるが、リリーは性同一性障害のパイオニア的な存在として語られているという。それにしても主演のエディ・レッドメインは迫真の演技である。男性と女性の人格の入れ替わりをうまく表現している。こちらの作品は、ヴェネツシア映画祭ではクィア獅子賞を受賞している。クィア獅子賞と初めて聞いたのだが、LGBTの映画に贈られる賞だという。映画の完成度も高いが、それにもましていろいろと勉強になった映画だった。とはいえ、実際にリリーが手術を受けたのは40代と映画よりもかなり歳上。映画化に際して一定の美化は致し方がないだろう・・・。

新海誠監督の「君の名は。」が、大ヒットしているらしい。DVDでいいかと思ったのだが、会社の先輩や同期にもオススメされたので会社帰りにレイトショーで鑑賞。公開4週目にも関わらず、ほぼ満席で驚いた。新海監督のアニメ映画はこれで6作目。実は監督の作品が好きなので「星を追う子ども」以外はすべて鑑賞している。届きそうで届かない、届くのにあえて離れてしまう若い男女の淡く切ない恋愛をテーマとすることが多い。何より風景描写の美しさは特筆すべきである。

 

初期の「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」ではSF的な作品だったが、「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」では恋愛要素に純化されていた。本作の「君の名は。」では日本の伝統文化を背景にSFファンタジー的な作風になっているところが非常に新鮮だった。舞台は岐阜県の飛騨だが、湖の周囲は長野県の諏訪湖がモデルとも言われる(監督自身も長野出身)。諏訪湖に一度いったことがあるが、湖のまわりを囲むように町が形成され、伝統行事も残る非常に風光明媚な観光地だったのを覚えている。ちなみに、この作品の原点は、小野小町の和歌「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを」だという - - 現代語訳すると「夢であなたをみたわ 夢と分かっていたのなら目覚めなかったのに」。これに彗星というSF的な要素や、田舎の習俗などをミックスして物語を構成したという。興味深いのは作中に出てくる日本の習俗で「口噛み酒」は実際にある習俗で、東南アジア等にもみられるという。また、映画で特徴的に描かれる夕暮れ。「黄昏」の語源が「誰そ彼」というのも、初めて知った。夕暮れは暗くなり、顔が見分けにくくなることから「誰そ彼」というようになり、現在の「黄昏」へとなったという。文学部出身の監督らしさが出ているといえようか。それにしても、いままでの作品はどれも大どんでん返しがあるものがなかったので、本作の中盤からのストーリーの流れは全く予測がつかなかった。また、RADWIMPSの曲の使い方も秀逸。

 

なかなかの傑作であることには間違いないが、正直、新海誠監督の作品はどれも良い作品なので、今回ここまでヒットしたのは、単に主題歌がRADWIMPSで、声優に神木隆之介等の有名人が起用されたからだろう。個人的には「秒速5センチメートル」はオススメなので、ぜひ過去の作品も視聴して欲しい。「秒速5センチメートル」のラスト、山崎まさよしの歌う「 One more time,One more chance 」とともに流れるシーンは新海誠監督作品の中でも指折りの名シーン。

民進党の新代表に蓮舫氏が就任したが、言論サイトのアゴラから火がつき、メディアも蓮舫氏に二重国籍問題に触れだした。ネット上では過去の蓮舫氏のインタビュー記事がアップされているが、そこで「国籍は台湾」「アイデンティティは台湾人」と発言している。しかし、この問題がピックアップされると「生まれた時から日本人」「18歳のとき台湾籍を抜きました」と発言している。故意に嘘をついていることは明白である。経歴の詐称は公職選挙法違法である。さらに仰天なのは「台湾は国ではない」との発言や「中華人民共和国の国籍法によって無効になっているので二重国籍でない」という主張である。台湾は「領域・人民・主権」を持ち、22の国が台湾を国家として承認しており、れっきとした国家である。後者の、中華人民共和国の国籍法が適用されるというのは法務省が否定することとなった。国会議員であるなら事前に法務省に確認すべき事柄だろう。蓮舫氏は「一つの中国論」まで持ち出し意味不明な説明をしていたが、これは台湾の対日感情を傷つけた。台湾のメディアは蓮舫を「冷徹な女」と批判し、国会では蓮舫氏の台湾の国家性の否定発言に対して抗議すべきだと、国民党の廖国棟立法委員が主張しているという。台湾は官報を公開しているのでネットで検索可能であり、蓮舫氏は国籍の有無ぐらいすぐ調べられるとネットで指摘が相次いだ。わざわざ意味不明な説明で逃げまわったのは、代表選の投票前に二重国籍が確定すると不利になると判断したためだろう。

 

二重国籍はグローバル化社会にふさわしくない等の話が聞かれるが、これは今後の立法政策の話で、現行法上、蓮舫氏が違法状態の事実には変わりがない。台湾が、もし蓮舫氏の国籍喪失を認めない場合は日本国籍を失い、国会議員としての資格を失う。台湾は蓮舫の国籍に関して政治カードを握ったことになる。与党の自民党としては野党の蓮舫氏が日本国籍を失って失脚しようとかまわないが、台湾との関係上、台湾にその政治カードを切らせることは回避せざるを得ない - 将来的なしこりになる可能性が高い。法律論は細かく、素人が聞くと「そんなことどうでもいいじゃん」と思う場合もあるが、その規定を遵守しないと、今回のように政治・外交にも影響が出てくる。国会議員が法の順守意識が低いようでは、国民に示しがつかない。蓮舫氏の今回の対応に民進党の議員20人が党の執行部に危機感を記した文書を提出したという。蓮舫氏は二重国籍問題が発覚した時点で潔く撤退すべきだった。民進党に亀裂が入れば、野党第一党は弱体化し、自民党一強が強化されが、こうした対抗勢力がない政治状態は好ましくない。蓮舫氏はいったん退き、再起をはかったほうが、日本のためである。