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母がロシアに視察でいったらしく、お土産でキャビアをくれたのだが(現地だと安いらしい)、まだ1つ残っていたので、晩酌のつまみに。成城石井で買った焼きサーモンとチーズにのせていただきました。トリュフやフォアグラに並ぶ「世界三大珍味」で、チョウザメの卵の塩漬けである。
 
ワインにあうが、まだ舌が子供なのか、正直いうとそこまで美味しいと思えない。日本の食材だとマツタケもお高いのだが、美味しさがイマイチ分からない。アワビやフカヒレも高いお金出して食べるかといえば、うーん・・・。高い食材の中で、美味しいと思えるのはフォアグラぐらい。フォアグラは作り方が残酷だと排斥運動が起きているので、需要が落ちて最近は安いので個人的には嬉しい(残酷な作り方には反対です)。
「国立大は文科省の植民地」 83校に241人出向
 文部科学省の天下りあっせん問題を巡り、自民党の河野太郎前行革担当相は二十六日の衆院予算委員会で、今月一日現在で同省の官僚計二百四十一人が、全国の国立大学法人の幹部職員として出向していることを明らかにした。「文科省の植民地になっている」と指摘し、出向をやめるよう求めたのに対し、松野博一文科相は「実態を調査したい」と答弁した。 
 
早稲田大が組織的に文科省から天下りを受け入れていたことで早大総長が謝罪に追い込まれている(日経)。私が早大大学院で学んでいた時にも元官僚の教授陣がいたのは事実だ;適正な手続きによって早大に来たと信じたい。元官僚の教授の授業も受けたが、凄まじく優秀な方だった。正直、天下り自体は悪いとは思わない。キャリア官僚は凄まじく優秀なので、定年後に大学などに入って教授として講義することは、大学側にとっても学生にも良い影響がある。官僚制はピラミッド型なので上に行くほど先細りのため、同期全員が上がれないので一部は外に出てもらわないと、人が詰まってしまう。それに公務員は若手のときは民間よりも給与水準が低いので、天下り等のうまみがないと良い人材が来なくなるし、残らないという問題もあろう(効率的賃金仮説)。
 
東大クラスの学生は賢いので伸びる業界をよく見極める。朝日新聞はかつては3分の1が東大卒が占めるエリート企業だったが、2014年の入社でみると東大卒はゼロだという(朝日新聞の発行部数は10年前は約800万部だったがいまや約650万部である)。弁護士も飽和し、新米弁護士の所得は中央値で317万円。東大法学部すら人気がなくなり、入試では倍率が3倍を割り、学内の2015年度の進振りで定員割れだった。沈みゆく船に乗り込もうとする人はなかなかいない。
 
院の同期でベンチャー企業に行った友達は人事をしているが、東大や早慶クラスの学生の入社希望者が多くて驚いたという。高校も開成高校などの御三家、地方の各都道府県のトップ高校を卒業しているケースが多いらしい。さすがに「大手の会社に行った方がいいのでは」と諭したらしいが、彼は、「財務状況をみても、また企業戦略的にも御社は魅力がある」という。また、このままであれば数年で上場するのも魅力だという。結局、彼を採用したらしいが、凄まじく優秀らしい。鶏口牛後である。大企業で若いときに頑張ってもいつ会社が傾くか分からず報われない可能性がある、だったらベンチャーでも上にいた方がいいという理屈だ。JALが倒産し、SHARPが台湾企業の傘下に入り、東芝が経営難で倒産寸前で、バーバリーをライセンス品で大規模に展開していた三陽商会も赤字になり経営難の時代である。かつては地銀は優良な就職先だったが、金融庁の試算では、6割が9年後に本業で赤字に転落する(朝日新聞) - といっても、他の業務で稼いでいるので経営難に直ちになるわけではないが、先行きは明るくない。見極めが重要な時代なのだ。
 
文科省の天下りも私立大ばかりが話題になるが、国立大は東京新聞のいうように文科省の植民地だ。しかし、天下りや出向などは、文科省役人の生活を保障し、有能な人材を囲い込むシステムの一部である。これを単に批判して天下りを一律に禁止したら、有能な人材は民間に流出し、現役官僚はポストにしがみつきポストの奪い合いになる。昨今の天下り問題は、学の世界も官治であったことの事実確認にしかならない。天下り根絶にはシステム全体の見直しが必要だが、そこまで大規模な改革は官の反対で不可能だろうし、政治家としても実施するメリットがない。
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新宿伊勢丹がセール中だったのでふらふら観ていたのだが、非常に気に入ったクラッチバッグがあったので購入した(上記写真)。アンドレア・ロッシというイタリア・ミラノ製。クラッチバッグは前から買おうとは思っていたのだ、なかなか良いのがなくて迷っていた - ヴィトンは高過ぎるし、コーチはなんか安売りして廉価なイメージ強いし;そもそも着こなせる自信もないし見せびらかしてるみたいだし。たまたま伊勢丹メンズ館の地下の鞄売り場の棚にあったアンドレア・ロッシのクラッチバッグが目を惹いたので手に取ったのだ。ソフトレザーが手になじむし、色合いも上品。仕上がりもしっかりしていて、デザインもコンサーバティブで使うシーンを選ばない。アンドレア・ロッシは、イタリアのコモ湖の工房で1894年に誕生し、有名ブランドのOEMも手掛けているという。ヴィトンのようなブランドではないのでデザイナーがいるわけではなく、伊勢丹だとか高島屋が発注し、卸しているらしい(だから、百貨店やセレクトショップじゃないと取り扱いもない)。法外なブランド代をとるヴィトンなどに比べると値段も良心的。ネットでみていると有名ブランドがやはり目を惹くが、実際にみて触ってみたりすると新しい発見があるものだ。新年に良い物を買ったと満足である。様々な革製品をつくっているらしいが、非常に品質が良いのでお勧めである。ビジネスバッグも買い換えるならアンドレア・ロッシがいいかなと思うほど。

 

マーティン・スコセッシ監督が、遠藤周作の小説「沈黙」を映画化したというので、さっそく観てきた。遠藤は「沈黙」で谷崎潤一郎賞を受賞している。当方の家は、曾祖母が改宗したプロテスタントの家なので(といっても私はキリスト教の学校にも通ったが洗礼は受けていない)、どうもキリスト教の問題には関心がある。いまでこそキリスト教の文化や教育機関も日本は受容したが、それまでには壮絶な布教の歴史があった。以前、長崎に行ったとき、隠れキリシタンの墓も観たが、近くの岩の上に石が置いてあり、石を並べて十字架の形にして祈ったという。長崎でなぜここまでキリスト教が根付いたのだろう。映画でも描かれるように長崎にある貧しい村があり、死後に救われるという思想が彼らを惹きつけたのだろう。ちなみに、「沈黙」は、長崎に宣教に来たが棄教したロドリゴとガルペを中心に描く。日本のキリスト教弾圧の歴史、信仰の困難さなどが描かれた傑作である。映画としての出来も良い。

 

殉教すら望む宣教師が棄教したのは、自分が棄教しないことで、キリシタンが拷問を受けるというジレンマからだった。キリシタンを助けるには自己の棄教をもってでしかできない。宣教師はそのジレンマ故に棄教を決め、踏絵を踏むのだ。そのシーンで鶏がなくが、これは聖書のペテロのシーンを想起させる。沈黙とは、キリシタンが苦しむにも関わらず、何も救済を与えずに黙する神を言い表している。しかし、本作の最後、イエスは「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」とロドリゲスに問いかける。そして、ロドリゲスは、イエスは、この踏絵を踏まざるを得ない人間の弱さゆえ、遣わされたのだと理解するのだった。もちろん、この結論にはカトリックからの異論もある。どうせ人間は弱いのだからと、イエスの恩寵にすがるのは、神への裏切りなのだ。

 

ただ、キリスト教徒への弾圧のみをみると、当時の江戸幕府のキリスト教の禁教は不寛容にもみえるが、当時、キリスト教布教が植民地支配の布石として行われていたので、国防上、仕方がない。アジアのキリスト教国はフィリピンぐらいだが、植民地化され、避妊・中絶を忌避するカトリックの影響でマルサス的に人口が増え続け現在でも貧困から抜け出せない。フィリピンに行き、神父様やシスターと話すと、我々がフィリピンに文明を伝えたと言ってはばからないが、その問題の根源も自身にあるという意識が微塵もない。映画中、日本は「沼」だと表現されていた。信仰の樹が育とうとしても、沼なので枯れてしまうのだ。キリスト教を受け入れる社会的土壌がないといえばそれまでだろうが、それではキリスト教的な普遍的な真理とは何かが問題となる。実際、日本ではキリスト教徒は1%程度で広まらなかったではないか。キリスト教の高等教育機関は多いが、ほとんどの日本人にとってキリスト教というのはオシャレなイメージのファッション的な記号でしかない。日本でのキリシタンの殉教はなんだったのか。・・・・「沈黙」を観てふとキリスト教への興味が再燃してきた。

 

 

「統計学が最強の学問である」というのは統計学を平易に紹介した本でベストセラーであるが、その続編である。統計学をビジネスで用いる場合について平易に説明してある(前作に「実践編」もある)。本書は本当に素晴らしいの一言である。アメリカだとMBAや公共政策系の大学院だと統計学が必修のところが多いらしい。日本は統計リテラシーが絶望的に低いが、社会科学系の学部や大学院は基礎統計学ぐらいは必修にしていいと思う。日本だと、「東洋経済」などの経済誌ですら、その独自調査をみると、ゴミ同然で読むに堪えない調査が多い。これは読者もリテラシーが低いので、杜撰な調査でも雑誌は売れるのだ。キャリア官僚の友達にきくとアンケート調査などは統計を学んだ人がない人がやっていることも多いらしい。法務省の調査でも回収率1割みたいなセレクションバイアスが著しそうな調査を公表しているが、標本調査の基礎を知っている人からすれば、噴飯ものである。

 

それにしても本書はタイトルこそ統計学が最強だといっているが、分析や統計結果の難しさなどにも留意している点に好感が持てる。例えば、有名なSWOT分析のような2軸の分析は、軸を何に設定するかによっていくらでも恣意的な結果を出すことができる。例えば、ファッション性の高低、競技向けの度合いの二軸で競技スポーツ用品市場を分析した結果、ファッション性が高い競技スポーツ用品市場が手薄だとしよう。しかし、ファッション性の軸をラグジュアリーに置き換えた場合、ラグジュアリーな競技スポーツ用品市場が手薄といえるかもしれない。ファッション性なのかラグジュアリーなのか、その設定は恣意的である。仮に当該市場が手薄だとしても、そこがブルーオーシャンだといえるのだろうかという問題がある。需要がないから誰も進出しない可能性もあるし、すでに多くの企業が撤退した生き残りの難しい市場かもしれない。ブルーオーシャンなのか死海なのかは誰にもわからない。

 

また、Googleの採用も興味深い。アイビーリーグを平凡な成績で卒業した人より、州立大をトップレベルで卒業した学生のほうが優秀なのだという。これはGoogleが自社の採用者を分析した結果だという。ちなみに、アメリカの調査だと、日本で重視される非構造化面接だとか履歴書の評価は、一般認知能力テストや構造化面接の半分程度の説明力しかないという。ただ、営業成績に影響する要因をみると、言語能力の高さは営業成績に負の影響があり、誠実性や達成力のほうがポジティブな影響があるという(ただ現代の日本の営業職に当てはまるかは留意)。日本のようにISPで優秀な人を営業に配属するのは非合理的な可能性がある。事務系に配属すれば優秀なのに、営業に配属されて生産性が低くなっている懸念があり、これは会社にとって損失であろう。

 

他にも先行研究や分析の留意点を平易にまとめており、非常に勉強になる。社会人であれば細かい統計用語はさておいて、統計分析の基礎的な概念ぐらいは理解しておくべきである。高学歴のコンサルタント等の立派(に見える)な分析に踊らされないようにこちらも知的な防衛が必要である。そのためにも、本書を強くお勧めする。