6月は仕事が忙しかったので、骨休めに箱根へ。箱根は新宿からロマンスカーで1.5時間でいける気軽な観光地である。もう少なくとも6~7回は来てると思う。前回来たのは1年以上前だが、前回より外国人の人数が増えている気がする。

成川美術館。芦ノ湖畔にあり、天気が良ければ富士山ものぞめる好立地。実は今回が初訪問。日本画を展示している。絵のテーマに情緒的を感じたり、風景もデフォルメされ、絹を絵画に貼っていたり、素材やテーマ・構図等がやはり西洋の画風とは違う。カフェ併設なので絵を見て一息つくのに良い。
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成川美術館からの風景。富士山がみえることもあるが、雲に隠れている。湖の船は遊覧船。

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再現された箱根の関所。資料館も併設。こじんまりとした観光地。

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宿泊は毎度のことながらエクシブ箱根離宮。このロビーの木のオブジェはフォトジェニック。あえて白黒にしてみた。部屋も落ち着いている。

 

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写真はホテルのバーで飲んだチャイナブルー。どこがチャイナ?と思われるかもしれないが、欧州で中国の「青磁器」が流行したことから、青は中国のイメージがあるそう。もう一杯、「シンガポール・スリング」を飲んだが、こちらはシンガポールのラッフルズホテルのバーテンダーが考案したカクテルらしい。

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箱根をドライブしているとまだアジサイが咲いている!青々して美しい。ポーラ美術館の前で撮影。

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ポーラ美術館では、「ピカソとシャガール展」をやっていた。最後に撮影可能エリアがあったので、気に入った作品を撮影。モディリアーニは、このデフォルメされた人物画が特徴。何やら内面をも描きとるような人物画は本当に魅力的。もう一つはモネ。水面に浮かぶ睡蓮が美しい。橋がかかっているが、日本の太鼓橋がモデルらしい。

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マスコミはほとんど報道しないが、蓮舫氏の昨日の国籍に関する説明・資料は疑問点が多いとネット上で次々に指摘が入っている。

 

まず、蓮舫氏は台湾のパスポートが1984年に失効したと主張しているが、台湾の国籍喪失にはその時点で有効なパスポートが必要であるから、国籍喪失手続の2016年まではパスポートを更新していた可能性があり、蓮舫氏の主張は嘘の可能性が高い。

 

台湾内政部長の国籍喪失許可証に掲載の蓮舫氏の顔写真だが、正面の写真しか受理されないはずなのに、選挙用のななめ向きの写真が使用されている。フォント・字の位置の相違、透かしが薄い、民国紀元以外に西暦が記載されるなど、書式が明らかにおかしいと指摘されている。国籍喪失許可証はなぜか日本語で作成され、印も押されていなければ、住所の記載も記載もない。こんなものはワードで誰でも作成できてしまう。おまけに、10月17日に審査が完了したはずであるのに、国籍喪失許可証の日付は9月13日であり、過去に遡って発行したことになり、時系列がおかしいことになっている。台湾側が忖度して、9月26日付の目黒区の「不受理証明」と帳尻をあわせるため、超法規的に蓮舫氏にとって都合の良い日付にした可能性はあるが、そうだとしても書式の相違は説明できない。もともと会見の1週間前は国籍離脱の申請書を出すと言っていたが、申請書では実際に離脱したかどうか分からないと、批判されていた(学歴詐称して卒業証書ではなくて受験票を示すようなもの)。そうしたら会見日には、こうした不思議な国籍喪失許可証が登場した。これらからするに、蓮舫氏は本件を終息させるために、国籍離脱に関する書類を偽造した可能性がある。文書偽造は懲役刑もある重大な犯罪である。なぜこの疑惑をマスコミは報道しないのか。

 

あと、疑問なのだが、蓮舫氏の1984年に失効しているパスポートをみると、「中華民国駐韓大使館(京)EMBASSY OF THE REPUBLIC OF CHINA IN SEOUL」の印が押してある。通常は日本の「台北駐日経済文化代表処」にて発行を行う。蓮舫氏は、北京大への留学を除き、小・中・高・大は日本の学校に通っていたのに、なぜわざわざ韓国・ソウルにある大使館で発行しているのだろうか。何らかの事情があるなら教えてほしい。

 

閣僚も経験し、現在公党の代表を務める国会議員が、こんなデタラメなことをして許されるのか。そして、マスコミはなぜこの疑惑を報道しないのか。民進党はこの蓮舫代表と心中する気だろうか。正気の沙汰ではない。

民進党の蓮舫代表は18日夕、党本部で記者会見を行い、台湾籍と日本国籍との「二重国籍」問題をめぐり、日本国籍の選択宣言をしたことを証明するため戸籍謄本の一部など関係書類を公開した。「台湾籍を有していないことが分かる資料だ」と強調した。-- 産経ニュース

 

蓮舫氏が戸籍を公開した。日本国籍選択を宣言した日として「2016年10月7日」と明記されているので、蓮舫氏が選挙公報で1985年に帰化したとの記述は誤りであることが判明した。帰化には、重国籍防止条件があるため、帰化したとの記述は、台湾籍の放棄を含意している。実際には、2016年までは重国籍だったわけだから、虚偽事項公表罪に抵触する可能性がきわめて高い。マスコミは全然報道しないが虚偽事項公表罪は禁固刑もある重大な罪で、学歴詐称で最高裁で有罪が確定した元参議院議員もいる。経歴の詐称でこんなに刑罰が重いのかという人もいるが、国会議員は不逮捕特権や免責特権を持ち、国会議員は国民生活に重大な影響がある立法府に所属する故に、それだけ公平な選挙が要請されているのだ。

 

マスコミは、戸籍の公開を「差別だ」「多様化する社会に逆行する」と報道するが、平和ボケもここまで来ると病気だ。蓮舫氏は閣僚も歴任し、現在は公党の代表であり、公人中の公人である。蓮舫氏の歳費は日本国民の血税であり、選挙不正について明確な説明を求めるのは当然のことである。おまけに争点は蓮舫氏の虚偽事項の公表であり、差別だ云々等と論点をすり替えるのは、故意なのか、単にマスコミが馬鹿なのか。今後の立法論として論じるならともかく、現行法上は許されない。

 

蓮舫氏の場合、閣僚をつとめていた時期も重国籍であり、国家機密を知り得る立場にいる者が国籍について疎かったでは許されないし、ましてや民主党政権時代に蓮舫氏が首相になっていたら、自衛隊の最高指揮監督権を、外国籍を持つものが握っていた危険性もあるわけだから「知りませんでした」では済まされない。海外でもインドネシアでは大臣が二重国籍で解任、台湾では国会議員が二重国籍で辞職、オーストラリアでも二重国籍を理由に2名が上院議員を辞職している。国会議員の国籍問題はそれだけ肝要な問題だ。

 

マスコミは蓮舫氏のこの違法性のある問題を取り上げずに(取り上げても差別などと論点をすり替える)、印象論で自民党バッシングを繰り返しているが、こんな偏向報道が許されるのか。加計学園問題にいたっては、当事者の会見内容をみれば、ただの民進党やマスコミのつくりあげたフェイクニュースだ。シルバー世代はネットを使えないので、マスコミの報道内容を信じるが、マスコミに世論誘導されるシルバー民主主義では日本は滅茶苦茶になってしまう。

 

 

教育経済学・医療経済学の研究者が、原因と結果の関係を分析する統計手法を分かりやすく解説した本である。著者の一人、中室慶大教授は、「『学力』の経済学」で有名だろう。ビッグデータが数年前から流行っているが、これの分析手法をろくに習得しないままにデータを濫用しているケースは多い。東洋経済やプレジデントのビジネス誌などの独自記事のデータの使い方は滅茶苦茶で読むに堪えないものが多い。

 

原因と結果で重要なのは、因果関係と相関性の識別である。因果関係とは原因と結果であるが、相関性は2つのことがらに関係はあるが原因と結果の関係にないものをいう。「気温が高いと、アイスクリームの販売量が増える」のは因果関係である。一方で、「ニコラス・ケイジの映画出演本数と溺死者数」に相関性があるが、もちろんただの偶然なので因果関係ではなくただの相関性である。ただの相関なのか、それとも因果関係があるのか。この識別のために計量経済学者は熱心に分析を行う。本書で扱う手法は、次の4つである。

 

①差の差分析

政策の実施の前後で比較すれば、政策の効果がわかると考える人がいるが、NOである。政策の効果なのか、時間経過によるトレンドによる変化なのかの識別がつかない。そこで用いるのは差の差分析である。「A」のグループと、「B」のグループを用意し、政策実施後の「A」と「B」にどれだけの変化があったのかを求める(「政策前A-政策後A=Aの変化」、「政策前B-政策後B=Bの変化」)。さらに、Aの変化からBの変化をひいたものを、政策の効果と考えるのだ。

これを用いた分析によると「保育所定員率」と「母親の就業率」の間には、因果関係がないという。これまで専業主婦だった人は、保育所の定員が増えようと就業しないのだという。アメリカの調査では、非行に走ったらこんな目にあうぞと脅かす教育法(スケアード・ストレート)について検証したら、逆にその教育を受けた方の犯罪率が上がったという。

 

②操作変数法

広告を出せば売り上げが上がるのかという問いがある。しかし、広告を出せば売り上げが上がるのか、広告を出すほどに営業熱心なお店だから売り上げが上がるのかの識別はつかない。そういう場合、「結果に直接影響を与えないが、原因に影響を与えることで間接的に結果に影響する」変数を用いる。例えば、広告費の値下げという変数は、広告を出す出さないという原因に影響するが、「売り上げ」には直接の影響はない。このような変数を用いた手法を操作変数法という。

これを用いた研究では、幼少期にテレビを観ていた子供は、小学校入学後の学力が高い傾向があるという。特に移民等にその効果が顕著だったという。テレビは必ずしも有害ともいえないという。

 

③回帰不連続デザイン

回帰分析などは線形モデルであるが、一定のところでデータが断絶された場合、その両サイドのサンプルから因果関係を推定する手法である。例えば、米国のエリート高校の入学試験のスコアは一定基準で落されるが、この場合、この合否の基準点がカットオフ値になる。このカットオフ値以上の学生と、カットオフ値以下の学生のサンプルを用いて、勉強のできる友人に囲まれると本人の学力は上がるのかというピア効果について検証した研究があるが、残念なことに、ピア効果は確認できなかったという。諸説あるが、やはり学力は友人ではなく、本人の能力の問題らしい。

 

④マッチング法

広告と売り上げの関係を検証する場合に、100店舗中、広告している店が70店舗と、広告していない店舗が30店舗があるとする。しかし、単純にこれらは比較できない。広告していない店舗は立地が良いので広告の必要性がないかもしれないし、店長が若いのでITに明るく、ネット広告へのハードルが低いのかもしれない。この場合、似た店舗同士を比較しなければならない。立地の良さや店長の年齢を共変量と呼ぶ。この共変量は多様にあるので、これを1つの得点にすることができる。「プロペンシティ・スコア・マッチング法」という。

このマッチング法の検証によると、偏差値の高いA大学と、そこよりは偏差値の低いB大学があるとして、両方に合格したが、Aに行った学生と、Aを蹴ってBに行った学生を比較したところ、卒業後の賃金に有意な差はないという。(ただマイノリティなどはこの結論は当てはまらない)という。大学進学によって得られる人的ネットワークが賃金に正の効果があるからだという)。プロペンシティ・スコア・マッチング法を用いて、学力スコア・高校の規模・高校の教員の質・親の学歴及び職歴・新聞購読状況などの共変量を用いて検証したが、偏差値高い大学に行ったグループと偏差値の低い大学に行ったグループでは統計的な差がないという。偏差値とはただの基準の1つに過ぎず、将来の収入を約束するものではないという。「どこが最高の大学かではなく、誰にとって最高の大学か」を考えなくてはならないという。

 

とても分かりやすい一冊だった。統計等に興味があればオススメ。よく雑誌や新聞などに出てくる杜撰な調査を見抜く視点を養えるので、教養としてもオススメ。

 

追伸

ただ本書で「逆の因果関係」の説明において、「犯罪が多いから警察官の数が多い」のであって、逆の因果関係(警察官の数が多いから犯罪が多い)はないと書いている。これはそうともいえない。警察の人出が足りないと、それだけ重大犯罪しか取り扱えない一方で、警察官の人数が増えれば、軽微な犯罪も受理するようになるので、統計上のトータルの犯罪は増える可能性は高い。「犯罪の経済学」では、この逆の因果の問題は一つのテーマである。犯罪分析では、警察の受理方針の影響を受ける犯罪は分析に適さないので、「殺人率」などで分析することが多い。犯罪と警察人数の関係において、「逆の因果関係」がないとの説明は不適であろう。

インド映画というと、ボリウッドのイメージが強いだろう。歌って踊って陽気なイメージである。しかし、本作は踊らないし陽気なイメージもさらさらない。インド映画で、ここまで上質な社会派映画が出てくるとは。国際映画市場で、インド映画の存在感は高まるだろう。ベネチア映画祭では2つの賞を受賞している。渋谷ユーロスペースで観てきた。

 

ある下水清掃人の死体が、ムンバイのマンホールの中で発見される。その容疑者として、民謡歌手が逮捕される。彼の扇動的な歌によって、下水清掃人が自殺したというのだ。冤罪なのか、犯罪なのか・・・。この事件の裁判、その当事者たちの私生活を織り交ぜながら、インド社会の複雑性と多様性を描き出す。インド映画とは思えないほど、冷静に丁寧に描写していく。

 

インド社会の多様性としてまず描かれるのは言語だ。裁判中、弁護士が「ヒンドゥー語か英語で話してください」と言うシーンがある。インドは21の言語が公認されているため、言葉を選ばないと会話が成立しないのだ。そして、もう一つは宗教。裁判中に、特定の宗派を批判するとして発禁になっている本の話題が出るが、弁護士は「正統な批判の本」として擁護する。そんな弁護士はある日、レストランから出たところ、その宗派の人に襲われてしまう。インドはヒンドゥー教徒が8割を占めるが、その内部は複雑なのだ。そして明確には出てこないがカーストの問題だ。下水清掃人は低カーストなので貧困エリアに住む。一方で、弁護士は、広々とした綺麗な部屋に住んでいる。カーストは現在は公的にはないとはいえ、居住エリア、着る服などからカーストが推知できてしまい、その残滓は強く残っている。

 

面白いのは弁護士の視点から描かれるインドだ。彼は非常にインテリで進歩的に描かれる。しかし、彼の親は裕福なものの保守的で、結婚しないのかと口うるさい。弁護士はショパンのワルツのBGMの流れる洒落たスーパーで買い物をし、これまたショパンを聴きながらスパでリラックスし、夜はバーにでかける。法廷では昔の法律を持ち出されると「植民地時代の法律だ、いまの法律に基づくべきだ」と声を荒らげる。これがインドの上流家庭のインテリの若者であるが、周囲から浮いている感じが否めない。

 

一方で、検察官の女性は大昔の法律まで引っ張り出して裁判をさっさと片づけたがる。彼女は一見すると上流の知識階級にみえるが、家庭に戻れば子供の送り迎えをして、夫が手伝わないなかで家事をこなし、夜は仕事をこなす。古い社会から脱皮できていないのだ。

 

裁判官は裁判を公平に進めようとし、進歩的な弁護士の意見にも好意的にみえ、彼自身も進歩的にみえる。しかし、最後、裁判所が1か月の休暇に入ると、彼は一族で休暇に出かけるが、そこで話される内容はとても古風だ。子供の緘黙症について聞くと「療法士に頼らずに、名前をかえなさい」「ある宝石を中指につけると効果がある」などと非科学的なことを口にする。

 

複雑で多様なインド社会を律する法律。植民地時代の「英国法」の影響も強く、裁判でも英国法典の名前が出てくる。しかし、社会には法律が不可欠だが、インドではこの法律とは社会から遊離しているようにもみえる。裁判とは、真面目ぶって行う”知的なお遊戯会”に過ぎないのではないかと考えさせられる。裁判を通してインド社会の複雑性と多様性を見事に切り取った監督の手腕は見事だ。撮影時は27歳だったらしいが、これからの活躍に期待である。

 

それにしても大学2年のときにインドにいったので、なんとなく当時を思い出して懐かしい気分にさせられた。大学の同期が一人インドにいるので「おいで」というので、また訪問してみようかなぁ。