こちらにきてから教会の無料のESLに週に4日ほど通っており、キリスト教への関心が高まっていた。家がキリスト教で、また幼稚園からミッションスクールだったので、プロテスタントについても普通の人よりは知識はあったが、いまいち判然と分からない部分もあった。特にプロテスタントといってもドイツの福音派と、アメリカの原理主義的な福音派は全く性質が異なる。なぜこのような差が生まれたのだろうか。非常に気になっていた。本書はルターの宗教改革から、アメリカ及び東洋の伝播までその概略を鮮やかに描き出している。Amazonのレビューで4.6、また読売・吉野作造賞の受賞が決定したらしい。本書を読んで、様々な疑問が解消され、プロテスタントの大まかな潮流を理解することができた。
1517年、ルターが贖宥状に関する「95か条の論題」を教会の扉に打ち付けたことで、贖宥状に関する議論が噴出。結果的にルター支持者は、カリック教会と分離し、西ヨーロッパのキリスト教は2つに分裂することになった。ドイツは諸外国に先駆けて信教の自由を保障し、フランス革命よりも先に近代社会を準備したのだ。
こうした説明がなされることがあるが、これは幾重にも間違っているという。まず、ルターは「95か条の論題」を張り出していない。単に知人に送っただけだ。小さいグループで議論して修正したり、そもそもその論題を発表するのをやめるのか決める予定だった。しかし、それが当時の活版技術のおかげで複製され、知人に共有されていき、たった2週間でドイツ全土に広がってしまったということが実際らしい。別にルターは新しい教会をつくる予定もなく、単純に教会を改革したかっただけなのだ。結局、ルターは異端審問にまでかけられるので、ルターとしては本意ではなかっただろう。
ドイツはたしかに「アウクスブルクの和議」でルター派を認めた。これを信教の自由を認めたと、意図的に曲解したのは、ドイツ統一の際に政治的に利用されたためだ。実際は、その和議において、領主が宗派を選べることを認めたのであり、個人の信仰を保障したわけではない。また、この和議は、当時オスマントルコの脅威が迫っていたドイツが一致団結のために、信仰の問題で分裂したくなかったので、認められたという政治的な妥協の結果であった。その後、ルターは、和議により、政治・行政制度に組み込まれ、皮肉なことに、カトリック同様に保守化していく - カルヴァニズムも結局長老派としてスコットランドで国教になった。興味深いのは、ルター派のお上思考だ。結局、領主の宗派に従うという志向から、ナチスが登場した時に、ルター派は反抗しなかったが、その理由は、このお上思考にあるという。
プロテスタントは、動詞のプロテスト(抵抗する)からきている。しかし、これはカトリック側からみた場合の呼称であり、文句言う人・不平不満を言う人という蔑称に近い。「福音主義」と名乗る場合も多いが、プロテスタントが福音的であれば、カトリックはなんなのか。そこで、カトリックはプロテスタントを用いているが、プロテスタント自身は積極的にその語を使用しない。
それにしても贖宥状はカトリックが金儲けのために発行したとあるが、発行のいきさつは金儲けではないようだ。キリスト教では、洗礼を受ければ、それまでの罪は帳消しになる。だから、死の直前に洗礼を受ければ天国に行ける。しかし、洗礼を受けずに死んだ場合、地獄行きだ。当時は、乳幼児死亡率が高かったために、我が子を地獄に落さないように、生まれたらさっさと赤ちゃんに洗礼を授けていた。しかし、洗礼を受けた後も、人間は罪を犯す。じゃ、この罪はどのように償われるのか?そこで司祭に懺悔することで罪は赦されるとした。しかし、日曜日に教会にいって、罪を犯して水曜日に死んだらどうなるのか?毎日教会に通うのは無理だ。そこで、聖職者が肩代わりして罪を償うという制度がつくられる。つまり、聖職者が代理して罪を償ってくれ、その証明書が「贖宥状」なのだ。これはゲルマン法的な考えだという。ゲルマン法では損害を与えたらそれは賠償すべきであるが、その賠償は代理弁済も認められる。つまり、宗教的な罪は、神への損害であり、それを聖職者が代理弁済してくれるという、非常に合理的な制度であるのだ - ゆえに「免罪符」という語は適切ではない。だから、カトリックが金儲けのために発行したものだというのは単純な理解だ - 発行のいきさつはどうであり、その後、金儲けに転換されたが。
しかし、ルター派やカルヴァン派も体制に取り入れられ保守化していく。そうすると、”改革の改革”を行う人々が登場する。例えば、幼児洗礼の否定である。バプテスト派は、言葉もわからないままに受けた洗礼は無効であり、成人後に洗礼を受けるべきだと考える。アルザスでは厳格な宗教的訓練を志向してアーミッシュが誕生する。トレルチによると、ルター・カルヴァンのグループと、その後に誕生した”改革の改革”のグループはかなり異なる性格を持つという。前者を「古プロテスタント」、後者を「新プロテスタント」と呼ぼう。
古プロテスタントにおいては、政治・行政からの自立を忌避し、自発的な結社を志向する。古プロテスタントの教会は要は国営であり、牧師も公務員である。教区があり、そこから信者が供給されてくる。一方で、新プロテスタントは自発的な結社で、自主的に教徒を集めなければならないので、企業家精神にも近いものがあり、信者獲得が上手い教会はメガチャーチとなる。
アメリカをつくったのは「新プロテスタント」だ。アメリカに渡ったのはピューリタンだが、キリスト教の純化・潔癖(ピュア)を求めたので、ピューリタンという。ピューリタンといっても、長老派・会衆派・バプテスト・クェーカーまで様々なグループがあるが、共通項は、政治的支配者からの自立である。そして、このピューリタニズムこそがアメリカに通底する思想になったのだ。アメリカが、民営化・自由化を志向するのは宗教的な素地があるのだ。アメリカにおいて一流大の多くは私立大であり、多くはピューリタンによって創立されているが、まさに国家よりも民間という思考を見て取れる。そして、自発的結社である以上、極めて多様な宗派が誕生することになる。アメリカは自由な国だから宗派がたくさんあるのではなく、自由を求める宗派が建国したからこそ多様なのだ。アメリカで特徴的なのは「ペンテコステ運動」だという。これは聖霊による癒しを実践するグループであり、ゴスペルを熱狂的に歌い、恍惚に踊る - フラッシュライト・ディスコなどでの普及がこうした運動を受け入れやすくしたと指摘されている。
日本のプロテスタントは、アメリカからの宣教師によってもたらされた。しかし、神学についてはドイツに学んだため、体はアメリカ、頭脳はドイツというキメラになった。政府から排除された士族にプロテスタントが多いが、アメリカ・プロテスタントの政府嫌いは居心地が良かったのだろう。日本では国家主義の一方で、アメリカ型の自由な市場を志向する人々も多いが、これは法律・行政制度はドイツから輸入し、思考的にはアメリカの影響を受けているからだろう。日本は混淆型なのだ。大学においても文科省の国立大優遇にも関わらず、私立大が強いのは、混淆型ゆえだろう。
ルターはまさか知人に送った手紙が拡散されて、まさか世界史を動かすとは思っても見なかっただろう。プロテスタントの歴史を平易な語り口で見事に描き出す本書は、プロテスタントの導入本の決定版だ。