前記事でも書いたが(LINK)、検察の定年延長について多くの反感が出ているのは謎が多い。芸能人はコロナで自宅にいるので暇を持て余し、話題にしているのだろうか?専門家すら「タイミングが悪い」としか主張しておらず、法案の中身にはさして言及する様子が無い。一方で、元検事総長らは、今回の改正案に反対する意見書を法務省に提出し、「検察人事に政府が干渉しない慣例が破られる」と主張している。
今回の改正案は、国家公務員の定年延長に伴い、検事総長を除く検察官の定年を63歳から65歳に引き上げることが中心であり、恣意的な人事が行われるという主張がそもそも意味が分からない。定年延長は民間企業を含めて多くが採用する方針であり、おまけに国家公務員が定年延長するのに、検察官だけは延長しないほうがおかしい。人事が云々というが、そもそも検察の任命は現在でも内閣が行っているではないか。そもそも検察は行政権に属し、行政権のトップは内閣総理大臣である。
そもそも検察は国会議員をも捜査して訴追することも可能な強大な権限を有している。もし検察が、捜査権と訴追を濫用した場合、ときの政権を打倒しようとすることも可能である。そんな検察にもし国民の民主的なコントロールがなければ、検察の暴走は止めようがないことになる。
よく政府の恣意的な人事に反対という人がいるが、もし政府に不満があれば主権者である国民が選挙で政権を倒せばいいだけだ。しかし、検察に政府が一切口出しできない場合、選挙がない検察という機関がもし暴走し始めたとしても、国民は止めようがないのである。検察が正義の機関と思っているのであれば、検察のつくってきた数々の冤罪や、過酷な取り調べを少しでもネットで検索したほうがいい。こんな機関が暴走を始めて、国民が止められないなら悪夢でしかない。
時々の政権が検察に口を出すのはおかしいという輩もいるが、米国では州検事は選挙で選ばれる政治的なポストであることをどう考えるのだろうか?強大な権限を持つからこそ国民が監視する必要があるが、日本の制度下において政府が検察人事にすら口を出せないとすれば、もはや検察を民主的にコントロールしえず、ひいては検察の横暴も抑制できない。
だいたい行政権である法務省に属する検察官は準司法的な性格はあるとはいえ「行政官」であり、その任命権及び人事権は内閣・法務大臣が有しているわけである - 法務大臣は検事総長に対して指揮権をも有している。ちなみに、司法権に属する最高裁判事さえ内閣に任命権がある(憲法79条)。検察は司法権に属すると勘違いしている人がいるが、もし検察が司法権に属するならば、司法権に属する検察が起訴して、司法権に属する裁判所が裁くことになり、自分で起訴して自分で裁定するという構図になってしまい、チェック機能が果たせない。
元検察最高幹部らが、法案に反対表明しているが、彼らは別に国民に選ばれたわけでもない行政官であり、現在はただの民間人に過ぎない。彼らの意図は、国民主権をないがしろにし、民主的なコントロールを検察から排除し、検察人事を組織内で独占することで「検察王国」を温存し、検察組織の独善的な既得権益を保護することにある。はっきり言って老害であり、彼らこそ民主主義の根幹を破壊する。左派思想に染まった、世代には引退願いたい。
民主的なコントロールを検察から排除することを良しとしれば、検察の横暴をのさばらせることになり、世界的に悪名高い「人質司法」を容認し、また日常的な過酷な取り調べにおける自白の強要・脅迫など横暴な捜査をもたらす危険性が極めて大きい。こんな検察の定年延長に大騒ぎしていないで、野党はまともなコロナ対策でも提案したらどうか。こんな検察の定年延長が話題になるとは、どこまでも日本は平和である。
=追伸=
黒川検事長は、賭けマージャンであっけなく辞任となった。検察官も人の子であり、賭博は刑法上の犯罪であるが、そんな違法行為にも手を染めるのだ。「障害者郵便制度悪用事件」では村木厚子(厚労局長)を証拠を改ざんして起訴している(検察官3人が有罪)。政権は選挙でひっくりかえせるが、検察は日本では選挙でひっくりかえせない。こんな検察だからこそ民主的コントロールが及ばないと困るのだ。皮肉なことに政権に近いと思われていた黒川検事長は、マスコミとズブズブだった。偏向報道ばっかしてないで、少しはまともな取材をしたらどうか。

