総務省は10日、新型コロナウイルスの感染拡大で収入が減少した世帯に30万円の現金を給付する緊急経済対策について、支給基準を全国一律にすると正式に発表した。単身世帯なら月収が10万円以下に落ち込めば支給するといったルールを設定。地域や職業で支給にばらつきが出かねないことへの批判に対応する。-- 日経新聞

 

安倍内閣のコロナ対策の給付金が迷走している。自民党内部からも批判が相次ぎ、SNSなどでは批判が殺到し、ついに内閣支持率は不支持が支持を上回った(LINK)。アメリカでは、一定の所得以下に対して給付金の支給を行う決定をしており、すでに小切手の支給は開始しているから、日本政府の政策決定の遅さは異常である。ドイツではオンライン申請後に数日で給付金が支払われている。

 

日本では30万の支給を打ち出したものの、支給基準が難解で、かつ世帯の2割にしか支給されないことで批判が殺到し、支給基準の調整が難航を極めている。インパクトを出したくて額を高めに打ち出したのだろうが、逆に支給されない大半の国民の反感を招いている。おまけに打ち出した支給基準は、自民党上層部の老害ぶりを見せつけており、政策決定の遅さと支給基準の時代遅れという点で、国民を失望に陥れている。「アベノミクス」というドーピングが切れ、「アベノマスク」という悪夢が襲ってきた。日本維新の会が支持率を伸ばしており、このまま自民党の政策迷走が続けば、野党の連立で政権交代もあり得る。

 

当初の政府の想定では、世帯主の収入が半減した場合を想定しているが、おそらく自民党上層部(高齢者)の脳内では、家庭といえば、大黒柱(男)と専業主婦(女)がいて、子供が1~2人の家庭が一般的だと思っているのだろう(これは現代社会で増えた「核家族」に過ぎない)。実際は単身世帯が、現在では最多の世帯である。さらに、今日では女性も重要な働き手であり、夫婦共働きで世帯主(主に男)の方が収入変わらずとも、女性の方が失業したら家計に大打撃の場合も大いにあり得る。登録上、旦那が世帯主だが、実際に家計を支えているのは女性という家庭も今回の支給の想定からは漏れている。自民党上層部に巣食う脳内の家庭のイメージは数十年前でストップしている。

 

そもそも所得と学歴や教養の水準は一定の相関性がある。おそらくコロナで収入に打撃を受けている層の学歴水準はかなり低いだろう。今回の現金の支給対象である、主に低収入・低学歴の彼らはニュースをそもそも見ているのだろうか(悪口ではない。事実として低学歴・低所得層はニュースも見ていない人は多い)?ニュースを見ているとして、今回の現金給付の難解な支給対象に基づいて自分で判断できのだろうか?ニュースを見ていて自分が支給対象だと分かったとして、彼らに支給条件の収入の減少を証明する書面を揃えられるのだろうか(どう減収を証明すればいいのだろう)?はっきり言って一流大卒で正社員が当たり前だと思っているような官僚に基準を作らせるのが無理な話なのだ。これでは本当に支援が必要な層に支援は全然いきわたらない。このまま推し進めれば、支給条件について問い合わせが役所に殺到し、また申請書類等の不備対応で役所は大パニックになるだろう。日本の恥部を世界に晒すには絶好の機会だが、公平で迅速に給付するには一律給付しかないのだ。

 

一律給付の場合、給付金は富裕層にも支給されるが、それは確定申告・年末調整で調整すればいい。コロナで収入が激減して明日の生活に支障がある層には、迅速な現金給付が必要であり、出し渋っている場合ではない。そもそも現金給付の有効性の議論もあるが、もう打ち出してしまった以上、国民を分断し、古臭い家族観に基づく、行政コストを増大させるような支給基準を撤廃し、さっさと全国民への一律給付を行うべきだ。

 

【その後】

その後、30万円給付案は撤回された。しかし、公明党に恫喝されるかたちで撤回したことは安倍首相の求心力を低下させる。岸田政調会長は面目丸つぶれだ。政策を混乱させた麻生太郎はそろそろ引退してはどうだろうか。地方では東京都知事、大阪府知事などが株を上げており、地方政界での自民党の求心力低下は止まらない。コロナで社会経済は今後激変するが、政界再編につながるかもしれない。

新型コロナが世界中で拡散している。日本においては、検査数が少ないこともあるのかもしれないが、爆発的な感染には至っていない。日本は「BCG接種」で免疫があるという説もあるが、まだ学術的な研究は蓄積していない。

 

コロナ関連の対策・政策では各界の専門家が喧々囂々議論しているが、収斂しない。公衆衛生・感染症の観点では、強制力を伴う自粛が当然良いだろうが、私権を広範に制限できる法律は日本にない。なぜ、ないかといえば、明治憲法下において広範に私権の制限が行われていたことの反省で、法学者を筆頭に、私権の制限にアレルギーを持っているからだ。自粛と補償は一体であり、政府が強制自粛をしないのは補償したくないからだという人がいるが、私権の制限というセンシティブなテーマに踏み込みたくないのも理由だろう(政府としては金をばら撒いて支持を集める絶好のチャンスを棒に振る理由があるのだろうか)。そこらへんの議論を棚上げして、政権批判することは本質的ではない。

 

各界の学者は、自己のフィールドにおいては専門家であるが、結局、各分野を架橋できる人材がいないので、話を統合し政策に反映できない。リベラルアーツが重要というのは、逆説的に専門性が高まる今日だからこそ必要なのだ。薄く広く、かつ専門性を2~3持つという意味である。政治家のカンペを書いている官僚は筆記試験の秀才集団だが、自分の所属する省庁に利害に左右されてしまうし、民間経験がないので頓珍漢な政策となってしまう。東大卒の新米官僚をハンコ1つのために駆け回らせている官僚組織が、民間に対してテレワークの推奨を行うなど笑止千万であろう。コロナの影響のを受けた中小企業のために助成金等は拡充しているが、結局、助成金申請のために謄本を取りにいって法務局が大混雑しているというお笑いな状況だ。

 

安倍首相が打ち出した給付金は郵送・Web申請で行うというが具体的なところは固まっておらず、給付基準も複雑で、給付対象なのか分からない人や、申請方法が分からない人が役所に電話をかけて回線はパンクするだろう。対応のために公務員は出勤せざるを得ず、クラスター感染の危険度は高まる。だからこそ、一律給付が必要なのだ。ここらへんの想像力は、エリート官僚にはない。

 

一方、コロナは社会変革の影響がある。1つはテレワーク・在宅勤務だ。特にミドルバックオフィスは、ネット環境・端末等さえ整えば、出勤の必要性が乏しい。出勤することが正義という企業文化を廃絶する気運につながるかもしれない。正直、ずっと在宅勤務はコミュニケーション等の問題で辛いが、週1~2日であれば通勤の肉体疲労がないのでかなり楽になる。テレワークが広がれば職住近接の必要性が薄れるので、郊外の不動産の人気が高まるかもしれない。

 

おそらくテレワーク・在宅勤務でパニックになっているのが、契約書の捺印等の処理である。日本はハンコ文化なので、これが原因で出勤を強いられている人も多いだろう。すでに電子捺印のサービスがあるのだからこれを活用すればいい。今後、電子捺印は広がるだろう。

 

電子捺印のみならず、行政系の申請もオンラインにすればいい。謄本も紙で取得する意味はあるのだろう?原本性はないが、電子謄本でも十分だ。お年寄りはオンライン申請が出来ないという人もいるが、お年寄りやネット環境が無い人は役所で申請し、オンライン申請できる人はオンライン申請すればいい。小国だがエストニアは電子政府となって行政手続きはほとんどオンラインで出来る。日本で進まないのは、既存の公務員の雇用確保だろうが、そんなことではますます日本は遅れる。

 

だいたいIT政策担当の竹内大臣(78歳)は、自身のHPが落ちていたのに原因不明で失笑を買い、サイバーセキュリティ担当大臣だった桜田議員は、USBが何かすら分からずに海外でも報道された。台湾のIT担当大臣の唐鳳は、シリコンバレーで起業し、アップルやMSでも要職を務め、今回のコロナ対策でも実力をいかんなく発揮した。IT後進国の日本との差が歴然としている。社会を停滞させる老害議員はとっとと引退願いたい。

 

また、スペイン・イギリスでもベーシックインカムが検討されている。AI・ロボット化で単純作業が奪われている中で、一部の富裕層に富が集中している。ピケティがこれを実証して話題になったが、この傾向は強まるだろう。18世紀のように貴族と庶民の格差が激しい社会に後戻りしないためにはベーシックインカムが必要かもしれない。当然、ベーシックインカムの有効性を否定する意見もあるが、検討の余地はある。

 

日本の出勤を正義とする労働倫理、ハンコ文化の呪縛、IT化の遅滞など、日本の労働生産性を落す要因を、コロナが改善する気運へとつながるやもしれない。海外ではコロナを「ブーマー・リムーバー」と揶揄しているらしい。年配の方が重篤化しやすいので、年配のベビーブーム世代を社会からリムーブ(取り除く)というブラックな意味だが、旧態依然として社会をアップデートするきっかけになるやもしれない。その視点では、コロナの影響が広がった方がいいかもしれない。

 

 

 

在宅勤務のため、非常にフリーの時間が増えた。積んであった本を少しずつ処理し、中途半端にみていた海外ドラマも観ている。

 

そんな中、本日、ようやく十二国記の最新作「白銀の墟 玄の月」を読了した。十二国記は、小野不由美の小説シリーズで、中国風のパラレルワールドを舞台にしたファンタジー小説である。そのパラレルワールドには12の国があり、12人の王が治め、その王は天命を受けた神獣の麒麟が選ぶという設定だ。その他の社会設定諸々は古代中国っぽい。十二国記のはしりは1991年出版の「魔性の子」というホラー小説で、これが発端となり異世界を舞台とした「十二国記」が生まれた。累計1000万部売れているからベストセラー小説だ。最新作の「白銀の墟 玄の月」は前作から18年ぶりの出版でファンの間ではかなり期待値が高かった。

 

 

 

ただ、「白銀の墟 玄の月」は全4巻なのであるが、個人的な感想としては、ちょっと冗長な印象で、途中で飽きる。長い割に結構細かい描写が多く展開が遅く、さほど重要もない登場人物が出てきたりするが、もう少し簡潔に、上下巻ぐらいにまとめても良かったのではないかと思う。とはいえ、長年の疑問だった泰麒の話に一区切りついて非常に感慨深い。

 

最初の「魔性の子」は、泰の麒麒である泰麒の物語であるが、本作はついに泰麒の帰還の話であり、おそらく本作で長編は終わりだろうと言われている。出てきていない国の話もあるが、著者曰くそもそも全部の国を描くつもりはないらしい。ただ今年中に短編集が出るらしいから今から待ちきれない。

 

 

 

 

小田部雄次の「皇族」を読了。小田部氏の本では「華族」(LINK)を読んだことがあるが、本書も非常に精緻な調査に基づく一冊で読みごたえがあった。分厚いが分かりやすい語り口でさらりと読める。戦前は天皇大権により皇族は畏れ多い存在であったが、戦後に民間から天皇家に嫁ぐことが増加し、また皇族が民間に嫁ぐようになり、親しみやすくなっていった。しかし、一方で、皇族への畏怖は薄れ、週刊誌的なバッシングを受けるようになったのも事実である。ここで皇族といってもどこまでを皇族とみなすかは一義的ではなく時代によって異なる。天皇から血が遠い者を皇族といわれてもその数は膨大になり、皇族の価値が希薄化してしまう。近代においても皇族から臣籍降下され華族なったもの(戦後に華族制廃止で民間人に)、戦後に皇族離脱し民間人になったものもいる。

 

明治期に近代国家化の中で、皇族は法令により明確になり、その後、軍国主義化の中で軍人皇族も増えていった。ハワイ王室は、日本に救援を求めていたことは知っていたが(カラカウア王は日本主導によるアジア連邦を夢想していた)、山階宮定麿親王との政略結婚の話があったことは初耳だった。ハワイは観光地として有名でアメリカの州であるが、日本のつながりは昔から深いのだ。

 

その後、GHQの改革で11宮家は皇籍を離脱させられるが、全員が伏見宮家(持明院統嫡流で北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王を初代とする宮家)の子孫である。さすがに血筋として遠いことが理由だったようである。皇籍離脱により、皇族費が停止されたことで困窮した旧皇族の苦難は察するに余りある。天皇と藩屏として特権的地位からただの庶民に転落したのだ。彼らは宮様商売に励むもの、事件に巻き込まれるもの、晩年離婚するものなど、子がおらず断絶するものなど様々な戦後を辿った。ちなみに、政治評論家・文筆家の竹田恒泰は、竹田宮家の子孫で、明治天皇の玄孫にあたる - 彼の言動を見るとやはり血統より育ちだと思い知らされる。

 

皇室は、戦後に一般市民と接近し、「開かれた皇室」となったが、それにより皇室はバッシングや風説の的になってしまった。しかし、一方で皇室を崇敬の対象としようとする復古主義的な動きは現代社会にそぐわず反感だけが生まれるだろう。もはや皇室は前近代的な遺物なのだろうか?それとも日本国を日本たらしめる重要な要素なのだろうか。天皇は日本国民の統合を象徴する無意味な記号だが、功利的に考えれば世界に26しかない皇室・王室は、外交においても重要な意味を持つのは明白だ。

 

皇族の血統を継げる若手皇族はいまや悠仁様のみである。愛子様を想定し、女性天皇を認める世論は強いが、大半の人は女系天皇との区別すらついていない。女系を認めた場合、欧州のように王室の乗っ取りが起こりかねない。もし悠仁様が結婚しない、結婚しても子供がいない場合は皇統は断絶する。世界最長の皇室を今後いかにするのか岐路にあるが、議論は煮詰まっていない。あまりにも日本は皇室に対して無知過ぎるし、危機感もない。正直、皇室を廃止して経済的にネガティブな影響はないかもしれないが、政治的に日本の一体性を保てるのかは謎だ。空虚な記号が実は重要だったりする場合もあるのだ。

六本木ヒルズに入っている「森美術館」で開催中の「未来と芸術展」へ行ってきた。テクノロジーの発達により都市も建築も芸術も、ひいては人間社会・人間のあり方さえも変容しつつある。本展は、「都市の新たな可能性」、「ネオ・メタボリズム建築へ」、「ライフスタイルとデザインの革新」、「身体の拡張と倫理」、「変容する社会と人間」の5つのセクションで構成し、テクノロジーがもたらす未来の諸相を描き出している。
 

中国の新しい建築のモデル。山水画をイメージしており、自然の一部として建築を捉え、自然と人工物を相対するものとみなすのではなく、自然と人工物の融和を象徴した建築モデルである。従来こうした建築物は建設困難であったが、3Dプリンターによって建築の自由度が上昇している。あと100年かかると言われたサグラダファミリアがあと6~7年で完成すると言われているが、技術発展の賜物である。

 

 

技術的に水上都市は可能と言われているが、今後、空中都市もあり得るかもしれない。そうした未来のビジョンを示すのが本レイアウトである。

 

 

メディアによって描き出された未来の都市の在り方。過去に未来都市をどう描いたのかの変遷が分かる。

 

 

シンガポールに実際にあるビルである。ビルの外壁を緑化することで自然と一体化したビルとなっている。緑は成長していきビル自体の外観をも変容させていく。かつて黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦などは「メタボリズム」という建築運動を起こした。これは建築を静的な機械とみなすのではなく、生物が新陳代謝するように有機的に建築や都市を捉えようとする試みである。彼らの見識は当時の技術では実現困難だったが、技術の発展により彼らのビジョンは再度実現しつつある。昨今、世界中に増えている柔軟に新陳代謝する有機的な都市・建築のあり方は「ネオ・メタボリズム」といえよう。

 

 

サイエンスとアートが融合することにより、芸術家のアトリエはもはや科学の実験室のようになっている。

 

ゴッホは晩年に耳を切り落とした。そのゴッホの耳を、ゴッホの子孫の遺伝子から復元したものが本展示だ。これは生きた細胞を使った現代の「彫刻」である。テクノロジーの進歩により、アートに用いられる素材・表現手段も多様化している。。

 

 

トルコ南東部にあるギョべクリ・テペ遺跡の建造物に刻まれた図像や情報がAIによって解析され抽象的な映像に変換されている。どこか、キューブリック監督「 2001年宇宙の旅」に出てくる「モノリス」を彷彿とさせる。

 

100点にも及ぶ展示はどれも非常に興味深く、テクノロジーの進歩によって世界はどうなっていくのだろうか、人間のあり方はどう変わるのだろうかということを考えるきっかけになった。正直、個人的に思うに、劇的には変わらないと思う。未来も現代の延長上でしかないのだ。AIが人類を支配する「ディストピア」を思い描く人もいるが、血の通った生きた細胞から人間と、二進法でしか認識できないAIでは全く情報の処理が異なる。本展でも展示されているが手塚治虫の「火の鳥」がいうように「ロボットではだめなのよ。血の通った人間なのよ。」。人間社会をつくり発展するのは、血の通った人間でしかありえない。AIはただの補助ツールだ。