イギリス議会の上院(貴族院)は10日、世襲貴族の議員を廃止する法案を可決した。これによって、世襲貴族が自動的に議員を務めるという数百年前からの伝統が終わることになる。上院の世襲貴族議員を全員廃止する政府案については、根強い反対もあったが、政府が妥協案を提示した結果、上院は「上院(世襲貴族)法案」を可決した。貴族の位を世襲で相続した人が自動的に上院議員を務める制度は、1999年に当時の労働党政権が大幅に改革し、世襲貴族の議席のほとんどが廃止されていた。残っていた世襲貴族議員92人の議席が、今回の法律で廃止される。― BBC

 

英国では、世襲貴族が、国会の上院(貴族院)で世襲で議席を有しているというと驚くかもしれないが、現時点では世襲で議席を有している。もともと貴族院では、英国国教会(聖公会)の高位聖職者と、世襲貴族(男性)のみが議員になれたが、1958年に保守党首相ハロルド・マクミラン(ストックトン伯爵)により一代貴族法が制定され、男女問わず一代に限り貴族院議員に登用できるようになった。例えば、元英国首相のマーガレット・サッチャーも首相退任後に女男爵となり貴族院議員になり、ボリス・ジョンソン元英国首相の弟もジョー・ジョンソン男爵(一代貴族)として貴族院議員であり、デーヴィッド・キャメロン元英国首相も政界復帰の際に男爵(一代貴族)になり貴族院議員となっている。

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労働党の躍進等もあり、20世紀初頭から改革が叫ばれていたが、大きく動いたのはブレア政権(労働党)下であり、1999年の貴族院法で世襲貴族の議席を大幅制限したことで、身分制議会から任命制議会の色が強くなった。また、専門性がある人を一代貴族として貴族院議員とするため専門性が確保されるようになった。その後、貴族院改革は停滞していたが、今回、スターマー政権(労働党)が世襲貴族議員の全廃法案を提出し可決したことで、世襲の貴族議員は消滅することなった。そもそも、貴族院は定員すらなく、貴族院議員は829名であるのに、英国国民が直接選出した下院議員数は650人しかいないことを考えると、国民の意見を国政に反映させるという観点でみれば、異様な規模だった。これが長らく改革されてこなかったというのが驚きである。

 

日本の感覚だと、世襲というと、親から地盤を引き継いで当選する世襲議員を想像するが、これは選挙によって選ばれているので、英国の世襲貴族が貴族院に自動的に議席を有することとはわけが違う。日本では敗戦し、GHQの改革で財閥は解体され、華族制も廃止され、莫大な相続税を課されたことで上流階級は崩壊した。結果、日本の歴史に名を刻んだ五摂家・大大名家・財閥家などの名家も、表立って名を聞く機会は少ない。一方、英国は世界大戦を二度潜り抜け、世襲貴族制を維持している稀有な国であり、上流階級が歴然と存在している。ユーラシア大陸の隅っこにある島国同士ではあるが、日本は総中流社会として発展したので、対比的である。

 

さて、英国の話に戻るが、貴族院に世襲貴族がいないのだとすると、すべての議員が一代貴族ということとなる。そうなると、一代貴族に任命し、貴族院議員とする必要性があるのだろうか。貴族に任命して貴族院議員とならずに、平民として上院議員のようなかたちで職務にあたればいいだけだろう。今回の改革が貴族院の性質にどのような影響を与えるのか、今後の動向が気になるところである。

 

余談だが、今回、世襲貴族としての議席を喪失する貴族院議員には、歴史上に名を刻んだ人物の子孫も多い。例えば、第9代ウェリントン公爵チャールズ・ウェルズリー卿がいる。初代ウェリントン公爵は、1815年のワーテルローの戦いにおいて、ナポレオンを打ち破った軍人として著名である。第9代ウェリントン公爵夫人であるプリンセス・アントニアの両親は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の孫であるプロシアのフレデリック王子と、第2代アイヴァーン伯爵令嬢のブリジッド・ギネス令嬢(ギネスビールで有名なあのギネス家である)である。

 

他にも、第7代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル卿も世襲貴族としての議席を失う。第3代ソールズベリー侯爵は、三度にわたり英国首相を歴任したが、ボーア戦争をはじめとする帝国主義外交を行った。日本とは日英同盟を締結した首相としても知られている。セシルというと、国際連盟創立者の一人でノーベル平和賞を受賞したロバート・セシル(初代セシル・オブ・チェルウッド子爵)を知っている人もいるかもしれないが、第3代ソールズベリー侯爵の三男にあたる。

 

英国を知るには貴族の知識は必須だが、日本では貴族制への理解が恐ろしく乏しい。今回の英国貴族院改革もほとんど取り上げられていないのは残念なことだ。なお、英国貴族の基礎知識であれば、次の新書を推奨したい。

 

 

ドナルド・E・ウェストレイクの小説「斧」を原作とした作品。名匠コスタ=ガブラスが先に同原作を映画化していたのだが、韓国の鬼才パク・チャヌク監督がリブートを熱望し本作が誕生。

韓国社会における男性へのプレッシャーなどを下地にしつつ、グローバル化・AI・機械化等で奪われていき、仕事を奪われる人々を起点として物語が動き出していく。笑えないのに笑ってしまうブラックユーモアあふれる展開が魅力。シュールな笑いが好きな人には強くおすすめしたい。

(以下、一部ネタバレ有)
結局、真実を話すのが正しいとしても、その選択がしあわせとは限らない。しあわせのためなら目をつむるべきだろうか?人生とは選択の連続だ。妻と息子は現実的な選択をするが、しあわせな現実な一方で倫理的には正しいのだろうか?こうした俗っぽい2人と対比すると、娘は無垢で純粋だ。娘は音楽の才能があるが、こうした汚い現実を浄化する存在として、音楽・芸術がおかれていたように思う。

最後、主人公はイヤホンで耳を塞ぎ、機械化された工場で働く。人の意見など聞いていられないのだ。そして、伐採される木々の映像が流れながらエンディングとなるが、この伐採される木々は、労働者のメタファーだろう。

楽曲の使い方も印象的で、3人の取っ組み合いで流れるチョー・ヨンピルの「赤とんぼ」はすごい良かった(「パラサイト 半地下の家族」での家政婦と家族との取っ組み合いをほうふつとさせる)。ノリノリの音楽に身を任せながら崩壊していく倫理観がたまらない。

ただこんなに面白い設定と素晴らしい俳優陣なのに、なぜかテンポの悪さと、まとまりが若干悪い感じがしたのが惜しまれる。ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」のように注目されるべき作品になったと思うのだが、どこか惜しい。パク・チャヌク監督作品は、凄い面白い設定と演出なのに、どこか余計なことをしてバランスを崩している作品が多いように思う。本作もずば抜けて面白かった、素晴らしかったと言い切れないのが悔しい。こんなに良い作品なのに!

 

★ 3.8 / 5.0

 

大好きなミュージカルの「ウィキッド」の映画版。二部構成で、前作の公開から約1年、ようやく本作で完結。アカデミー賞もノミネートゼロで、前編のほうの出来が良かったという声が多いのだが、たしかに納得。各シーンは素晴らしいし、感動もしたのだが。。

ミュージカル版だと2時間半ほどの作品だが、本作は前編・後編をあわせると5時間になっており、特に後編はストーリー展開があまりなく間延びしている感じがする。いっそのこと1本の長編として描いた方がよかった。二部に分けることで、一気に観た時の感情の高揚感も減ってしまう。

映画版では細部まで丁寧に描いているのであるが、さすがにテンポが悪いし、観客が想像する余地を奪ってしまう。また、楽曲は良いものの、前作と比べてしまうと、見せ場となる楽曲シーンも本作は限定的である。

前作よりも「オズの魔法使い」のストーリーに絡んでくるので、「オズの魔法使い」を知らないと何のことを言っているのか分からないシーンが多くあるので、映画版「オズの魔法使い」は予習で観ておくことを推奨したい。

本当に良い作品ではあるのだが、求めていた期待値からすると、少々腰砕け感が否めなかった。もし二部作ではなく、3時間半ぐらいにまとまっていたらものすごい名作だったのではないかと思う。

 

★ 3.8 / 5.0

 

 

1940年代、戦後の混乱期にある上海のある洋館を舞台に、一癖ある映画業界人が集められる。一晩で殺人事件の映画脚本の完成を求められるのだが、なんと事件の真犯人も同席。事件の真相を明かして脚本に落とし込もうとする中で徐々に衝撃の事実が明らかになっていく・・・。

よくある洋館を舞台にした謎解きサスペンスかと思いきや、最初のほうはコミカルなタッチ。中盤は当時のシックな上海の劇場を想起させるダンスシーンがあったりするのだが、後半の謎解きから衝撃の真相が明らかになり、さらにもう一段オチが来る展開で、かなり面白かった。

なかなか事件の真相がえげつないのだが、エプスタイン事件を彷彿とさせる。2021年の中国の作品が、いまさら日本で劇場公開ということで、その話題性にのっかったのかなと思う。しかし、韓国ノワールほど、残忍でもなく、絶望のまま終結しないのが救いである(中国では政府の意向もあり、道徳的・倫理的な節度とラストが用意されている)。

洋館を舞台にした謎解きというとよくある話だが、これを社会問題も絡めた展開にするとは恐れ入る。中国では大ヒットしたそうだが、さすが面白かった。

 

★ 4.0/ 5.0

 

 

観ながら「あれ、こんな話だっけ?」と思い、映画を観終わってあらすじを再度読んだのだが、だいぶ改変されている。というか、後半部分は全カット。主人公キャサリンのお兄さんも出てこない。原作に忠実な映画版ではなく、エメラルド・フェネル監督が「嵐が丘」を原作に、現代風に再構築した映画。

前半は物語に引き込まれたし、全体通して興味深く観させてもらった。ただ、当初は全体的に装飾や調度品などがモダンなテイストで素敵だなと思ったのだが、さすがに過剰でくどい。キャサリンのお父さんが亡くなるシーンで、背景のうず高く積まれた空き瓶とかギャグにしか見えなかった。キャサリンが身に着ける服装はあまりに派手で、身に着けている宝石は主張があまりに強く、大き過ぎる。ヒースクリフの部屋もいくらなんでも荒れ果て過ぎだろう。

そして、原作にはない性的シーンがあれこれ追加されているのだが、SMタッチのシーンなどは、正直、気分が良いものではない。暖炉の手をモチーフにしたデザインなども個人的には少々悪趣味に感じられた。

ただ全体的には登場人物を削り、表現は過剰だが、キャサリンとヒースクリフの純愛に焦点を当てたプロットは分かりやすく、ストーリー展開も推進力が維持され、飽きずに観れた。衣装や室内装飾なども節度あるものについては素晴らしかった。格調高い文芸作品の映画版と思ってみると、全く異なるものであるが、モダンなテイストで再構築されたものとして鑑賞すると、斬新で興味深かった。英国のシンガーソングライターのチャーリー・XCXの楽曲なども個人的には良かったと思う。

 

★ 3.7 / 5.0