甲辰の日卜い、出貞う、商が年を受くるか。十月。 | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回は小さなトピックを用意して色々書いていくいつものやつをやって行く。

 

普通の日記を書くのは本当に久しぶりで、前回書いたのは去年の11月で、半年くらい日記を書いてこなかった。

 

それには理由があって、日記を書くのが嫌になったから書いていなかった。

 

前回の日記で僕は、「ドゥ・ヴァ―ルの猿」と題して、人間の侮蔑と嘲笑についての話を書いていた。(参考)

 

あの記事の内容については僕的に良く書けたと思っていて、けれども、それが故に色々思う所があった。

 

その内容を自分で読み返して、そうだよな、僕はこういう内容のことを書きたいんだよなと思って、けれども、毎回毎回あのような内容を書けるわけもなくて、自分の書けることと自分の書きたいことのギャップに気が付いた。

 

僕としてはあのような内容の日記を書きたいけれども、毎回そのような内容で書けるわけもなくて、そんなに人間の生来的な性質についての気付きを見つけ出せるわけもなくて、書きたい内容と書けることの違いを前に、日記を書くということが嫌になってしまった。

 

このサイトでは人間の生来的な判断と後天的な判断の峻別を目的に色々なことを書いていると度々書いていて、「ドゥ・ヴァ―ルの猿」はまさにその内容であって、僕はこういうのが書きたいんだよなと思って、けれども、"書けない"という現実に嫌気がさしてしまった。

 

僕はその日がいつだったか思い出せもしない"あの日"に、嫌なことは後回しにすると決めていて、もう日記を書くのが嫌になってしまったから、日記を書くのを後回しにしようと思って、日記を書いてこなかった。

 

まぁ…そもそも日記を更新するために気力が湧かないという話を繰り返し書いて来たから、気力が湧かなくなったというのも実際で、気力が回復するまで書かないで良いやと思って書いてこなかった。

 

けれども、何にも書かないといざ再開するに際しておそらく書きたい文章も書けなくなってしまうというか、毎月何万字も書いて来たのを急にやめて、それを急に再開できるかと言えばきっとできないだろうので、漫画の解説の方は変わらず書くようにして、それが故に毎月漫画の解説の記事だけが投稿されていた。

 

あれを書くのも本当はアレだったのだけれど、このサイトなんて基本的に漫画の解説しか読まれていないのであって、需要は漫画の解説しかないのではと思う部分もあるし、日記を書く気力がないのだからそれで良いと思って、そういう形で半年やっていた。

 

何故そういう休止の告知をしなかったかというと…日記を来月から書くの一旦辞めますって宣言、意味不明ですよね…。

 

僕が書いているのは日記でしかないのだから、日記を書くのを一時的にやめただけであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 

だから、普通に今月から再開していくのだけれども、半年間、気力が回復するように努めては来たものの、別に日記を書くモチベーションがアップするような出来事は一切起きていないので、今月はこの記事だけという可能性も普通にあると思う。

 

日記書いてこなかった間にも普通にクソみたいなコメントは漫画の解説に来てたしさぁ…。

 

具体的には某ロボット漫画の世界観の解説に来ていて、ほとほと"困って"しまっていた。

 

頭悪いのは仕方ないと思うけれど、自覚して自重することくらいは出来るだろうと本気で思った。

 

他にも某鬱漫画の敵役についての記事にもアレなそれが来ていて、最終的にあのサイトに来たコメントでその人はその漫画作中の魂が複製出来ないという話を理解できていなかったと分かって、そんな浅薄な理解度で僕が書いた何かが間違っていると主張してきたのかと普通に苛立つ場面があった。

 

その人はうろ覚えな記憶で存在しない扉絵の話をして、僕はその結果としてその漫画全12冊の全ての扉絵を検証する羽目になっているし、その人はかつてその某鬱漫画の解説を書いたあのサイトを含めて、色んな記事に矢継ぎ早に僕が"困る"コメントを送ってきて、本当に色々あれだった。

 

ともかく、そういう風に半年書いて来なかったけれど、あのサイトで色々を書き始める前にブログリというところでやっていた頃だと、最初の数か月だけ書いて、そのまま確か一年近く書かないで、その後に日記をまた書き始めたという過去があるから、まぁ半年書いていなくもその時よりは休んでいないし、毎月一つは漫画の解説を書いて来たのだから、完全に休んでいたかと言えば別に休んでもない。

 

だから、日記を書いていた頃のように良く分かんない本を読む作業は普通にしていて、まぁ今回はそういう話です。

 

とにかく用意することにする。

 

・甲骨文字について

今は『甲骨文字研究』という本にかかずらっているのだけれども、白川静の本を読んでいた時に感じた、甲骨学に対する懐疑はやはり正しかったのではないかと思う部分がある。

 

根拠が脆弱としか思えない話があまりに多すぎるんだよなぁ…。

 

以上。

 

僕は数か月前から『甲骨文字研究』という本を本当に少しずつ読んでいる。

 

『甲骨文字研究』…『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』を読むより辛いんですが、それは大丈夫なんですかね…?

 

 

見たこともない、変換も出来ない漢字のオンパレードで、その漢字に注釈が入れられたところで、始めて見る図形だから記憶出来ているわけもなく、二度目に出てきて既に注釈が前のページで終わっている場合でも、どうせ内容は覚えていないのだからとページを戻って毎回読むし、三度目でも四度目でもそれを繰り返しているからなぁ。

 

その漢字に注釈がついていて、前のページを参照の事と言われた場合に、ほぼ全ての場合でまた注釈を読み返している。

 

見たことのない図形についての学術的な観点からの解説なんて覚えられるわけがないからね、しょうがないね。

 

まだ半分も読めていないけれども、読んでいる感触として、やはり甲骨学という学問は、インスピレーションとイマジネーションの世界であるという感が否めない。

 

書き下し文の形で翻訳される甲骨文を読んでいて、信頼できると僕が判断している内容は、甲戌などの日付についてと、何か占っているということと、数字と、12月とか13月とかそういった月についてくらいしかない。

 

あとは甚だしく疑わしくて、何故というと、現在の漢字と甲骨文字は書体を大きく違えていて、現在の漢字は秦の時代に制定されたもので、その前の時代は違う書体を用いていて、その春秋戦国時代の古い書体とも、甲骨文は大きく書体が違うからになる。

 

青銅器などに書かれた金文と呼ばれる文章は、篆書体と呼ばれるもので、篆書体に関しては後漢の時代に書かれた『説文解字』という、現在の漢字と篆書体との対応表があって、それを読めばある程度篆書体で書かれた文章というものは解読が出来る。

 

一方で甲骨文字とかはそういうの一切ないから、多くの判断が先古の研究者の閃きや思いつきに基づいていて、色々、この字は〇〇の象形であるという説明がある一方で、その字を見てもそのようには見えることもあるとはいえ、何故そうであると断言できるのかの内容がない場合が多い。

 

究極を言ってしまえば、良く分かんない図形を見てインスピレーションで「〇〇という形を表現している」と断言してしまっている場合が多い印象がある。

 

結局、古代中東の場合は、楔形文字の変遷の記録が残っていて、最初の絵文字でしかない段階のそれも出土していて、その変化の遷移を見ることによって、元は頭を意味していたとか、犬を意味していたとかそういう内容を把握することが出来る。

 

アルファベットに関しては、元になったフェニキア文字について、あれは元はエジプトの神聖文字で、神聖文字を筆記用に簡略化したデモティックというものから生まれたもので、神聖文字は絵文字のままの文字だから、神聖文字を見れば元の形が分かる。

 

一方で甲骨文字の場合は既に抽象化が十分に進んでいる字が多くて、元の形は殆ど分からないから、"そのように見える"ところで、事実その形が元であるかどうかは分からない。

 

例えば、道という漢字について、以前僕はこの漢字は道に生首を置くことを意味する象形だと大学の教授だかが説明している場面に出会った記憶がある。

 

けれども、僕はそのような習慣について、古代中国のテキストの中で一度も出会ったことがない。

 

まだ量は少ないとはいえ甲骨文を読み進めている中で得ている感触として、やっぱり中国は中国だなというものがあって、文化は変化はしているとはいえ、やはり後の時代は殷の延長線上にあると思うようなことも多い。

 

シュメール人の書いた文章を読んでも、後の時代のアッカド人の文章を読んでも似通っていると思う部分が非常に多くて、それと同様に、殷の時代の甲骨文字を読んでも、春秋戦国時代の中国人と同じように中国人だなと思う所がある。

 

その中で漢籍を読んでいて、道に生首を置くような文化に出会ったことないのにそのような説明があって、そのような説明は何を根拠に言っているのかが分からないものが多い。

 

説明を読んでも、そのように見えたから、そこから想像力を膨らませているだけなのではないかと思ってしまうようなそれが非常に多い。

 

僕が甲骨学をインスピレーションとイマジネーションの世界だというのはそういうことを言ってであって、根拠が十分ではないと思える説明が多すぎる。

 

結局、甲骨文字を使った殷の国は最終的に周の国に征服されていて、今ある漢字はその周の国の字が元になっている。

 

けれども、中東の例を見る限り、違う民族が国を奪って征服王朝を作ると、征服した王朝から文字を受け継いだ場合でも、言語の違いから少し特殊な事情が生じたりもする。

 

シュメール人に取って代わって王朝を築いたアッカド人は、文化的な資本をシュメールから受け継いでいて、その一環としてシュメール人の文字である楔形文字そのまま使っている。

 

それに際してアッカド人は、日本人が漢字を使う時にそうするように、訓読みや音読みに近いやり方も使っている。

 

「 アッカド語に立ち向かう時、一般に二つの解決すべき問題があると思う。一つは楔形文字自体の障壁であり、もう一つは文法内容の障壁である。前者はシュメール文化に遡り、後者はその後のセム語族共通の問題に繋がる。楔形文字は言うまでもなく、アッカド語を話すセム人と共存したシュメール人の作成である。そのためセム人は、画数の多い文字自体に苦しんだのはもちろん、楔形文字ではセム族特有のAやGの喉音の表現が出来なかったし、名詞の格変化の表現にも悩み、又日本語の場合のように、言葉によっては音読みと訓読みを作らねばならなかった。更に名詞の複数や男女両性にも概念の相違があった。(飯島紀 『古代の歴史ロマン① アッカド語 ~楔形文字と文法~』 国際語学社 2000年 p.1)」

 

 

殷の国は周の武王によって武力で征服された国であって、殷の人々と周の人々が同じ民族だったかどうかは分からない。

 

『史記』の記述だと殷も周もその王族は元は同じ血族から出ているのだけれど、完全に異民族である呉や越、匈奴に関しても古い時代に分かれた同族だと記述されているから、基本的に『史記』のそういう話は信じられない。

 

違う民族がやって来て殷を滅ぼしたというのなら、言語が違う可能性もあって、そうであるならアッカド人が楔形文字でしたように何らか殷の文字を使う工夫があったはずだし、そもそも殷の字と周の字はあまりに字形が違っているものが多くて、周が殷の字を学んだのかどうかも定かではない。

 

周には周の字があって、現在の漢字はその系譜であるという可能性もある。

 

けれども甲骨学では、漢字は殷の文字である甲骨文字の直線の延長線上にある前提で色々語っている。

 

実際に使われている文字が見て、これはあの漢字だなと分かる程に似ていたらその判断で良いと思う一方で、実際に『甲骨文字研究』の索引に記載される甲骨文字を見る限り、現在の漢字と全然似ていないし、どういう根拠でこの図形を現在も使われている一つの漢字と同定しているのか全く分からないという場合が過半を越える。

 

中には正しいこともあるのだろうけれども、どれが正しくて、どれが正しくないのかが全く分からなくて、その中で乙申などという形で記述される日付に関しては本当に頻出で、大体10種の甲骨文があったら7か8くらい日付が記されているから、もし日付ではないものを誤読して日付と勘違いしていた場合、何処かで破綻しているはずで、それが破綻していないのだから日付に関しては正しいと僕は考えている。

 

数字に関しては1から4まではおそらく普通に正しくて、何故なら横線が一、二、三、という感じで並んでいるのが1~3までの数字で、4の場合も四本線が並んでいる字で、流石にこれは数字ということで良いだろうと思うし、それと併用して使われる、もっと大きな数字に関してもまぁきちんと読み取れていると判断しても良いと思う。

 

〇月という表記がされる場合があって、それは1月から14月まであるから、少なくともその辺りまでは正しいのではないかと思う。

 

殷の時代の暦では大体一年が12~13カ月であったらしくて、まぁ当時の暦は天文学が発達していなかったからいい加減で、12月に収まらなくて13月というものが度々言及されている。

 

更には14月という概念についても索引には記載されている。

 

考えられる可能性として、基本的に12の月で一年としていて、それでズレた時に13月を入れて、それでもまだ修正が追い付かなかったときに14月があるのかなと思う。

 

ただ、14月は頻度はそれほどに高くなかったらしくて、13月程には使用例はないらしい。

 

京都大学が保有する3256個の甲骨の中で、 7月を意味する語が21回、8月が19回、9月が19回、10月が25回、11月が14回、12月が14回、13月は9回使われていて、14月に関しては京都大学が保有している甲骨文の中には使用例はなかったらしい。

 

詳しいことは良く分からないにせよ、10月が多いのは収穫の時期だから「年(みのり)あるか 10月」という形で占うことが多くて、収穫があるのは秋で、その後に来るのは冬で、冬に雨が降らなくても、自然災害があっても農作物が死ぬということはないのであって、それで11月と12月の月は少ないのかもしれない。

 

13月が少ないのは調整用の閏月だからであって、その13月でも調整し切れなかった時に出てくるのが14月である以上、使用例はおそらく少ないのだと思う。

 

日付とともに何月にその占いをしたかが付随として書かれている場合があるし、10月に収穫があるか聞いているような場合も多いし、それが月ではないものを誤読している場合、流石に何処かで破綻がある筈なので、月に関してはおそらく正しいのではないかと思う。

 

それ以外については読んでいても分からないとしか判断できない所が多すぎる。

 

文章を書く方向についても当時はまだ定まっていなかったようで、現在のように右上から初めて下に行って、それが終わったら次の行という形に限らなくて、左上から下に行って、右側に改行という形の甲骨文を確認している。

 

僕が持っている本だと時々実際の甲骨の模写が載っているものがあって、書かれる書き下し文の翻訳文と、お手元の索引の甲骨文字一覧を駆使して、どのように書かれているかを確かめる作業をしていて、それに際してそのような書き方のものと出会っている。

 

そういう風に文字を書く方向が定まっていないのは、当時の風習なのか、占いのための文章という性質上のものなのかは良く分からない。

 

文字の書き方には牛耕式というやり方もあって、左から右に書き始めて端に着いたらそのまま一段下がってそこから左に進むというようなやり方で、初期の楔形文字でこのような方法で書かれていたものがあったと言及されていたことに出会った記憶がある。

 

結局、甲骨文字は決まった改行方法もないらしくて、しかも甲骨文は短文ばかりで、どういう方向に書かれているかも一様ではないというのに、本当に確かに読めているのかと思う部分もある。

 

六文字が二行に分かれて書かれていた場合、

〇〇〇

〇〇〇

という形で、これの始点が右からなのか左からなのかが必ずしも一定でない場合、提示される訳文について、本当にその読み方で正しいのかと思ってしまう。

 

…まぁ、日付が記載されていたら、

〇乙〇

〇未〇

という形になって、乙未という二文字の語が縦に用いられているから少なくとも縦に読むということは分かるのだけれど、右から読み始めるのか左から読み始めるのかは未知数で、そういう所を言って、本当に正しく読めているのだろうかという話をしている。

 

そうと言えども、文学博士の研究者がそうと読んでいるのだから、正しい物も多いのだろうとは思ってはいる。

 

ただそれでも信頼しきれない部分があるし、現在の漢字だと「〇」という意味の文字だと説明される甲骨文字の実際の字形を見ても、そうは見えないものも多くて、どういう根拠でその漢字だと主張しているのかも分からないものばかりで、説明を読んでもただの閃きと連想ゲームではと思うことも多い。

 

だからと言って研究者は馬鹿ではないから疑ってばかりでも仕方がないしで、読んでいて色々難しい所がある。

 

その研究者の間でも一つの文字について、現在のとある漢字を意味するのではないかという話に関して、それぞれ見解を違えている場合があるし、その見解の説明も納得できない場合が正直多い。

 

結局、そんな文字について、稀にしか振り仮名のない漢文の書き下し文が3000文以上続いていて、その書き下し文に見たことがない漢字が非常に頻繁に混じるという形であって、うーん、と思ったら索引でその漢字の甲骨に刻まれた形を確かめたりするし、場合によってはその字に関する論文を探して読んだりもしていて、もう本当に作業が辛くて堪らない。

 

索引…送料抜きで365円で売っててバチクソ安かったから買ったけれども、こんなに利用することになるとは露とも思いませんでしたね…。

 

色々やっていて辛いけれども、これを読んだら流石に甲骨学のあぁ…?と思うような話について文句を言えると思うので、そのために頑張っているところがある。

 

という感じの甲骨学について。

 

本来的にこの記事は冒頭でここ最近の話をした後に、病気の獣肉を食べることについての話に移る筈だったところが、かかずらっている『甲骨文字の研究』の話をしたらそれだけで文章の量が規定量に達してしまったために、体裁を整えて甲骨学の話だけで終わらせることにした。

 

ただ、『甲骨文字の研究』に関しては言いたいことの半分も言えていない。

 

本当に想像力でどうにかしている世界であって、必ずしもそうとは言えないのではないかと思うような話が沢山ある。

 

ただ、僕は門外漢の素人でしかないのだから、自分の見解が正しいとは思っていなくて、けれども、読むたびにモヤモヤとした何かが胸中に溜まっていく。

 

まぁなんつーか、この900ページ以上ある『甲骨文字の研究』を読み終えたならば、研究者には絶対に及ばないにせよ、これを読んでいるほぼ全て人よりは甲骨文字に詳しくなるはずだから、ある程度の事は言っていいのではないかと思っていて、そのためにこの本を頑張って読んでいる部分がある。

 

…。

 

ウパニシャッドより読んでて辛いのはいやー、キツイッス。(素)

 

でも多分なぁ、ウパニシャッドはそれぞれの経典が何だかんだ分別のある分量で、『甲骨文字の研究』のように延々と終わりが見えないということがないから相対的に苦痛が少ないだけであって、読むに際する苦痛だけを見たら多分同じくらいなんだよな。

 

『甲骨文字の研究』…読むのが大変だから一日50文とか100文くらいしか読めてないんだよなぁ…注釈スッゲー大量にある時あるし。

 

1000文目くらいの甲骨文字読んでた時に、この漢字は88文目の注釈参照ね、とか言われたら毎回戻って必ず読んでるし。

 

全然進まないしそういう風に毎回注釈は読み直しているというのに甲骨文は3256個分+α記載されているわけで、そんなの辛くないわけがない。

 

しかも過半数以上の文章が破損や文字の字義不明で判読不能で、判読不能で書き下し文がなかった場合は、全ての場合で現在の漢字に文字を変えられた書き下し文になってない文章を見て、手前で読もうと試みている。

 

ちなみに、この記事の表題の

「甲辰の日卜い、出貞う、商が年を受くるか。十月。」

はこの本に書かれている実際の書き下し文で、

「甲辰の日に占い、出(という占いを行う人物)が問う、商(すなわち殷の国)は実りを受けることが出来るだろうか。十月(にこれを占う)。」

という占いの文章です。(貝塚茂樹他 『甲骨文字研究 本文篇』 同朋舎 1980年 p.394)

 

その書き下す文に

「甲辰卜、出貞、商年、十月。(同上)」

と併記されていて、書き下し文が無かったら毎回そこも読んでいるという話です。

 

ちなみに、「年」でみのりを意味するそうで、目の前の翻訳文では「年(みのり)」と振り仮名が書かれているけれども、僕は本当にその字が「年」を意味しているのかについて疑っている。

 

何故というと、現在の漢字の前の書体で、春秋戦国時代などで使われた篆書体の漢字は『説文解字』に記載されていて、「年」は、

(https://www.zdic.net/hans/%E5%B9%B4)

こんな感じになる。

 

一方で甲骨文字だと、

(貝塚秀樹編  『京都大学人文科学研究所所蔵甲骨文字 索引』 京都大学人文科学研究所 1968年 p.96)

こういう字になる。

 

ほんの少しだけ似ている部分もあるけれど、違う字でしょと思ってしまうし、僕らが日本語で使う「年」という漢字は普通、みのりという意味で扱わない。

 

しかも今引用したやつの「年」の隣に記載されている「秋」についても、二つの字形が秋であると示されている一方で、全然違う図形が並んでいる。

 

こういうは他の字でもあって、ぜってー違う漢字だろと思うことも多い。

 

(同上p.68)

 

これは「鼓」という漢字の甲骨文字についてで、「鼓」の字の下とその左に並んでいる図形が全て「鼓」の異字体であると示されている。

 

僕はこれを見て、違う漢字なのでは?と素で思う。

 

本当にその解釈であってるの?と強く思うし、終始こんな調子なのが甲骨学になる。

 

色々やってて、「うーん」と思う所が本当に多い。

 

古い時代は色々仕方ないとはいえねぇ…。

 

そんな感じです。

 

では。