『ヒストリエ』のフィロータスについて | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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また誰からも必要とされていない類の漫画の解説記事を書いていくことにする。

 

今回は表題通り、フィロータスについて。

 

『ヒストリエ』という漫画にはフィロータスという人物が登場する。

 

(岩明均『ヒストリエ』5巻p.162 以下は簡略な表記とする)

 

今この文章を書いている現在だと、『ヒストリエ』は11巻まで刊行されていて、その範囲だとこのフィロータスという人物は、エウメネスに一度やっかみを示しただけで、さして重要な立ち回りで何かをしたということはないし、父親であるパルメニオンの方がイメージが強くて、少々無能そうな人物であるという程度しか作中では描かれていないような人物になる。

 

けれども、史書に言及されるところのフィロータスはアレクサンドロス麾下の将軍の中で非常に有力な人物で、アレクサンドロスについて書かれた歴史書の多くに彼についての記述がある。

 

僕はそれを拾うように読んでいて、彼についての知識をある程度持っているのだけれど、その中で、彼について色々思う所が出来たので、この記事はその思う所についてを色々書いていくという内容になると思う。

 

フィロータスという人物は色々な歴史書に言及があって、把握している限り、『ヒストリエ』の原作であるプルタルコスの『英雄伝』の他に、『アレクサンドロス大王東征記』、『地中海世界史』、『アレクサンドロス大王伝』、『歴史叢書』といった書籍に彼についての言及がある。

 

僕は今まで何十回も『ヒストリエ』の解説記事を書いてきて、その中で今挙げた本の内のいくらかを、作者の岩明先生が読んでいるだろうという話をしていて、その中でプルタルコスの『英雄伝』が『ヒストリエ』の原作であるだろうという話を何度も繰り返ししてきている。

 

今回も結局はその延長線上にあって、僕はこの前、『ヒストリエ』の年表の記事を作っていて(参考)、その中で彼についての記述を目にするという機会があった。

 

それに際して、種々の歴史書の中でフィロータスという人物の"末路"を知ることになった。

 

結局、アレクサンドロス大王の勘気に触れて処刑されるのはどの本でも等しい所ではある一方で、その経緯についての記述に差異がある。

 

僕はそのフィロータスに関する記述の違いから、岩明先生が残されているアレクサンドロス大王に関する歴史書の中で、どれを最も参考にしているかというか、フィロータスという人物を描く際に、そのキャラクター像をどの歴史書に置いているのかについて、歴史書に言及される彼についての記述を比較すれば、そのベースにあたる書籍が分かるのではないかと考えた。

 

『ヒストリエ』のフィロータスは頼りないというか、そこまで才能があるというような感じでは描かれていない。

 

(『ヒストリエ』9巻pp.187-191)

 

こういう風にあまり優秀そうではないような描かれ方をされているフィロータスについて、岩明先生がどの本を最も参考にして、『ヒストリエ』におけるフィロータスという人物はどの本にその基礎を置いているのかを探って行こうというコンセプトです。

 

…まぁ、先に挙げた歴史書の中で、彼の事をフィロータスと呼んでいるのはプルタルコスの『英雄伝』とディオドロスの『歴史叢書』のみで、他は全部ピロタス表記であって、『歴史叢書』の方は論文があるだけで書籍として出版されているわけでもないのであって、そういう所からしてそもそも、プルタルコスの『英雄伝』が彼の描写の元になっているだろうという推論はあるし、結論を言ってしまえば今回も結局、プルタルコスの『英雄伝』が元らしいという話なんだけれども。

 

この記事を作るために『アレクサンドロス大王東征記』のネット上にある英訳について、英語でフィロータスと入れて全文検索して出てきた彼の動向について全部読んでいたりするのだけれど、最後の死のところ以外だと、アレクの命令で騎兵を率いて命令に従事したというような記述しか基本的になかった。

 

アレクサンドロスは戦利品に関してそれらを海沿いの町町に後送させ、リュサニアスとピロタスとに託して適宜処理させるように措置すると、彼自身はさらに山を越え、ハイモス山脈を踏破してトリバッロイ人の地に進出、リュギノス河畔にいたった。(フラウィオス・アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌 上』 大牟田章訳 岩波文庫 2001年 p.40 下線部引用者)」

 

 

基本的にフィロータスについての記述は死ぬ時の話以外は大体こんな感じで、他の箇所を見てもアレクの麾下の将軍として普通に働いている様子しか見て取れない。

 

二八 この日アレクサンドロスは彼らを町のなかに封じこめてしまうと、攻囲の柵を周囲にめぐらせ、相手を外部から遮断しようと考えて、防壁の近くに陣を張った。ところが次の日になってタウランティオイ人の王グラウキアスが多くの軍勢をひきいて救援に現われた。ここにいたってアレクサンドロスは、現有の兵力をもってしても町は攻略できるだろうという、それまでの考えを棄てた。町のなかには数多くの戦士たちが逃げこんでいるし、もし彼が町の防壁に強襲をかければ、グラウキアスの有力な軍勢が〔背後から〕襲いかかってくるだろうからだ。彼はピロタスに陣営中から集めた役畜を引き連れさせ、護衛隊として十分な数の騎兵をつけて糧株徴発に出発させた。グラウキアスの方はピロタスの一隊が動きだしたのを知ると、これを襲撃しようと打って出、彼らが糧秣の調達先に予定している平地の周辺の高台に陣を構えた。

 一方アレクサンドロスは、騎兵と役畜の一隊の帰還が遅れてそのうちに夜にでもなれば、危ないことになろうという報告を受けると、みずから近衛歩兵部隊と弓兵隊、アグリアネス人部隊、それに約四百騎の騎兵をひきいて、急遽彼らの救援に出動した。彼が残りの兵力を町の近辺に残留させたのは、全軍が出払ってしまったために市内の敵がこれをさいわいと出撃して、来援したグラウキアスの軍勢に合流してしまう、といった事態が起こらないように考慮した結果であった。

 グラウキアスの方はアレクサンドロスが軍をひきいてやってくるのを認めると高台から撤収し、ピロタスの一隊は危地を脱して無事陣営に帰りつくことができた。(同上『アレクサンドロス大王東征記』pp.47-48)」

 

食糧徴発部隊を率いたフィロータスが敵に襲われる危機に瀕したところで、有能だろうが無能だろうがそんな瞬間は軍を率いていたらある話で、『ヒストリエ』のような人物として描かれる理由となるエピソードとも思えないし、『アレクサンドロス大王東征記』では他の場面でも騎兵隊を率いて作戦行動に従事したというような記述で終始していて、やはり最後の粛清のところ以外では彼についての人となりが分かるような記述がどの本にもない。

 

なので、この記事では以下でそういった彼の最後についてを引用していって、どれが一番『ヒストリエ』に近いかを見ていくことにする。

 

まずは一番記述が素っ気なかった『地中海世界史』から。

 

その間、アレクサンドロスは彼の部下に対して、王としてのではなく、敵としての憎しみによって怒り、狂い始めた。特に自分が、父ピリッポスと祖国の風習を覆したといって非難されることを怒った。そのくらい科の故に、位において王に次ぐ地位にあった老人のパルメニオンも、息子のピロタスと共に、まず彼ら両者についての査問がなされて後、殺された。そこで陣営中で皆が罪のない老人と息子との最期を憐れんで、ぼやき、自分たちも彼らよりましな希望が持てるわけではない、と折あるごとに言い合った。(ポンペイウス・ トログス 『地中海世界史』 合阪学訳 京都大学学術出版会 1998年 p.198)」

 

 

他のテキストでは謀反の下手人であるといった理由や、謀反の報告を怠ったという理由で処刑されるフィロータスである一方で、『地中海世界史』ではマケドニアの風習をアレクが重要視しなかったとパルメニオンとフィロータスが諫言をしたか、さもなければそういう内容の愚痴を言ったという程度の理由で殺されたという話になっている。

 

『地中海世界史』ではあと一か所だけフィロータスについての言及があって、それはアレクが酒の勢いでクレイトスという老将を殺してしまったに際して、あまりに後悔して自分が殺してきた人々の幻影を見た時に、フィロータスの名前が挙げられる程度で、この本は少なくとも『ヒストリエ』のフィロータスに何らかの影響を与えているということはないと思う。

 

次に見るのは『アレクサンドロス大王東征記』で、これに関しては割としっかり目にフィロータスの処刑の話がされている。

 

二十六 パルメニオンの子ピタロスの陰謀をアレクサンドロスが知ったのも、此処でのことだった。プトレマイオス、それにアリストブロスも伝えるところでは、彼の陰謀のことは以前、エジプトに滞在していた時分からすでに、アレクサンドロスの耳にも届いてはいたものの、彼の方はピロタスとは古くからの友達付き合いでもあったし、相手の父親のパルメニオンに寄せる敬意からも、また他ならぬピロタス本人にたいする信頼からしても、むろんその噂を信ずるに足ることとは受けとらなかったのである。
 ラゴスの子プトレマイオスが伝えるところによれば、ピロタスがマケドニア人たちの前に喚問されると、アレクサンドロスは語気鋭く彼を弾劾し、これにたいしてはピロタス自身がまず弁明を行なった。次いで事件を訴え出た者たちが出頭すると、彼らはほかにも疑いようのないいくつもの証拠を挙げて、ピロタスと彼の仲間〔の弁明〕に反論を加え、なかでもとくにアレクサンドロスにたいして、ある陰謀が仕組まれていることについて彼自身が夙に聞き知っていたとは、他ならぬピロタス本人も認めた点であることを、反論の材料とした。結局ピロタスはアレクサンドロスの幕舎に、日に二度は伺候しているにもかかわらず、この陰謀一件についてはこれを隠して、アレクサンドロスに告げなかったかどで有罪とされたのである。
 ピロタスは陰謀に加わった他の共犯者全員とともに、マケドニア人たちの投げ槍によって処刑された。一方パルメニオンの処置に関しては、ヘタイロイのひとりであるポリュダマスが、アレクサンドロスからメディア駐留の指揮官たち――クレアンドロス、シタルケスおよびメニダスに宛てた親書をたずさえて派遣された。この指揮官たちはパルメニオン麾下の軍に配属されていたのである。パルメニオンがこれらの者たちの手にかかって殺されたのはおそらく、ひとつにはアレクサンドロスにしてみると、ピロタスが陰謀を企んでいるのに、この息子の計画にパルメニオンが加担していなかったとは、とうてい信じがたいことに思われたからだろうが、それにまたたとえパルメニオンが関与していなかったにしても、彼が自分の息子を殺されてその後に、なおも生き残っているというそのこと自体、今となってはもはや大きな危険だったのであろう。パルメニオンは当時、アレクサンドロス自身から非常な敬意を払われていただけでなく軍の内部、それもマケドニア人部隊のなかでばかりか、その他の外人諸部隊彼がアレクサンドロスの命を受けてしばしば指揮をとっては、任務の範囲内でも任務の枠を越えても、その衆望をあつめていた、かの外人諸部隊のあいだでも、高い威信を認められている人物だったからである。(同上『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌』pp.250-251)」

 

『アレクサンドロス大王東征記』にはこのように言及がされていて、ただこの記述だと『ヒストリエ』のフィロータスに繋がるような何かは別にない。

 

パルメニオンについてはカイロネイアの時にアレクと王子と将軍という立場で会話をしていて、彼はフィリッポスの時代からの古い将軍なのであって、まぁ彼とアレクの関係性は『ヒストリエ』に繋がると言えば繋がるけれども、フィロータスにアレクが友情を感じているという記述については、『ヒストリエ』ではそのような話はない。

 

フィロータスとアレクサンドロスは一度も会話してないからなぁ。

 

読んで頂けたら分かるようにこの本のフィロータスの最後については『ヒストリエ』に繋がるような話は特にない。

 

その辺りは『歴史叢書』も同じで、内容的に『ヒストリエ』と繋がるような何かは特にはない。

 

…ここでネット上にある翻訳からコピペして色々体裁を整えて引用の文章を作っていたのだけれど、冗長になるし、他のテキストに比べて違うことが書かれているということも無いし、謀反の知らせを聞いても「分かった分かった、王に伝えとくって」で報告をしなかったという程度のそれしかフィロータスの人間性を表わす記述もなかったので、引用はしないでおく。

 

『アレクサンドロス大王東征記』では陰謀の当事者であったというような言及である一方で、『歴史叢書』では謀反の知らせを王に伝えなかったという理由で処刑されることになったと書かれている。

 

とはいえ、特に『ヒストリエ』と関連付けて言及できるところもない。

 

ただ、アレクに関しては『地中海世界史』ではフィロータスの件は狂い始めたからという話になっている一方で、『歴史叢書』の方だとアレクが狂ったわけではないという感じの言及になっている。

 

七九章 一この頃、彼自身の良き性格とは無縁の忌わしい事件が降りかかった。王の朋友の一人でディムノスと名のる者が、あることが原因で王に不平を抱き、怒りにかられて王に対する陰謀を企てたのである。(ディオドロス・シクロス『歴史叢書』第一七巻「アレクサンドロス大王の歴史」訳および註 (その三) 森谷公俊訳 p.153)」

 

彼自身云々はアレクの事で、アレクの善良な人柄とは別に、忌まわしい事件があったと言及されている。

 

話としてこのディムノスという人物が謀叛を企てて、その計画にニコマコスという人物を迎え入れたところ、ニコマコスが兄弟にその話をしてしまって、その兄弟である彼がそれをフィロータスに密告したけれども、そのディムノスに叛意ありという報告を王に上申しないということをフィロータスは二回していて、その怠慢が理由で彼は処刑されたと『歴史叢書』にある。

 

何故、報告を怠ったという程度の理由で死刑になったかというと、謀反に参画していたが故に報告を上げなかったのではないかと疑われたからという話らしい。

 

とはいえ、疑われた後にフィロータスは拷問を受けて自白していて、それが故に死刑になっている。

 

『地中海世界史』だとアレクが狂ったからフィロータスは殺されたと書かれている一方で、『歴史叢書』だと悲しい事件だったね…という話になっている。

 

実際の所、フィロータスが陰謀に加わったのかは『歴史叢書』の記述では微妙で、拷問をすれば人間というものは嘘の自白をしてしまうのであって、昭和の時代の冤罪事件の数々がそれをそうだと示してくれる(参考)し、彼が事実、陰謀に加わっていたのかは定かではない。

 

拷問の結果として出てきた自白は信用に値しないという話は、『アレクサンドロス大王伝』のフィロータスの拷問の所にもある。

 

二十一 ピロタスが拷問から逃れるために嘘をついたのか、真実を語ったのかはよくわからない。本当のことを語っても、偽りを述べても同じように苦しみに終止符が打たれるからである。(クルティウス・ルフス 『アレクサンドロス大王伝』 谷栄一郎・村上健二訳 京都大学学術出版会 2003年 p.238)」

 

この『アレクサンドロス大王伝』については、年表の記事を作る時にチラ見していて、そこからフィロータスの処刑についての話が割としっかり目に書かれているということは知っていたのだけれども、記事を書くために確かめたら、27ページに渡ってその話がされていて、とても引用が出来る量ではないと、記事を作り始めてという段階で知ることになった。

 

他の本のように該当箇所を引用するつもりだったところがそういう状態で、仕方がないので適宜僕の方で話を掻い摘んで、『アレクサンドロス大王伝』に記述されるところのフィロータスの死についての話をして行くことにする。

 

まず、出来事の推移に関しては、『歴史叢書』と大体同じで、ただ『歴史叢書』と違ってディムノスの謀叛の話を報告しなかった理由についての言及がある。

 

ディムノスとニコマコスは同性愛の関係で、その愛情を口外できない秘密を打ち明けることで深めようとディムノスは王暗殺の陰謀をニコマコスに告げて、ニコマコスの方は聞く前は誓って口外しないとは言ったものの王の暗殺だと話は違うから密告を選んで、ただ自分が報告に行くと怪しまれるから兄弟であるケバリノスにその事を頼んでいる。

 

フィロータスはケバリノスから話を聞いたとはいえ、痴情のもつれが故の嘘の密告だろうと判断して、情事に由来する醜聞を王に報告するまでもないと、二回報告を受けても適当に流したという話らしい。

 

けれども、陰謀は真実で、しかもニコマコスが話を聞いた時点で三日後に実行という話で、それを二日間もスルーしたフィロータスは問題視された、という経緯であると書かれている。

 

陰謀の加担者であるディムノスはバレた後に王の兵が来た時点で自害していて、その事から陰謀自体は本当に計画されていた王は判断している。

 

この事件に関してはフィロータスを除いた幕僚で会議がされていて、フィロータスはただ報告しなかっただけだから許そうかなという話にもなっていたのだけれども、その会議でクラテロスが彼を讒言して、それを受けたアレクサンドロスがフィロータスを殺すことを決意して、フィロータスの処刑は決定したらしい。

 

王は兵の前でフィロータスを王暗殺の陰謀の首謀者であると決めつけて弾劾したのちに、フィロータスがそれに対する弁明の演説をしていて、その内容は彼の人となりを理解するにはふさわしい内容ではあるけれども、7ページに渡ってその話が続いていて、とても引用することはできない。

 

ただ読んだ感じとしてはあんまり『ヒストリエ』のフィロータスと重なっているという感はない。

 

その辺りは弾劾の後に行われたフィロータスに対する拷問の描写でも似たような感じで、その件は短くて引用できるので引用することにする。

 

十三 拷問吏たちが、ピタロスの目の前にあらゆる残酷の道具を並べた。十四 ピタロスのほうは「なにをぐずぐずしている」と促した。「王の敵、自白した刺客を早く殺せ。審問などどうして必要があろうか。わたしがたくらんだ、私の意志だ」、クラテロスは彼が白状していることを、拷問を受けながら言うように要求した。十五 それから体を抑えられ、目隠しをされ、服を脱がされたが、その間にも空しく祖国の神々に、万民法に訴えた。それから最強の拷問具で拷問が始められたが、すでに断罪されており、敵は王を喜ばせるために体をいためつけたのである。 一六 そうして、初めのうちは片方では火が、 他方では鞭が加えられ、それは審問というより刑罰を加えるためのものであったが、ピロタスは声を上げないどころか呻き声さえ抑えていた。一七 しかし体は傷で膨れあがり、むきだしの骨に加えられる鞭打ちにもはや耐えられなくなると、拷問を緩めてくれるならば、知りたいと思うことは何でも言うと約束した。 一八 しかし審問を終えることをアレクサンドロスの安全に懸けて誓い、拷問吏たちを遠ざけてくれるよう要求した。 両方の要求が認められると、「クラテロスよ」と言った。「わたしに何が言わせたいのか言ってくれ」。一九 クラテロスが馬鹿にしていると怒り、再び拷問吏を呼び戻すと、知っていることをすべて話すから、息をつく間を与えてくれと嘆願した。

(中略)

二十一 ピロタスが拷問から逃れるために嘘をついたのか、真実を語ったのかはよくわからない。本当のことを語っても、偽りを述べても同じように苦しみに終止符が打たれるからである。(クルティウス・ルフス 『アレクサンドロス大王伝』 谷栄一郎・村上健二訳 京都大学学術出版会 2003年 pp..227-238)」

 

 

このように言及されるフィロータスについて、その人間性は『ヒストリエ』と重なっていると判断は出来ないし、クラテロスに関しても『ヒストリエ』とはあまり重なっていない。

 

大王伝のフィロータスは最後には折れたものの、酷い拷問で骨が露出して、その露出した骨を鞭で打たれるまで耐えたという物凄く根性のある人間であって、心が折れた後でも自分をこんな目に合わせているクラテロスに対して、気丈に「お前は俺にどんな自白をして貰いたいんだ?」という内容を伝えている。

 

このフィロータスは、エウメネスを殴ろうとして空振りして素っ転んだあのフィロータスと重なっているとは言えないと思う。

 

フィロータスは二人いる兄弟の一人は戦死、もう一人は病死していて、母親や妻と子についての記述はどの史料にもないからその辺りは分からないないけれども、夫であるコイノスがフィロータスを糾弾する側にまわったことにより、おそらくは身の安全が保障されている姉を除けば、確認出来る家族は70を越えた父親だけになる。

 

このコイノスに嫁いだフィロータスの姉は、専門家によると『ヒストリエ』に出てくるアッタロスと仲の悪い妻のパルメニオンの娘と同一人物であるという認識があるみたいだけれども、そこにどういう根拠があるかは分からない。

 

ただ、同一人物であったなら、コイノスの立ち振る舞いでおそらくは安全ではあっただろうと思う所がある。

 

そうとなると、守るべきものは老境の父親だけであって、しかも拷問自体も真実の究明ではなくて、フィロータスに対する甚振りの為とフィロータス自身も分かっているし、拷問に耐え続けたところで、結局のところ最初からフィロータスを誅罰するための拷問で、弾劾も済んでいるから死ぬという未来しかないとフィロータスも知っているし、何日も我慢を続けても誰かが助けてくれるということも無ければ、どんなに耐えても拷問が終わるということはない。

 

最強の拷問器具で続けられるその暴行が終わるのは、フィロータスが拷問の最中に死ぬか、自白するかどちらかの場合でしかあり得なくて、耐えて守れるのももう、死が近い年齢で且つ王との友情が故に助命される可能性のあるパルメニオンだけになる。

 

王の勅命でフィロータスを鞭打つ拷問官は、王命で動いている以上軍の中でおそらく最も拷問の技術に優れていて、相手を殺さないで甚振り続けるということに関しては高い技術を持っているはずで、フィロータスが自白以外の方法で苦しみから逃れるには、"運よく"破傷風などの感染症に罹患して死ぬという場合以外きっとない以上、痛みを耐え続けても、何日も、何ヵ月も何かの間違いでフィロータスが死ぬまで苦しみは続くはずになる。

 

そんな状態で骨が露出するまで拷問に耐えた時点で一廉の人物で、大王伝のフィロータスに関してはその地位にふさわしい気位があった人間だと判断している。

 

要するに、『ヒストリエ』のあのフィロータスとは似ても似つかないと強く僕は思っている。

 

最後に、『ヒストリエ』の原作であると僕が勝手に言っているプルタルコスの『英雄伝』の記述を見ていくことにする。

 

まぁ、話の流れからして、『ヒストリエ』のあのフィロータスはこの本から来ているという話なのはそうだし、実際の文章を読んでも、『ヒストリエ』のフィロータスだったら、将来的にこんな風になっても違和感はないなという感じの描写になっている。

 

四十八 パルメニオーンの息子フィロータースはマケドニアの人々の中でも羽振りがよかった。と云うのは、勇気と忍耐を持ち、アレクサンドロスを除いては誰にも及ばない程人に物をやるのが好きで友人を大切にしていたからである。現に親友の一人が金を頼んだ時、家のものにそれをやれと命じたが、執事が持っていないと云ったので、『何を言う。盃も外套もないのか。』と云った。しかしフィロータースは気位を誇り財宝を積み身支度にも生活にも私人として不相応に驕り、特にこの頃は傲慢と尊大の度を越して、趣味を弁えず不器用で途方もない真似事をして人々の疑念と嫉妬を招いたので、パルメニオーンも或る時これに『もう少し小さくなってくれ。』と云った程ある。(プルタルコス 『プルターク英雄伝』 河野与一訳 岩波文庫 1951年 pp.69-70 旧字は新字へ変更 文語は口語へ)」

 

『ヒストリエ』作中のフィロータスは、高貴な生まれでプライドが高いというような描写がされている。

 

(『ヒストリエ』5巻p.186)

 

ここではポリュダマスがその話をしているし、フィロータス自身もマケドニア古参の家柄出身として、ペルディッカスら"新参貴族"が気に入らないというような態度を示している。

 

(『ヒストリエ』5巻p.203)

 

そのような尊大な人間性については、この記事で言及したテキストの中ではプルタルコスの『英雄伝』の中でしか言及されていない。

 

『英雄伝』ではフィロータスが勇気と忍耐を持っていると言及されていて、『ヒストリエ』ではその描写はないけれども、まだフィロータスは初陣すら果たしていないというのが『ヒストリエ』の進行度なのであって、今後の描写次第ではその辺りは別に矛盾となるということも無い。

 

一応、『英雄伝』と他のテキストとのフィロータス処刑の推移についての違いを説明すると、『地中海世界史』ではマケドニア軽視のアレクに不満を持ったこと、『アレクサンドロス大王東征記』では謀反の下手人として、残りのテキストではディムノスらが企んだ謀反の巻き添えという話になっていて、『英雄伝』でも陰謀の巻き添えという話は同じである一方で、そもそもフィロータスが王に恨まれていたという話が追加されている。

 

彼は驕り高ぶった人間だから、情婦に自分の武勇をあれこれ語っていて、その中で「アレクサンドロスを小僧と呼んで、あれが支配者の名を得ているのは自分たちのお蔭だと云った。(同上『プルターク英雄伝』p.70)」りしていて、その事が王の耳に入って、けれども、父親であるパルメニオンへの好意と信頼から我慢していたという話らしい。

 

それはフィロータスの軽率さと人間性の小ささを表わすエピソードであって、『ヒストリエ』のフィロータスについても、今後地位を得て、作戦行動に従事してそこで武勇を立てたなら、酒に酔って上記の内容を言ってしまうのはまぁ、あり得る話だとは僕は思う。

 

中国の『三国志』の時代には許攸という人物が居て、彼は官渡の戦いで曹操陣営に裏切っていて、その後に曹操は俺が居なかったらあの戦いに勝てなかったと吹聴しまくって、最終的に俺が居なかったら今の曹操はないという内容のことを言って、それを聞いた曹操はキレて許攸を処刑していて、ぶっちゃけ、フィロータスの自賛はそれだけで場合によっては処刑の要件を満たすレベルの話にはなる。

 

フィロータスは自分は王の左腕になるに相応しい人間であると思っているが故にエウメネスに突っかかったわけで、そんな人間が武功を立てたというのなら、増長してついアレクが今あるのは俺たちのお蔭だと言ってなんてことは、あり得ない話ではないだろうと僕は思う。

 

そういう風にアレクの不興を買った後にディムノスの謀叛が発覚して、他のテキストと同じようにフィロータスは報告を怠って、その事でアレクの堪忍袋の緒が切れて、フィロータスは処刑されることになったらしい。

 

そういう流れでフィロータスは弾劾されて拷問を受けるのだけれども、それに際して次のような記述がある。

 

「(ディムノスの謀叛が明らかになりその報告を怠ったフィロータースはアレクサンドロスを激昂させ、そこから人々はフィロータースに関する非難を王の元へ無数に持ってきた。)その結果フィロータースは捕らえられて裁判に掛けられたが、側近の人々が拷問に列なり、アレクサンドロスは幕の外で立聞をした。フィロータースが情けない哀れな声を出してヘーファイスティオーンたちに頼み込んでいるのを聴いて、アレクサンドロスが『お前は、そんな情弱な男らしくない人間なのに、あれほど大それた企てをしたのか。』と云ったのは、この時の話だと伝えられている。(同上『プルターク英雄伝』p.72)」

 

僕はこの文章を読んで、大人のオスがこんな情けない声で鳴くんですね…(参考)と思った。

 

アレクの方も拷問を受けているとはいえ、情けない恰好恥ずかしくないの?と思ったからそうと言っている話で、同じ拷問の描写でも『アレクサンドロス大王伝』のそれとは大きな違いがある。

 

拷問に気丈に振舞って、けれども最後は心が折れた『アレクサンドロス大王伝』のフィロータスと、プルタルコスの『英雄伝』のフィロータス、どちらの方が『ヒストリエ』に近いかといえば、僕は『英雄伝』の方が近いと思う。

 

(同上)

 

岩明先生も何処か頼りなくフィロータスを描いていて、この記事では十分過ぎるというほどにフィロータスという人物について、歴史書でどのように言及されているかを示してきたけれども、プルタルコスの『英雄伝』程に『ヒストリエ』で素描されるところのそれと親和性を持っているフィロータスという人物像はなかったと思う。

 

こういう風にエウメネスに殴りかかってそのまま転ぶフィロータスは、拷問を受けたらきっと情けない声で哀願するだろう一方で、『アレクサンドロス大王伝』のように骨が見えるまで拷問に耐えるということも無いだろうと思う。

 

僕は随分前から『ヒストリエ』の原作がプルタルコスの『英雄伝』であると言及していて、この記事はその『英雄伝』をチラチラ見ていた時にフィロータスの記述を見つけて、『ヒストリエ』のフィロータスと似ているなと思って、他のテキストの記述と比較してみようと思ったという経緯で書かれている。

 

…いやまぁ、実際の所、フィロータスが情けない哀れな声を出した云々について、「大人のオスがこんな情けない声で鳴くんですね」って言いたかったからというのが記事を作った一番の動機にはなるのだけれども。

 

この記事では本来的にはポリュダマスとパルメニオンの話もするつもりで、けれども、『アレクサンドロス大王伝』についての作業が存外に重かったことに加えて、フィロータスと違ってその二人については『ヒストリエ』と関連して言及できるような内容を特に見つけられなかったので、この記事では彼らについては省いている。

 

実際の所、『ヒストリエ』に関連して検索するならフィロータスより遥かにパルメニオンの方が頻度が高いだろうので、パルメニオンについてで記事を書いた方がアクセス数は望めるのだけれども、僕の方で特にパルメニオンについて書きたことが今のところはないし、アクセス数が増えてもクソみたいなコメントが飛んでくる機会が増えるだけで僕に利益はないので、今の所はそういう記事を作る予定はない。

 

まぁ『ヒストリエ』関係ではまだ一回しか来てないけれども。

 

そんな感じのフィロータスについて。

 

…やっぱり、『ヒストリエ』の原作は岩波文庫の『プルターク英雄伝』という話で良いよなと改めて思いました。(小学生並みの感想)

 

疲れたので細かい誤字脱字などの修正は来月以降の僕に任せることにしましょうね。

 

では。

 

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