『ヒストリエ』のフォイニクスについて他 | 胙豆

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書いていくことにする。

 

この前僕は、『ヒストリエ』のカレスについて解説記事を書いた。(前編)(後編)

 

あの記事はディオドロスの『歴史叢書』の分はただコピペしただけとはいえ、3万字弱解説に費やして、事前調査も資料集めも記事を書くのも全てが苦行だったので、今回は楽な内容を選んで書いていくことにする。

 

さて。

 

『ヒストリエ』にはフォイニクスという人物が登場する。

 

(岩明均『ヒストリエ』9巻p.37 以下は簡略な表記とする)

 

(9巻p.40)

 

『ヒストリエ』の作中でフォイニクスはエウメネスがフォーキオンの失脚工作の際につけられた護衛として『ヒストリエ』には登場するけれども、現状の『ヒストリエ』だと別に何も言及するところがないような人物になる。

 

けれども、僕によるねっとりとした調査によって明らかになった『ヒストリエ』の原作や、参考資料に於いてフォイニクスについての言及がある。

 

エウメネスの部下としてフォイニクスという人物が存在していて、その事は『ヒストリエ』の原作たる『英雄伝』や、参考資料として用いられているであろう『歴史叢書』に言及があって、今回はそれらの資料に言及のあるフォイニクスと、『ヒストリエ』のフォイニクスを比較検討していくという内容になる。

 

…まぁ、フォイニクスについての言及なんて、大したことは書かれていないのだから、この記事も大した内容にはならないと思う。

 

『ヒストリエ』ではエウメネスはフォイニクスをまた雇おうとしている様子がある。

 

(9巻p.108)

 

ここでエウメネスはフォイニクスをいつかまた雇うかもと独白しているけれども、このことは伏線というかなんというか、将来的に果たされる予定で岩明先生はこの場面を描いていると思う。

 

『ヒストリエ』の原作がプルタルコスの『英雄伝』、具体的には岩波文庫から出版されている『プルターク英雄伝』であるということは僕によるねっとりとした調査によって既に確定的に明らかになっているのだけれど(参考)、その原作の方で、フォイニクスはエウメネスの部下として登場する。

 

「 (エウメネスは)クラテロスの前面にはマケドニア兵を一人も列べず、アルタバゾスの息子ファルバナゾスとテネドス人のフォイニクスの率いる外国人の騎兵部隊を二つ列べ、敵の姿が見えたならば全速力で馬を駆って戦を交え、敵に後退したり物を言ったり宣戦の使を遣ったりする暇を許すなと堅く命令した。(プルタルコス『プルターク英雄伝』河野与一訳 岩波文庫 1955年p.49 ()内および下線部は引用者補足 旧字体は新字体へ変更)」

 

ここでエウメネスが部下であるテオドス人のフォイニクスが外国人騎兵部隊を率いさせているという記述がある。

 

テネドスというのは島の名前で、今現在だとトルコ領になっていて、トルコ語でボズジャ島と呼ばれているから、テネドスでググっても、今現在のWHOの事務局長のテドロスという人物しか検出されない。

 

ともかく、『ヒストリエ』ではフォイニクスはちょい役というかなんというか、現状だと特に何もないけれど、連載が続けば将来的にはエウメネスの部下として登場する予定なのだろうと僕は思う。

 

…まぁ、『ヒストリエ』がそれを描くまで至るとは現状だととても考えられないけれど。

 

岩明先生が作画を誰かにバトンタッチして原作者に収まらない限り、そこまで至るのは不可能だと思う。

 

このフォイニクスは他にはディオドロスの『歴史叢書』というテキストにも言及がある。

 

この『歴史叢書』は翻訳が出版されていない。

 

ただ、帝京大学の学会誌ではその翻訳が存在していて、おそらく、岩明先生はその学会誌を取り寄せて読んでいるのだろうことはこの前のカレスの記事の後編(参考)で僕は言及した。

 

だから、その『歴史叢書』に言及のあるフォイニクスの描写も、おそらく、予定としては将来的に『ヒストリエ』で描くつもりであるだろうので、その文章を持ってくることにする。

 

『歴史叢書』は有志の方が英訳から翻訳したものがネット上にあるので、それをコピペして今から持ってくるだけです。

 

「 エウメネスとの戦争を終わらせるためにアジアの将軍に任命されたアンティゴノスは冬に方々から兵を集めた。戦いの準備をした後に彼はまだカッパドキアにいたエウメネスに向って進んだ。さて、ペルディッカスという名のエウメネスの有能な部将の一人は彼を見捨てており、三日間進軍した距離に反エウメネスの暴動に参加していた兵士、歩兵三〇〇〇人と騎兵五〇〇騎と共に野営していた。したがって、エウメネスはテネドスのフォイニクスを四〇〇〇人の選り抜きの歩兵と一〇〇〇騎の騎兵と共に彼に対して送った。夜間の強行軍の後にフォイニクスは二人目の夜警が眠っていた時に突如攻撃をしかけ、ペルディッカスを生け捕りにしてその兵士の支配権を手にした。エウメネスは職務放棄に最も責任がある隊長たちを処刑したが、一般の兵士は他の部隊に配して懇ろに扱って忠実な支持者としてつなぎとめた。(参考)」

 

ここでエウメネスの部下の一人であるペルディッカス(『ヒストリエ』に登場するオレスティスのペルディッカスはエジプトのナイル川で色々あってここには居ないので別人)が起こした暴動を鎮圧するに際してその作戦の指揮官の一人としてフォイニクスの言及がある。

 

『ヒストリエ』でフォイニクスをわざわざ出したということは、先のクラテロスとの決戦か、このペルディッカスの暴動の鎮圧のどちらか、またはその両方を描くつもりで岩明先生はいるということになって、将来的に今引用した文章のどちらか、またはその両方の場面が『ヒストリエ』において描かれる予定であるのだと僕は思う。

 

加えて、ここでペルディッカスというエウメネスの部下についての言及があって、史実的には『ヒストリエ』のペルディッカスとこの人物は同名の別人でしかないのだけれど、もしかしたら、『ヒストリエ』においては、"あの"ペルディッカスがエジプトから逃げのびて、エウメネスの元に逃げ込んで、その後に離反を企てて、けれども失敗したという物語を想定しているという可能性もある。

 

『ヒストリエ』ではかなり自由に脚色がされていて、アレクサンドロス大王の部下の一人に過ぎにないヘファイスティオンを大王の別人格としたり、ただのカルディア人でしかないエウメネスをスキタイ人にしてみたり、面白くするために史実の記述を色々と変更しているということがある。

 

だからもしかしたら、フォイニクスが鎮圧したペルディッカスという人物も"あの"ペルディッカスという可能性があって、その辺りは実際に描かれるまでは分からないけれども、ひょっとしたらという可能性はあると思う。

 

…史実のペルディッカスは、何ともしょうもない死に方をするので、その辺りは変えても面白いかもしれなくて、岩明先生がそうするという可能性もある。

 

さて。

 

資料に言及があるフォイニクスについては以上になる。

 

…そもそも、『ヒストリエ』の主人公であるエウメネス自体が大した記述がある人物でもなくて、その人物の部下ともなるとエウメネス以上に記述が少ないから、おそらく、今挙げた二つの資料、『英雄伝』と『歴史叢書』以外にフォイニクスについての記述は存在していない。

 

けれども、フォイニクスという名前自体については少し言及することがあるので、その事について書いていく。

 

『ヒストリエ』ではフォイニクスという名前が良く分からないと言及されている。

 

(同上)

 

ここでフォイニクスという名前についての言及があって、フェニキアの王族の名前か、フェニックスの事かとエウメネスは言っている。

 

僕はこの前、一切関係ない用事で、そのフェニキア人が残した碑文についての本を読んでいた。

 

その冒頭で以下のような言及がされていた。

 

「 ホメロスは叙事詩「オデュッセイア」の中で、地中海東岸を「フォイニケ」、その住人を「フォイニクス」と呼んでいる。日本語の「フェニキア」や「フェニキア人」という呼称はこのギリシア語に由来する名前である。(谷川政美 『古代の歴史ロマン3 フェニキア文字の碑文アルファベットの起源』 国際語学社 2002年 p.1)」

 

ここに地中海東岸の地域のことをフォイニケ、その住人をフォイニクスと呼んでいたという言及がある。

 

実際、歴史上のフェニキア人はそのフォイニケやフォイニクスという語からその呼び名が生じているのであって、ポエニ戦争はローマとフェニキアの戦いのことだけれど、ポエニはフェニキアのローマ読みになる。

 

フォイニケ、ポエニ、フェニキアはどれも似たような音で、フェニキア人の自称がそのような言葉だったということになると思う。

 

だから、フォイニクスという語はフェニキア人という意味であるらしい。

 

フォイニクスという名前がどういう風に生じたのかは分からないけれども、意味合いとしてはフェニキア人と言うだけであって、フェニキア人が居た土地からフォイニクスという名前を取ったのか、フェニキア人だからフォイニクスなのかは、その地域の名前の採用基準を知らないから僕には分からない。

 

ともかく、フォイニクスというのはフェニキア人と関係する名前で、エウメネスの部下であるフォイニクスはテオドス島出身で、その島はトルコの周りにある小さめの島だから、そこに交易の民であるフェニキア人が入植して、その子孫であるからフォイニクスであるか、その事に由来してフォイニクスが地名になって、そこから彼の名前がフォイニクスになったという話になると思う。

 

あまり深く考えすぎないで処理すると、彼はフェニキア人であって、それ故にフォイニクスという名前を持っているという話になると思う。

 

…引用だと『オデュッセイア』でフォイニクスという語が使用されていると言及されているけれど、岩明先生、その『オデュッセイア』は読んでいるはずなんだよなぁ。

 

それなのに『ヒストリエ』ではフェニックスとかそういう話しかしてなくて、多分、『オデュッセイア』でフォイニクスという語が使われていても、翻訳の際に省かれたか、岩明先生が読んだけれど忘れてしまったかのどちらかになると思う。

 

まぁ実際、一度読んだ本の内容をすべて覚えている何て普通ではありえないから、岩明先生が忘れてしまったという可能性が一番高いと思う。

 

ともかく、『ヒストリエ』においてフォイニクスは外人のゴロツキ集団の頭目だけれども、このことは将来的にエウメネスの部下としてフォイニクスが外人部隊を率いることを視野に入れた設定であるということになると思う。

 

「 (エウメネスは)クラテロスの前面にはマケドニア兵を一人も列べず、アルタバゾスの息子ファルバナゾスとテネドス人のフォイニクスの率いる外国人の騎兵部隊を二つ列べ、敵の姿が見えたならば全速力で馬を駆って戦を交え、敵に後退したり物を言ったり宣戦の使を遣ったりする暇を許すなと堅く命令した。(同上)」

 

『英雄伝』の方では外国人の騎兵部隊を率いたという言及があって、『歴史叢書』の方には特に外人部隊という言及はないから、やはり『ヒストリエ』により強い影響を与えているのは『英雄伝』の方だと思う。

 

「エウメネスはテネドスのフォイニクスを四〇〇〇人の選り抜きの歩兵と一〇〇〇騎の騎兵と共に彼に対して送った。(同上)」

 

そして、『ヒストリエ』ではゴロツキの頭目であるフォイニクスだけれども、その部下たちは高度な訓練が必要なはずの騎乗をしていて、『英雄伝』でも『歴史叢書』でも彼は騎兵隊を率いていて、彼と彼の仲間が9巻の時点で騎乗していることも将来的に彼が騎兵部隊を率いることへの布石ということになると思う。

 

(9巻p.39)

 

まぁ現状…絶対に『ヒストリエ』はその場面には至らないけれど。

 

これを書いている2020年11月現在、原作である『英雄伝』のエウメネスの列伝の最後の節までを100とした進捗度で、『ヒストリエ』は10%も進めていない。

 

17年も連載してその有様なのだから、フォイニクスがエウメネスの部下として登場することは現状だとまぁないでしょうね…。

 

そのことは読者の立場からしたらどうしようもないので、現状、隔月で連載されていて、2~3年に一冊出る『ヒストリエ』をやきもきしながら楽しむ以外に方法はないと思う。

 

というフォイニクスについての解説。

 

最後に、このことはフォイニクスには関係ないのだけれど、エウメネスのフォーキオン失脚政策について色々言及したいことがある。

 

『ヒストリエ』ではエウメネスがアンティパトロスの命を受けてフォーキオンの失脚を工作するのだけれど、なぜあの場面が描かれたのかがこの前分かった。

 

『ヒストリエ』の参考文献である『歴史叢書』では、カイロネイアの戦いに際して、まともに指揮を出来るのはカレスしかいなかったと言及されている。

 

「アテナイ人の方はというと、最良の将軍たち――イフィクラテス、カブリアス、そしてさらにティモテオス――は死に絶え、残っていた最良の将軍であるカレスは指揮官に必要な活気と慎重さにおいては凡庸な戦士と大して変わらなかった。(参考)」

 

この記述について僕はカレスの解説を書いてからおぼろげに思い出すことがあって、それに際して『ヒストリエ』の描写との差異に気が付いた。

 

この時点だとアテネにはフォーキオンが居て、カレスがアテネの最良の指揮官であるということはないはずになる。

 

ディオドロスの『歴史叢書』ではカイロネイアの戦いの戦い時の時点でフォーキオンの動向についての記述がなくて、カイロネイアでフォーキオンが指揮を取らなかった理由が言及されていない。

 

『英雄伝』では優秀な将軍としてカイロネイア以前から活躍していたような描写がされているけれども、カイロネイアの前に『歴史叢書』の記述で2~3か所軍を率いたという言及があるだけで、他だとポリュペルコンらに弾劾されたことについて位の言及しかない。

 

ディオドロスにとってフォーキオンは重要な将軍ではなくて、だからこそカレスが最良であったと言及しているのだと思う。

 

一方で『ヒストリエ』の原作である『英雄伝』で素描されるフォーキオンは非常に有能な将軍で、『英雄伝』準拠だとカレスがアテネの最良の将軍であるということはない。

 

そこでおそらく、岩明先生はカイロネイアの戦いでフォーキオンが指揮官として参戦しなかった理由が必要だと考えて、そのために失脚工作をエウメネスにアンティパトロスが命じるという話を考えたのだと思う。

 

ちなみに、その話はフィリッポスからではなくてアンティパトロスからエウメネスへ命令が下るけれども、何故アンティパトロスが主体となってフォーキオンに対して色々やるかと言うと、原作の『英雄伝』でこの二人が昵懇の仲だからになる。

 

「 そこで他の使節はこの(アテネとマケドニアの)和解の条件を寛大だと満足したが、クセノクラテースは別であった。アンティパトロスの態度が奴隷に対する者としては寛大であるが自由人に対するものとしては苛烈だと云ったのである。しかし、フォーキオーンが守備隊を置くことを勘弁してくれと頼むと、アンティパトロスは『フォーキオーン、私はあなたの願は何でも容れて上げたいと思うが、あなたをも私をも滅ぼすようになる事だけは聴かれない。』と云った。(プルタルコス『プルターク英雄伝 九』河野与一訳 岩波文庫 1956年p.211-212 ()内は引用者補足 旧字体は新字体へ変更)」

 

まぁ昵懇というとアレかもしれないけれども、カイロネイア後のアテネの処理はアンティパトロスが行っていて、それに際してアテネの事実上の支配者であるフォーキオンとは友好的な関係であったと『英雄伝』の記述から読み取れる。

 

何でもするって言ってますし。

 

この話についてはフォーキオンについての解説の記事を書いた数か月後に理解して、けれどもフォーキオンの記事に書き足すのは「まぁいいや」で済ませた内容だけれども、今回、フォイニクスの話で、そのフォイニクスはフォーキオンの話の時に出てくるので、ついでに書くことにした。

 

ちなみに『英雄伝』のフォーキオンの列伝だと、カイロネイアの戦いはフォーキオンが他の場所で仕事をしている間に他の将軍たちが出陣することが決まっていて、諸々のことが決定してからフォーキオンは帰ってきて、そこからマケドニアと戦争することにいつものように冷や水をかけるように諫言をしたのだけれど、聞き入れれなかったと書かれている。

 

とはいっても、アテネには軍事行動を起こす前に帰ってきていて、別に物理的にアテネ軍を指揮することは可能だった感じの言及だから、『ヒストリエ』ではエウメネスがアンティパトロスの命で失脚工作をすることになったのだと思う。

 

加えて、フォーキオンは『ヒストリエ』だと派手にマケドニア艦隊を蹴散らしていて、けれども、今後の展開でフォーキオンが十分に活躍する場面は『ヒストリエ』の物語ではないので、他の場所で仕事してたからカイロネイアの戦いでは指揮を取らなかったではあまりに尻つぼみの展開だから、その帳尻合わせとして、『ヒストリエ』ではあのような物語になったのだと思う。

 

あんなに派手に出てきて派手に活躍して、以後登場しないとか、何だったんだあいつという話になるのであって、そうならないために一つエピソードを入れたのかな…って。

 

で、原作ではアンティパトロスと仲良しだから、アンティパトロスがその命を下す係として、ついでだからフォイニクスの早出しをしたという感じになると思う。

 

まぁ実際のところは僕は作者じゃないので分からないのだけれど。

 

という感じのフォイニクスについてとかの解説。

 

…実際の所、フォイニクスという名前がフェニキア人という意味だという話をしたかったから記事を作っただけですね…。

 

それ以上でもそれ以下でもないから…まぁねぇ。

 

そんな感じです。

 

では。

 

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