表題通り、鬱漫画とセカイ系について色々書いていく。
僕は『なるたる』という漫画についての解説を以前ねっとりとしたやり方でしたことがあるのだけれど、『なるたる』は一般的に鬱漫画とされている。
そういうような漫画の解説をしたからなのか、ある日、『エイリアン9』という漫画について、『なるたる』と同じ方向性で病的だというコメントを頂いたことがある。
さしてその漫画に関心があったということもないのだけれど、折角なのでということで、その漫画を読んでみたことが以前あった。
読んでみての感想は、大して鬱漫画でもないというのが実際のところだった。
『エイリアン9』という漫画は確かに、作者がロリコンでそう言ったところでは『なるたる』と類似性はあるのだけれど、コメントで言われたように『なるたる』と同じ方向性で病的であるという認識を僕は抱きえなかった。
僕はこのことを踏まえて、一つの見解を得ることが出来た。
その見解は何かというと、同じ言葉でも人によって理解が全く違うということになる。
実際、鬱漫画とか鬱アニメとか鬱映画とかそういう触れ込みというかなんというか、そういう方向性の作品だという見分を見聞きすることはあるのだけれど、実際にそのような作品に触れてみて、僕がその作品を鬱的な作品だと感じるような場面はさほど多くない。
例えば、鬱漫画として『ミスミソウ』という漫画が有名になる。
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僕は一応、この作品を読んだことがあるのだけれど、読んでの感想は「言うほど鬱か?」だった。
実際、この作品は非常に暴力的な描写があって、非常に胸糞悪い展開が描かれていて、その酷すぎる出来事に対して復讐していく内容になるのだけれど、ただ暴力的なサスペンスであって、僕はちっとも鬱要素を見出すことが出来なかった。
僕は『エイリアン9』を読んだときにも思ったけれども、『ミスミソウ』を読んだときはその時以上に、同じ言葉でも人によって理解が違うのだなと強く思った。
きっと、『ミスミソウ』を鬱だと言うような人は、暴力的で残酷な"何か"を鬱だと理解していて、僕の理解している鬱的な作品とは違う何かを指して、鬱的だと判断しているのだろうと思う。
こういうシーンは他にもあって、セカイ系という言葉にも人によって理解に差がある。
僕はセカイ系という言葉について、そのような作品は大体エヴァっぽいもの全てであると認識している。
具体的な定義はなくて、なんとなくエヴァっぽかったらというか、エヴァの影響下にあるような作品がセカイ系だと判断しているのだけれど、そういう判断がある一方で、まったく違うような判断をする人がいる。
東浩紀という社会学者が、自著の中でセカイ系を定義したという出来事があった。
まぁ彼の議論について、僕は社会学者のつく嘘と、彼らの作り上げる妄想と、自分でも何を言っている分からないような議論に付き合う動機がないので、彼が定義したセカイ系についての詳しい話はどうでも良い。
けれどもどうやら、彼は適当にセカイ系と言われている少ない作品を鑑賞したり読んだりして、その本を書いたらしいということは分かっている。
なんでも、私とあなたの世界で物語が進行して、結局世界は滅びるのだけれど、その滅びる理由を敢えて語らないようなものを指して、セカイ系と呼ぶと彼は定義したらしい。
…。
面倒になったので、Wikipediaの記述をコピペしましょうね。
セカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、「世界の危機」とは全世界あるいは宇宙規模の最終戦争や、異星人による地球侵攻などを指し、「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す[8]。セカイ系の図式に登場する「きみとぼく/社会領域/世界の危機」という3つの領域は、それぞれ「近景/中景/遠景」(別役実による)や「想像界/象徴界/現実界」(ジャック・ラカンによる)といった用語に対応させて言及されることもある[9]。
このような説明を東浩紀はしているらしい。
実際、セカイ系と言われている作品の中で、彼が言うような作品もあって、例えば『最終兵器彼女』というセカイ系と呼ばれている漫画は、主人公とその彼女との関係性が描かれる中でセカイは段々と滅んで行って、じゃあどうして滅びていくかは一切語られていないような作品になる。
おそらく、先の社会学者はこの作品を見たり読んだりしたのだろうなと思う一方で、限られた数のセカイ系作品しか読んだことがないのだろうなと思った。
セカイ系と言ったら『新世紀エヴァンゲリオン』が鏑矢というかなんというか、ぶっちゃけセカイ系は全てエヴァっぽい作品のことだと僕は考えているのだけれど、この『新世紀エヴァンゲリオン』は別に、私とあなたという関係性で物語が進むわけでもなければ、世界が滅びようとする話について、国家や国際機関は描かれないと東浩紀は定義したけれど、エヴァは主人公自身が国際的な機関の所属して戦うような物語になる。
社会学者は妄想をこねくり回して嘘を事実だと主張することを恥とも思わない連中だということはもう最初から分かっていたから、僕はさもありなんとしか思わない。
…僕は『知の欺瞞』という、社会学者の嘘を暴いた本を読む前から社会学者には辟易していて、クリステヴァとエドガール・モランおよびバーバラ・ウォーカーの著書を少し読んだことがあるけれど、彼らが何を根拠にそう言っているのかマジに分からなかった。
社会学者が嘘つきだという話はどうでも良いのだけれど、実際問題として、東浩紀が定義するセカイ系を言って、ある文章をセカイ系だと判断する人物と会ったことがある。
彼はセカイ系と言うけれど、僕が理解するセカイ系の話とはまるで違うから、少し聞いてみたらどうやら、彼は東浩紀のセカイ系の話を読んだことがあって、彼の中のセカイ系は東浩紀の定義するところのセカイ系であるらしいということが分かった。
問題は、僕の理解するセカイ系と、彼の理解するセカイ系、どちらが正しいのかということになる。
僕はこのことについて、ただ純粋に、どちらが正しいということはなくて、同じ言葉でも理解が人によって違うのだろうと考えている。
社会学者の定義するところのセカイ系が嘘でしかないということは良いのだけれど、一方で僕が抱いているセカイ系の理解が普遍的で妥当性を持っている保証は何処にもない。
僕は『ミスミソウ』を胸糞悪いとは思ったけれども、一方でちっとも鬱漫画だとは思えなかった。
だけれど、『ミスミソウ』を鬱漫画だと判断するような人もいて、そのどちらが正しいかについてなのだけれど、おそらく、どちらが正しいということはなくて、同じ"鬱"という形容詞について、まったく理解が違うだけなのだろうと思う。
僕は『なるたる』をまごうことなき鬱漫画だと考えているけれど、どうやら、『なるたる』を読んだところで一切鬱漫画だと思えないような場合もあるらしい。
なんでだろうと考えたのだけれど、まぁ作品が難解過ぎて、何が起きているのかすら分からなかったとか、読んだ人のパーソナリティが陽属性過ぎて、『なるたる』に存在する鬱要素を感受出来なかった可能性もあるし、人間は逆張りすることも多いから、鬱漫画として有名な作品を指して、「あんなの全然大したことない」といったのかもしれない。
そのどれが正しいか分からないけれども、『なるたる』は実際、鬱漫画になる。
何故そうと言えるかと言えば、僕のねっとりとした調査によって、当時作者が何等か精神的に不調であって、どうやら抗鬱剤を飲んでいたらしいというところまで分かっているからになる。
僕によるねっとりとした検証によって、事実『なるたる』のいくらかの描写は鬱的な精神状態に由来しているということも分かっているし、実際問題として、『なるたる』の読者は精神病んでいる人が多い。
僕のtwitterのアカウントなんてほぼほぼ『なるたる』関係しかフォローされてないというか、僕はフォロー返しの形でしかフォローしてなくて、一方で僕に何か関心のあるような人なんて『なるたる』の読者で僕の解説を読んだ人くらいしかほぼほぼいないので、基本的にフォローしている人≒『なるたる』の読者になっている。
その人たちがつぶやく内容を読む限り、精神に何等か不調を持っている人も非常に多くて、四人に一人から、三人に一人くらいの割合で、何等か精神的に不調である様子があるし、幾人かは実際、何らかの薬を飲んでいる様子がある。
…昔は二人に一人くらいだったような気もしないでもないけれど、フォローする人が増えて希釈されて、今数えたらそれくらいの割合だった。
人間は共感の情念を持っていて、共感できるような人間の方を高く評価するし、創作物についても結局はその延長線上にあって、強く共感できるような作品は良く思うような場合が多い。
実際、『なるたる』読んでいる奴は過去の僕を含めて病んでる人が多いし、実際、作者自身も薬飲んでたっぽいし、いくらかの描写は実際、そのような病気の発露として存在していると思う。
(鬼頭莫宏『なるたる』6巻pp.80-82)
ここで、「でも、自分が悪いんだから…」というセリフがある。
これは…病んでなきゃ出てこない発想なんだよなぁ。
直前の「どうしたらいいでしょう どうします」も同じような文脈になる。
メンタルが暗黒期に入ると、全てのことは自分が悪いと思うし、どうしようという焦燥感にまみれた強い情念にさいなまれる毎日になる。
漠然としたどうしたらいいとかどうすればいいとかいう強迫観念に苛まれるし、結局どうしようもないし、そうなったのは自分が悪いからだと思ったりする。
正直、僕は今これを笑いながら書いているのだけれど、なぜ笑っているかと言えば、「分かる分かる」という気持ちが強いからになる。
『なるたる』をたまに読み返すと、かつての自分が抱いていた情念を思い出すようで、懐かしさすら感じる部分があるんだよな。
かつての自分がどのように感じていたか思い出すばかりで、その発露として『なるたる』のいくら描写は存在しているのだろうなと思う部分もある。
僕は"そういう意味だ"と理解できるけれど、メンタルに一切の傷を持っていないような人にとってみれば、僕が何を言っているのかさっぱり分からなかったりするのかもしれない。
そのような人からしたら、『なるたる』はちっとも鬱漫画じゃないのだろうなと思う。
とはいえ、作者が精神的に病んでいたところで、その作品が鬱作品となるわけでは必ずしもない。
いくらかの漫画家の作品ついて、この人これ描いてた時、実際病んでたんだろうなぁと思うようなそれがあるのだけれど、そのような精神状態で漫画を描いたところで、その作品が世間様に鬱作品と理解されるとは限らない。
例えば、僕は『魚の見る夢』を描いていた頃の小川 麻衣子先生とか、『リクドウ』の最初の方の松原利光先生とか、『孤高の人』で北アルプス縦走を描いていた頃の坂本眞一先生は何らか病んでいたと思う。
けれども、それらの作品は別に鬱作品としては理解されていない。
まぁ知名度の問題はあるけれども、実際問題として鬱作品ということもない。
『魚の見る夢』のいくらかの描写は、絶対何らか病んでいたとしか思えないし、『リクドウ』の最初の方とか早めに病院に行った方が良いと思うような作品になっている。
『リクドウ』については、最初の方は精神的に不安定だったようだけれども、後半になるについて落ち着いていったようで、前半で見るような悪意に満ちた描写は減っていくし、小川 麻衣子先生については、僕は『ひとりぼっちの地球侵略』を最終巻以外読んだけれども、『魚の見る夢』と違って、そこまで病んでいる感は出ていない。
まぁ『ひとりぼっちの地球侵略』は、ところどころ怪しい描写はあるけれど。
『孤高の人』については中盤、人間どれだけ嫌なことがあればこんな漫画を描けるんだよという内容になっていて、この世界の全ての悪意を詰め込んだような展開と描写になっている。
主人公は本来的に一人で山に登りたいのだけれど、どうしようもない事情からチームを組んで山を登ることになって、ロープの先に居るその仲間たちについて、どんだけ人間関係で疲れたらこんなことを漫画に出来るんだよと思うような描写がされている。
(坂本眞一『孤高の人』7巻pp.110-111,pp.114-118,pp.120-121)
どれだけ嫌なことがあったらこんな漫画を描けるんだ…と思ったし、北アルプス縦走は終始こんな感じだし、この前後も基本的にこんな感じの描写が続く。
引用部分は比較的マシな方かもしれない。
最後のK2の登山に関してはそのような人間不信はあまり存在していないのだけれど、『孤高の人』の次の作品である『イノサン』を読んだ時僕は、ついに作者が壊れたと割と本気で思った。
まぁ『孤高の人』については原作者が本来的にいたのだけれど、その原作者は何らかトラブルがあったらしくて途中から関わってないし、そういったことで人間不信になってしまったりしたのかなとおぼろげに思う。
最初の方の『孤高の人』は実際つまらないから、原作者が抜けて作品としては良かったと思うけれど。
加えて、『孤高の人』に関しては描写が高度すぎて作者の抱く情動を読者が理解できないという部分もあると思う。
僕は『なるたる』の解説作業でよく訓練したということもあるし、昔っから現代文は人並み以上に得意だったから、作中の描写を理解できるのだけれど、そのような場合以外だとひたすらに主人公に共感できない作品であるらしくて、そういう意味で理解されていない部分もあると思う。
個人的に『なるたる』より『孤高の人』の方が理解するのは難しいと思う。
僕は三つ、作者は実際病んでいたのだろうなという作品を挙げたけれど、あまりそれらの作品は鬱漫画としては認知されていない。
結局、精神を病んだ人が作品を描いたところで鬱漫画になるとは限らないし、同じ"鬱"という言葉でも人によって理解が違うのだろうと思う。
そうそう、『シグルイ』とかの山口貴由先生について、彼は間違いなく病気なのだけれど、精神的に不調というか、生まれついての"アレ"なので、少し違う問題だと思う。
『覚悟のススメ』の完全版にチャンピオン連載時の作者コメントが全て収録されていて、それを読む限り、この人は生まれついて脳の形質が特殊なのだろうなと思えるようなそれになっている。
異邦人のような狂気に満ちたコメントが連なっていて、『覚悟のススメ』について、あれは狙って描いたのではなくて、素で描いてたんだなと理解できるようなそれになっている。
まぁ中には、「シャンプーとバスマジックリンを間違えた。ハゲよ! オレはうろたえぬ。」とか普通に面白いコメントもあるとはいえ、『覚悟のススメ』そのままの世界観の人物であるらしい様子がコメントから読み取れる。
(山口貴由『覚悟のススメ』9巻pp.78-79)
これを素で描いているわけだから、"そういう人間"なのだろうと思う。
結局のところ、作者が病気ならば鬱漫画が出来上がるということはないし、鬱漫画と言っても読んだ人がそうと判断するかどうかでしかない部分も大きいと思う。
実際、病んだ作者が作品を作ると大概の場合病んだ作品になるのだけれど、病んでいると読者が理解できるとも限らないし、病んでいると理解できたところでその作品が鬱作品となるわけでもない。
鬱漫画として特殊な事例として一つ、『ヒミズ』という作品がある。
この漫画も鬱漫画ということになっているのだけれど、これは…主人公が鬱状態であるような無気力な人物として描かれている。
鬱特有の無気力と言ってもいいくらいに何事にも心が向いてなくて、最後はネタバレを避けるため婉曲的な表現を選ぶにしても、そういう結末になっている。
行動原理は鬱的であるし、終わり方も鬱的ではあるから、実際鬱漫画なんだろうとは思うけれども、実際にそういう方向性で病んだときに生じる焦燥感が作中で見いだせないので、作者は精神的に問題を持っていたわけではないと思う。
さもなければ、焦燥感を伴わない精神の不調というパターンもあって、主人公はそういう病み方をしていたのかもしれない。
『ヒミズ』もそういう意味では鬱漫画には違いないのかもしれないけれども、『なるたる』と同じ方向性で鬱漫画ということもない。
結局、鬱漫画と言っても人によって理解というか定義が違うし、定義なんてものは数学や論理学じゃないんだから個々人の中で曖昧にしか理解されてないし、どの鬱漫画の定義が最も正しいとかはないのだから、当人が鬱漫画だと思えばそれは鬱漫画なのだろうなと僕は思う。
僕が言う鬱漫画は、作者が精神的に不調であって、読むだけでその作者の不調が伝染するようなそれを想定しているけれども、その想定は僕個人がそう思っているだけであって、他の人がどうであるかは定かではない。
…まぁ作者の本人がそういう精神状態であるかどうかは実際問題ではなくて、読んでそのような精神状態になるような作品のことを鬱漫画だと僕は思っている。
とはいえ、そういう漫画は作者の精神状態があれじゃなきゃひり出せないようなものだとは思うけれども。
ちなみに、高校生の時に僕は『なるたる』を読んだのだけれど、同級生に面白半分で貸し出して、その彼は読んだ日について「結局夕飯食わなかった」と言っていた。
間違いなく作者の精神的な不調が伝染しているような作品だと思う。
という感じの鬱漫画とセカイ系についての話。
本来的に表題は「鬱漫画について」だったけれども、思うところがあって今のやつに変えた。
そんな感じです。
アフィリエイトどうしようかなぁ。
結局、アメブロでやる限り利益なんて出ないのが実際だから、むしろアフィリエイトを設置してもそれに際する消費カロリーすらペイ出来ないんだよな。
でもまぁ、見たことも聞いたこともないような作品が多かっただろうから、一応の意味で用意しましょうね。
では。
・追記
Q.なんで鬱病って表現は使わないの?
A.何らか精神的に不調だったのは分かるけれど、専門家じゃないし、会ったことのない人物が鬱病だったかどうかの診断なんて下せるわけないじゃん。
・追記2
twitterで少し面白い呟きを見つけた。
なんつーか、色々な感じ方があるんだなぁって。
結局、鬱漫画などというものはその人がどのように受け取るか以上のことはないのだろうと思う。
…個人的に『なるたる』の終わり方に愛なんて感じないけれども。
虚無でしかないんだよなぁ…。
他にはこんなつぶやきも見つけた。
この方は解説という言葉を使っているからおそらく、僕が書いた何かを読んでいるのだろうけれども、やはり、物語が難解すぎて鬱かどうかという問題どころではない場合もあるらしい。
加えて、多くの場合このような作品はアニメだけを見て終わりにすることが多いらしくて、『なるたる』の場合だと大したことはない描写しかアニメでは描かれていないから、それを言って『なるたる』は鬱じゃないって言っている人もいると思う。
まぁ一方で、アニメだけ見て鬱だと言っている人も散見出来て、感性何て人それぞれでしかないよなと思う。
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