『ぼくらの』のアンコ編の解説(後編) | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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僕の苦行を再開していく。

 

前回まででアンコ編の戦闘直前までの解説が終わった。

 

今回はアイドルとの戦闘について書いていくけれど、今までの傾向的に、戦闘が始まると書くことがなくなるので大した内容にならないと思う。

 

…戦闘しか存在しない、カンジ編とかどうするんすかね?

 

それはさておき、敵のロボットが登場したので戦闘が始まる。

 

(7巻148-149)

 

敵の名前はアイドル。

 

このアイドルという名前は『ぼくらの』本編中には登場しないのだけれど、『ぼくらの』のオフィシャルガイドブックにその名前の紹介がある。

 

アイドルという言葉は日本語だとテレビに出ている若い女性や男性のことを言うけれど、元はギリシア語で偶像崇拝とかそういう意味になる。(ググりながら)

 

アンコはアイドルを目指していて、その相手がアイドルなのだから、何らかの作意はあるだろうけれど、おそらく、"I"から始まる敵の名前が思いつかなかったから、適当にアイドルという名前が付けられたというのが一番近いところだと思う。

 

このアイドルについてなのだけれど、おそらく、『神話・伝承辞典』のある項に由来を持っている敵になる。

 

『神話・伝承辞典』を以前読んだときに、あったんだよな、蜂に関する項目が。

 

だから僕はそれが由来だと思っていて、その項をここに書き写すのがあまりに面倒で、色々先延ばしにしてきて今がある。

 

で、いつまでも先延ばしにするのはあれだから、今さっき『神話・伝承辞典』を開いてその項を探したのだけれど、なんつーか、蜂の項もミツバチの項もなかった。

 

やべぇよ…どうすんだよこの記事…と思ったけれども、「蜂蜜」の項ならあったので、まぁこれ書き写せばいいかと思って、とりあえずメモ帳に書き写した。

 

書き写し始めて数行目で、実際、『ぼくらの』のアイドルの由来はこの項だと分かったから、まぁ無駄にならなくてよかったと思う。

 

とにかく、持ってくる。

 

Honey 蜂蜜
 蜂蜜は、塩saltと並んで、古代人が知っていた数少ない防腐剤の一つだったので、一般には再生の魔力を持つ物質だと考えられていた。小アジアでは、紀元前3500年から1750年にかけて、死者たちは、蜂蜜を塗られて防腐処理を施されたのち、いつでも再生できるようにと、胎児の姿勢でピトス(埋葬用の大がめ)の中に収められた。「蜂蜜の入っているツボの中に落ちる」ことは、「死ぬ」ことを表す一般的な隠喩となった。ピトスは女神パンドラ(「すべてを与える者」)の子宮を表わし、蜂蜜は彼女の神聖なるエキスになった。
 女神が、魔力を秘めた「ミツバチの香油」を用いて、死者に再び生を与えてくれるということは、数々の神話が象徴的な形で立証してくれている。デメテルの崇拝者たちは、自分たちの女神を「穢れなき母なるミツバチ」と呼び、デメテルを祭神とした女だけのテスモポリアの祭りでは、女性生殖器の形をした蜂蜜菓子を捧持した。エリュクスの神殿にあったアフロディテのシンボルは、黄金のミツバチの巣で、彼女に仕える巫女たちの名は、メリッサ(「女王蜂」)だった。この名は、阿修羅の巫女でユダヤの女王だったデボラの場合と同じであり、デボラという名も「ミツバチ」を意味していた。(後略)(バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』 「honey 蜂蜜」 大修館書店 1988年)

 

この蜂蜜の話の最初の方に、蜂蜜は再生の魔力を持つ物質だと書いてある。

 

一方で、『ぼくらの』に出てくるアイドルは、再生能力を持っている。

 

(7巻p.181)

 

もちろん、偶然『神話・伝承辞典』の蜂蜜の項に再生について書いてあって、偶然『ぼくらの』アイドルも再生機能を持っていたというだけの可能性もあるのだけれど、ゴンタとかフィッグとかそこのあたりのことを考えると、ジアースのロボットは『神話・伝承辞典』に由来を持っていると考えた方が帰納的に妥当だと思うし、そうじゃなくても『神話・伝承辞典』には鬼頭先生の漫画のモチーフが沢山存在しているのだから、この蜂っぽいアイドルという敵と、『神話・伝承辞典』の「蜂蜜」の項は関係性を持っていて、『ぼくらの』のアイドルはこの「蜂蜜」の記述にその着想の由来を持っていると考えて個人的に不備は見つけられない。

 

…当初の想定では、『神話・伝承辞典』に蜂の話はあるからそれがアイドルの由来だろうとは思っていたとはいえ、大して『ぼくらの』の描写と関係性ないし、そんな文章をカタカタと書き写すのはクソほど怠いなと思っていたのだけれども、実際作業をしてみたら存外に関係性があって、この文章を書いている僕が一番今驚いている。

 

溶解液も蜂蜜のイメージだったりするんですかね。

 

ともかく、基本的に『ぼくらの』のロボットは『神話・伝承辞典』由来ってことでいいと思う。

 

まぁキャンサーに関してだけは、『神話・伝承辞典』に「カニ」の項があるにせよ、『ぼくらの』作中の描写は他の神話学の本に由来しているだろうから、100%『神話・伝承辞典』由来ということもないのだけれど。

 

残りの敵の中でジャベリンは実際、ドラムと同じように「柱」の項が元だろうし、カナの時の敵はキャンサーⅡだから、もう『神話・伝承辞典』を書き写さなくていいわけであって、とても晴れやかな気分でこれを書いている。

 

もう…フェミニストの妄想文を読まなくていいんだ…って。

 

さっき、蜂についての記述を探すに際して、こんな項を見つけた。

 

Hurtus Cnclusus 閉ざされた庭

 「囲われた庭園」の意で、女神の「処女」相の象徴、処女神の庭園は、パラダイス(楽園)と呼ばれ、神話上では子宮と関連付けられた。処女性とは、女性の「楽園の門」がまだ開かれていないことを意味した。ソロモンの婚礼雅歌に見られる官能的な暗喩では、処女性を失っていない花嫁は、「閉じた園」であるばかりでなく、「封じた泉」(『雅歌』4:12)であった。彼女の処女性の象徴である石塀で囲まれた庭園の中にいるという神秘的な姿で描かれていた。(バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』 「Hurtus Cnclusus 閉ざされた庭」 大修館書店 1988年)

 

この項が何の話をしているのかはイマイチわからないけれども、処女の女神の庭をパラダイスと呼んでいたという記述がある。

 

パラダイスという言葉は元は中東の古代国家であるメディアという国の言葉のパリダイザという語が由来で、パリダイザはメディア語で「まわりに積み上げたものを持つもの」という意味になる。

 

ギリシア語に存在するパラダイスはこのメディア語のパリダイザが由来になっていて、このパリダイザは王侯貴族の狩場となった遊園のことになる。(伊藤義教『古代ペルシア』 岩波書店 1974年 p.173)

 

そもそもパラダイスという語自体には女神要素も処女要素もないし、元の語が狩り場という男の園を指す語であって、バーバラさんが何を言っているのかさっぱり分からない。

 

パラダイスと呼ばれたならそれは狩場なんだから男の園だろ…と。

 

楽園というニュアンスが後世強くなったというのは確かとはいえ、この『神話・伝承辞典』は男性的なものが強くなる前に存在していたという女神の世界を復権させることが主眼の本で、けれどもパラダイスという語は言語学的に男のフィールドである狩場を意味するような語になる。

 

かつて女神たちの世界が存在したとこの本は嘯くけれど、パラダイスは初めから男の園であって、バーバラさんが何を言っているのかマジに良く分からない。

 

パラダイスは神話上で子宮と関連付けられたとか言っているけれど、パラダイスという語自体が神話時代の産物ではなくて有史以後のメディア王国の狩場のことで、男に関係するような概念でしかないというのに、子宮だのなんだのという連想ゲームを特に根拠も示さずに言及している。

 

別にこの調子なのはこの項だけじゃないという話は何度も書いたけれども、そもそも基本的に社会学も神話学もこんな学問だから僕はそのような学問を掘り下げるのをやめたんだよなと思い出して、かつて抱いたむなしさがぶり返すようにまた胸中にわだかまって、今の僕はため息を絞り出すだけになる。

 

まぁそれはさておき、アイドルは実際、『神話・伝承辞典』に由来を持っているということでいいと思う。

 

棒状のものを相手に突き刺すような存在だから、フロイト的にはそれは男根でしかなくて、けれども、『神話・伝承辞典』に蜂の項がないのはバーバラさんがフェミニストで、男性的な発想を意図的に排除しているからだと思う。

 

フェミニストというのはそういう人種で、今現在生きている、上野千鶴子さんというフェミニストの社会学者は「自説に不利なデータは隠蔽するし、そのことは正しいことである」と臆面もなく言っていて、彼ら社会学者は、彼女らフェミニストは、そういう人たちになる。

 

(https://twitter.com/tk_takamura/status/1049904078791344129より)

 

学問に対して誠実であるならば、自説に反するデータが出て来たときに行うことは、そのデータを隠すことではなくて、自説の方を修正することになる。

 

けれども、社会学者やフェミニストはデータを隠してしまうらしい。

 

だから、フェミニストであるバーバラさんが女神たちの復権のために書いた『神話・伝承辞典』には男性の話はあっても黙殺されているから男性の話は少なくて、唯一あるのが「柱」の項くらいになる。

 

まぁ、どんなに言葉をこねくり回しても柱を女性として語ることがうまくできなかったんだろうな、って。

 

結果として、男根的な敵を『神話・伝承辞典』から出すのに苦労した鬼頭先生は、「柱」の項を二回使うことになったらしい。

 

その話はカンジ編の時に書くよ多分。

 

話をアンコ編に戻すと、戦闘が開始したときにまずアンコは父親に仕事を引き受けてくれてありがとうと告げる。

 

(7巻p.150)

 

ついでやっと一緒にテレビに出れると言っている。

 

まぁ前回がカタリくんのせいで一緒に出れなくなったということもあるのだけれど、おそらく、当初予定していたアンコ編では、アンコがアイドルを目指す理由はこのシーンに至るまで明かされることはなくて、唯一このアンコのセリフだけがアンコがアイドルを目指した理由の説明として存在していたのではないかと思う。

 

『なるたる』期の鬼頭先生だったらこの一言でさえ十分な説明だったのであって、おそらくはそうだと思うけれども、あくまで僕がそうと思った程度の話になる。

 

この後、ジアースのコクピットから世界へ配信が始まるのだけれど、漫画としてその流れは面白いにしても、解説できるところは特にない。

 

その報道の話が終わって、カンジが独白をする。

 

(7巻p.156)

 

カンジは飛ぶタイプであるアイドルを警戒しているけれども、今までの飛ぶタイプの敵は、ゴンタとかが居てトリッキーな攻撃をする可能性があるから厄介であるという話もあると思う。

 

それに加えて、ジアースは飛べないし、碌な遠距離攻撃を持っていないので、純粋に空中戦に弱いからそういうところもあると思う。

 

まぁどんなに力を持っていても当たらなきゃ意味ないから、飛行タイプとジアースの相性はあんまり良くない。

 

…というか、ジアースと相性の良い敵って居るんですかね?

 

アイドルは蜂のように針を刺すような敵で、その針に溶解液を仕込んでいて、コクピットを溶かすような戦法を取る相手になる。

 

アイドル戦はひたすらにそのことが描写されるだけであって、読んでて面白かろうが解説するところはほとんどない。

 

だから、戦闘自体の話はしようがないのだけれど、相手は結構舐めプレイするようなパイロットが乗っているらしい。

 

(7巻pp.167-169)

 

このようにアイドルのパイロットはわざとジアースの間合いに入った上で、それを避けるという挑発や舐めプレイのような動きをしている。

 

これはまぁ、実際舐めプしてるだけだろうけれども、戦略として必ずしも悪いことでもない。

 

実際、このことでアンコは頭に血が上っているし、挑発や舐めプをするのは人間だけということもない。

 

ガゼルというサバンナに住む動物は、チーターやライオンを前にして、わざと飛んではねて見せたりして、捕食者を挑発するということがある。

 

これは進化論の専門用語で"ハンディキャップ理論"として説明されている。

 

わざと余裕を見せることは、時に進化論的な戦略として成り立つこともある。

 

まぁ鬼ごっこをしていて、息も絶え絶えで逃げている相手と、余裕綽々で汗もかいてないで飛んで跳ねている相手、全力で捕まえるとしたらどちらを狙うかと言えば、瀕死の相手なのであって、自然界でもそこのところは同じで、そのように余裕を見せるということは進化論的な戦術として成り立つようなそれになる。

 

だから、相手を挑発したり、舐めプをするというのは必ずしもマズい振る舞いということはないのだけれど、アイドルとジアースの戦いの場合、挑発することで相手の冷静さを奪うことは出来るけれども、それが相手の間合いに入ることで発生するリスクと釣り合っているかは定かではない。

 

まぁ戦闘なんて全て鬼頭先生の匙加減でしかないし、アイドルが打ち落されたとき舐めプしてたわけではないから、アイドルのパイロットは一回くらいジアースを挑発したという以上の話はない。

 

アイドルは溶解液を注入する攻撃を繰り返すことによってジアースのコクピットの一部を溶かすことに成功する。

 

それに際して、マチの座る椅子の上に溶解液が落ちてくる。

 

アンコは身を挺してそれをかばう。

 

 

(8巻p.186-189)

 

それを見た徃住キャスターは、撮り続けるように言う。

 

(7巻p.190)

 

何故そう言ったかは次の話で説明される。

 

(8巻p.25)

 

このように次の話でもう説明があるくらいなのであって、鬼頭先生の憑き物が取れてしまっていて、なんつーか、解説できるようなところの方が少なくなってきて逆に作業がつらい部分もある。

 

まぁともかく、アンコは足に溶解液を受けて、下半身がドロドロに溶けてしまったらしい。

 

(8巻p.9)

 

けれども、このことが放送されたことによって、まさしく怪我の功名として、ジアースは応援されるような立場になる。

 

(8巻pp.10-12)

 

途中に出てくる病室や遺影の描写は戦闘での被害者ですね。

 

そのような人々さえもジアース側に傾いてきたという話なのだと思う。

 

良い展開だと思う一方で、鼻につくというか、こっぱずかしいような部分もあって、この中間にあたるような表現は存在していなかったのかなと個人的に思う。

 

一気にヒーローになりすぎてなんというか釈然としない部分もある。

 

けれども僕は他に展開も思いつかないから、この方向性しかなかったのかなとも思う。

 

僕は前回の記事で、報道陣をジアースに入れて政府はどんな得をするんだという話をしたけれど、おそらく、鬼頭先生の頭の中ではアンコが致死的な負傷をしてそれがカメラに映って、それを見た視聴者はジアースに同情的になるというところまで決まっていて、それ以外のパターンの想定が出来ていなかったのだと思う。

 

だから、鬼頭先生的にカメラをコクピットに入れるということによって国民はパイロットに同情的になると分かっているわけであって、カメラを入れるかどうかの決断をする段階では国民が同情的にならない可能性があるということを失念していたのだと思う。

 

実際、このアンコのエピソードがなかったならば、ジアースはありとあらゆる人から恨まれたままであって、その状態で戦い続けたのがウシロ編の相手なのだから、アンコ編はそういう意味では重要な戦いになる。

 

けれども、もしここでアンコが怪我をしなかったなら全てが成立しないのであって、鬼頭先生は怪我をしない可能性があるということを想定すらしていなかったからこそ、政府は報道陣をジアースのコクピットに入れるということになったのだと思う。

 

普通だったら政府がそれを許す動機がないもんなぁ。

 

話を戻すと、そのように皆の応援を受けたアンコは、自分をアイドルのようだという。

 

(8巻p.12)

 

そして、アイドルということに関連して、相手を倒す戦法を思いつく。

 

(8巻p.13)

 

その戦法は、練習してきたダンスの中にある、マイクを投げて受け取るという動作を相手の針で行って、相手の不意を突いて撃ち落とすというものになる。

 

その戦法を使う前に、無為に針を相手に投げることによって、相手に自分の意図を知らせないように工夫をする。

 

(7巻pp.14-16)

 

そして最後に、すっぽ抜けたと思わせるように高く針を放り投げる。

 

(8巻p.18)

 

相手はそのアンコの意図に気づかず、ジアースの間合いの直ぐ近くまで、あの針さえあれば届いてしまうような近くまで近づいてしまう。

 

(8巻pp.18-21)

 

そうして、見事相手を打ち落とす。

 

撃ち落した相手を追撃して、コクピットを剥き出しにするところまでしたところで、アンコは父親を外に出そうとする。

 

けれどもコエムシに妨害される。

 

(8巻p.24)

 

何故コエムシがそうしたのかは前回説明した通り、大切な妹であるマチの顔に傷がついて不愉快だったからで、結局、徃住キャスターはこの後アンコが死ぬということを知っていたがゆえに、コエムシの悪だくみは意味をなさなかった。

 

(8巻p.25)

 

この後、これから死を迎えるアンコは全国に向けてメッセージを送る。

 

その一連のくだりについて、説明できるところは何もないのだけれど、この解説記事の締まりの問題で、持ってくることにする。

 

 

(8巻pp.28-36)

 

結局、アンコがアイドルになりたいというのは二次的な理由であって、一番は父親と一緒に居たいということで、父親と一緒に居たいからアイドルを目指していたわけであって、アイドルを目指すことによってテレビに出て、父親と一緒の時間を過ごしたいだけのかわいそうな女の子がアンコになる。

 

だから、父親と一緒にテレビに居ることがアンコが描くアイドルなのであって、父親にインタビューされることや、父親の隣で恥にならないように振舞うために色々やってきた部分もあると思う。

 

そして何よりも、父親のことが恋しくて仕方がないから、父親が出ているテレビをいつもいつも見ていたのだろうと思う。

 

(8巻p.38)

 

そういう感傷的な終わり方だから、あまり言及したいこともない。

 

ただ一つだけ、カナが何かを思っているシーンがある。

 

(8巻p.37)

 

これはウシロの本当の母親を探してもらえるかもしれないと考えている。

 

とりあえずは以上になる。

 

次はカンジ編なのだけれど、解説のためにどういうわけかどうしても『生徒会役員共』のあるシーンが必要で、具体的には八百屋のマツタケを見ているシーンが必要なのだけれども、何処にあるか分からないからそれを探さなければいけなくて、それが見つかるまでは書くことが出来ない。

 

自分でも何を言っているか分からないけれども、それが見つかるまでは解説を書けないので、まぁ当分先になると思う。

 

そんな感じです。

 

では。

 

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