漫画『キングダム』の謎 | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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書いていくことにする。

 

こんな表題だけれども、別に作中の伏線とかを洗いざらいするとかそういう話ではなくて、僕が個人的に読んでいて謎で仕方がないことについて色々書いていく。

 

ちなみに、別にネタバレとかはないです。

 

あ、そうそう。

 

『キングダム』は未だに毎週読んでいるし、単行本は全部読んだけれども、なんというか、普通に原作の方が面白いと思う。

 

『キングダム』は概ね、古代中国の歴史書である『史記』という本を元に描かれている。

 

僕はその『史記』が好きだったり、個人的な用事のために古代中国のテキストを人よりは沢山読んだから、それが故に、『キングダム』の描写でどういうことなの…と思うところが多いので、そういう所について書いていくことにする。

 

『キングダム』では結構城攻めのシーンがあるけれど、その攻め方は基本的に力攻めになる。

 

(原泰久『キングダム』34巻p.192 以下では簡略な表記を行う)

 

門を破壊するのに丸太を使ってはいるけれども、頑なに兵器を使おうとはしない。

 

ただ、城壁に網梯子みたいなものをかけて登ろうとしたり、他には井闌車という所謂、攻城塔というものは一応出てくる。

 

(26巻p.65)

 

まぁ出てくると言っても、出てくるのは函谷関の戦いだけで、基本的に力攻めというか、人海戦術で城は落としている。

 

…作画するのめんどくさかったりするんですかね?

 

ただ、このことは史実に反している。

 

古代中国の人々だって、命がかかっているんだから必死に戦った。

 

『キングダム』の舞台である戦国時代に書かれたとされている『墨子』という思想書の後半に、具体的な城攻めの対策について書かれている部分がある。

 

この『墨子』という本は、「天は人々が増えるということを望んでいるというのに、どうして戦争をするのか。いや、してはいけない。」という思想を説いた本で、その信徒たちは、戦争を止めるために弱者に肩入れして傭兵として攻められている側で参戦してたりしたらしい。

 

それに際して、具体的な対攻城戦の指南についての記述が『墨子』には存在している。

 

その中に当時中国で使われていたいくつかの兵器、いくつかの戦術、それに対する対抗策について書かれている。

 

その兵器の中に井闌車があるのだけれど、言及がある兵器はそれだけではない。

 

破城槌呼ばれる兵器の他に、バリスタの記述が存在している。

 

(破城槌 http://www.hitsuzi.jp/2007/07/953sheep.htmlより)

 

 

(バリスタ https://www.123rf.com/photo_24092920_cartoon-image-of-ballista-weapon.htmlより)

 

このでっかい弓は函谷関防衛戦の時に床弩って名前で出てきてたよね。

 

この兵器については『墨子』に言及があるからお手元の『墨子』を確認したけれど、僕がこれから書こうとしている事柄について読もうとしたら、その部分は「難解な点が多く、ここでは最初の部分の抄訳だけに留めた」とか、たわけたことが書いてあった。

 

何で全部訳さないんだよ、こっちの事情も考えてよ、どうすんだよこの記事、と思ったけれど、偶然手元にあったもう一冊の『墨子』を見てみたら、そっちではちゃんと書いてあった。

 

何故か僕の手元には『墨子』が5冊ある。

 

3冊は部分訳で、残りは完訳で上下巻。

 

そんな話はさておいて、『墨子』の本文中にこれらの兵器についての記述がある。

 

破城槌は"衝"という名前だけ出てきて、それ以上の記述はない。

 

バリスタについてはしっかりとした記述があって、これは巨大なクロスボウというか、弩のようなもので、具体的な寸法まで記載されている。

 

どうでも良いけれど、その記述を確かめている最中に『六韜』という古代中国の兵法書の中で「およそ城攻めをするに際して兵器を用いないことはない」と言及されているということが分かった。

 

注釈にその旨が書いてあった。

 

『六韜』は昔だと偽書扱いされていたのだけれど、今だと当時の遺跡からこの本の一部が出土したりしていて、当時のことを示す資料として扱えるようなテキストになる。

 

だから、『キングダム』では何故か攻城兵器の一切を使用しないけれど、しっかり当時の中国人は使っていたし、『キングダム』の描写は実際的ではないとしか言及できない。

 

実際的じゃないから悪いという話ではないのだけれど、個人的にそのような描写が謎に見える。

 

他にも投石機は存在していたらしいのだけれど、とりあえず『墨子』の中でその記述は見つけられなかったし、どんなテキストにそのことへの言及があるのか分からない。

 

・追記

出土文献である『孫臏兵法』を読んでいたら、比喩の中に投石機の記述があった。

 

そういう比喩が可能であるという事は、この本が書かれた古代中国戦国時代では投石機は使われていたらしい。

 

『キングダム』には出てこないけれど。

 

追記以上。

 

加えて、『キングダム』だと全体的に何だか乾いた荒野みたいなところが舞台だけれども、普通に草原地帯や森林地帯といった緑の溢れた地域から優先して街は作られるわけであって、実際問題として当時の中国は緑に溢れていた。

 

(46巻p.149)

 

おそらく、そのような描写になったのは、横山光輝先生の『三国志』などの古代中国を描いた作品が、何故だか荒野でばっかり戦ってるからだと思うよ。

 

あの横山先生の描いた中国観のままの人が結構いて、原先生の描く中国が乾いているのはそのせいだと思う。

 

実際は緑に溢れていて、横山先生が何であんな描写をしたのかは僕には分からない。

 

ただ、旧日本軍の軍歌に『露営の歌』というものがあって、これは中国戦線の歌なのだけれど、「果て無き荒野 踏み分けて」という歌詞があるから、日中戦争当時に日本人が滞在した地域がそういう地域であったのかもしれなくて、そういう情報が横山先生の漫画に影響を与えたのかもしれない。

 

まぁ当時の日本人が進駐した満州あたりとかはそもそも寒くて平原地帯ばかりだから、それを中国全体のイメージと据えるのは間違っているのだけれど。

 

・追記

そういえば軍歌の『父よあなたは強かった』という曲の歌詞ってどんなのだったかとふと気になって調べてみたのだけれど、歌詞の中に「荒れた山河(さんが)を幾千里」というそれがあった。

 

やっぱり、当時の日本軍の感覚だと中国は荒れ地だったというか、満州国あたりの地域はそんな感じだったのだと思う。

 

実際はどうかは知らないけれど、横山光輝先生の描写はそういう所に理由がある可能性はないではない。

 

ただまぁ、そんなのは中国でも北の方の話で、そもそも豊かな土地じゃなきゃ文明は栄えないのだから、普通に『キングダム』の舞台になっている地域は豊かなところの方が多いのだけれど。

 

追記以上。

 

中国は何千年も営々と人々が暮らしてきたけれども、それに伴って自然環境は破壊されまくっていて、一方で『キングダム』の舞台である戦国時代ではかなりまだ緑は残っていた。

 

そこの辺りの描写も個人的には謎めいて見える。

 

草の一本すら生えてない地域の割合が多すぎる。

 

それと、横山光輝先生の『史記』も『三国志』も『キングダム』も、荒野にポツンと城壁があるような街を描いているのだけれど、どうもこれも実際的ではないらしい。

 

(31巻p.74)

 

当時が都市国家単位だったのは間違いないのだけれど、どうも城壁の周りに堀が掘られてあって、そこに水が満たされていて、日本の城の水堀みたいな感じになっていたらしい。

 

『墨子』の中に、敵が城池を埋めてきた時の対処方法についての記述がある。

 

なんか、火で撃退したらいいらしいっすよ?(適当)

 

当然、全ての城に堀があったとは言えないのだけれども、『墨子』の中でそのように堀を埋められることへの対策が想定されている以上、『キングダム』では登場しない水堀の備えられた城はありふれていたのだと思う。

 

・追記

『尉繚子』という中国の戦術書を読んでいたら、堀池が深くて広く、城壁が固くて厚く、人が十分に居て食料や薪があって、武器が揃っているというのが守りの鉄則だという記述を見つける。(池深而廣、城堅而厚、士民備、薪食給、弩堅矢強、矛戟稱之、此守法也。)

 

なんというか、やはり堀のある城は古代中国にはかなりあったらしい。

 

この『尉繚子』はいつ書かれたものかは分からないけれども、とにかく、中国の城には堀は結構あったということで良いと思う。

 

追記以上。

 

城に関連して、『キングダム』 では力攻めしかしないけれども、モグラ攻めというか、地下道を掘ってそこから侵入して城を落とすという戦法は当時の中国で用いられていたらしい。

 

『ヒストリエ』ではこの戦法は出てきていた。

 

(岩明均『ヒストリエ』7巻p.208)

 

これが実際、古代中国では行われていたらしくて、相手に穴を掘られた時の対処方法についての記述が『墨子』には存在している。

 

そのような敵の行動に対応するには、見張りを立てて注意深く観察させ、敵が急に垣を作ったり、土を積んだりといったいつもと違う行動をして来たら、敵が穴を掘り始めた証拠ということらしい。

 

穴を掘る以上、土は必然的に出てくるから、その土が山になったり、穴掘っている場所を悟られないように隠したらそれは敵がそういう行動をしている証拠になる。

 

そして、敵のそういった行動が見て取れたら、五歩ごとに井戸を掘って、太鼓みたいに甕の口を皮で覆ったものを用意して、掘った井戸の中でそれを使って耳の良いものにその音を聞かせて、地下にいる敵の方向を探らせたのちに、こちら側からも穴を掘って先制攻撃すると書いてある。

 

さもなければ陶器の管をいくつか用意して、ふいごという、鍛冶をするときに空気を送り込むやつで土中の敵に炎熱を送り込むと言及がある。

 

他にもいくつかやることは書いてあるけれど、なんというか、ガチでそういうことやったんだろうなという感じの記述がある。

 

戦争なんだから、出来ることは何でもやるのが普通だよなと思うし、他には水攻めについての記述もあったりする。

 

『キングダム』では普通に力技でしか城は落とさないけれど。

 

他には、『孫子』に次ぐ知名度のある、『呉子』という古代中国の兵法書の中に、当時の中国の軍制についての言及があるのだけれど、『キングダム』の軍制とかけ離れている。

 

そこら辺は詰めて漫画を描いていない様子ではある。

 

加えて、当時の中国の思想というものに対しての理解はほぼないか、さもなくば少年誌ということで、知っていても一切作中に反映させてないと言えるくらいに、当時の中国人的な思考を登場人物が行わない。

 

結構、地域ごとに考え方の特色があって、古代中国だと儒教とかそういったものが本当に色濃い。

 

古代中国特有の考え方というものが存在しているのだけれど、その辺りについての描写が一切存在していない。

 

例えば、古代中国だと親が死んだら長い期間喪に伏したりするし、親という存在は絶対的な存在になる。

 

王賁は『キングダム』作中で父親である王翳に結構反抗的だけれども、あれは当時の価値観ではあり得ないか滅多にないそれであって、王賁を囲う王翳の部下たちの態度も、儒教道徳的には奇妙この上ないそれになる。

 

史実で、秦の始皇帝になる秦王政は母親に謀反をされたのだけれど、殺せなかった。

 

それは古代中国人的に、親を殺すだなんて絶対に出来ないというほどの道徳的な悪であったからであって、それが故に殺すことが出来ずに秦王政は、母親のことを幽閉するという手段を選んだ。

 

けれども、その幽閉さえも親不孝というかなんというか、許されざる道徳的な悪であって、客人にそのことを咎められて解放するということまでやっている。

 

こう言ったところは中国人的な発想で、他の地域、例えば古代インドでは見受けることが出来ない。

 

そして、何故だか古代中国が舞台の『キングダム』でも見受けることが出来ない。

 

仕方ないね。

 

・追記

これを書いた数か月後に王翳と王賁とで血の繋がりについてでギクシャクしているという設定が『キングダム』で明かされる。

 

ただどの道、血が繋がっていようがいまいが、親に仕えて平身低頭するのが古代中国的な価値観になる。

 

勿論、家庭によって程度の差はあったのだろうけれども、王氏は秦の貴族の家系なのだからしっかりとした教育がされているだろうし、もっと子は親に服従するのが自然だろうと僕は思う。

 

ただ、そんなことは作者的にも読者的にもすこぶるどうでも良いことだし、僕が少し「ん?」と思う程度でしかないのだけれど。

 

追記以上。

 

中国の社会では上下関係の礼儀が本当に厳しくて、目上の人の持ち物を跨ぐことすら道徳的な悪になる。

 

この辺りは日本でもそういう文化が若干残っていたりするけれど、『礼記』という儒教の聖典の記述を見る限りにおいては、少しでも目上の人には絶対服従だということが理解できる。

 

身分によっては"瓜"の提供の仕方が違っていて、身分によって切り方まで変わってくるほどに、上下関係は厳しい世界になる。

 

だというのに、『キングダム』の主人公の信は、ありとあらゆる人物に馴れ馴れしい。

 

当時の風俗から言って、あの言動だと殺されても誰しもが当然だと判断しかねないそれであって、当時の中国の風俗では考えられない態度になる。

 

何故、古代中国が舞台なのにそんな人物が主人公なのか、僕にはただ謎でしかない。

 

もっとも、『キングダム』の時代から少し後の劉邦という人物は実際酷く無礼な人物で、儒教徒を見ると冠を奪ってそこに放尿をするような人物であると『史記』の"酈生陸賈列伝第三十七"に書いてあるので、別に無礼な人物がいなかったわけではないのは確かになる。

 

加えて、主君や親を殺して王位を簒奪するというエピソードは結構あるから、全員が全員そういう風に敬っていたというわけではないのだけれども、キャラクターの全体的な発想というか考え方が春秋戦国期の中国人らしくない。

 

信とかその仲間とかの発想は、何というか現代日本人的だよなと思う。

 

他には、歩兵が所持した武器の中で、秦の始皇帝の兵馬俑という墓で出土したものには多彩なものがあって、少なくとも『キングダム』で出てくるようなそれしかなかったことはないということは確かだという話もあるのだけれど、ここら辺は僕も詳しくないのであまり言及はしない。


当時の秦の軍備では、弩がメインウェポンだと聞いたこともあるけれど、記憶が曖昧なのでそこについても言及しない。

 

ただ、当時の武器の素材についての話があって、当時は青銅器もしくは、あまり質の良くない鉄器だったという話がある。

 

少なくとも兵馬俑で発見されている武器の類が青銅器だから、秦のメインウェポンは良く精錬された青銅器だったのだろうと思っていたのだけれど、もしかしたら兵馬俑用に鋳造製で製造が楽な青銅器が選ばれた可能性はないかと思い直して、色々調べてたのだけれど、燕の遺跡などから鉄で出来た武器が出土していて、鉄器と青銅器が混在していた様子ではあった。

 

その鉄器なのだけれど、鍛造というイメージしやすい叩いて作るそれではなくて、鋳造という型に流し込んで作るタイプのそれだったと聞いたことがあるのだけれど、それについて書かれた論文や資料を探したけれども見つけることが出来なかった。

 

鉄という金属は鍛造をしないで鋳造した場合、武器として用いるには劣った性質として出来上がってしまって、鋳造で作られた鉄の武器は、性能として青銅器に劣っているようなそれになる。

 

中国の戦国時代の製鉄技術について言及された資料を見つけることが出来なかったからあれだけれども、ただどの道、あまり良い鉄製品ではなかっただろうとは言えて、当時の技術力ではそんなに良い鉄は作れなかったのは確かだと思う。

 

『キングダム』の世界では、人を紙屑みたいに矛で切り裂いているけれども、あれは鋳造で作られた鉄器か、さもなければ青銅器で行われている。

 

(25巻p.84)

 

青銅器だった場合、早い話としてそれは"どうのつるぎ"でしかないのであって、現実と描写の乖離が甚だしい。

 

別に結局漫画でしかないのだから、エンターテイメントとしてこういう描写があるということはそれで良いのだけれど、当時の製鉄技術ではそのような刃物は作れないし、そもそも青銅器の武器であった場合もあって、そんな扱いしたら武器が直ぐ駄目になったと思う。

 

作中で、莫邪の剣とか出てきたり、王騎の矛とか仰々しく出てくるけれども、青銅器か鉄器かは分からないにせよ、金属器としてはあまり性能の良いそれではないというのは確かだと思う。

 

(26巻p.163)

 

(46巻pp.127-128)

 

なんか、物凄い武器みたいな話になっているけれど、普通に素材としてはそこら辺の100円ショップで売っている包丁より劣っている。

 

100円ショップの包丁と比べたらあれかもしれないけれども、今普通に買える上等な包丁よりは確実に劣った刃物であって、そこの辺りを考えると、このような演出は何とも言えない気持ちになる。

 

ちなみに、鉄器と青銅器、加えて石器についてなのだけれど、切れ味自体は結局砥石で研ぐからそこまで差はない。

 

ただ、その耐久性と武器としての性能には差が出てくる。

 

磨製石器は切れ味自体は良いし、黒曜石の打製石器などは鉄器などよりも遥かに切れ味自体は優れている。

 

けれども、石器は鋭くてもかけやすくて、それを兵器として常用するにはあまり優れてた性質を持っていない。

 

青銅器はそれに比べてかけることに強くて、石器よりも長く使うことが出来る。

 

けれども、強い衝撃を与えられると簡単に曲がってしまう。

 

一方で、鉄器はそれらの武器に比べて頑丈で、曲がらないし欠けもしない。

 

鉄器は手入れさえしっかりすれば長く使うことが出来て、グリーンランドでは鉄器を製造できる環境ではないから、同じナイフを研いで研いで使い続けた結果、本当に短くなってしまったそれが発掘されたりしている。

 

青銅器は鉄器に比べて製造に易いという点があって、鋳造で作ることが出来、量産できるという点では優れている。

 

青銅器は石器に比べてもそこは優れていて、石器による武器は製造に難がある。

 

ただ、鍛造した鉄器に比べたらそれらは素材として劣っていて、時代が下るにつれてどの地域でも取って代わられたというのが歴史的な事実になる。

 

だから、どう頑張っても数百年後の鉄の剣の方が優れているし、更に時代が経てば鋼鉄というものが作れるようになる。

 

青銅の剣より優れた鉄の剣よりも、鋼鉄の剣の方が武器としては優れている。

 

加えて、結局金属の希少性の問題もあって、鉄は地球上でありふれた金属である一方で、青銅器の材料である銅も錫も比較的希少で、鉄器が後に主流になるのは素材の入手何度の問題もある。

 

とはいえ、青銅の武器が鉄器よりそれでも優れていたならば、上級貴族や王族は青銅の武器を使い続けていたはずで、けれども、世界中で等しく鉄器に取って代わったというのが歴史的な事実である以上、青銅器より鉄器が、そして鉄器より鋼鉄がやはり、武器として優れているという判断で良いと思う。

 

なんか、RPGとかだと古くて素晴らしい剣とかよく出てくるけれど、実際の世界では例外はあるにせよ、殊武器に関して言えば、新しければ新しいほどに、優れたものであるという概算が高い。

 

そういう事情があるから、青銅器時代もしくは鋳造した鉄器がメインの時代が舞台の『キングダム』では、作中のような武器の使い方をしたら、普通に武器が曲がってしまう。

 

なのにばっさばっさ三国無双が如く切りまくっている描写が個人的に謎。

 

まぁ、漫画だから仕方がないとはいえ…うーん。

 

ただ、そんなことを言い出したら夢も希望もないし、些細なことと言えば些細なことなのだけれど。

 

とにかく、確実に言えるのは秦王政の墓から出てくるのは青銅製の武器であって、そこら辺は学術研究の範囲になるとはいえ、もしかしたら『キングダム』の作中に出てくる武器の類は、鉄器どころか青銅器であった可能性がある。

 

その辺りについては調べても、漫画として『キングダム』を楽しむにはむしろ夢がどんどんなくなって、マイナス要素にしかならないだろうけれど。

 

・追記

『キングダム』の時代から数百年後の後漢の時代に書かれた『呉越春秋』という本に、干将・莫耶が出てくる。

 

その描写を見る限り、後漢の時代でも剣を作る場合は溶けた鉄を型に流し込む鋳鉄の方法を取っていたらしい。(参考)

 

実際に中国語の文章も確かめてみたら、鐵(鉄の旧字体)を集めて溶かしたって書いてあったから、少なくともこの文章を書いた人が生きた時代は鋳鉄だったみたい。(参考)

 

自分の生きている時代から数百年前の金属の精錬方法なんて、現代にならないと知り得ないことであって、後漢の時代を生きたこの『呉越春秋』の作者の趙曄さんはおそらく、自分の知っている製鉄方法を元に文章を書いたのだと思う。

 

実際、中世イランの『シャー・ナーメ』という物語では、一応舞台は古代のはずなのに、鋼鉄が作中に出てくる。

 

『シャー・ナーメ』の作者であるフィルドゥーシーは鋼鉄がいつからあるのかを把握できてなかったようで、古代に鋼鉄が存在するタイムパラドックスが起きていた。

 

まぁフィルドゥーシ―には知りようがない知識だし仕方ないね。

 

一方で、実際に莫邪の剣とかが作られたって設定の呉越が戦った時代は、完全に青銅器時代であって、実際に呉の王の青銅の矛が博物館に展示されている。(参考)

 

だから、青銅器の時代のはずなのに鉄って言及がある時点で後世の創作なのであって、『呉越春秋』の干将と莫邪の剣の製造方法も創作であって、そうとするならば後漢の時代も鋳鉄だったという理解が妥当だと僕は思う。

 

よって、『キングダム』作中の莫邪の剣も、青銅器か鋳鉄のしょっぱい剣ってことになる。

 

まぁ色々仕方ないね。

 

というか、莫邪の剣は一応、呉があったの時代に作られた剣なのだから、やっぱり『キングダム』作中のそれも青銅製だと思う。

 

…どうでも良いけれど、『うしおととら』の獣の槍のエピソードって、莫邪の剣が元ネタだったんだなって思った。

 

追記以上。

 

疲れてきたのでこれくらいにする。

 

ちょっと、途中必要に駆られて『墨子』や『史記』とイチャイチャした場面があって、疲れました。

 

書きたい内容があって『史記』を検証した結果、少し想定と違う事実があるということが分かって、『史記』とイチャイチャした時間は無駄に終わったけれど。

 

そんな感じです。

 

では。

 

・追記

この時代の製鉄技術について書かれたテキストを見つけた。(参考)

 

やはり鋳鉄だった御様子。

 

このテキストではその技術水準からして中国の製鉄の歴史は殷代に遡るかもとか書いてあるけれど、実際、ある程度完成した形で西方からやってきたから最初から技術が高かっただけだと思う。

 

・追記2

後に、呂不韋の時代の青銅器が残っているということを知った。(参考)

 

秦の始皇八年に作られた"戈"と呼ばれる武器で、完全に青銅で作られていて、どうやらやはり、『キングダム』の時代では青銅器が普通に使われていたらしい。

 

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