『ぼくらの』のモジ編の解説(中編) | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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続きを書いていく。

 

前回まででモジ編の第一話の解説が終わった。

 

なんというか、幕間劇は言及する内容がどうしても増えてしまう。

 

まぁいい。

 

モジ編の第二話は、モジの回想から始まる。

 

(4巻pp.116-119)

 

モジには二人の幼馴染が居て、モジを含めた三人は幼少期は男女の隔てなく遊んでいたのだけれど、ある日その中の一人が女の子であるということに気付いてしまう。

 

まるで『タッチ』みたいだぁ…(直喩)。

 

なんつーかこう、あだち充先生の『タッチ』ですね。

 

(あだち充『タッチ』1巻pp.27-28)

 

凄く似たようなシチュエーションだなと思った。

 

実際、僕は独断と偏見で『タッチ』との関連性を見出したけれども、滑走キの中の人もそのことについて言及している。(参考)

 

このことをどう考えるかについてなのだけれど、鬼頭先生が『タッチ』を読んだことがあるか、アニメを見たことがあるかのどっちかという至極単純な話だと思う。

 

人間の全ての知識は既存の情報の組み合わせであって、思考にしたところで耳目で獲得した情報によって成り立っている。

 

そうである以上、鬼頭先生とて過去に触れた作品の影響は受けてしまうわけであって、『ぼくらの』で出てくる幼馴染の三角関係は普通に『タッチ』が出典の情報だと思う。

 

『タッチ』以外とか、『ぼくらの』と『タッチ』が共有している共通の作品が存在しているという可能性もあるけれど、『タッチ』の知名度を考えると普通に『タッチ』であると判断するのが最も妥当だと思う。

 

当時で『タッチ』を知らない日本人なんてほぼほぼ存在していなかっただろうし、鬼頭先生とてその事情は同じになるのだから、鬼頭先生も『タッチ』を見たことあるか読んだことあると思う。

 

ちなみに、あだち充先生は結構野球漫画を描いているけれど、僕は『H2』や『ナイン』と違って、『タッチ』はしっかり練習するから好きです。

 

『H2』とか『ナイン』とかって大して練習してないのに甲子園行くんだもんなぁ。

 

まぁいい。

 

『ぼくらの』に話を戻すと、ツバサが女であるということに気付いたり色々していたけれども、ある日、もう一人の幼馴染のナギが心臓病を発症してしまう。

 

(4巻p.120)

 

移植が必要なタイプの心臓病で、移植はその臓器に対して拒絶反応が出ない場合のみにおいて可能なのだけれど、何の悪戯か、モジの心臓は拒絶反応が出ないということが分かった。

 

(4巻p.121)

 

この一連の心臓移植の話なのだけれど、おそらく、鬼頭先生はそれをテレビで見たのだと思う。

 

少なくとも僕はこのような心臓移植について言えば、『ぼくらの』を読む前からテレビで見た情報でそのことを知っていた。

 

『奇跡体験 アンビリバボー』などの番組は当時から存在していて、その放映内容の中にそのような心臓移植についてのドキュメンタリーがあって度々放映されていた。

 

他にもそのような類の番組はあったような気がするけれど、僕自身はなんかアンビリバボーで見た記憶が強い。

 

鬼頭先生とてテレビは見るのであって、昔のテレビの重要度というか視聴率を考えると、新聞などで読んだ可能性はあるにせよ、そういうドキュメンタリーで心臓移植について見た場合の方がより想定できると思う。

 

「ドナーが見つからない」だの「100%適合のドナーがついに見つかった!」だのというドキュメンタリーが放映されたのは一度や二度ではなくて、僕は何度も見た記憶がある。

 

どうでも良いけれど、1990年代あたりだと、心臓移植は技術的に出来なかったと聞いたことがある。

 

アンビリバボーなどでその様なドキュメンタリーが沢山作られたのは、そのようなことがセンセーショナルだったからだろうと思う。

 

とにかく、鬼頭先生は"その辺り"から情報を得た結果、『ぼくらの』でモジの幼馴染のナギは心臓病を患うことになったと言っていいと思う。

 

話を戻すと、心臓が適合するということは分かったモジは、そのことによりツバサをものにするのは自分だと確信する。

 

(4巻p.122)

 

ニュアンスは分かる。

 

けれども、どういうことか僕には説明できない。

 

ナギと心臓が適合することと、ツバサをものにすることに関係性がない。

 

まぁ人間、論理的に道理に適っていれば納得できるわけではないし、論理的に間違っていたからとて納得できないわけではないわけであって、深く考えなければモジの発想は理解できる。

 

ただ、深く考えたらひたすらに意味不明だと思う。

 

これは心臓移植で考えると意味不明だけれど、そうではなくて神に選ばれたが如く数万分の一の確率の有利性を獲得したと理解すると、そのような天賦を得た特別な存在なのだから、勝者は自分で、これからの成功が約束されていると考えたとすればまぁ気持ちは分かる。

 

選ばれた人間なのだから、そのことの有利性で何かに勝利するという発想。

 

けれども、話としては偶然ナギとある臓器がマッチングしただけなのであって、そのことは特筆して優れたことではない以上、ツバサ争奪戦は関係性がない。

 

多分、鬼頭先生、結構フィーリングで描いていると思うよ。

 

その様な気持ちになったモジだけれど、その発想は独り善がりのそれで、ツバサの気持ちのことは想定出来てなかった。

 

(4巻pp.123-124)

 

ツバサはナギが心臓病で死んでも、移植で助かっても、ナギを選ぶか他の人を選ぶか、独り身で生きていくのであって、モジのことは選ばないらしい。

 

ニュアンスは本当に分かるんだけれども、どういうこと?

 

…ここで色々書いたのだけれど、「ツバサはナギを見捨てられないので、モジとはくっつけない」という言葉以上に分かりやすいそれがなかったために、全部削除してそれだけ残すことにする。

 

儒教道徳についてとか色々書いてたら長くなりすぎて、逆に分かりづらくなってしまったかもしれなかったからそれは削除して、とにかくナギのことを見捨てられないというのは事実だから、それだけ言及しておく。

 

それはさておいて、とにかくツバサはナギが心臓病である以上、モジのことは選ばないとモジは考えていて、けれども、それを打開する方法をモジは見つけ出す。

 

(4巻p.125)

 

心臓病以外の理由でナギが死ねば、ツバサはモジを選ぶらしい。

 

まぁその理由だったらツバサはナギを見捨てたことにはならないということなのだと思う。

 

良く分かんないけど。

 

そのナギの謀殺に際して、同じことをしようとしたチズの気持ちがモジには分かるらしい。

 

(4巻p.124)

 

モジ曰く、チズが躊躇いなくカコを殺せたのは、逃げまどって人民を踏みつぶす様子を見た政府が、ジアースを取り上げることを恐れたが故らしい。

 

僕は個人的にあんな無様な戦いをしてたら負けて自分の番が回ってこないから見かねて殺したと思い込んでたのだけれど、どうも鬼頭先生にとっては人々を踏みつぶしたということに大きな意味があったらしい。

 

そもそもあの様子じゃ勝てないだろと思ってしまっていたけれど、そうではなくて負けることが問題なのではなくて、そのように被害が広がり過ぎて自分の番が回ってこずに復讐や謀殺が出来ないということが問題らしい。

 

だから、キリエの「それじゃあカコ君と一緒だ」について言ってみても、結局、自分の都合で関係のない人を殺していることに対してなのだと思う。

 

(3巻p.194)

 

こんな鬼頭先生の企図を理解出来た人がいたのかねぇ。

 

少なくとも僕はまるで分ってなかったよ。

 

モジはそのような謀殺を考えていたけれど、ジアースと契約すると死が避けられないことを知って、罰があたったと考えている。

 

(4巻p.126)

 

そもそも、モジの回想自体が自分の受けた罰について想起する形で始まっている。

 

(4巻p.116)

 

モノローグに、「これは、罰だ。」とある。

 

この悪いことをしたら罰を受けるという発想は日本人的だけれど、元々は儒教というか、中国の発想が渡来してきたそれらしい。

 

罰は誰かが誰かに与える形でしか成り立たないのだけれど、元々は中国の儒教とかの神様である"天"が下す罰のことで、早い話が天罰になる。

 

ただ、日本では西洋的なものが入ってきたり、儒教の教えが教育で取り上げられなくなった結果、曖昧になって、天という発想は重要視されなくなってきている。

 

けれども、その名残は残っていて、悪いことをしたら罰が当たるという発想をする人が時折見受けられる。

 

鬼頭先生は『ヴァンデミエールの翼』で神のことを全否定したり、『ぼくらの』でも神のことは否定していたけれども、そういった超自然的で宗教的な発想は捨てきれていない場面が結構見受けられる。

 

モジが受けた罰について言っても、まぁなんとなくそういう「悪いことをしたら罰を受ける」という発想を捨てきれなかったが故に、そういうことを描いてしまったのだと思う。

 

話を戻すと、モジはナギを殺しても意味がないということを理解した。

 

(4巻p.127)

 

一コマ目はココペリの眼鏡だけれども、普通にコダマが死んだシーンだと思う。

 

子供たちが操縦したら死ぬという話を聞いたのはコダマが死んだ時であって、その情報をモジが思い出した時に浮かんだ映像があの眼鏡だったという話。

 

モジはその後に一人でナギのお見舞いに行く。

 

(4巻p.128-130)

 

ナギはモジがジアースと契約しただなんて知らないから、自分がもうすぐ死ぬかもしれないなんて考えたことないだろというけれど、かもしれないどころかもうすぐ死ぬと分かっているモジの胸中は幾許か。

 

そのあと、冗談めかしてモジはツバサに対して、ナギのドナーが見つかるし、拒絶反応もないと言うやり取りがあるけれど、特に言及できる内容もない。

 

モジは後日またナギのお見舞いに行く。

 

(4巻pp.-133-137)

 

ナギもモジと似たようなことを考えていた様子ではある。

 

そのあとは、モジの日常が描かれるけれど、そして来る日がやってくる。

 

(4巻pp.138-139)

 

ユニフォームに着替えたり、戦闘後の心臓の手配を田中さんに言付けした後に、敵のロボットであるゴンタが現れる。

 

(4巻pp.141)

 

僕はジアースが子宮をモデルにしていると理解したに際して、そもそも『ぼくらの』に登場するロボットは全て『神話・伝承事典』という本に出てくるモチーフで統一されているということに気が付いた。

 

そうだとするならば、ゴンタもなんらか『神話・伝承事典』に元ネタがあるわけだから、しばし考えてみた。

 

ゴンタの攻撃方法は締め付けて押しつぶすというそれになる。

 

(4巻p.162-163)

 

『神話・伝承事典』では、基本的に全ての事柄は女性性とか子宮とか経血とかに関係付けれている。

 

おそらく、『神話・伝承事典』書いた人がフロイトのことを知っているんだと思う。

 

フロイトは全てのことを男根や子宮に関係付けたけれど、そのやり方を模倣して、膣や子宮に根拠もなしに関係付けている。

 

だから、ゴンタについてもおそらく、そのような女性の何らかの部位に関係していると僕は考えた。

 

女性…締め付ける…。

 

あ、膣か。

 

膣に関連する単語で『神話・伝承事典』からと言ったら、ヴァギナ・デンタータですね。

 

『神話・伝承事典』には歯のある膣(Vagina Dentata)という項があって(参考)、鬼頭先生の一つ前の作品である『なるたる』に、ヴァギナ・デンタータというスタンドを登場させている。

 

(『なるたる』4巻p.202)

 

これはおそらく、『神話・伝承事典』の"歯のある膣"の項を読んだからであって、少なくとも"歯のある膣"の項の内容は知っていると言っていいと思う。

 

ゴンタが締め付けるのは膣が締め付ける能力を持っているからであって、着想は"歯のある膣"という締め付ける概念にあるのだろうと思う。

 

僕はゴンタと膣との関係性に気付いたけれども、それを考えた直前に『衛府の七忍』を読んでなかったら絶対に辿り着けませんでしたね…。

 

(山口貴由『衛府の七忍』3巻p.38)

 

このシーンは、実際読めば分かるのだけれど、そういうシーンです。

 

『衛府の七忍』を読んで、山口先生ってやっぱり本気で頭おかしいんだろうなって思いました。

 

話を戻すと、ゴンタについてなのだけれど、鬼頭先生自身はこのように言及している。

 

(6巻p.196)

 

「機能の要求に合わせたデザイン」という言及がまず初めにある。

 

ということは、まず締め付ける敵を出そうと考えたことにゴンタのデザインの第一はあるということだと思う。

 

締め付けるという発想ありきで、それに合わせたデザインということで、締め付けて離さない膣のイメージをロボットにした結果出てきたのがゴンタということで良いと思う。

 

ゴンタという名前自体はNHK教育からだという言及がある。

 

実際見てみることにする。

 

(https://middle-edge.jp/articles/I0001574より、ゴンタ)

 

(同上)

 

おそらくは、頭の部分とぶらんと垂れさがった手からということなのだと思う。

 

ただ、並べてみると似てないんだよなぁ…。

 

結局、『ぼくらの』の敵のロボットはABC順だから、ゴンタはGから始まる単語を選ばなければならなくて、けれども膣に関係するGから始まる単語が見つからなかったのだと思う。

 

当人も「きっと、名前をつける人がマジメに考えるのに疲れたんでしょうね。」と言及していて、締め付ける何かに関連してGから始まる英単語を見付けられなかったから、適当に見た目が似ている?NHK教育のゴンタから名前を取ったという話かと。

 

ゴンタの元ネタは"歯のある膣"だと思う。

 

ここら辺とか股の下っぽいしな。

 

(4巻p.130)

 

モジ編に話を戻すと、ゴンタは特殊な敵で、急所が丸出しの状態で現れる。

 

(4巻p.145)

 

マチの表情とセリフを見る限り、マチの地球の戦闘ではこのような特殊な敵は出てこなかったのかもしれない。

 

一方でコエムシはあれがコアだと断言している。

 

マチが演技をしている可能性があるけれど、一筋垂れる汗と表情からそんな様子は見て取れない。

 

コエムシは経験上、フェイクのコアは存在していないと言っているのか、コエムシの能力でそのことを知り得ているのかどちらなのかは知らないけれど、フェイクではないということは分かっているのだと思う。

 

ちなみに、アニメ版ではこの一連のやり取りから着想を得てか、フェイクのコアを使う敵が出てくる。

 

実際、そのフェイクの敵が出てくるのはモジ編だから、そういうことだと思う。

 

ここでオリジナルのロボットに差し替える必要性とかは一切ないわけであって、アニメスタッフが好き放題やった様子ではある。

 

当時はオリジナル展開が許されていたし、やっぱりただなぞるよりも自分でアレンジしたいという欲求があったからこそ、こんな意味もない改変が行われたのだと思う。

 

モジは様子を見ながら戦域を移動しようとしたけれど、敵に取りつかれてしまう。

 

(4巻pp.147-152)

 

よく見たらゴンタの内側はイボイボになっているのか。(意味深)

 

加えて膣鏡(クスコ)も造形に影響を与えてそうだなと思う。

 

(https://axel.as-1.co.jp/asone/d/7-1259-07/より、クスコ)

 

とにかく、ジアースがゴンタに取りつかれたところで第二話は終わる。

 

これ以降についてなのだけれど、どうやってもこの記事で収まりそうにないので分割するとして、ちょうど僕も疲れてきたので一旦区切ることにする。

 

なんつーか、モジの三角関係の元ネタが『タッチ』だってことと、ゴンタの元ネタが"ヴァギナ・デンタータ"ってことについてで、僕が書きたかったことの9割が済んでるんだよなぁ…。

 

ゴンタの元ネタがヴァギナ・デンタータだってことは、下手したら鬼頭先生以外の誰も知らなかったことかもしれなくて、それだけははっきりと真実を伝えたかったから書いている。

 

ということは残りは別に…。

 

次は当分先に。

 

では。

 

→続き。