『ぼくらの』の本編の解説を始めていく。
…いや、実はね、普通に書いてたらまたChromeさんがクラッシュしやがりましてですね、文章が大量に吹っ飛んだ。
やる気があんまりでない。
ただ、今やっておかないと一生やりそうにないから、とりあえずやることにしていく。
今回は『ぼくらの』のココペリ編の解説になる。
順々に一人一人の編を解説していくのだけれど、やり方は1ページ目から始めて、少しでも理解しづらいなと僕が思ったり、後々の情報がなければこの描写は理解できないなと思えるものを逐一拾い出して、その解説を行っていくという形になると思う。
そういうことやるから知らん人にキチガイ扱いされるんだよ、と思うけれど、僕が解説する以上、他にやり方を知らない。
一応そういう細かい話をしていく前に、編ごとのあらすじを書いていこうかと最初は思ったのだけれど、よくよく考えてみればココペリ編と最後のコエムシ編以外の全ては、敵性ロボットと戦うという事柄以上のことはないわけであって、あらすじは書かないことにした。
まぁ、多少はね?
解説に入る前に一応言及しておくのだけれど、『ぼくらの』という漫画を1巻から11巻まで全て読んでいる人を対象にして書いていくし、登場人物の名前をある程度把握している前提で書いていく。
以前、『なるたる』の解説をしたときに、「ネタバレ食らった」という寝耳に水な言葉を目にしたことがあって、解説サイトに来てネタバレ食らったとか、こっちとしては逆に困ってしまうのであって、そうならないように最初の解説記事でそのことについて言及しておく。
さて。
ココペリ編の解説を始めていく。
ココペリ編は、『ぼくらの』の物語の導入になる。
海洋交流自然学校というセミナーに参加した中学一年生の子供たちが、洞窟の奥で怪しげな男性と出会う。
そして、ゲームに参加しないかと言われて、そのゲームに参加することにしてしまう。
そこから、世界の存亡をかけた命懸けの戦いに子供たちは巻き込まれていく。
…そんな感じだな。
ココペリ編は何も情報が開示されないまま、ただココペリがロボットと戦って、その後退場して終わりになる。
それ以上でもそれ以下でもないけれど、後々の伏線となるような描写が結構存在するので、主眼はその解説になる。
ただ、伏線というよりは、漫画を作り始める前にきっちりと設定を作ったが故に、その設定に則った発言や行動をしているだけであって、そういうのは別に伏線と言わないのかもしれない。
まぁこれはこういう意味ですよと僕は解説出来る感じだったから、それを解説していくような感じです。
まずこのしょっぱなのシーンから。
(1巻pp.8)
このモノローグは読者をミスリードさせるために配置されたそれになる。
この時点では何をどう考えてもワクのセリフとしてこのモノローグが存在するとしか判断できない。
実際、このモノローグはワクのそれなのかもしれないけれども、『ぼくらの』のタイトルたる"ぼくらの"の主語は、15人の子供たち全員になる。
具体的に、ぼくらの何なのかは人それぞれで良いんじゃないかという話が後々に出てくる。
(10巻pp.67-70)
最初から、ぼくらのの次に来る言葉は人それぞれだったという設定だったのか、それとも途中でこのようなふわふわした感じに変わったのか、僕には分からない。
ただまぁ、どちらにしろ決まりが悪いよなぁと思う。
恐らくは最初からこれの予定だったのだろうとは思うけれど、もう少し何とかならなかったんですかね?
もっとスッキリするような言葉にすればよかったと思うけれど、『ぼくらの』全体で当てはまる単語が多くて、僕自身が仮に具体的な何かに措定するとしても、難しいものがある。
僕らの地球なのか、僕らの世界なのか、僕らの仲間なのか。
ただ、とにかく冒頭のモノローグである、「中学生になった時~」について言えば、ワクのセリフに見せかけて全然そんなことなかったという効果を狙ったわけであって、その効果は間違いなく良く機能している。
誰しもがワクが主人公だと思っただろうけれど、パタリと死ぬから面白いのであって、よくそんなことを思いつくなと当時は酷く感心した。
そんな感じで、ワクが主人公と思わせるような演出から物語は始まっていく。
(1巻p.9)
このシーン、マキがカナを楽しそうに抱きしめているのだけれど、これはこの時点でマキが生まれてくる弟を守って死ぬことが設定として決まっているからこそ、カナのように年下の女の子を可愛がっている描写がある。
もうこの時点でマキの戦いは構想されていて、それが故にマキには妹や弟のような子を可愛がるという性格設定があって、それが故にカナとこういうやり取りをしている。
(1巻p.10)
同じように、このシーンでアンコが海に来ていない描写があるのだけれど、これはアンコの両親が、父親があまりに忙しいという理由で夫婦間が冷めきっていて、それが故に家族で海に来たことがないが故に、アンコは初めて海に来ているという描写になる。
こんなの分かるわけないんだよなぁ。
アンコの方は強がって、海はクサくてキライとか言ってそれだから来てないみたいな態度を出しているけれど。
実際海はクサいしな。
吉本ばななも『TUGUMI』の後書きで海はクサいって言ってた気がする。
あれ?ゴミが多いだっけ?
忘れたけれど。
『TUGUMI』の方は別に…。
まぁいいや。
(1巻p.11)
このシーンは普通に、マチが子供たちを契約させるために誘導しているシーンになる。
行ってみない?とか言ってるけれど、罠なんだよなぁ。
こういうのにホイホイついて行くと碌なことにならないと相場は決まっている。
先輩に屋上に誘われたり。
マチははあくまで契約を結ばせるためにこういう事をやったわけだけれど、この時点では読者はマチがユダだなんて知り得ないのであって、僕も全然わかりませんでしたね…。
(1巻p.12)
このシーン、驚いたように「うそ。」だなんて言ってるけれど、演技でしかないんだよなぁ。
とぼけちゃてぇ…。
(1巻p.14)
このシーンの3コマ目、マキの表情が非常に細かいそれがある。
アンコがあんな顔してるのは、ギャルっぽい性格設定でオタクを毛嫌いしているからだと思うけれど、一方でマキの方ははしゃいでいる。
マキは父親がオタクであって、その影響でオタクであるという設定があるからになる。
(5巻p.42)
(4巻p.100)
ただ、そういう設定があるからマキは歓喜の表情を見せているのだけれど、読者的には設定に対して描写が些細過ぎて、殆ど理解はされてないと思う。
ところで、鬼頭先生的にはオタクなら軍事もパソコンも好きという固定観念があるらしい。
(同上)
このシーンは結局、パソコン見て目を輝かせているわけであって、鬼頭先生的にはそうらしい。
え、そうなの?(素)
これは世代的なものなのか、生育した環境的なものなのか良く分からないけれど、僕の周りのオタクの人達は、別に軍事やパソコンは好きじゃなかったんだよなぁ…。
世代なんだろうか。
良く分からないのだけれど。
僕も軍事の一切に関心はないし、オタクの人で軍事が好きな人ともそんなに出会ってない。
東方大好きのレゲーオタクのbiimお父様は軍事が好きである様子はないし、うーん…。
まぁいいや。(©biim兄貴)
次のシーンでココペリが出てくる。
ココペリというのは、ネイティブアメリカンのホピ族の神話に出てくるトリックスターになる。
それぞれの単語が意味不明だけれど、まぁ北アメリカの神話でココペリというというキャラクターが出てくるという理解で良い。
(1巻p.15)
このシーンでココペリ(画楽)に微妙な間があるけれど、これはマチを見ているのだと思う。
まぁ演出としての間ではあるのだけれど、個人的にはマチの姿を確認してから演技のスイッチを入れる間だと考えている。
(1巻p.16)
マチの姿を確認してから、ココペリは演技を始める。
とぼけちゃってぇ…。(二回目)
ここでマチが地元の人ならみんなこの場所を知っているとか言っているけれど、まぁ嘘だよね。
とぼけちゃってぇ…。(三回目)
この後普通にココペリがゲームという体の契約の誘導をするけれど、解説出来る内容はない。
だって演技ですし。
ただこのシーンは三つほど解説できる内容がある。
(1巻p.21)
一コマ目、マキが嬉しそうにしてるのはオタクという設定があるから。
次にカコが言う足手まといというのは、キリエのこと。
キリエのことをカコは格下として見ている。
けれども、小心者のカコはこの海洋交流自然学校に参加するにあたって、一人で来る勇気もないから誰かを誘うのだけれど、友達も居ないから友達だと思ってないけれど言うことを聞くキリエに声をかけたからキリエとカコは参加しているのだと思う。
まぁ実際、その旨はカコ編で語られている。
(3巻p.73)
カコはなんというか、そんな感じの子らしい。
で、同じコマで「友達でしょ。」と言っているナカマについて言えば、優等生のぶりっ子設定があって、それが故に嫌われているという設定なのだけれど、僕は読んでて正直そのことは理解出来なかった。
よく読めばそりゃ、ナカマはウザい学級委員長というキャラ付けということは分かるのだけれど、普通に読む程度だとそのことで嫌われているとは読み取れないんだよな。
こういう風に設定はあるのだけれど、何処か空回りしているシーンが結構鬼頭先生には多い。
まぁ僕が馬鹿だから最初読み取れなかったのかも分からないけれど。
(1巻pp.22-23)
ここでマチが契約をためらう描写があって、これは当然、マチがユダだからなのだけれど、こういうのって伏線って呼べるんですかね?
ただ、そういう設定が存在するからマチは契約をためらう素振りを見せたとしか言えない気もしないでもない。
ウシロの方は、この時点で幼少期にカナの出産に際して母親を失い、その憤懣をカナに向けることで解消しているという設定があるから、こういう風な振る舞いをしている。
どうでも良いけれど、一コマ目の楽しそうに笑うチズを見ると、普通に悲しくなってくる。
この時点で妊娠しているし、チズもそのことを知っているし、その設定も存在しているからなぁ。
チズが妊娠を知ったのは、夏休み前だろうし。
次のページでウシロの態度にマキが怒り出すけれど、これは先に説明した弟妹大好き設定からだから、そのページは用意しないし特に説明もしない。
この後、名前紹介のための自己紹介があるけれど、キリエがおどおどしているくらいしか気付けることがなくて、キリエがおどおどしてるのはいじめられっ子だからというくらいしか説明は出来ないからこれも用意しない。
で、その自己紹介が終わったら空間転移の能力を使って外に出される。
(1巻p.29)
コエムシの持つ空間転移の能力の中に、時間の停止した空間への転移がある。
恐らく、契約直後に子供たちはその空間に一時的に飛ばされている。
何故と言うと、ストレートにこの場所に飛ばされたとしたならば、直ぐに洞窟の入り口を塞ぐという作業をやらなければイケないわけであって、そんな手間を取る必要はないのだから、一時的に時間の止まった空間に転移させて、掃除が終わってから戻すという格好だろうと思う。
時間の止まった空間ってのはこの地球のマチの居たところね。
(10巻pp.204-205)
このマチの時間は夏の時点で止まっていた理解できる。
子供たちはここに一回置かれたのだろういうお話。
(1巻p.30)
ここで、洞窟なんてなかったという話をしているのだけれど、僕は初め、何か不思議なことが起きたのだとばかり思っていた。
ただまぁ、冷静に考えてみたならば、そんなに難しい話ではなくて、コエムシの持っている空間転移の技術で洞窟に岩を運んで塞いだだけなんだよな。
最近まで全然わかっていませんでした…(告白)。
…。
この時点でやっと1話終了なんですが、それは大丈夫なんですかね…?
主に僕の体力の問題とか。
解説作業の後半はこういうやり方だから書くことはどんどん減っていくとは想定しているのだけれど。
まぁいい。
この後、早速ココペリ戦が始まって、子供たちが乗る黒いロボットが登場する。
実は、よく見るとココペリが乗っている黒いロボットと子供たちが乗るジアースはデザインが違う。
(1巻p.55)
(1巻p.132)
理由は知らん。
コエムシの話の中に出てくるまた戦闘が回ってきた時のこの黒いロボットもデザインが違うから、地球ごとにデザインが変わるらしい。
(10巻p.24)
まぁそういう設定なのだろうで話は終わるのだけれど。
どうでもいいけれど、コエムシの話に出てくる黒いロボット、子宮をモチーフにしてますね…。
やっぱり、『神話・伝承事典』の影響が見え隠れする。
このロボットは恐らくはジアースのデザイン案の残滓のひとつで、採用されなかったものが元だろうと思う。
主人公の乗るロボットとしてはダサいからな。
さて。
黒いロボットと子供たちが邂逅したわけだけれど、その高さは500メートルだそうで。
(1巻p.40)
カンジの両親が全長500メートルの超高層ビルである沖天楼の開発責任者であって、その工事に関係して母親が自殺しているという設定があるが故に、その沖天楼の高さが500メートルと知るカンジは、ジアースの全長が500メートルと理解することが出来た。
どうでも良いけど、マキの発言は下ネタだと思う。
だって、描いたのはロリコンの鬼頭先生だし。
その後、敵のロボットが出てきて、コエムシも出てくる。
(1巻p.45)
コエムシの元ネタは、『ザ・ムーン』のクソムシですね…。
(ジョージ秋山『ザ・ムーン』文庫版1巻pp.55-57)
糞虫っていうのはスカラベのことです。
フンコロガシですね。
僕は知らなかったのだけれど、そういう虫って日本にも生息してるらしいんですよね。
糞は転がさないけれど、糞食の性質を持つ甲虫はいるとかなんとか。
だからクソムシって語彙があるということだと思う。
『ザ・ムーン』のクソムシが何故糞虫という名なのかは知らん。
読んでても分からなかったし、面白くなかったから1周しかしてない。
一応体裁としては『ぼくらの』は『ザ・ムーン』のオマージュだから、子供たちのサポート役としてクソムシ(糞虫)のパロディであるコエムシ(肥虫)が出てくる。
ただ、このネーミングは失敗だと思う。
21世紀を生きる子供たちは肥なんて知らないよ。
汲み取り式の便所がどれ程残っているのやら。
僕が初めて『ぼくらの』を読んだ時、コエムシの名前の意味がちっとも分からなかった。
本編ではワクが鼻を押さえていて、コエムシの名前の意味は理解している様子ではあるけれど、ぶっちゃけ2035年に生きている中学生が、肥溜めを知っているとは到底思えない。
2035年というのは、『ぼくらの』に登場する兵器の中で一番新しいのが96式になるからになる。
(8巻p.143)
この96式の96が何かと言えば、皇記の96年のことになる。
皇記というのは戦前日本が使っていた年の表現方法であって、伝説上の天皇である神武が即位したとされる紀元前660年を初年として、それから何年経ったかという紀元になる。
まぁ、そういう設定というだけであって、明治期の人が適当に設定しただけなのだけれど。
2600年前となると、後に天皇になる血族の人々は中国大陸に居ただろうに。
ちなみに、2017年現在は、皇記2677年らしいっすよ?
ゼロ戦という戦闘機の名前は聞いたことがあると思う。
これは、皇記2600年に作られたから、零式艦上戦闘機という名前なわけであって、〇〇式というのは皇記何年に作られたかという話になる。
だから、96式の兵器が出てきて、更にそれが近未来の話ならば、その兵器が作られたのは皇記2696年になる。
で、皇記2696年を西暦に直すと、2036年になる。
その96式戦闘機の試験運用が終わったという言及があるのだから、『ぼくらの』は2036年あたりの時代の物語ということが分かる。
ゼロ戦とか九六式陸上攻撃機とかのWikipiediaのページを見てみたけれど、実際の運用はその冠されている数字の前年かららしい。
なので、『ぼくらの』は2034年か2035年くらいの物語であって、キリの良さとかを考えると2035年が妥当と言えるかもしれない。
一方で、『ぼくらの』の世界の人口は100億もあるそうだ。
(5巻p.145)
ここで僕は『ぼくらの』の執筆当時、近未来の人口がどうなるかと予測されていたのかをクソ真面目に調べてみた。
調べてみた結果、2002年の国連の予測ではいくつか算出のサンプルがあって、2050年時点での人口の予測は低くて74億人、多くて106億人、中間的な推定が89億人だったらしい。(参考)
2017年現在の予想では98億人ということらしい(参考)けれど、どの道、人口が100億を超えるのは2050年より後だろうと言えると思う。
そうとすると、人口を100億としている『ぼくらの』は、どうあがいても2050年より後という話になってくる。
けれども、僕らの宇宙と違う宇宙がおそらく『ぼくらの』の世界なのであって、僕らの地球より遥かに人口が多い世界線と話をしてしまえば、100億という人口から具体的な年数を求めることは可能とは言えないと思う。
コエムシは一つの地球ごとに100億だと考えているみたいだけれど、近い時代に枝分かれした宇宙同士が戦うという話がある以上、コエムシ達の世界は100億だから、戦う宇宙もまた100億の場合が多いのだろうと思う。
鬼頭先生がクソ真面目に未来の想定人口を調べたかは分からないけれど、人口のことを考慮に入れるなら、読者の地球とは違う地球であるらしい。
とにかく、『ぼくらの』は近未来が舞台の話で2036年より少し前の話で、おそらくは2035年が舞台のお話だから、そんな時代にまで汲み取り式便所や人糞肥料用の肥溜めが中学生が知識として持てるほどに残っているとは思えない。
普通にコエムシという名前は設定ミスなのではないかと個人的に思う。
・追記
これを書いた時は知らなかったのだけれど、四国などでは下水道整備が進んでおらず、未だに過半数の家庭に下水が配備されていないということもあるらしい。
これを追記している2020年現在でもそうなのだから、2035年でもやはり汲み取り式は相応に残っている可能性は高い。
だからと言ってもはや人糞は肥料としては使わないので、2035年を生きる中学一年生が、"肥(コエ)"という知識を持っているかは定かではない。
追記以上。
その後、子供たちはジアース(この時点ではそんな名前はない)のコクピットへ転送される。
その際に、ウシロがカナが居ることに文句を言う。
(1巻p.50)
ウシロとしては妹を虐めているだけだけれど、コエムシ的には一人分足りないパイロットを探すのも面倒だから、カナが使えたらと考えている御様子。
そして、カナもここでココペリの戦闘を見て兄が心配になったからこそ、パイロットに志願したのだから、コエムシの行動は正解だったみたい。
(9巻pp.21-22)
殴られてても兄だからカナはウシロのことを慕っているんですかねぇ。
共依存なのだろうと思うけれど、個人的に一瞬カニファンの桜を想起して、自分の心の汚さに嫌気がさした。
あのシリーズマジで詳しくなくて、カニファンだけしかほぼほぼ見てないし原作もプレイしたことはないのだけれど。
ここで記事全体の文字数がアメブロの許容範囲をオーバーしてしまったので、ココペリが戦闘に入る直前という区切りの良いところで分けることにする。
ココペリ編全3話を解説するのに、前後編が必要になるだなんて、想定してなかったよ。
…まぁ、書いている途中に、そうなるだろうなとは思っていたけれど。
続きはここです。