『ぼくらの』のココペリ編の解説(後編) | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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前編でココペリが戦闘を開始する直前までを解説した。

 

後編を続けていくわけだけれど、その後はココペリとアラクネが戦うだけで、特にこれと言って分からなそうな部分がない。

 

(1巻pp.58-59)

 

ちなみに、アラクネの元ネタはこれですね。

 

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/arachne.html

 

具体的にこの記述が元ネタであるとまで言及できると思う。

 

鬼頭先生はこの『神話・伝承事典』をほぼ確実に読んでいて、鬼頭ワールドはフロイトよりもユングよりも何よりも、この本の材料が一番使われている。

 

鬼頭先生の作品で神話的なモチーフが出てきた時は、この本を開けば大体解決する。

 

いやー、良かった、リンクがあって。

 

リンクがなかったら僕がカタカタ書き写すしかないからね。

 

吉兆寺のブックオフで何となしに手に取ったから手元にはあるのだけれど、書き写すのは苦痛でしかないからね、しょうがないね。

 

ココペリとアラクネの戦いは日本軍にも観測されているのだけれど、その時にピーカブーという言葉が出てくる。

 

(1巻p.51)

 

僕自身、軍事に秋毫ほどの興味も、毛頭ほどの関心もないから、このピーカブーが戦闘機の愛称なのか、戦闘機のユニットの名前であって、そのリーダーだからピーカブーリーダーなのか、良く分からない。

 

どういう意味で名前つけてるんですかね?(無知)

 

とにかく、機体もしくは編隊の名前としてピーカブーというそれが使われている。

 

ピーカブーなんて知らないからググったけれど、英語で"いないいないばあ"のことらしい。

 

アメリカ語は詳しくないから、普通に知らなかった…。

 

ググって出てくるようなものを書く必要あるのかと思うけれど、まぁせっかくですし。

 

次はこれについて。

 

(1巻p.66)

 

…ここについての説明はいるんですかね?

 

というかそもそも、ココペリが並行世界の地球の人間だということを知らない人を想定して文章を書いていないわけであって、そうとするとこのセリフの説明が必要であるとは思えない。

 

ただ、このセリフ自体はミスリードのために存在する。

 

(1巻p.67)

 

ココペリは平行世界の地球の人間だけれど、そうではなくて宇宙人や異世界人であるかもしれない含みを読者にもたらしている。

 

未来人という可能性はなくはないけれど、少なくとも超能力者という可能性はないな。

 

『猿の惑星』を見て僕も知ったのだけれど、昔のSFって異星人が地球の言語を話すという事柄について違和感を想定していなかったらしい。

 

僕なんかは、普通に違う星の住人だったならば言語は当然違うだろうと思うけれど、少なくとも『猿の惑星』では英語を喋る猿に驚愕するという描写は存在していなかった。

 

僕だったら猿が喋ることより、猿が英語を喋ってることにマジビビるけれど、そこはあんまり問題視されてなかった。

 

つまりは、古典的なSFの世界設定だと、異星人が地球語を話すということは殊更変なことと想定されていなかったらしい。

 

だから、ココペリが日本語を話すということは、SF的な世界観だと特に疑問にすら持たれない所になる。

 

実際に『ぼくらの』の世界だと、普通に日本人だから問題ないのだけれど、古いSFだと宇宙人も普通に日本語を話すから、こういう描写がミスリードとして成立している。

 

どうでも良いけど、コエムシが言っているやりすぎると云々は飛行機を落としたことについてになる。

 

まぁ会話の流れ的にそれ以外ない。

 

(1巻pp.67-68)

 

やりすぎるとひくという発言に対して、こいつのパワーは制御しにくいという会話なのだから、そういう意味らしい。

 

ココペリが他人の生き死になど知ったことじゃないと言っているけれど、彼にとってこの地球の人間が死のうとマジにどうでも良いことだし、そもそも彼はこれから死ぬと決まっているからこのようなことを言っている。

 

ここまでで2話が終わって、以下から3話についてになる。

 

次のシーンで、ココペリは子供たちの反応を見て妙な顔をしている。

 

(1巻p.71)

 

まぁ、これから子供たちは今酷いと思ったことを100億単位でやるのだから、色々思うところはあるのだと思う。

 

加えて、ココペリはコエムシについて信用できないと言っている。

 

コエムシが信用できないのは、コエムシが契約の時にズルをした経歴があったり、まぁ性格そのものもよろしくないからそのことを言っている。

 

(9巻p.19)

 

マチはこのシーンでコエムシがズルをしたと言っている。

 

ウシロみたいにって言っているということは、契約をしないでしているふりをしていたということだろうと思う。

 

マチたちの地球への引継ぎ係がどのような設定で契約させたのかは分からないから、どういう感じでマチの兄であるコエムシが契約をしなかったのか、どういうつもりでそれをやったのかは分からない。

 

まぁどの道、契約はしてなかったし、性格も悪いのであって、ココペリはそのことを言っている。

 

そのせいで顔にナイフで傷をつけられてるしな。

 

(11巻p.22)

 

(11巻p.193)

 

ココペリの顔には初登場時に傷はなかったけれど、再登場時には傷があったのは生徒に傷付けられたけれど、それだと怪しすぎるから消したという説明がある。

 

(1巻p.15)

 

(1巻p.36)

 

そういう設定があるから、こういう風に描写の方も細かくなされている。

 

さて。

 

この後はアラクネを普通にフルボッコにするだけだから、特にそこについては説明する内容がない。

 

しいて言うなら、アラクネは戦闘についての知識が未熟なようで、かなり初めの方の戦いであるらしい。

 

(1巻p.75)

 

光点は残りのパイロットの数であって、戦いをこなしていればこなしているほどに、光点は少なくなる以上、アラクネの戦闘経験は浅いと判断できる。

 

一方で、ココペリの戦闘経験値が高いとは言っても、戦法は普通にごり押しなのであって、純粋にジアースは強い機体であるというのは確からしい。

 

この後、アラクネをボコりながらジアースの機能を説明して、それが終えて、とどめを刺す段階になって、このような会話がある。

 

(1巻p.81)

 

一周目の時点だと分からないけれど、二周目をすると、敵のパイロットが並行世界の地球の住民であるということを知っている人間、ココペリとコエムシと、知らない人間である子供たちとの温度差を表現していると分かる。

 

加えて、ココペリはここで敵のコアを壊せばもう死ぬのであって、その事を知らないカコの言葉はどのようにココペリ、そしてコエムシに響くのだろうか。

 

それと、ココペリが言及している再生能力の設定の話はあるけれど、これは本編ではほぼほぼオミットされているから特に説明はしない。

 

アイドル以外で再生した敵はいなかったしな。

 

次に、敵の急所について。

 

(1巻pp.82-83)

 

ココペリはあくまで急所と言っているけれど、まぁ敵のコクピットですね。

 

勝利条件は相手のパイロットの殺害で、劣勢の敵のパイロット(≠コアの中の人間全員)はコクピットから出られない。

 

だからコクピットを破壊した時点で勝ち。

 

それで敵のパイロットを殺害して、ココペリの戦闘および一生は終わりになる。

 

(1巻p.84)

 

思うところがあるからこんな表情なのだと思う。

 

(1巻pp.86-87)

 

ココペリ(画楽)は先生で、恐らく、彼の受け持つクラスがそのまま契約の対象として選ばれたのだと思う。

 

ココペリが見ているのは自分の生徒の椅子だったもので、子供たちを教導するために先生になったのに、全て殺す結果になったのだから、この時彼の胸中にあった言葉は何だろう。

 

悲しさと虚しさがあるということは分かるのだけれど。

 

(1巻p.88)

 

そして操縦すれば死ぬということを知らずに無邪気にロボットで戦うことを肯定的に捉えている子供たちがいる。

 

ココペリが先生であるということを理解していから彼の表情を見ると、何とも言えない気持ちになる。

 

違う地球の人間の生き死にだなんて、ココペリにとってはどうでも良いことだし、本人もどうでも良いと頭では分かっているはずなのだけれど、それでも呵責はあるらしい。

 

(1巻pp.89-90)

 

(1巻p.100)

 

呵責からか、すまないと子供たちに告げる。

 

どうでも良いことなのだけれど、僕はこの『ぼくらの』という漫画はアニメを見て知ったし、鬼頭先生の漫画はアニメから入ったにわかになる。

 

で、そのアニメでもこのシーンがあるのだけれど、その途切れ方を実際に表現すると、「す」だけ聞こえる形になって、コモが指摘する「すまない」には絶対に聞こえない。

 

ていうか、厳密には「す」すら聞き取れない。

 

ただ見てて、「?」としか思えなかった。

 

一応、原作だと色々な間というか、ココペリの表情で察する内容もあって、コマという時間単位なのであの「す……」が印象に残るけれど、それをアニメで再現しても「す」でしかない。

 

「すm」くらいまで入れて良かったと思う。

 

見てて「す」しか聞こえないから、コモの発言が突飛に思えた。

 

色々しょうがないね。

 

この後はジアースが消えて、この後の戦いに子供たちが胸を躍らせるだけだから、言及できる内容も多くない。

 

ただ、いくらか言及できるところもある。

 

(1巻p.96)

 

ここでワクがウシロの背中を叩いているけれど、これはワク編への伏線になる。

 

(1巻p.162)

 

あの時ワクに背中を叩かれたから、ウシロはワクの背中を叩いたんですね。

 

気付かなかった…。

 

ワクとウシロ以外の子供たちに目を向けると、チズが参加に意欲的なことを見て、カコがオレもオレもと参加をアピールする。

 

カコなりのセックスアピールになる。

 

お前、もしかしてあいつのことが好きなのか?(青春)

 

まぁ、カコはチズが嫌いなタイプだけどな。

 

(3巻p.148)

 

そして、マチの方も参加に意欲的にある。

 

(同上)

 

とぼけちゃってぇ…。(四回目)

 

次に、同じコマでアンコが「ん~」って言っている。

 

これが何なのかマジに分からなくて、20分くらい考えていたけれど、考えてたら分かった。

 

最初は、カコくんのチズへの好意やマチの参加表明に「ん~」と言っているのだと思って、けれども、カコくんへのそれだと挿入の場所がおかしいし、マチの発言に特に「ん~」となるような部分がない。

 

どうやらアンコは、パイロットについてあんまり乗り気じゃなかったというのが実際らしい。

 

次の一コマはココペリのロボットの説明を聞いたときのアンコの表情を示すそれになる。

 

(1巻p.22)

 

あんまり乗り気ではないというか、オタク的なものが嫌いな性格設定なのだと思う。

 

第一、ココペリの部屋にパソコンがたくさん置いてあるのを見ただけで若干引いているから、オタク的なものが嫌いな性格としてアンコは想定されているのだと思う。

 

(1巻p.14)

 

そんな設定、読者の誰一人気付いていないとは思うけれど。

 

で、乗り気ではなかったのだけれど、ナカマの良い子ちゃんぶった発言にイラっとしたアンコはそれに逆らうように参加を表明する。

 

(1巻p.97)

 

加えて、父親ともっと一緒に居たいという気持ちから有名になって父親と同じテレビに出たいと思っている彼女は、かこつけるように地球を守って有名人になるという。

 

この二コマ目で、ダイチくんが何とも言えない顔をしているけれど、これはダイチが禁欲的な性格だからになる。

 

まぁ詳しくは一応、ダイチの解説の時に説明する予定ではあるけれど、楽しみを抱いてはいけないという考え方をダイチはする。

 

でも、男の子だから、巨大ロボットを操縦して敵をやっつけるということに心が躍っているというのは実際らしくて、こんな表情をしている。

 

次に、ナカマがウザい委員長キャラを振りまいているけれど、そんなにウザいことを言っているとは僕は初回だと読み取れなかったなぁ。

 

よっぽどコモの方が水を差しているし。

 

コモは父親が自衛官のお偉いさんだから、墜落したパイロットは仲間の範囲の内だから、気が気でないのだと思う。

 

子供たちからしたら仲間の範囲の外だから、何言ってんだという感じになっている。

 

(1巻p.98)

 

ここでコモが微妙な表情をしているのは、まぁ自分が自衛官の娘だからでしょうね。

 

そして、モジくんが大人に内緒だとか言っている理由は、巨大ロボットで親友を謀殺しようと考えているから。

 

一応、後々そのことは言及されているけれど、予定としては一応モジくんの解説もするつもりだから、その時にどうせ書く。

 

アンコが難色を示しているのは、そんなことされたら父親と一緒のテレビには出れないからになる。

 

そのような話があって、最後、ココペリの最後の一言についての言及がされてココペリ編は終わり。

 

(1巻p.100)

 

これはココペリの椅子で、その椅子が空ということは、ココペリが死んだということですね。

 

既に陰鬱なストーリーは決定しているから、盛り上がる子供たちの傍らに何処か影を落とす描写が挿入されている。

 

ココペリ編の時点だと、普通にロボット物が始まる感じなのだけれど、よくよく見てみると細かい設定が見え隠れしている。

 

というココペリ編の解説。

 

長く、苦しい、戦いだった。

 

3話しかないからちゃっちゃと終わると思って書き出したけれど、6~7時間かかりましたね…。

 

僕個人としては、『ぼくらの』自体、解説する必要もないだろう思っていて、それでも解説する以上、こういう形になる。

 

分からない所だけ解説しよう、ということは出来なくて、少しでも分かりづらそうだと思えたシーンは解説する方法を取った。

 

『なるたる』の解説をしたときに、後から後から解説する内容が出てきたりして、それはそれで非常に面倒だったので、こういう風にもはや取りこぼしの一切が発生しないような方法にした。

 

書いてみての感想だけれど、恐らくは最後まで書ききれませんね…。

 

やっててひたすらに辛かった。

 

だって、前に進まないからね、しょうがないね。

 

ていうか途中、書くのが苦痛だからか何なのか知らないけれど、胃痛がして中断して日をまたいでいるからね。

 

読んでいる人も大変だろうけれど、まぁ、長くても読む人は読むし、短くても読まない人は読まないのだろうから、あまり考えないでとりあえず公開する方向にしたいと思う、

 

ただ、要するに後に説明される伏線めいたものを出てきた時点で解説するという方法を取っているのだから、後半になればなるほど楽にはなると思う。

 

それでもきついことには変わりはないし、書いてて楽しくはないのだけれど。

 

基本的に全ての記事は、僕が読み返すために存在するという面が一番大きいのだけれど、読み返しての楽しさは、漫画の解説も、普段の日記も大きな差はないですね…。

 

次は多分、半年後とかそんなだと思う。

 

しょうがないね。

 

とりあえず、ココペリ編は以上です。

 

では。

 

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