太平洋戦争史と心霊世界 -7ページ目

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


 北海道で買ってきたお土産です。お土産は北海道から実家へ、宅急便にて素早く奉納しました。後日帰省してそれらをチェック。


土産1 

左から、

「白い恋人」
六花亭のストロベリーチョコレート
真駒内駐屯地のバターサブレ


六花亭のストロベリーチョコレート 

六花亭のストロベリーチョコレートですが・・・。


ドライストロベリー 

ボールのようなチョコレートを割ると、中にはドライストロベリーが入っています。ホワイトチョコもあり。

 

 「白い恋人」は有名なので説明省きます。真駒内のバターサブレはまだ開けなかったのでパス。


 真駒内駐屯地のお土産を見て母親曰く、以前北海道を旅行して、東千歳駐屯地を見学したことがあったそう。なんでも知人が東千歳でパイロットをしていたとか。


土産2 

お土産、左から

「いかすみ入さきいか」
六花亭の「マルセイバターサブレ」
「じゃがポックル」。


サキイカ 

物議をかもした、イカの墨で黒くなっているサキイカ。

 

 母親の譲れない希望でお土産リスト入りした「イカ墨入りさきいか」。本人は北海道で超有名なお土産だと幻想を抱いていた。

 

 ところがお土産屋さんに訊いても、北海道出身者に訊いても「寡聞にして存ぜず」。お土産はお蔵入りかと断念しかかったところ、Aさんが旭川でようやく発見してくれました。

 

 肝心のお味ですが、リクエスト者から「すごくおいしい」とのお言葉を賜りました。


マルセイバターサンド 

六花亭の「マルセイバターサンド」。

 

クッキーの間にレーズンとクリームがサンドされています。これは気に入りました!(°∀°)b 


じゃがポックル 

「じゃがポックル」

 

 ポテトチップス、これもおいしかったです。身内で甘い物が嫌いな者がいたので、これを買いました。

 

 北海道、スグレモノのお土産が色々ありますね。


札幌市交通資料館1 

 真駒内駐屯地を出ると、向かいに電車や市電などが展示されている札幌市交通資料館(無料)があります。ここをちょっと見て回りました。 

 

■ 札幌市交通資料館

http://urx.nu/bHly


札幌市交通資料館2 

 これ除雪車ですね。この頃はまだ雨がザバザバ降ってました。洗車でもできるくらい。


テレビ塔 

 札幌市街を見ようということで、中心街に移動。この頃になり雨はやっと小降りになってきた。画像はテレビ塔。大通公園とか、時計台などを見て回りました。


時計台 

 Aさんの知り合いで、予科練出身の方にお会いして昔話を聞きました。その方は高齢にもかかわらずお店を開いていて、レジの背後に予科練時代の写真を掲示していました。

 

 お話を伺って気が付いたのは、戦争体験者は自身の体験内の事しか語れない、ということです。歴史の教科書のように、当時の状況を俯瞰して説明できないのです。

 

 歴史という大局の、ある一点のローカルな部分しか語れない。で、歴史の教科書に載っているような事項でも、当時知らなかったことは知らないと断言する。これが本物の証言者なのでしょう。

 

 Aさんによると、中には戦争経験者でも嘘を交えた話をする元軍人もいるそうですからね。

 

 翌日その方のお店を見ると閉っていました。ちょうどタイミングよくお話を聞けたわけで、ラッキーでした。今は予科練出た方なんて、そうお会いできませんから。


すすきの1  「北海道はサッポロビール」、「さっぽろっこ」などの広告。

 

 日が暮れてきました。このイルミネーションは札幌の繁華街・すすきの。広告を見ると、はるばる北海道まで来たのか、という気分になります。


すすきの2  札幌ドームの広告「ファイターを見ずに北海道は語れない!」

 

 このあと大丸札幌の8階にあるバイキングのレストランでディナー。仕事を休んでガイドしていただいたお礼を兼ねて、Aさんにご馳走させていただきましたが、喜んでもらえたようでよかったです。

 

 携帯トラブルとかあったしね・・・。(;^_^A  レストランは雰囲気良し、和洋中、お寿司、ローストビーフ食べ放題。これで札幌一日目は終わりました。

 

 

■ ザ・ブッフェ 大丸札幌

http://urx.nu/bHlc

 


 真駒内駐屯地の史料館をご紹介していますが、最後に自衛隊と駐屯地の施設等を取り上げます。


ペンタゴン 

 終戦後、真駒内駐屯地があった場所は米軍に接収されました。当時は画像のような、五角形のペンタゴンに似た建物があったそうです。

 

 他にも撮り忘れましたが、米軍が建てた教会などが現在も自衛隊で使用されています。それらの建物は「出る」との噂話も・・・。


自衛隊 

 これも写真を撮りはぐったのですが、自衛隊の職種別のバッジを眺めていたところ、最近「情報科」という職種が新たに加わったそうです。でもバッジはまだ出来ていないとのこと。


駐屯地顕彰室  「駐屯地顕彰室」。

 

 自衛隊で殉職された方のための部屋。黙とうしました。氏名、殉職の詳細などが書かれています。


ヘリ常設展示1 

 戸外にヘリが常設展示されています。ヘリの名前ちょっと分かりませんが、輸送用とのこと。

 

 輸送や救助用ヘリは陸海空に限らず、大体こんな丸っぽいフォームしていますよね。


ヘリ常設展示2 

中にも乗れます。現在も使用されているタイプのヘリで、ガイドさんが色々解説してくださいました。


ファミリーマート1  真駒内駐屯地のコンビニはファミリーマート。


ファミリーマート2 

コンビニの店先。大混雑の駐屯地祭とは雲泥の差です。ここでお土産を買って一休み。

 

 駐屯地見学もこれで終わりとなりました。ガイドのHさん、懇切丁寧な解説をしていただき、とても興味深い見学となりました。ありがとうございました。m(_ _ )m


■ 史料館(3号館)


3号館 

3号館は旧陸軍と自衛隊関連のコーナーです。画像は3号館全景。奥に入った所が自衛隊関連の展示。


旧第七師団長と、歩兵第二十五連隊長   旧第七師団長と、歩兵第二十五連隊長の写真。

 

 第七師団は屯田兵を母体として編成され、「北鎮部隊」と呼ばれていました。旅行でも旭川の陸自が管理する「北鎮記念館」という史料館へ行きましたが、この呼称が由来なんですね。

 

 昭和にはノモンハン、ガダルカナル島へ派遣された一木支隊、アッツ島の戦いなど、激戦地を転戦しました。


歩兵第25聯隊  歩兵第25聯隊についての解説。

 

 陸軍の編制としては、前にも書きましたが【師団(1万~2万人)⇒旅団(2千~5千人)⇒連隊(5百~5千人)】です。

 

 第七師団の歩兵第25聯隊は、ノモンハン事件や終戦直後の「樺太の戦い」で戦闘した隊です。


伝単 

 日本軍が中国で使用した伝単。珍しいです。


輜重(しちょう)車 

 目ぼしい展示を取り上げますが、これは野砲などを積んで馬に引かせていたいた輜重(しちょう)車。ありそうで案外見ないです。


スキー板 

 関東の駐屯地では目にしない、陸軍で使用していたスキー板。


銃剣 

 ロシア兵が使用していた日露戦争の際の銃剣。日本のものと造りが違うそう。


青龍刀  「青龍刀(旧支那軍が使用したもの)」

 

 実際に人を斬ったそうです。「血糊が付いている」とか言われていましたが、実際どうなんでしょうか?Σ(・ω・;|||


樋口季一郎中将が使用した事務机 

 私にとってのハイライトがこれ!樋口季一郎中将が使用した事務机。知らない人が見たら、何の変哲もない机でしょうね。


樋口季一郎 

樋口季一郎・陸軍中将(18881970年)

 

1937年、満州で亡命ユダヤ人を助け(オトポール事件)、アッツ・キスカ島の戦いを指揮。アッツ島は玉砕するも、キスカ島の無血撤退を成功に導く。

 

終戦直後、占守島(しゅむしゅとう)の戦いで、上層部の降伏命令に反し、対ソ戦を指揮、北海道に南下しようとするソ連軍を撃退。

 

 ・・・樋口中将の生き様を見ると、私もこうありたいと思ってしまいます。でも女性の場合、普通はこういう人と結婚したいと思うのかもしれませんね。(^_^;)


展示 

 う~ん、長くなってしまいましたね。真駒内駐屯地はあと1 回くらいで終わるでしょう。


史料館・2号館 

 真駒内駐屯地の史料館・2号館の屯田兵についてのご紹介です。真駒内駐屯地には史料館が1~3号館まであります。画像傾いていますね。

 

 

■ 史料館(2号館)


宿舎 

 これが屯田兵とその一家が生活していた宿舎で、ちょっと寒すぎるんでないの?という造りです。本州で使われている家屋を真似て、そのまま建ててしまった模様。


屯田兵一家の宿舎内部 

 屯田兵一家の宿舎内部。二重窓もなし、障子からすきま風。秋になったらヒグマが入口からコンニチワしそう。

 マイナス
10度になったら凍死するかも。屯田兵は、トンデモない家に住んでいた!(ノ゚ο゚)ノ (つまらんシャレ・・・)


熊 

こんなのに襲われたら、たまらないでしょう・・・。(画像はネット上よりお借りしました)

 

でもよく厳しい寒さに耐えられましたね。昔の人は我慢強かったんですね。


制服 

屯田兵が実際に着ていた制服。

 

 屯田兵には最初、明治になって職を失った士族が志願し北海道へ入植。その後は平民からも募集を募りました。

 

通常は農地を耕作し、農閑期には軍事訓練を行いました。屯田兵制度はやがて1904(明治37)年 の日露戦争中に廃止されました。


銃  屯田兵が使用していた銃

 

 北海道ならではの展示でした。次の3号館に私の見たかった展示物がありました。