太平洋戦争史と心霊世界 -25ページ目

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


根本博と家族 

根本博と家族。右側が妻の錫。



 終戦後の1949(昭和24)年6月、李鉎源(り・しょうげん)と名乗る台湾人の要請により、根本博とその通訳の吉村是二は、密かに台湾へ小船で密航することになりました。「国共内戦」で台湾の蒋介石に加勢するためです。

 

 根本は蒋介石とも戦時中より交流がありました。蒋介石は終戦直後に根本中将と会談し、自らの死を覚悟して戦争責任を問う根本を制し、日本再建のため帰国するよう諭した経緯がありました。蒋介石は、

 

「われわれ中国の軍人は、日本軍の侵略に対して抗戦はしたが、日本軍人に対して憎悪の感情は持っていない。そうは言っても、日本軍人が信ずるか、どうかわからんが、本当なんだ。

 

両国とも国のため、命令にしたがって、戦ったわけだ。だからこそ戦争が終わった現在、対等な隣国の戦友にならねばならん」

 

 と語りました。「怨に報ゆるに徳を以てす」、という蒋介石の温情に感激した根本は、

 

「東亜の平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳(は)せ参じます」

 

 と約束し、蒋介石のもとを辞しました。この終戦時の恩が、根本を台湾へと向かわせたのです。

 

 終戦時より既に中国各地で共産軍と国民党軍の衝突は始まっており、ソ連が共産軍に対し支援を強める中で、台湾の蒋介石は、アメリカや日本による支援が勝利への必須条件と考えていました。

 

 台湾へ渡航した根本らは蒋介石との再会を果たし、根本は湯 恩伯(とう・おんはく)の第5軍管区司令官顧問に中将として任命されました。



金門島 

中国本土に隣接する、台湾の金門島


 

 1949(昭和24)年10月の中華人民共和国成立後に、本土から僅か数キロ隔てた位置にある金門島で戦いがありました。根本はこの古寧頭戦役(こねいとうせんえき)とも呼ばれる戦闘で国民党軍を作戦指導し、大勝利を収めました。

 

根本中将は当時、中国人将校として「林保源」と名乗っていました。つまり彼の名は台湾では極秘中の極秘だったのです。現在でも根本博の名は台湾では知られていません。

 

その理由は、蒋介石が日本人の手を借りて金門島を守ったということが分かれば、蒋介石にとって大きな恥となったに違いない、という推察がなされています。



根本博と蒋介石 

昭和35年頃、台湾に招かれた根本博(左)。右が蒋介石。



 根本博は一見茫洋として掴みどころのない性格であったため、陸軍士官学校時代の教官であった、荒木貞夫からは「昼行燈」(ひるあんどん)と呼ばれていました。

 

 しかし蒋介石の温情を受け満州から日本へ帰国後、今度は蒋介石から援助を求められると、家財道具を売って旅費をひねり出し、台湾へと出港しました。

 

 個人として昔の恩義に報いる所は、とても「昼行燈」の評価は当たらないとも言われています。

 

 根本博には以前掲載したキスカ島撤退、占守島(しゅむしゅとう)の戦いを指揮した樋口季一郎とも共通項があります。

 

それは軍規という社会的規範が不適切と判断するや、潔く自己責任で良心に従い行動する誠実さです。これが彼らの名が現代でも敬意をもって語られる所以なのかもしれません。




・ウィキペディア『根本博』

・『戦略将軍 根本博』-ある軍司令官の深謀、小松茂朗、光人社、1987

・『この命、義に捧ぐ』-台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡、門田隆将、集英社、2010


根本博 
根本 博、18911966年、享年74


 以前あるブロガーさんから根本博の人物伝を、とのリクエストをいただいていました。今回遅くなりましたが、それを掲載します。

 

 根本博中将は、昭和史に通暁している層には名が知られているようですが、一般的には無名の陸軍軍人であると思います。

 

 根本の特筆すべき功績は2つあります。一つは終戦時に駐蒙軍司令官として、尚も攻め入るソ連軍の手から満州在住の邦人4万人を救出し、無事日本へ帰還させたことです。

 

 2つ目は復員後の1949(昭和24)年、台湾(中華民国)に渡り蒋介石に協力。金門島の戦いにおいて司令官顧問として指揮し、中国人民解放軍を撃退し、台湾独立に貢献した経歴があります。

 

 根本博は1891(明治24)年生まれの福島県出身。陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校を卒業(23期)。陸軍大学は34期。

 

 根本は昭和19年冬、関東軍からモンゴルの駐蒙軍司令官として張家口(ちょうかこう)の司令部に着任しました。

 

 昭和201月の時点で、駐蒙軍は混成二個師団で日本全体の面積に匹敵する地区を警備し、かつ国民党の傅作義(ふ・さくぎ)と八路軍に対抗せねばなりませんでした。



傅作義 

作義(ふ・さくぎ)、18951974年、享年78



  ちなみに国民党の傅作義(ふ・さくぎ)ですが、彼は「見危授命」、つまり人の危うきを見て自分の命を投げ出すという言葉をモットーとしていました。

  日中戦争以前の
5年間、彼は第35軍長兼、綏遠(すいえん)省政府主席として善政をしき、根本とも親交がありました。

 

 根本はまた蒋介石とも昵懇(じっこん)の仲でもありました。若い時より「根本は支那人」と陰口を叩かれるほどの親中派で、傅作義の思想にも傾倒していたようです。根本のこのような一面が、のちの台湾独立運動の援助へと続いていきます。

 

 昭和205月のドイツ降伏後、ソ連軍の動向が極めて険悪化しつつありました。根本はドイツが降伏したら、ソ連は必ず対日戦に参加すると推測していました。

 

しかし関東軍司令部は、ソ連軍が侵攻してきても、一般邦人にとっては無武装・無抵抗が最高の手段と考えていました。また一般日本人の間にも「ソ連軍は丸腰の日本人を絶対殺傷しない」という噂が流布されていました。

 

日ソ両国人の心情は全く違うと考えていた根本は、事態を憂慮し管内奥地の邦人から逐次、張家口へ在留邦人を集結させ始めました。


張家口 

 

案の定、昭和2089日の対日宣戦布告により、ソ連軍の満州侵攻が始まりました。815日の日本降伏後もソ連軍の進撃は止まりません。

 

大本営からも速やかに武装解除せよ、さもなくば処罰するとの命令が下されました。

  それに反してソ連軍の本質を見抜いていた根本は、ここで投降すれば一般邦人をはじめとした日本軍は、ソ連軍に皆殺しにされるであろうことは容易に予測がついていました。

 

 根本は部下の将兵を集合させ、こう命令しました。

 

「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う」

 

 彼はソ連軍を相手に絶対に武装解除しないことを決意していました。ポツダム宣言を受諾し、本国から武装解除命令が出ているにもかかわらず、これを拒否して戦闘を行うのは、戦勝国側から見ればそれだけで「戦争犯罪人」扱いとなります。

 

 しかしその責任は全て、根本司令官個人が引き受けることを、部下に改めて明示したのです。


陸軍

 

 ソ連軍の奇襲が始まったのは820日、日本軍もこれを邀撃し、すさまじい白兵戦となりました。日本軍との激しい銃撃戦、斬り合いにソ連軍は戦意を喪失し始め、821日、日本軍にも撤退命令が下されました。

 

 同時に21日の午前中に日本人居留民4万人は北京・天津方面へ脱出したとの報告がなされました。こうして根本司令官の駐蒙軍は、在留邦人の保護に成功し、最終的には居留民が引き揚げ船に乗るまで見届け、援助を尽くしました。

 

 根本中将の指揮下にあった、独立混成第二旅団に所属していた渡邊曹長は以下のように述べています。

 

「軍隊とは国民を守るのが原点です。私は、あの時の根本閣下の命令は当然だったと思います。私たちの戦いは終戦になって以後のことなので、客観的にいえば、“反乱”ですよ。

 

でも、戦友は犬死ではなかった。そのおかげで、4万人が引き揚げて無事日本に帰って来られたのですから、結果的に4万の居留民を助けられたことは、私たちの誇りです。

 

隣の満州の関東軍は、武装解除に応じて、邦人があんなひどい目に遭ったわけですから、同じ将軍でも、わが根本閣下は違う、と私たちは今も誇りに思っています」


自衛隊 
 
  

アナウンサー:日本の施政権にある所は当然日米安全保障条約というのは十分機能するところですよと・・・。

 

 

佐藤:ただ本当のことを言うと、双方の憲法手続きに従ってということがあるから。アメリカは宣戦布告権は、議会にしかないですからね。大統領にないですから。議会了承を得ないといけないんですよ。そこのハードルはあるんで自動介入じゃないですけどね。

でもいいんです、政治的にそれ言ったっていう意味は。それと同時にロシアを過度に孤立させないで、中国とくっ付けないようにすると。これはうまくやってますよね。

この
2つがあれば、集団的自衛権を日本がとりあえず確保しようとする本来の目的というのは、中国けん制ですよね。その目的が達成できるのに、なんで今やって、特にロシアを刺激する必要があるのかなってのは、私にはよくわかんない。

 

 

アナウンサー:今月でしたっけ?来月?中国とロシアで共同訓練を尖閣沖でやりますよっていう予定があるように報道されてますけども。何で今の時期に中露で共同訓練とかやるんですかね?

 

 

佐藤:ですから中国としては、ロシアを巻き込みたいと。ロシアの中では色んな勢力が綱引きしているっていう事ですよ。ですから日本との関係を安定化させたいと思う人たちがいれば、この機会に日本はアメリカの同盟国で、しかも集団的自衛権なんて少し締めた方がいいと思っている連中もいるしと。

こういう綱引きが、そういった情報戦となって現れてくるわけですね。だからもう少し上手くやらないといけないんだけども、なんかこれは目的がよく分からないというか、総理の個人的な思いでやっていると。

それからあともう一つ、政局的にですよ、公明党完全に無視するっていう事を今やって、持つほど自民党強いのかなと思うんですよ。

 

 

アナウンサー:維新を何とか自分の方に引っ張り込もうという、みんなの党もそうだけど、それじゃいけなくなってきました?

 

 

佐藤:公明党だったら各選挙区で2万平均で持ってこれますよね。それ裏返るわけですよね。維新にそんなことできます?そんなワザ。そういうことできる政党っていうのは、北海道の新党大地と公明党だけですよね。

そういうカリスマがいて、指導しているような組織っていうものは、どういう意味持っているかと。

だから特に私注目しているのは、創価学会系のうしお出版っていう所から、最近奥平康弘、東大名誉教授と、木村草太、首都圏大学の准教授とか、『未完の憲法』っていう本出しているんですけど、これが安倍さんの会見を徹底的に批判しているんですよ。

集団的自衛権についてはものすごい批判的。これ一種のシグナルだと思うんですよ。こういうもの官邸が読めた上でやっているのかと。このままだと、公明党と自民党の間に相当な亀裂が入ると思いますね。


 元外交官で作家の佐藤優氏による集団的自衛権についての解説です。

 

 

■『くにまるジャパン』52日放送分1〈佐藤優〉 集団的自衛権について

http://www.youtube.com/watch?v=t2pwNOhk9sM

 

【ニュース】集団的自衛権、政府方針に明記。総理、内閣の了承す、ということで、安倍総理は他国を守るために武力を使う集団的自衛権の行使容認を憲法解釈の見解をまとめる政府方針に明記する方針を固めました。

実態は内閣全体の了解を得ない首相見解で、安倍総理がこのタイミングで政府方針と銘打って自らの見解を出すのは閣議決定で集団的自衛権の明記は譲らないという考えをはっきり示すねらいがあるとみられています。

 

安倍総理


アナウンサー:集団的自衛権に関しては、憲法解釈の変更っていう事をよく言われるんですが、自民党内においても「それは邪道だろう」と、ちゃんと憲法改正ということを正面に打って出てやるべきじゃないかという声もある中で、これ佐藤さんどのように見てらっしゃいますか。

 

佐藤:まず、2つの見方が重要だと思うんですね。まず国内政局的です。公明党の力が決定的に大きいという事です。っていうのは、閣内で了解を得るということになると、太田(国土交通省)大臣の了承を得られないっていう見通し持ってるんでしょう。

それだから閣議は迂回しないといけない。裏返していうと、公明党の存在がそれくらいデカいんだってことなんですね。

 

あともう一つは、今このタイミングでやるっていう事は、集団的自衛権っていうのは地球の裏まで行くっていう石破さんの言っているのが正しい解釈なんです。限定的な集団的自衛権なんてないんです。

ということは、米ロ関係緊張しているでしょ?第二次日露戦争やるかっていう話なんですよね。このタイミングでやるのがいいのかどうかって、この
2点がやっぱり大きな注目点ですね。

 

アナウンサー:与野党からの集団的自衛権行使という事を容認した場合どういう事が起こるかというシュミレーションを一杯しなければいけない。それを全部国民に知らすべきじゃないかという声もあるわけですね。

 

佐藤:そしたら日露戦争でてきますからね。私は集団的自衛権っていうのは、事実上だましだましで行使しているんですね。ですからこれ法的にいつか整理しないといけないんです。

解釈改憲で整理するのか、憲法改正で整理するのか?そうじゃないと、インド洋に行ったりとか、イラクに行ったりとか、あんな説明国際的にいつまでもしたら嘘つきってことになりますよ。

整理しないといけないんだけど、今のタイミングかっていうことなんですよね。あんまりそれ考えてないんだと思う。


記念式典5 

 

アナウンサー:オバマさんも、この前集団的自衛権の行使というものは歓迎するようなスタンスを見せました。

 

佐藤:これはね、大いなる勘違いが双方で生じてると思いますよ。オバマさんは、日本が集団的自衛権をどうしてもやってほしいと思っていると。尖閣の関係があるから。「貸し1よ」と思っているんですよ。

日本は、集団的自衛権っていうとアメリカが喜ぶから、アメリカには貸しになると。これ位の感覚で、お互いが相手の為にやってるんだぞという雰囲気があるわけですよね。ですから、あんまり腰入ってないんですよ、両方とも。

 

アナウンサー:今やるべき事じゃないかということで言えば、逆に行けば安倍さんは何でしゃかりきに?

 

佐藤:それは「私が言いだした事だからきちんとやらないと私の政治力の問題になると。こういう安倍さんの政治家なりの自分の論理ですよ。靖国と一緒ですよ。やはり痛恨の極みだったと、一次政権で行かなかったことが。だから行くと。

となると、靖国と同じような可能性になるんですね、起きた後。ハレーションあちこちで起きてと。ここの所をどう計算するのかと。

要するに今中国が尖閣で上がってくるのを抑えないといけないでしょ。そのためにやるならば、安保
5条の適用をオバマさんが今度の日米首脳会談で明示したわけだし。


予科練 


 昭和17年度の予科練生の採用試験問題の資料がありましたので、ご興味ある方は挑戦してみてください。問題文は片仮名から平仮名に直しました。

 

 

■昭和17年度後期甲種飛行予科練習生採用試験問題(抜粋)

 

 

●国語・漢文

 

 

一、        次の文章中傍点を付したる所に適当なる漢字を書き入れよ。

 

太平洋は、各国カツヤクブタイとなり、全世界のシセンはここに集中し、そのセイカイ権をカクトクするものは、世界を制し得るものと認められしことあり。

 

 

二、        次の語に読み仮名を付けよ。


 

①折衝、②諮詢、③飛翔、④膾炙、⑤跋扈、⑥遊弋、
⑦吶喊、⑧滑空、⑨由緒、⑩趨勢

 

 

【国語解答】

 

一、①活躍、②舞台、③視線、④制海、⑤獲得

 

二、①せっしょう、②しじゅん、③ひしょう、④かいしゃ、⑤ばっこ、⑥ゆうよく、⑦とつかん、⑧かっくう、⑨ゆいしょ、⑩すうせい

 


 

●地理・歴史

 

 

一、        次の港のある島名を挙げ、かつその港の重要輸出品一を記せ

 

1. マニラ、 2.バリックパパン、 3.スラバヤ、 4.昭南市、 5.コロンボ

 

 

二、        上段の歴史事項に関係ある下段の事項に上段と同番号を付せ。

 

(1)御亀山天皇、(2)満州事変、(3)北条時宗、(4)豊臣秀吉、(5)北畠親房、(6)聖徳太子、(7)舎人親王、(8)徳川慶喜、(9)天智天皇、(10)本居宣長

 

 

(イ)近江令、(ロ)神皇正統記、(ハ)遣隋使派遣、(ニ)大政奉還、(ホ)日本書紀、(ヘ)古事記伝、(ト)文禄の役、(チ)文永の役、(リ)吉野朝廷の京都還幸、(ヌ)国際連盟脱退

 


 

【地理・歴史解答】

 

一、①ルソン島-砂糖、マニラ麻、煙草のうち一、②ボルネオ島-石油、③ジャワ島-砂糖、④昭南島(シンガポールは正解としない)-ゴム、スズ、コプラノうち一、⑤セイロン島-茶

 

三、(1)-(リ)、(2)-(ヌ)、(3)-(チ)、(4)-(ト)、(5)-(ロ)、(6)-(ハ)、(7)-(ホ)、(8)-(ニ)、(9)-(イ)、(10)-(ヘ)

 


 

●数 学

 

 

(4)某基地を午前10時に出発せる爆撃機あり、これを護衛せんがために戦闘機は同地を午前1020分に出発せり、戦闘機が爆撃機に追いつく時刻如何、但し爆撃機と戦闘機との速さの比は45なりとす

 


 

【数学解答】

 

(4)戦闘機の速さを毎分Xキロメートルとすれば、爆撃機は毎分4x / 5キロメートルとなる、

 

戦闘機が追いつくまでの時間をt分とせば次の関係を得

tx = 20 × 4x / 5 + t ×4x / 5