太平洋戦争史と心霊世界 -24ページ目

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


フランス語の広告 

カナダの仏語圏:看板や広告は法規制により全てフランス語です。



 以前カナダの仏語圏に生息していたことがありました。そこでは英語・フランス語共に見事に喋るバイリンガルの人が多数生活していました。

 

店のレジ係りの人も英語で話しかけられたら英語で、お客さんがフランス語を喋れば仏語でと2ヶ国語で同時対応しており、最初見たときはすご~い!と感嘆しました。

 

 英仏語ともに完璧で、一体どちらがネイティブなんだろうと分からない人が多いです。でもある時その見分け方を発見しました。



フランス語の「止まれ」 

カナダ、ケベック州のフランス語の道路標識、「止まれ」(STOP



  詳細は忘れましたがどこかへお金を払いに行った時のことです。そこの受付の女性は最初英語で対応してくれました。

 英語も完璧でフランス語訛りなど全然ありません。どこから見ても「アングロフォン」(つまり英語がネイティブの人)です。

 

 彼女はそれから自分の机に戻って何やら小声でブツブツ計算を始めました。私はその間待ち状態だったのですが、よく聞いてみると、それはフランス語だったのです。計算する時だけフランス語!

 

 ということは、彼女の英語は完璧に聞こえたけれど、本当の第一言語はフランス語だったわけです。

 

 考えてみれば、私も外国語で足し算・割り算などを計算するのは面倒くさくて嫌です。

 結局第二言語が完璧にできているように見える人でも、面倒な場面に出くわすと、やっぱり自分の言語に戻ってしまうようです。

 

 そういうことで結論:国籍不明者やマルチリンガルの人の第一言語(母国語)の見分け方は、声を出して足し算や掛け算などの計算をしてもらうこと。そこで自然に口をついて出てきた言葉が第一言語です。


九段散策、後編です。前編では靖国神社まで行きました。


九段坂 

九段周辺は靖国神社から千鳥ヶ淵にかけて、緩い坂(九段坂)が続きます。

 でも昔の九段坂は、現在より遥かに勾配がきつかったそうです。中央遠方に靖国の塀が見えます。


北の丸公園 

 靖国の向かい側に北の丸公園(皇居外苑)があります。かつて江戸城の北の丸があった場所で、今は公園になっています。これが最初の入口。


田安門 

 門をくぐるとまた門があって、ここは旧江戸城田安門、重要文化財に指定されています。

 

 門の建設年代ははっきりしませんが、1636(寛永13)年と推定されています。東京大空襲でも爆撃を免れました。

 一部修理されたりしているものの、昭和
18年製作の国策映画、「決戦の大空へ」でもこの田安門がしっかり映っていますね。


 

 田安門のそばに、「皇紀二千六百年 植樹記念碑」という石碑があります。

 

昭和151935)年に、神武天皇即位から2600年を記念して、行事が大々的に行われましたが、その当時のものでしょう。


日本武道館 

 田安門をくぐると日本武道館の建物が。この日は剣道の試合と書いてありました。


 

 北の丸公園を出て、再び大通りである「靖国通り」の坂を上ります。

 途中の九段坂公園という猫の額ほどの土地に、元帥陸軍大将 大山巌公」の銅像が立っています。


拡大 大山公の銅像は、結構な高さなので顔がよく写りません。 



大山巌 

大山巌(いわお):1842(天保13)年-1916(大正5)年、享年74

 

 薩摩藩士。陸軍大臣を歴任。ジュネーヴへ留学、「西洋かぶれ」とも。日清・日露戦争では勝利に大きく貢献。後妻は米国留学した山川捨松。

 「八重の桜」にも登場したようですね。私はテレビないので見なかったですが・・・。(^o^;)



千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ  千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ向かいます。


千鳥ヶ淵緑道 

 千鳥ヶ淵緑道。右の柵越しに下を覗くと千鳥ヶ淵。ここはまさに都心の中心部にもかかわらず、週末は人もまばらで静かな空間を保っています。


千鳥ヶ淵 

千鳥ヶ淵。ボートに乗っている人もほとんどおらず、閑散としていました。桜の時期とは大違いですね。


千鳥ヶ淵戦没者墓苑 

  千鳥ヶ淵戦没者墓苑に到着。身元不明の戦死者の遺骨が安置されています。詳細はまた後で書こうと思います。


靖国神社 

 最後に靖国神社へ戻ってきました。陽が陰って日没も近づいてきます。私もここで帰路につきました。


 所要ついでに九段下へ寄って写真を撮ってきました。この辺は戦争関連施設が多いのです。



九段下 

 まず地下鉄・東京メトロの「九段下」駅で下車します。ここは九段下の6番出口ですね。


しょうけい館 

 九段下・6番出口のすぐ脇に路地があり、そこを入ると「しょうけい館・戦傷病者史料館」という、戦時医療関連の展示施設があります。入場料は無料。

 

 

■しょうけい館・戦傷病者史料館

http://www.shokeikan.go.jp/index.html


坂 

 靖国神社の方向へ向かって坂を上っていきます。この辺一帯は昔から「九段」と呼ばれていました。

 

九段の由来は、江戸時代から坂の傾斜に9段の石段があったのと、「九段屋敷」という幕府の御用屋敷があったためです。


昭和館 

 靖国神社へ行く途中に「昭和館」という、戦中・戦後(昭和10年代~30年頃)の国民の生活史をテーマにした歴史資料館があります。

 

 

■昭和館

http://www.showakan.go.jp/


靖国神社 

 靖国神社、正門ではなく脇にある鳥居です。真ん中に大村益次郎の銅像が。中央にジョガーらしき方が写っていますが、この辺ジョギングしている人が多いですね。

 

 

■靖国神社

http://www.yasukuni.or.jp/



青空骨董市 

  靖国神社の境内では青空骨董市が開かれていました。


洋裁雑誌 

 行った頃には閉店間近であまり写真が撮れず・・・。上は昭和20年代後半の洋裁雑誌。日本刀なども売られていました。


車 

 靖国神社の近くに停車していた無人の車。力入ってますね~。(^_^;)

 

そういえば、前は「韓日友好」というステッカーが貼られた街宣車が止まっていました。「日韓」ではなく、「韓日」なんですよ・・・。


靖国神社本殿 

 靖国神社本殿。欧米系外国人も結構多くて、神社で記念撮影している風景が見られます。桜の季節はこの辺激混みです。梅


遊就館 

 遊就館(ゆうしゅうかん)の現在の特別展、「大東亜戦争七十年展」、「昭和189月、昭和19年における守勢作戦」、12月まで。

 時間がなくて中は見学できませんでした。後編に続きます。


空 
  

シルバーバーチなど高級霊の語った霊界通信をもとに、死んだらどうなるのかを解説していきます。現在の話は、人間が霊界入りしてから行く最終目的地である「霊界」についてです。

 

 「霊界」というとそこにいる住人も、幽霊のようなフワフワした実体のない身体でいるのか思いがちです。ところが霊界でも地上世界と変らず、人間は触れば固い身体を維持し生活しています。


霊界一覧図 


藤 

 

 

赤字はシルバーバーチの言葉)

 

――霊界で相手を認識するとき、その人の何を見ているのでしょうか。

 

 

「人間と同じ形体です。頭もあり胴体もあります」

 

 

――身体はないとおっしゃいましたが・・・

 

 

「物的身体はないと申し上げたのです。霊的身体はあります」

 

 

 

【解説】霊界でも人間は地上世界同様の身体を維持しています。つまり地上世界で使っていた肉体の生き写しになるのですが、霊界では容姿自体は光輝を放ち、地上世界よりも美しく見えるようになります。

 

 また容姿年齢は地上での最盛期の姿、20代半ば程度の形態を保ちます。20代まで生きずに死んだ人間は、霊界で成長してそれなりの年齢の容姿を保ちます。

 

 また長い霊的経験を経て霊的年齢が高くなった人間も、霊界での身体は20代ですが、若く見えながらも、どこかしら成熟して年季が入った顔にも見えると言われます。


レモンバーム 

 

 

 

――この肉体を棄ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。

 

 

「地上よりはるかに実感があり、しっかりしています。本当は地上の生活の方が実感がないのです。霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。こちらへ来られるまでは本当の実体感は味わっておられません」

 

 

――ということは地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか。

 

 

「だから言ってるでしょう。地上よりもっと実感がある、と。こちらの方が実在なのですから・・・。

 

あなたがたはいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられて、物質という壁で仕切られて、小さな鉄格子の窓から外をのぞいているだけです。地上では本当の自分のホンの一部分しか意識していないのです」

 

 

 

【解説】地上世界では極めて限られた能力、すなわち聴覚、視覚、触覚など五感を駆使して現実世界を把握することになります。

 

 一方霊界は、地上の霊能力者以上の超自然的な機能を誰でも普通に使用できる素晴らしい世界です。そのためシルバーバーチは地上世界の人間を、牢獄の中にいる不自由な囚人に例えています。

 

 結局霊界というのも慣れればそこが現実の世界であり、地上世界と変らず人間はしっかりした身体を持って生活しています。

 

 ただこれを地上世界から見た場合、霊界は見えないということになります。シルバーバーチはこれをバイブレーションの問題としています。

 

 バイブレーション(波長)がお互いに違い過ぎれば、相手の空間は認識できません。地上のバイブレーションは重く粗雑で、霊界は精妙で高いバイブレーションを保っています。

 

 従ってお互い波長が違いすぎるため、それぞれの世界でそれぞれの生活の場を持ちながらも、波長の粗い地上からは霊界が見えない、認識できない、という事態が生じてきます。

 

 

『シルバーバーチの霊訓』(8)、4章 質問に答える(二)――死後の生活

『シルバーバーチの霊訓』(4)、5章 死んだらどうなるか


夕焼け 


  根本博中将は陸軍幼年学校、陸士と進学し1917年、陸軍大学に挑戦しました。ところが試問で山の攻撃法を説明した根本は、試験官であった蓮沼教官に愚策であると、徹底的にこきおろされました。

 

 しかし回答が正論であると信じる根本は、内容を曲げません。結局試問は根本の強硬な自説の主張で終わりました。彼がその大道易者に出会ったのは、陸大を受験し終わった夜のことでした。


根本博
根本博中将

 

 「(根本は陸大試験の夜)、下宿の近くを散歩していたら、大道易者に呼びとめられられた。

 

 『試験は終わったし、暇つぶしに見てもらおう』――そんな気持になって易者の前に立つと、

 

 『あなたは試験のようなものをうけたんじゃないですか?』

 

 と言う。根本は内心、よくわかるものだ、と感心しながら、そんなことはおくびにも出さず、ただ笑っていると、さらに、

 

 『今日は試験の出来が悪かった、と心配しているようだ。それが顔にも運勢にも出ている。しかし、それは取り越し苦労というものだ。安心しなさい。あなたの思い込みとはまったく反対。最高の出来だった。合格まちがいなし』

 

 と励まされた。そして、その翌日、受験生は一室に集められ、名前を呼ばれた。その連中は得意気に部屋を出ていく。いくら耳を澄ましても、根本の名前は呼ばれない。

 『終わり』と言われるまで、根本の名前は出て来なかった。『やっぱり不合格』と思ったトタンに、

 

 『名前を呼ばれなかった者が合格。これから入校式を行う』

 

 と言われた。まさに吉凶はあざなえる縄のごとしである。名前を呼ばれ、誇らしげに部屋を出ていった人たちは、かわいそうに帰隊の旅費をもらって、しょんぼりと営門に向かう。その後ろ姿を見ながら、“神の加護”を思った。

 

 根本が陸大に入学してから蓮沼教官が、

 

 『あのとき、お前の意志の強弱を試験したのだ。だからお前が、はじめの意見をひるがえすよういろいろと仕かけてみたのじゃ。答えはあれでよかった』

 

 と言うのである。ミスばかり重ねたのにもかかわらず合格したのは、どうしてだろうか。喜びのほかに、そんな疑念が湧いてどうしようもなかったが、蓮沼教官の説明を聞いて釈然とした。

 

 それにしても大道易者の見立てそっくりになった。なんとも凄い眼力の易者がいたものである」



  虹      虹      虹      虹


【解説】占いが当たったのではなく、易者が透視能力を持っていた

 

 シルバーバーチは、占い自体は人間の運命に決定的な影響は及ぼさないと説明しています。占星術については、人間も惑星からの物的影響を受けているが、いかなるエネルギーも霊魂までに直接影響は及ぼさないとしています。

 

 つまり人間の運命を決めるのは、結局人間の意志次第であるということです。

 

 『霊の書』を著したアラン・カルデックは手相について、「手相それ自体に意味があるわけではない。ただし、透視能力を持っている人々にとって、手相が、真実を見抜くための、ある種のきっかけにはなり得るだろう」と考えていました。

 

 すなわち「手相は、一つの口実――注意を集中させ、意識を研ぎ澄ますための手段」であるということです。

 

 透視能力を持つ人の中には、自分のその能力に気付き、占いに利用する占い師もいるようです。

 

 この場合は「当たる占い師」として評判が高くなりますが、これは当人にサイキック能力があるから当たるのであって、占いの理論自体が高度なので的中するというわけではありません。

 

 また占い師がサイキック能力を持っていたとしても、百発百中で当たる確率はありえません。というのは占い師がサイキックで超自然的に情報を得たとしても、どうしても彼らの潜在意識の情報が混ざったりして雑念が入ってしまうためです。

 

 従って当たる確率も占い師によりますが、全体の80%とか、60%などの的中率となります。

 

 また依存心が強い人、何でも盲信しがちな人ほど、占いに頼りがちになってしまうのでは?この手の方々は、占いから適当な距離を置くことが課題ではないでしょうか。

 

 自分の運命はある程度自分で変えられるのですから、自分自身が人生を創る、という気概が大切なのでしょうね。

 


 

・『戦略将軍 根本博』-ある軍司令官の深謀、小松茂朗、光人社、1987

・『霊との会話』-天国と地獄Ⅱ、アラン・カルデック、浅岡夢二訳、幸福の科学出版、2006年