
根本博中将は陸軍幼年学校、陸士と進学し1917年、陸軍大学に挑戦しました。ところが試問で山の攻撃法を説明した根本は、試験官であった蓮沼教官に愚策であると、徹底的にこきおろされました。
しかし回答が正論であると信じる根本は、内容を曲げません。結局試問は根本の強硬な自説の主張で終わりました。彼がその大道易者に出会ったのは、陸大を受験し終わった夜のことでした。
根本博中将
「(根本は陸大試験の夜)、下宿の近くを散歩していたら、大道易者に呼びとめられられた。
『試験は終わったし、暇つぶしに見てもらおう』――そんな気持になって易者の前に立つと、
『あなたは試験のようなものをうけたんじゃないですか?』
と言う。根本は内心、よくわかるものだ、と感心しながら、そんなことはおくびにも出さず、ただ笑っていると、さらに、
『今日は試験の出来が悪かった、と心配しているようだ。それが顔にも運勢にも出ている。しかし、それは取り越し苦労というものだ。安心しなさい。あなたの思い込みとはまったく反対。最高の出来だった。合格まちがいなし』
と励まされた。そして、その翌日、受験生は一室に集められ、名前を呼ばれた。その連中は得意気に部屋を出ていく。いくら耳を澄ましても、根本の名前は呼ばれない。
『終わり』と言われるまで、根本の名前は出て来なかった。『やっぱり不合格』と思ったトタンに、
『名前を呼ばれなかった者が合格。これから入校式を行う』
と言われた。まさに吉凶はあざなえる縄のごとしである。名前を呼ばれ、誇らしげに部屋を出ていった人たちは、かわいそうに帰隊の旅費をもらって、しょんぼりと営門に向かう。その後ろ姿を見ながら、“神の加護”を思った。
根本が陸大に入学してから蓮沼教官が、
『あのとき、お前の意志の強弱を試験したのだ。だからお前が、はじめの意見をひるがえすよういろいろと仕かけてみたのじゃ。答えはあれでよかった』
と言うのである。ミスばかり重ねたのにもかかわらず合格したのは、どうしてだろうか。喜びのほかに、そんな疑念が湧いてどうしようもなかったが、蓮沼教官の説明を聞いて釈然とした。
それにしても大道易者の見立てそっくりになった。なんとも凄い眼力の易者がいたものである」
【解説】占いが当たったのではなく、易者が透視能力を持っていた
シルバーバーチは、占い自体は人間の運命に決定的な影響は及ぼさないと説明しています。占星術については、人間も惑星からの物的影響を受けているが、いかなるエネルギーも霊魂までに直接影響は及ぼさないとしています。
つまり人間の運命を決めるのは、結局人間の意志次第であるということです。
『霊の書』を著したアラン・カルデックは手相について、「手相それ自体に意味があるわけではない。ただし、透視能力を持っている人々にとって、手相が、真実を見抜くための、ある種のきっかけにはなり得るだろう」と考えていました。
すなわち「手相は、一つの口実――注意を集中させ、意識を研ぎ澄ますための手段」であるということです。
透視能力を持つ人の中には、自分のその能力に気付き、占いに利用する占い師もいるようです。
この場合は「当たる占い師」として評判が高くなりますが、これは当人にサイキック能力があるから当たるのであって、占いの理論自体が高度なので的中するというわけではありません。
また占い師がサイキック能力を持っていたとしても、百発百中で当たる確率はありえません。というのは占い師がサイキックで超自然的に情報を得たとしても、どうしても彼らの潜在意識の情報が混ざったりして雑念が入ってしまうためです。
従って当たる確率も占い師によりますが、全体の80%とか、60%などの的中率となります。
また依存心が強い人、何でも盲信しがちな人ほど、占いに頼りがちになってしまうのでは?この手の方々は、占いから適当な距離を置くことが課題ではないでしょうか。
自分の運命はある程度自分で変えられるのですから、自分自身が人生を創る、という気概が大切なのでしょうね。
・『戦略将軍 根本博』-ある軍司令官の深謀、小松茂朗、光人社、1987年
・『霊との会話』-天国と地獄Ⅱ、アラン・カルデック、浅岡夢二訳、幸福の科学出版、2006年