ルイス·キャロルの「不思議の国のアリス」に登場する狂った帽子商人は、永遠に止まったティータイムの中で意味のない謎を投げかける狂気じみた人物だ。今月9日に大学路で会ったミュージカル〈マッドハッター〉は、まさにこのキャラクターの起源を想像しながら始まる。原作の幻想的な世界観を19世紀の産業革命期の英国という具体的な時空間に移し、現実の重さを加えたこの作品は、資本の規則の中に閉じ込められた人間の運命を新たに描く。
ノアは煙突の中をよじ登っていた幼い労働者で、狭い空間に体が合ってこそ生計を継続することができた。しかし、その体が育った時、仕事場はこれ以上彼を受け入れない。彼は煙突を上る途中、自分が所有している唯一の帽子を失い、同時に仕事も失う。その場面は単なる失職の事件ではなく、帽子が象徴する「ロンドン市民権」を喪失したまま、冷たい資本主義世界に裸で投げ出された14歳の少年の運命を隠喩的に示している。
以後、ロンドン市民の象徴である帽子に憧れたノアは、その社会に属したいという熱望でヘクターの工場に入る。だが、フェルト製作過程で広がる水銀蒸気が労働者を病気にするという事実に気づき改善を要求すると、彼の声は無視されたまま街に追い出される。
〈マッドハッター〉は、このように一人の個人の生存問題を「帽子」という事物の象徴に圧縮する。帽子は身分と生存の証票であり、体制に編入できる最小単位の資格だ。それを失った瞬間、ノアはすぐに社会的存在としての地位を失う。アリスがウサギ穴に沿って「不思議の国」に入ったとすれば、ノアはその反対方向に墜落する。子供がこれ以上入れない煙突の狭い隙間は、成長と共に社会から排除されるアイロニーを示している。
この作品の力は、まさにこのような逆説の構造にある。ジョスリンはノアの内面を映す鏡のような人物だ。彼は現実の論理をひねりながら「答えを合わせずに考えることを言え」というような言葉を繰り返す。この言葉は単純ないたずらではなく、「正解」だけを要求する産業社会で考える権利を失った人間に投げかける逆説的な質問だ。ヘクターの工場がすべての労働者を一つの機械部品にする空間ならば、ジョスリンの言語はその亀裂を表わす方式だ。すなわち、狂気と矛盾に見える言葉がむしろ人間らしい思考と感情を守るための抵抗の形で作動する。
チョ·ソンユンは二人の人物を行き来しながら、作品の核心構造である現実と幻想の境界を繊細で立体的に具現した。ジョスリン役を演じる時はノアの内面を照らす助力者であり希望の化身として存在し、ヘクターとしては資本主義の冷酷な顔であり、またもう一人の「狂った帽子商人」に変身した。彼は二人の人物の温度差を誇張せずに繊細な緩急調節で扱い、同じ俳優の中で現実と幻想の質が自然にかみ合った。
イ·ボンジュンは14歳のノアが持つ、人生に対する愛情と純粋な意志を丁寧に表現した。童話の中の主人公のように試練を経験したが、その苦痛を感情的に誇張せずに一貫した視線と暖かい言葉遣いで満たした。彼は狂気が人間が耐えるために作り出した、もう一つの理性である可能性を説得力をもって示した。また、不完全な世界でも周辺人物を包み込む人物の温もりを繊細に見せ、観客は自然に彼の勇気と変化を応援することになる。
作品は光と空間で感情を語る演出が目立った。照明は単なる視覚的装置ではなく、人物の内面を現わすもう一つの叙事として作動した。場面ごとに微妙に変わる色味が人物の状態を暗示し、台詞より先に変化の兆しを表わした。また、小さな劇場の限られた空間の中でも演出は密度を逃さなかった。舞台の上を横切る4つの金網は、場面ごとに異なって使われた。ある瞬間には帽子掛けになり、また別の瞬間には工場の鉄条網になった。人々の事情と希望を込めた帽子をかけておく空間が、同時に勤労者と世の中を分ける壁になるアイロニーな演出が印象的だった。
ノアは最後まで救われないが、観客には別の形の慰めが残る。その慰めは「私たちは依然として帽子をかぶる人々」という自覚だ。ジョスリン/ヘクターを一人の俳優が演じることで象徴する「体制と狂気の循環」の中でも、人間の尊厳は完全には消えない。まさにその不完全な尊厳が、この作品を今日の物語にする。
〈マッドハッター〉の音楽は絶えず楽しい。帽子制作過程を描く「ビバラップ」は機知のあるライムで笑いを誘発するが、軽快なリズムの中に水銀の毒性が染み込んでおり、遊戯と悲劇が一つの場面に重なる。悲しみを高めることなく、遊戯の言葉で現実の残酷さを押し込める。したがって観客は感傷的同情の代わりに「居心地の悪い自覚」を経験する。音楽が明るければ明るいほど、シーンの暗さが際立つ。これがまさに〈マッドハッター〉が「搾取の現実を童話のように包み込む方法」だ。
舞台のあちこちに明るい色の照明の下でますます薄れていく人間の顔、笑いを誘導するリズムに載せられた悲劇的歌詞、規則と混沌が共存する群舞など配置された逆説的イメージと象徴は〈マッドハッター〉が単純な社会告発劇ではなく、人間存在の根源的矛盾を探求する作品であることを明らかにする。
ミュージカル〈マッドハッター〉は来年1月18日まで大学路リンクアートセンタードリーム・ドリーム2館で見ることができる。
写真 ⓒ홍컴퍼니



