〈ニジンスキー〉の歌詞を人物ごとに色分けしましたよー、というお知らせ。
あと、〈ニジンスキー〉を見る前に〈ディアギレフ〉を見たのだけれど(数年前)、とにかく全く何も知らずに観劇したので…
バレエなんとかって言う…劇団?
(固有名詞を知らないので聞き取れない。)
何かニジンスキーがやりたいことをやったけど失敗したんだね?
(後から「春の祭典」の公演映像を見て、こんな動作してたー!同じだー!こりゃ当時の人驚くよ!と実感する。)
その他色々、見終わってから後の祭りで納得したので、
映像や、その後調べたメモなどをこちらに記録しておくことにする。
ついでにテキトーな再生リストも。
ニジンスキー (1889〜1950)
「ダンスの神」と呼ばれたバレリーノ
ポーランド系の両親、ウクライナで生まれる。
9歳でロシア帝室マリインスキー劇場附属舞踊学校に入学。
卒業後はマリインスキー劇場の主役に抜擢されるなど活躍。
その頃ディアギレフに出会う。
(当時は男女を問わずパトロンに支援されるのが一般的)
ディアギレフと公私共に親交を深め、バレエ・リュスの団員となる。
ディアギレフ (1872〜1929)
現代バレエを確立した不滅のプロデューサー
ロシアの新興貴族の家に生まれる。父親と不仲。
芸術プロデューサーとしてロシアで活躍した後、1907年、仏に進出。
「セゾン・リュス」(ロシア・シーズン)と名付けたロシア音楽の演奏会を企画、大成功。
1911年、「バレエ・リュス」(ロシアバレエ団)の誕生
別名、「天才を見つける天才」「天才蒐集家」
「前衛芸術家たちのゴッドファーザー」
さまざまな才能を調合することに長けていた。
ストラビンスキー (1882〜1971)
『火の鳥』
『ペトルーシュカ』
『春の祭典』 (ポメチェジョン)
指揮者、ピアニストとしても活動。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人。
バレエ・リュス
歴史上初めての民営のバレエ団。
20世紀バレエの真の出発点と言われる。
(白鳥の湖など、旧来の作品も多数上演)
最初から順風満帆だったわけではなく、問題も多かったが、ディアギレフが手腕を発揮して投資を集め、成功へ導いた。
ヨーロッパからアメリカ、オーストラリアまで興行した。
ニジンスキーはまず
『薔薇の精』『ペトルーシュカ』に主演。
特に『薔薇の精』では空を飛ぶような高い跳躍を見せ観衆を驚かせた。
1912年、ニジンスキーが『牧神の午後』を振付けて自ら踊ったが、あまりに性的だったため批評家から不評を買う。
1913年、ニジンスキー振付、ストラビンスキー作曲の『春の祭典』が失敗。大スキャンダルとなる。
その年ニジンスキーがロモラと電撃結婚し、ディアギレフから解雇される。
ディアギレフは結婚を知らせる手紙に、「あなたの永遠の友人、ニジンスキーより」と書かれていたことに激怒し、独立したニジンスキーが活動できないように、あらゆる手段を尽くす。
ニジンスキー、次第に追い詰められ精神を病んでいく。
妻のロモラが私財を投げ打ち治療に打ち込む。入院していたロンドンの精神病院にディアギレフが訪問し再起を促すが、ニジンスキーは断る。
「春の祭典」
「牧神の午後」
どの辺が性的過ぎるんだ?衣装か?バレエ・リュスが人気を博したのは、それまで女性が主役だったバレエに対し、男性が前面に立って活躍する作品に両家の子女が(密かに)喜んだからという説もあるらしい。
どちらの映像も、どこまでオリジナルを再現しているのかなど、全く不明。
トリビュート
実際のニジンスキーの映像など。
当時の「バレエ」という枠組みしか無かったのがニジンスキーの不幸だった気がする。現代であればユニークな才能を発揮する場がいくらもありそうだし、前衛的な感性は歓迎されるだろうに。