11/7のこと。降り立ったバス停は西大門独立公園。独立門を初めて見た。
急坂を登って見えてきたのは「ディルクーシャ」と呼ばれる、アメリカ人アルバート・テイラーの屋敷だ。訪問を思い立ってからほぼ1年。
彼はソウルで貿易会社を営む傍ら、UPI通信社の通信員も兼任し、奇妙な縁で3.1運動を世界に初めて知らせた人物でもある。
太平洋戦争が始まるとテイラー夫妻は国外追放となり、朝鮮戦争の頃には国家所有となっていたディルクーシャは何の管理もされず、避難民が住み着き様々な人生の宿る場所となっていた。
アルバート・テイラーは生涯この家に戻りたいと思い手を尽くしながらも、当時の状況では難しく、若くして亡くなったためその願いは果たせなかった。妻のメアリーは遺言に従いアルバートを葬るため韓国に戻ったが、その当時のディルクーシャはすっかり姿を変えていた。既に家の主人は自分たちではないと考えたメアリーは韓国に留まることなく帰国した。
廃屋化が進み、取り壊し計画が進んでいたディルクーシャが復元されることになった理由は何か?
この家で3.1運動の直前に産まれたテイラー夫婦の息子ブルースが2006年にこの家を探し出し、その存在を世に知らせたからだ。
歴史的にも意味のあるこの建物を、ただ取り壊してはならないという機運が高まり、2016年に始まった復元工事は2021年に終了した。現在は無料で公開されている。(日本語の音声ガイドを利用できる)
夫妻が生活していた当時の写真や、落雷で火事になったニュースを載せた新聞など、資料もたくさん展示されている。
復元された姿からは想像できない、打ち捨てられたようなその姿もまた、保存する価値があるように思うが、それは既に映像でしか見ることができない。
こんな数奇な歴史を持つ家に興味を持ったのが、ミュージカル俳優のヤン・ジュンモさんだ。100年間人々を包み続けた家、デイルクーシャを通じて、人にとって家とは何かを描きたかったと語っている。
既に〈フォー・ミニッツ〉などの作品を制作しているが、彼の手によってミュージカル〈ディルクーシャ〉も素晴らしい作品として誕生した。
国立貞洞劇場で上演されたこの作品を見る機会があったのは本当に幸運だったと思う。再演を待ちたいと思う。