ベルレーヌがそうだったかは知らないが、実際はハゲチビデブなおじさんでも、エンタメになると素敵になってしまうパターンを思わせる、ビジュアルペアだった。
ランボーがベルレーヌの肩に両手を乗せる感じが恋人っぽさを彷彿とさせる。
波打ち際でフランス方向を見つめるベルレーヌ…を見ている私の脳裏に、教科書にお馴染みの
「白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」が突然浮かんで
安住にも放浪にも、どちらにも属せないベルレーヌの異分子感が美しく迫ってきた。
⑥ 11/8
お初のチュニランボー。人当たりはまろやかめだが、一貫して揺らがない感じ?
鼻炎薬のせいか眠くて朦朧としてたので、単にうっとり聞いて終わった夜だった。
書き忘れ。詩の朗読週間で、この日はジチョルベルレーヌによる「초록 (緑)」の朗読だった。
⑦ 12/3
サポートネットとなるべき家族に恵まれない中2病の子が詩だのなんだのと拗らせて、幸か不幸かその子が天才だったから余計に厄介で、でもあれこれしているうちに少し大人になったら本人は詩を卒業しちゃったお話?
なんてことを前回から考えていた。
(100%理屈だったのが、それプラス現実に生きることを始めたと言うべきか?)
こういう作品を見ていると、つくづく自分が現実主義者だなーと思う。
ランボーが自分の子供だったら圧迫せずにのびのびやらせて、すごいねーって話もいっぱい聞いてあげて、でも最後には「喋るのは後にして、早くご飯食べちゃいなさい」と言ってる自分を妄想したりする。
もちろん妄想に過ぎない。〈ランボー〉自体は大変エモーショナルで面白く芸術的で、決してこんな↑作品ではない!
ちゅにランボーは迷いがないと言うか、自分の行きたい道ははっきりしてるのに、家庭環境や年齢のために進みたくても進めない感じ。
だからポールとの関係も自分の進むべき道が重要…のように前半は感じられて、情感の少ない関係に見えた。そしたら後半一転してエモーショナルになったので、ちと驚いた。
(この日の戒厳令騒ぎで、感想を忘れ気味)
生きるのがひたすら苦しいベルレーヌに放つ
「そうやって醜く苦しんで生きて死ね!」は、
「自殺なんて考えずにあがきながら最後まで生きてくれ」なのかなぁと思った。言い方も噛んで含める感じ。
⑧ 12/5
「ドラエ〜, 너 밖에 없어~♡(お前だけだよ〜)」というセリフは長男オリジナルなのかーと思いながら見ていたら、後半の 「그 사람 밖에 없어...(あの人しかいない)」に繋がってると気づき、ドラエが更に気の毒になった。
初回の感想にこう書いている。
8回見てようやく、うっすら想像できる気がする。
M.16“비난 받을 시, 착한 제자”の「まくし立てる詩」とランボーの過去の時間が重なって聞こえた。(ごく個人的見解!)
ポールに会うまでのジョンウォンランボーの興奮とワクワクした喜びは「あらゆる酒が流れる祝祭」を思わせるし、詩を書くことが希望と喜びだった時代。それから「膝に座らせた美は苦い味」となっていって。
前回はドア(奥さん)をチラチラ見ながら、今回は指差しながら「あなたには絶対理解できない!」と言っていた。
詩の内部世界では通じ合えるが、詩に向かい合う生き方は相容れないからランボーが出会いを後悔するしかないのかも。
苦痛までも詩に昇華させるランボーと、苦痛に押しつぶされて詩が書けないベルレーヌ。
それでも死なずにその苦しさの中に自分を置け!(そして詩を書け!)と言いたかった?
ただ、ちゅにランボーのように説得する感じではなく、うずくまるベルレーヌを冷たく見下ろして言い放ってはいたけど。そこが「悪魔のランボー」たる所以か。
