一般的な日本人なら、タイトルを聞いてまずシルヴェスター・スタローンが出てきてしまうであろう作品名。私だけか?さらに悪いことにランボーもロッキーもイメージごちゃ混ぜで、ひたすら筋肉もりもりの暑苦しいイメージだった。
だが実態は、フランスの天才少年アルチュール・ランボーの物語。しかも美少年。
「1869年15歳当時、エリート校で宗教教育からフランス語、ラテン語、古典に至るまで徹底的に勉強し、学年末の表彰式で9つの一等賞を受賞するという、開校以来の神童と呼ばれるほどの抜群の優等生」だったと言う。
母親が狂信的とも言える厳格なカトリック教徒で、今で言えば毒親、一歩間違えばあまりの抑圧に少年犯罪に走っても不思議じゃなかったのでは…というのは個人的考え。
とにかく、16歳で文学界を驚かせた天才詩人ランボーだったが、20歳で筆を折ることになる。物語は幼馴染のドラエを絡めつつ、10歳年上の詩人ポール・ベルレーヌとの関係を描いていく。
① 9/17
しょにちっ!❤️🔥
今シーズンはスタートからコンスタントに見ていく計画。
2022年の前シーズンに、先があるからと後回しにしていたら、後半凄まじい人気でチケットが全然買えなくなってしまい、見られたのがTOM2館の一番上から1回だけだったから。(言わば天井席)
そういう意味では、後方席ながら初日に視妨ゼロで表情まで見える会場にいる、それだけで感動。
長男の歌声をたっぷり聴くの久しぶり…な気が。何回もピーター見たはずなのに、なぜだ?
これが3人劇の醍醐味か❗️(必然的に分量が多い!)
ベルレーヌという人は、金銭的な不自由なく甘やかされて育ち、決断力も生活力もないダメ男だったと読んで、ジョングさんのベルレーヌがイメージぴったり。
でもランボーが彼を慕ってる部分も見えて、(ソホランボーみたいに)ベルレーヌばかりが気の毒…とはならない。
最初ランボーとベルレーヌが知りあった頃、2人の間にあったのは「詩」が中心だったけど、一旦別れる頃には「詩」だけが2人の関係の全てではない、という感じがした。
ジョンウォン・ランボーにとって、ベルレーヌが「自分の詩を理解してくれる人」から「ベルレーヌだから自分を理解して欲しい」に変わったように見えたから。
「行ってしまえ!」と言い放つランボーだけど、実際ベルレーヌが去ろうとするとオロオロしているし、去っていく後姿に言う「行ってしまえ…」には力がない。
しかも、すぐに泣いてしまう。拳で涙を拭く感じでグスングスン。子供か!…情緒的には年齢より子供なのかもしれない(親からの愛が足りてないから)。その後叫ぶ「ポール!」も、絶叫と言うより、「えーん」と泣く雰囲気だった。
再会したブリュッセルで、銃を見つけて考え込むランボーの気持ちあたりから良く分からなくなる。ベルレーヌを苦しめているのは自分だと感じて別れを決心する雰囲気を(朧げに)感じたけれども、その割には「苦しんで一生を終えろ!」なんて酷い言葉を浴びせたりするから。
そこからまくし立てる詩の内容とこのシーンの関連を想像してみたりするが、 “나를 이해해 (僕を理解してる)?” でたたみ込まれるし、こっちの処理能力に負荷がかかり過ぎてムリ。
「僕たちは会うべきじゃなかった」の意味とか、正解じゃなくても想像くらいはしてみたい。
ドラエ役のサンフンさんが演劇〈パンヤ〉で何役も受け持ったのだが、犬の役がすごく感動的で好感度上昇中
。その他〈ファンレター〉〈君のための文字〉〈オズ〉でも、まるで良い人専門。
ドラエはランボーの動作まで真似して、憧れでいっぱい。ランボーは詩を夢見ていて、ドラエはランボーを夢見てる。すごく良かった!
② 9/21
初回は気づかなかったが、ベルレーヌがブリュッセルで詩を書くのに砂浜に詩を書いた小枝を使っている!
過去の映像を調べたら普通にペンを使っているので、演出が変わったのだろうか?詩を書けなかったベルレーヌが、ランボーと一緒に詩を書き始めた時の小枝を、別れた後も大事に持っているなんて。
ランボーに悪魔と呼ばれた要素は確かにあったはずで、普通に考えて関わり合いになりたくないような性格なのかもしれないが、その辺は批判的にならずに目をつぶっている。(だって長男演じるランボーに好意しかない)
③ 9/22
全員(キャラとしては)新しく見る人たちの、新しいランボー。
ジェボム・ベルレーヌは浜辺を去りながら小枝を拾いあげ胸に抱いて持ち帰っていた。昨日と同じで、ブリュッセルでは小枝で詩を書く。
再会したランボーが机の上の小枝を見て嬉しそうにニヤリとするのだが、引き出しの中に銃を発見して表情が曇るという流れ。
ジョング/ジチョル・ベルレーヌは、砂浜に詩を書くように促されるが最初は断る。ランボーが更に促すと書き始める。
ジェボム・ベルレーヌも2回促されて書き始めようとするが、言葉が浮かばずに手が止まる。困ったように顔を上げた先には自分を見つめるランボーの目。魅入られたように見つめた後、一気に書き上げる。
書きたくても書けなかったベルレーヌがランボーというミューズに出会って詩を紡げるようになるのが印象的だった。
その他色々ジェボムさんのオリジナルが炸裂。ドラエが持って来た野菜や果物の袋が意外に重くてよろける小芝居などなど。前半は結構笑いを取っている。
リヒョン・ランボーは強つよだったソホ・ランボー寄りな気がする。あそこまで傲慢ではないけど。長男は少年寄りで、マンネは青年寄りという逆転のランボー。
シン・ウノ君のドラエは演じている感が全く無くて、ドラエそのもののたたずまい。後半の観劇でも彼に当ると良いな。
④ 10/16
この3人、キーワードは熟練?何やら凄そうで少々怯えている。
いやいや、たかがミュージカルなんで、お客様が神様なんで、負けるな私!
ひるまずに臨んだけれど、やられた!熟練トリオパワー恐るべし。
前半ジェボムさんが何かとマイペースにやらかすので、ベルレーヌがそんなに面白くていいのかい?と思う瞬間があるにはあるのだが、
とにかく詩と音楽と歌声が美しくて、私の心にも雨がしとしと降るものだから、基本的に最初から涙目で見ていた。
ジェボムさん痩せた?と思うほどベルレーヌが廃人ぽく見えた。思い出シーンから現在に戻ると、心身が病んでいる雰囲気と20年分の老いが一瞬で全身を覆い、年月の変化がまざまざと見て取れるのが凄い。
長男ランボーの体躯が良すぎるので、2人のコントラストが少々きつい部分があるが、そこはランボーが下から覗き込むとかの技術を駆使して少年らしさの錯覚を醸し出す作戦と思われる。
ドラエが独特の間を駆使して、今まで0.6くらいに感じてた存在感を覆えし、正三角形の関係性なのも良かった。
ジョンウォン・ランボーは目が覚め切らないうちにベルレーヌを呼ぶし(幼児が母親を呼ぶかのように)、丸めた紙がベルレーヌの書き置きかと焦るし、彼をとても必要としている反面、失う不安をいつも抱えているらしい。
ランボーの言葉と行動と心が一致してないのを感じる。アンバランスなのは17~18歳の思春期だから?
「年齢なり(あるいは年齢以下)の心、情緒」と「突出した知性感性」のアンバランスさ…なのか。そこから生まれる言葉と行動は不安定であるしかない。
ランボーの言う “나를 이해해? (僕を理解してる?理解できる?)” が、具体的にはどういう意味なのかずっと考えていた。
泣き虫ランボーは、結構思いやり?配慮?もなくはなくて、前々回くらい、銃を眺める視線に、自分がベルレーヌを苦しめているのが辛いような自責の念が見えたのだが、
今夜のランボーは私にはこう聞こえてきた。
「僕を受け入れられるのか?」
「ちゃんと僕を包み込めるのか?」
弱っちいこいつに自分を受け止めるのは無理だ、一緒にやっていくことはできない、何度やり直しても結果は同じだ、と悟るというか、諦めるというか…そして自暴自棄になる。
銃とお酒を手元に置くベルレーヌの弱さを目の当たりにしたところだし、妻のノックが響くドアを見ながら言うのもあるし。 (ノックする奥さんの存在意義が大きい)
ランボーがブリュッセルに着いてから、小枝を見て口元がほころんだりするけど、2人の間に、銃+酒(ベルレーヌの生き方、メンタル)と、妻(象徴的現実社会)との切れない関係が押し寄せて来て、
ランボー絶望方向→ (無理なんだろ?という思いで) “나를 이해해?!” の叫び→ 錯乱→ ペン刺し→ 自分も絶筆…に見えた。
"너, 나를 절대로 이해 못 해!“
「あなたには絶対に僕が理解できない!」
この辺の流れが配信とは全然違っていて、別作品のよう。
ランボーって…
すごい面白かったんだ‼️