日本では「テーバスランド」だけど、韓国風に〈テーベランド〉で。
劇中に出てくる、マルティンが「S」のために書き出したバスケ用語のリスト。ウェブ翻訳でざっと見ておいて助かった。原作を読むのが1番助かるんだと思うが、ミュージカル(あ、これは演劇だった)の予習として本を読んだことは一度として無い!(キッパリ言い切ってないで読みなさい。)
作家の紹介や「S」のノートがロビーの壁に大きく貼られている。
7月14日
〈少年A〉と同じく、罪を犯した少年に関する物語。
〈少年A〉はまじで思い出し泣きしたが、今度はどんな後味だろうか?
…後味は…
疲れたー
使い過ぎで脳が腫れた気がする。
内容を理解しようとするだけでオーバーヒート気味。その内容がどんなメッセージを発しているのか、そこまで追いつかない。
父親殺しで収監されている青年の物語を舞台に乗せようとしている作家「S」が、プロジェクトの発端から客席に説明するところからスタート。
①作家の説明→ ②青年との出会い、会話の再現シーン→ 作家の感想→ 作家と俳優のディスカッション→ 演劇の試演シーン。このプロセスの繰り返し。
作家が永遠に喋ってる。永遠に!すごい。
だが、カスカスの聞き取り能力にウンソンさんの声がくぐもって聞こえて、余計に分かりにくい気がする。
俳優としてのテグン君は、インタビューを受ける父親殺しの青年と、その役を演じる俳優と、俳優が演じる青年をうまく演じ分けてはいる…がやはり、状況把握が大変!
オイディプスは父親殺しの代名詞だけど、父親と知らずに殺したから尊属殺人ではない。青年は父親を殺したけど、父親と呼べるような人間ではなく獣のような存在だった。(これも厳密に言ったら殺人ではない?獣だから。私がそう思っただけ。)
早朝のキッチンで父親をフォークで20数回刺して殺害し、午前中死体を横に料理し食事もし、昼になって電話で自首した青年がどんな人間なのか、なぜこんな事件を起こしたのか???
オイディプスの国テーベ。そんな世界の話の「テーベランド」だから「現代の神話」「現代の悲劇」なような気もしてきた。
やはり一度では味わい尽くせないので、もう一度見るしかない!
8月17日
今日も使い過ぎで脳が腫れちゃうのか心配になりながらスタート。私はなぜこんな罰ゲームみたいな事を自分に課しているのか。
まだ席に着く観客がいて、アッシャーが開演前の注意を言ってる段階でケージの中に現れたマルティンが一人でバスケを始める。不思議な空気。
ジュスン君はテグン君を超える演技力で、キャラクターの入れ替わりを表現してくれるのか、そんなこともチラッと考えてはいたけど、バスケットボール場の金網のドアが閉じている時はマルティン、ドアが開け放たれると「S」の事務所もしくは練習室という約束を理解してしまったので、演技の差は感じなくなってしまった。
台所なら包丁があったはずなのに、わざわざフォークで20回も刺したのはなぜかと考える「S」。
面白がって暴力を振い続けた父親。皮のベルトで打たれると傷が何日も癒えずに1番痛かったと話すマルティン。「S」はそこに関連性を見出す。長引く痛み?
「S」とマルティンが話し合う過程で「S」はマルティンを理解していくし、マルティンは理解者に語っていくことで、何か自分の中で整理がついていったんじゃないか。
だから父親の墓に行く決定をするんだろうし。
プロジェクトも終わり別れる時に、それぞれの道に戻ろうと言う「S」。
終身刑の自分には戻る場所も進む道も無いとマルティンは言うけど、「S」が誰にでも道はあると言ってタブレットをプレゼントする。客席の通路を登って去りながら振り向く「S」。
1人残ったマルティンがタブレットの画面で何かを食い入るように読んでいる。マルティンの環境は変わらないとしても、何か今までとは違う人生になるんじゃないだろうか。